2006/12/29

京都逍遥2日間:7.仁和寺2.  文化財研修記

今日は京福電鉄鹿王院ーー帷子の辻(かたびらのつじ)乗換(200円均一)−−御室駅(おむろえき)へーー徒歩10分で平成6年には世界文化遺産に登録された真言宗御室派(おむろは)大本山・仁和寺(にんなじ)へ至る。仁和二年(886)に58代光孝天皇が着工されたが翌年没されたので、宇多天皇が先帝の意思を継がれ完成された。宇多天皇は、退位後、出家され仁和寺を住坊とされ、30余年もの間、真言密教の修行に励まれた。以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡となられ、仁和寺は御室御所と呼ばれ親しまれてきた。広大な境内は御室御所跡として国の史跡に指定され、国宝、重文を多く有し、また、御室流華道の家元として、いけばなを通じ文化の向上にも貢献している。2回にわたって掲載します。

白書院より宸殿を見る(左、左近の橘、右に右近の桜)
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宸殿より北庭と遠方に五重塔が見れる
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宸殿より観音堂を見る
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宸殿の襖絵
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中門から正面に金堂をみる
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五重塔(国重文)
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国宝「金堂」
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真言宗御室派に所属の末寺は綾部市にもあります。詳細は下記クリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/219.html
http://www.nbcayabe.com/sout/atago/atago.htm

2006/12/28

京都逍遥2日間:6.仁和寺1.  文化財研修記

京福電鉄鹿王院ーー帷子の辻(かたびらのつじ)乗換(200円均一)−−御室駅(おむろえき)へーー徒歩10分で平成6年には世界文化遺産に登録された真言宗御室派(おむろは)大本山・仁和寺(にんなじ)へ至る。仁和二年(886)に58代光孝天皇が着工されたが翌年没されたので、宇多天皇が先帝の意思を継がれ完成された。宇多天皇は、退位後、出家され仁和寺を住坊とされ、30余年もの間、真言密教の修行に励まれた。以来、明治維新まで皇子皇孫が仁和寺の門跡となられ、仁和寺は御室御所と呼ばれ親しまれてきた。広大な境内は御室御所跡として国の史跡に指定され、国宝、重文を多く有し、また、御室流華道の家元として、いけばなを通じ文化の向上にも貢献している。2回にわたって掲載します。

仁和寺二王門(国重文)
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仁和寺入口
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白書院の襖絵
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南庭園と勅使門
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白書院の襖絵
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黒書院等
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震殿への扉絵
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2006/12/27

京都逍遥2日間:5.鹿王院2.  文化財研修記

今日は、室町三代将軍足利義満が開基した、仏牙寺(ぶつげじ)鹿王院(ろくおういん)を紹介します。この寺は黄檗宗大本山万福寺の由緒寺院で、正式な名前は、覚雄山(山門に義満直筆の扁額がある)大福田宝幢禅寺といい、現在の鹿王院の名前は、開山堂の名をとったものである。三代将軍義満は康歴二年(1380)24歳の時、寿命を延ばすことを祈って建てたもので、京都十殺第5の名刹である。開山は義満の師、普明国師(春屋妙葩)である。国宝はないが、国重文は多数ある素晴らしい寺である。バッチリ写真を撮らせて頂いたので2回に分けて、紹介します。

左手:玄竹和尚像、真中:弥勒菩薩像、右手:賢渓玄倫和尚
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足利義満像
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如意輪観音像
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舎利殿内部の仏壇
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舎利殿内部の狩野鶴嶺の16羅漢図1.
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同上2.
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同上3.
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2006/12/26

京都逍遥2日間:4.鹿王院1.  文化財研修記

今日は、室町三代将軍足利義満が開基した、仏牙寺(ぶつげじ)鹿王院(ろくおういん)を紹介します。この寺は黄檗宗大本山万福寺の由緒寺院で、正式な名前は、覚雄山(山門に義満直筆の扁額がある)大福田宝幢禅寺といい、現在の鹿王院の名前は、開山堂の名をとったものである。三代将軍義満は康歴二年(1380)24歳の時、寿命を延ばすことを祈って建てたもので、京都十殺第5の名刹である。開山は義満の師、普明国師(春屋妙葩)である。国宝はないが、国重文は多数ある素晴らしい寺である。バッチリ写真を撮らせて頂いたので2回に分けて、紹介します。

