2006/12/20

宇治逍遥4:宇治平等院付近  文化財研修記

12月16日(土)宇治市の三男と孫に会いに行き、その後一日リュックサックを背負い、トレッキングシューズで宇治の平等院・国宝鳳凰堂を中心に次のように散策・撮影をした。5年振りで大分忘れていたが、平等院南門前の駐車場(乗用車一日700円のみ)に置いて、次のように歩き始めた。南門=平等院=表門=宇治川沿いの「あじろぎの道」=喜撰橋=塔の島=三重の石塔=朝霧橋=宇治神社前=宇治川沿いに観流橋を渡る=琴坂から興聖寺へ上る=宇治発電所を左手に見て=恵心寺=宇治神社=世界文化遺産登録・国宝「宇治上神社」=源氏物語の宇治十帳の一部を見る=(前はここから仏徳山の展望台へ登った約25分くらいで、宇治市の全貌がほとんど見えるが、今回は時間の都合上、割愛)=源氏物語ミュージアム=橋寺放生院=引き換えし宇治橋を渡り=上林記念館=昼食=駐車場の4時間30分コースでした。今年は暖冬で今でも宇治は満開の紅葉を少し、過ぎたばかりでした。今日ののコースは平等院から浮島(上流は塔の島、下流は橘島)から朝霧橋を渡り対岸へ渡ったところの興聖寺から、引き返します。そこには、当初、弘仁13年(822)空海の創建になるという。初め唐の「青龍寺」に似ていたところから龍泉寺と呼ばれていたが、平安時代中期の寛弘年間(1004〜1011)に恵心僧都が再興して、以後寺号を「恵心院」と称するようになった。本尊は木造十一面観音立像で宇治に残る数少ない十世紀のもので、平成三年宇治市指定となったが撮影は許可されなかった。

恵心院入口
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恵心院前の弘法大師石像
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恵心院門
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恵心院本堂
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弘法大師とそのお供
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2006/12/19

宇治逍遥3:宇治平等院付近  文化財研修記

12月16日(土)宇治市の三男と孫に会いに行き、その後一日リュックサックを背負い、トレッキングシューズで宇治の平等院・国宝鳳凰堂を中心に次のように散策・撮影をした。5年振りで大分忘れていたが、平等院南門前の駐車場(乗用車一日700円のみ)に置いて、次のように歩き始めた。南門=平等院=表門=宇治川沿いの「あじろぎの道」=喜撰橋=塔の島=三重の石塔=朝霧橋=宇治神社前=宇治川沿いに観流橋を渡る=琴坂から興聖寺へ上る=宇治発電所を左手に見て=恵心寺=宇治神社=世界文化遺産登録・国宝「宇治上神社」=源氏物語の宇治十帳の一部を見る=(前はここから仏徳山の展望台へ登った約25分くらいで、宇治市の全貌がほとんど見えるが、今回は時間の都合上、割愛)=源氏物語ミュージアム=橋寺放生院=引き換えし宇治橋を渡り=上林記念館=昼食=駐車場の4時間30分コースでした。今年は暖冬で今でも宇治は満開の紅葉を少し、過ぎたばかりでした。今日ののコースは平等院から浮島(上流は塔の島、下流は橘島)から朝霧橋を渡り対岸へ渡ったところから。

観流橋から左手に宇治発電所を見る。
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慶安元年(1648)淀城主永井尚政が菩提寺として「興聖寺」を再興し、この道を「琴坂」と名ずけた。(230メートルの登り道はかなりきつい)
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琴坂の直ぐ左手の五重の石塔
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琴坂から興聖寺を正面に見る。(中国の宗から帰国した道元の開創の寺)
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素晴らしい「興聖寺(曹洞宗)」の枯山水の庭1.
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枯山水の庭2.
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枯山水の庭3.
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本堂左手の三面大黒天像
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2006/12/18