鹿王院の600年の歴史を持つ山門「足利義満直筆の覚雄山の扁額」が見える。
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山門から中門天台鳥薬(てんだいうやく)など銘木・青苔がつづく。一休和尚も少年の頃(応永二年12歳の時、この山門をくぐって、ここで維摩経(ゆいまきょう)を聴いている。
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鹿王院入口
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寺を守る韋駄天様
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舎利殿と本庭(この舎利殿は鎌倉将軍源実朝が中国宗の国から招来したもの。)嵐山を借景に室町時代の石組みや樹齢400年の木斛(もっこくの木)は銘木で格調高い本庭である。
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本堂の運慶作「釈迦及び十大弟子」
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開山の普明国師(春屋妙葩)
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2006/12/26

京都逍遥2日間:3.天龍寺と近辺  文化財研修記

今日は天龍寺の塔頭(たっちゅう)2ヶ所と野宮神社と黄檗宗満福寺の由緒寺院であり室町幕府三代将軍足利義満建立の「鹿王院」へ徒歩で行く途中の尊氏と関係の深い北朝の「光厳天皇髪塚」を紹介します。特に野宮神社(ののみやじんじゃ)は天龍寺の裏側にあり、この神社は伊勢神宮の斎王(さいおう)、つまり天皇一代に限って祭祀に奉仕する内親王が、3年間身を清めるための野宮であったと云う。祭神は天照大神であり「源氏物語」の舞台「賢木の巻」に見られる「黒木の鳥居、小柴垣」等が歴史の名残りを残している。現在は、亀の形の石をなでると、願いが叶う縁結びの神、進学の神として有名で小生が参拝した時も多くの女学生が詣でていた。お姫さまとお殿様を刺繍したお守りを良く買っていたようだった。次は足利義満創建の黄檗宗「鹿王院」の予定です。乞うご期待!!!!

天龍寺塔頭「松厳寺」文和元年(1353)「源氏物語」の注釈で知られる四辻善成の建立。
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同じく「三秀院」貞治二年(1363)夢窓疎石の法嗣の慈明禅師の創建
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野宮神社への道
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野宮神社(ののみやじんじゃ)と黒木の鳥居
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神社正面
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北朝の「光厳天皇髪塚」
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2006/12/25

京都逍遥2日間:2.天龍寺と近辺  文化財研修記

天龍寺は京都五山第一の寺格を誇る臨済宗天龍寺派の大本山である。正式には霊亀山天龍資聖禅寺と云い開山の夢窓疎石(むそうそせき)は日本人としては、初めての禅宗の指導者であり、足利尊氏の良きアドバイザーであった。南北朝の時代に後醍醐天皇が吉野山にて死亡後、足利尊氏は夢窓疎石の薦めにより、この天龍寺を創建し、全国に安国寺と利生塔を築いた。現在も京都府綾部市「もと丹波国何鹿郡(いかるがぐん)」に元光福寺と云っていた寺(足利尊氏はこの寺の側で生まれた。)を南禅寺より禅師を講じ、この寺を全国安国寺の筆頭とし、盛時には寺領3,000石、塔頭(たっちゅう)16寺と隆盛を極めた。現在も安国寺は日本全国に綾部の安国寺を筆頭に41ヶ寺がある。一方この天龍寺は創建の資金をいわゆる「天龍寺船」で海外貿易を起こし、一船につき銅銭5,000貫文を納めさせ、その資金を得て建てた。大方丈の前の庭は嵐山を借景として、夢窓疎石が築いたもので「国の特別名勝指定第一号庭園」として有名である。国宝は無いが数多くの国重文をもつ広大な寺院である。

天竜寺大方丈
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夢窓疎石作庭の「国史跡・名勝・天龍寺借景庭園」後ろに嵐山と亀山を借景としている。
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後醍醐天皇を祀る「多宝殿」への道
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多宝殿
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望京の丘から天龍寺・京都方面を望む。
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大方丈から内庭をみる。
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再び天龍寺入口
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綾部安国寺については下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/205.html

http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/ankoku/ankokuji.htm
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/takauji700/takauji700.html
後醍醐天皇と吉野山については下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/kensyu/yosino2/yosino.html