綾部西国観音霊場(33ケ寺・番外6ケ寺)の取材目次  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には「綾部西国観音霊場会」(戦前は「何鹿郡観音霊場会」と呼ばれていた。)がありその会の主催で年2回春は梅雨明けの6月下旬、7月上旬、秋は大体11月中旬に「あやべ西国観音霊場巡り」がA.B.Cの3コースで33ヶ寺と番外6ヶ寺をマイクロバスで巡拝する一日コースが実施される。即ち、各コース一日13ヶ寺を回り、各寺「般若心経を3回」読み又、ご朱印帳他に押捺をしてもらう。参加費も昼食代を含めて6,000円〜6,500円位と安いが朱印代は300円位,お賽銭は全て志納金である。前日、ホテル綾部に泊まれば集合場所まで迎えに来てもらえる。詳細は「第1番札所の真言宗・正暦寺(しょうれきじ)電話07773−42−0980)」へ事前に問い合わされると良い。
 わが国の観音信仰は古くは飛鳥時代にさかのぼり、法隆寺の救世観音、百済観音などを初めとして、白鳳から奈良時代に多くの美しい観音像がつくられた。当時の観音は国家安寧・病気平癒と云った現生利益をもたらす仏様として信仰されていた。奈良時代末の「日本霊異記(りょういき)には観音様の功徳を説くものが14編あります。その後、平安時代には密教の影響から変化(へんげ)観音が多数生まれ、多くの人々の要望に答えるようになった。更に、浄土思想を元に観音様は六道輪廻(りんね)する衆生を引導する仏として、又、極楽浄土への導き手として深く社会に浸透した。特に山岳修行行者の間に観音信仰が広まり、修行の地が決まり、後の観音霊場と成った。日本最古の観音霊場「西国33観音霊場」は「中山寺縁起」によると8世紀初めです。実際には、10世紀末「花山法王」の出家巡礼を契機に巡礼道が整備されたと云う。室町時代以降、「今生の罪と穢れを巡礼で消滅させる。」との願いが多くの人々に起こり、西国・坂東・秩父が100観音霊場として結ばれるのもこの頃です。綾部地方でも同じく室町時代に現在のあやべ観音霊場の前身である何鹿郡33ヶ所が決められた。今回、小生は現在の「綾部観音霊場会」の編集委員の方の依頼を受け,毎正月の例会で配られる檀家への冊子「慈光」の六道に関係する六観音を未熟者ですが、諸般の事情で已む無く取材・撮影することとなった。
1番札所「正歴寺:寺町」「その2」2「隆興寺:神宮寺町」3「宝住寺:味方町」4「栴林寺:釜輪町」5「照福寺:鷹栖町」6「梅巌寺:下八田町」「その2」7「佛南寺:里町」8「円照寺:多田町」9「東光院:上延町」10「慈音寺:上延町」11「隠龍寺:高津町」12「浄泉寺:位田町」13「瑠璃寺:大畠町」14「楞巌寺:舘町」「その2」15「惣持院:小西町」16「普門院:鍛冶屋町」17「天王寺:小畑町」18「高屋寺:物部町」19「極楽寺:白道路町」「その2」「その3」20「満福寺:西坂町」21「長松寺:坊口町」22「宝満寺:西方町」23「長福寺:向田町」24「慈眼寺:上八田町」25「岩王寺:七百石町」26「安国寺:安国寺町」「その2」27「禅徳寺:上杉町」28「施福寺:上杉町」29「日圓寺:井根町」30「善福寺:睦合町」31「上林禅寺:八津合町」32「五泉寺:五泉町」33「光明寺:睦寄町
番外1「妙徳寺:渕垣町」2「長福寺:栗町」3「雲源寺:梅迫町」4「随岸寺:和木町」5「高源寺:小畑町」6「久香寺:梅迫町」 
 真言宗や天台宗はもっとも古く秘仏が多く、ほとんど仏像の撮影は出来ません。曹洞宗永平寺派も難しい。綾部の真言宗の寺全部を掲載した冊子を出される計画で作業中と承知してますが、仏像の写真は一つもありません。小生の方が多く撮影してます。残りは来年となります。
以上、綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫さんのご苦労です。全部で39ケ所の内、すでに25ケ所の取材、文化財日誌に公開済みです。また掲示板には「花と綾部の文化財」のタイトルで投稿されているものです
なお綾部西国観音霊場は1999年に再編成された由、文化財を守る会会報記事の転載(HP)と変わるところもあります   

2006/12/18

宇治逍遥2:宇治平等院と浮島  文化財研修記

12月16日(土)宇治市の三男と孫に会いに行き、その後一日リュックサックを背負い、トレッキングシューズで宇治の平等院・国宝鳳凰堂を中心に次のように散策・撮影をした。5年振りで大分忘れていたが、平等院南門前の駐車場(乗用車一日700円のみ)に置いて、次のように歩き始めた。南門=平等院=表門=宇治川沿いの「あじろぎの道」=喜撰橋=塔の島=三重の石塔=朝霧橋=宇治神社前=宇治川沿いに観流橋を渡る=琴坂から興聖寺へ上る=宇治発電所を左手に見て=恵心寺=宇治神社=世界文化遺産登録・国宝「宇治上神社」=源氏物語の宇治十帳の一部を見る=(前はここから仏徳山の展望台へ登った約25分くらいで、宇治市の全貌がほとんど見えるが、今回は時間の都合上、割愛)=源氏物語ミュージアム=橋寺放生院=引き換えし宇治橋を渡り=上林記念館=昼食=駐車場の4時間30分コースでした。今年は暖冬で今でも宇治は満開の紅葉を少し、過ぎたばかりでした。今日ののコースは平等院から浮島(上流は塔の島、下流は橘島)から朝霧橋を渡り対岸へ。

国宝・平等院鳳凰堂を正面右手から撮影
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国重文の観音堂
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平等院正面から出て、橘橋を撮り、あじろぎの道を宇治川に沿って歩く。
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喜撰橋のすぐ下流の繋留地で鵜飼船の準備中
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喜撰橋を渡り、塔の島へ。弘安9年(1286)に叡尊が宇治橋改修にあたり、殺生を禁止した国重文の「浮島十三重塔」
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橘島から朝霧橋の全景を撮る
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朝霧橋を渡り対岸の右側の「朝日園」の入口を撮る。(入庭には事前の許可が必要)
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2006/12/17

宇治逍遥一日1:国宝・宇治平等院鳳凰堂  文化財研修記

12月16日(土)宇治市の三男と孫に会いに行き、その後一日リュックサックを背負い、トレッキングシューズで宇治の平等院・国宝鳳凰堂を中心に次のように散策・撮影をした。5年振りで大分忘れていたが、平等院南門前の駐車場(乗用車一日700円のみ)に置いて、次のように歩き始めた。南門=平等院=表門=宇治川沿いの「あじろぎの道」=喜撰橋=塔の島=三重の石塔=朝霧橋=宇治神社前=宇治川沿いに観流橋を渡る=琴坂から興聖寺へ上る=宇治発電所を左手に見て=恵心寺=宇治神社=世界文化遺産登録・国宝「宇治上神社」=源氏物語の宇治十帳の一部を見る=(前はここから仏徳山の展望台へ登った約25分くらいで、宇治市の全貌がほとんど見えるが、今回は時間の都合上、割愛)=源氏物語ミュージアム=橋寺放生院=引き換えし宇治橋を渡り=上林記念館=昼食=駐車場の4時間30分コースでした。今年は暖冬で今でも宇治は満開の紅葉を少し、過ぎたばかりでした。

南門からの平等院入口
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左手は国重文(桃山時代)の養林庵書院で元平等院塔頭(たっちゅう)養林庵本堂
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国宝・日本三名鐘の一つ(本物は宝物館の凰翔館にあり、見学できる。特に国宝の雲中供養菩薩像等が多数展示されている。)
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国重文の単一寺院「浄土寺」
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宇治市指定文化財「浄土院羅漢堂」
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最勝院の「源頼政の墓」
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国宝・平等院鳳凰堂
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2006/12/16

何鹿郡最後の12番目の式内社「佐陀神社」  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には12の式内社がある。これは明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達書第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、20冊に編纂されたが京都市内の一部は不明となり13冊が、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に今年11社を紹介して来た。今回は最後の12社目である当時、東栗村の「佐陀神社」を紹介します。奇妙なことに澤山鎮座の「佐陀神社」と2つの神社の絵が掲載されている。しかし、綾部市史(上巻)昭和51年3月10日発行の107ページには現在「佐陀神社」を神名とする神社はないが、栗町佐陀尾にある大川神社が昔から「佐陀神社大川大明神」ととなえれて来たので、明治6年大川神社を式内社「佐陀神社」と指定れたと記載されている。又、天明二年(1782)の古いのぼりに「佐陀神社大河大明神」と書いたものが残っている。祭神には諸説があり、阿智使主(神名帳考証)、大山祇命(明細帳)、佐太大神(特選神名牒)などまちまちである。小生は2ヶ所ある遥拝所を調べて、大山祇命と思慮している。

佐陀(大川)神社正面と巨木
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拝殿
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西側の見事な庭園
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拝殿の見事な彫物
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獰猛な狛犬と後ろの狛犬
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作成年代が入ってないのが残念な古い狛犬
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ご神木と遥拝所
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2006/12/15

綾部の12式内社紹介目次  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には12の式内社がある。これは明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達書第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、正確には20冊に編纂されたが、現在京都市内の部7冊が紛失し、13冊のみが、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に今年11社目である「佐須我神社」を紹介しました。最後の12番目は年内来週には入力予定です。
1「須波岐部神社(物部町)」、2「阿須々伎神社(金河内町)」、3「御手槻神社(位田町)」、4「河牟奈備神社(十倉名畑町)」、5「伊也神社(広瀬町)」、6「赤国神社(舘町)」、7「高倉神社(高倉町)」、8「高蔵神社(西坂町)」、9「佐須我神社(現在は福知山市字私市)」、10「嶋萬神社(中筋町)」、11「福太神社(上八田町)」、12「佐陀(大川)神社(栗町)
以上、綾部の文化財を守る会事務局長:四方續夫記
編者注)西国観音霊場と違いここで云う式内社の順番は、取材順でもなく意味がありません。つまり順不同ということのようです。それにしてもあと1社ですね。完成が待たれます。乞うご期待!年末のまとめにさせていただきます。

2006/12/14

何鹿郡11番目の式内社「佐須我神社」  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には12の式内社がある。これは明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に今年10社を紹介して来た。今回は11社目である「佐須我神社」を紹介します。この神社は古代は私部(きさいちべ)の氏神で中世まで雀部庄(ささべのしょう)を含む6ヶ村の郷社であったが、応仁・文明の乱後、社領を没収され衰えたといわれているが、現在でも東西に鳥居を持ち、見事な神社である。但し、戦後昭和の市町村合併でこの神社のある佐賀村の一部は福知山市になった。この神社には東西の2つの石の巨大な鳥居があり、両側すなわち東の鳥居は綾部の私市(きさいち)町側から参拝でき、西の鳥居側からは福知山市佐賀町側から参拝できる。祭神は武速須佐之男命であり又、境内社も6社もあり、往時の勢力が理解できる、特に山上への途中の愛宕神社は素晴らしい彫刻である。他の5神社は、稲荷神社、市杵嶌神社、人阪神社、清郎神社、新宮神社である。

西の石の大鳥居
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佐須我神社正面
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神社拝殿
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拝殿から本殿へ
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境内社の一つ「新宮神社」
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愛宕神社への登り道
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愛宕神社の見事な彫刻
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2006/12/12

何鹿郡10番目の式内社「赤国神社」  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には12の式内社がある。これは明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に今年9社を紹介して来た。今回は10社目舘町の式内社「赤国神社」を紹介します。祭神は三柱で、右側、猿田彦大神、中、瓊々杵命(ににぎのみこと)、左側、天宇須女命(あまのうずめのみこと)、天の岩戸で踊った神様です。又、この神社は家格が高く、江戸時代初期まで、旧暦の8月10日祭には梅若太夫の能楽が奉納されたと云う。この神社は当初、稲葉山の宮の段に祀られていたが慶長五年の兵火で多くの宝物を類焼したが、唯一残ったのが「文の鳥(ふみのとり)」といわれる綾部市指定文化財である。この「文の鳥」は神輿に附する銅製の鳳凰で正和三甲(1314年)刀九八下司・源光高の銘がはいている。源光高は時の荘官であった。

赤国神社の石の鳥居
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赤国神社の門と門柱
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赤国神社拝殿
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赤国神社扁額
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拝殿から本殿
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境内社(稲荷神社、琴平神社、稲葉神社)のうちの稲葉神社
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今年春の桜の咲く鳥居
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雪の積もった元旦の赤国神社は、ここをクリックください。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/akakuni/akakuni.htm

2006/12/11

何鹿郡9番目の式内社「御手槻神社  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には12の式内社がある。これは明治政府が明治7年(1874)6月から「教部省達第28号」により各都道府県に調査を命じ、京都府は明治8年7月より寺社掛が調査編纂した。この「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と呼び、18冊に編纂され、京都府総合資料館に保存されている。何鹿郡(いかるがぐん)之部では12社とされ、既に今年8社を紹介して来た。今回は9社目位田町の式内社「御手槻神社」を紹介します。
祭神は御手槻神だが、境内社は2社、天満神社:祭神は菅原道真公と遥拝所、若宮神社と記されているが、現在はこの若宮神社には神霊社、稲荷社、幸神社、厄除神社、大山祇神社が併設されている。

式内社「御手槻神社」正面
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御手槻神社の木の大鳥居
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見事な拝殿正面
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見事な拝殿の彫刻
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見事な拝殿から本殿側面
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天満神社と遥拝所
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