2006/12/23

京都逍遥2日間:1.天龍寺と近辺  文化財研修記

12月19日(火)〜20日(水)京都逍遥2日間を連載する予定です。写真132枚撮ってきてます。
コース:JR綾部駅06:41発)−普通列車ーJR嵯峨嵐山駅(08:11着)ーーー徒歩で天龍寺及び近辺見学ーー徒歩でーーー鹿王院「ろくおういん(ここはすごい、足利義満創建でばっちり仏像、絵画を撮影させて頂いた。)」ー京福電鉄鹿王院ーー電車「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」で乗り換え、電車200円のみ)ーー御室(おむろ)駅下車ーー徒歩ーー国宝・多数ある仁和寺見学ーー徒歩ーー龍安寺(石庭)見学ーー徒歩ーー臨済宗大本山妙心寺とその名園「退蔵院(たいぞういん)」を見学ーー市バス妙心寺前(220円)NO。91−−四条烏丸ーー徒歩ーー六角堂(華道池の坊)見学 ーー徒歩ーー宿:ホテル松井(15:30着)     18:00JTB京滋OB夕食会
2日目08;20ホテル発ーー徒歩ーー市バス四条高倉(220円)NO。12−−臨済宗大本山大徳寺と名園「大仙院」見学ーー市バスNO。北8−−高野下車ーー徒歩ーー金福寺ーー一乗寺下り松(宮本武蔵)ーー八大神社ーー詩仙堂(名園)見学後、フイルム終わりで、市バス停一乗寺下り松NO5・−−−(55分)でJR京都駅(昼食)JR京都駅発(13:38)−−普通電車ーーJR園部駅(14:28着)15:01発ーー普通電車ーーJR綾部駅着(15:50)

第一日目最初は、綾部出身の室町幕府の初代将軍足利尊氏が当時の臨済宗の日本での始めての指導者となった夢窓疎石(むそうそせき)の薦めにより、後醍醐天皇及び当時の戦死者の供養の為、大本山・天龍寺を創建し、日本全国に安国寺と利生塔を建てた。又、明治4年にこの天竜寺の管長に綾部出身の由利滴水(ゆりてきすい)禅師がなられたいわれもあり、15年ぶりに訪れた。今回の京都逍遥は大体無意識であったが、綾部出身の足利将軍家に関係する所を訪れていた。又、京都の禅寺を見に行かれるなら是非、綾部の釜輪町「栴林寺(せんりんじ)」あやべ西国観音霊場第4番札所出身の竹貫元勝(たけぬきげんしょう)元花園大学教授著の雄山閣出版「京都の禅寺散歩」を読まれるようお薦めします。小生も随分参考にしています。

JR嵯峨嵐山駅と隣のトロッコ嵐山駅
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天龍寺入口案内板
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塔頭(たっちゅう)の一つ「等観院」至徳3年(1386)徳痩周佐(とくそうしゅうさ)開基の正持寺を復興したものと云われている。
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嵐山羅漢(天龍寺前から嵐山に向かう途中にある。)
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嵐山の名旅館「嵐亭」と船着場
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天龍寺入口
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天龍寺大方丈
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足利義満将軍の関係寺院については下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bnk/04haru.htm
http://www.ayabun.net/bnk/bus/bus.htm
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/205.html

2006/12/23

宇治逍遥7:宇治平等院付近最終編  綾部の文化財

お茶の渡来=宇治茶=丹波何鹿郡上林郷(たんばいかるがぐんかんばやしごう現京都府綾部市の上林地区)の関係。延歴二年(805)天台宗のみならず日本へ初めてお茶の種を、中国唐の国より持ち帰った最澄は比叡山延暦寺はお茶に適しないので、滋賀県側の坂本の里の坊に日本で始めての茶園(お茶は薬)を開いた。現在もこの坂本に日本最古の茶園がある。その後、お茶は広まり特に、鎌倉時代では栂尾(とがのお)が知られ、闘茶では「本茶」とされた。宇治茶は栂尾の明恵(みょうえ)上人が開いたといわれている。一方同時期に丹波何鹿郡上林郷の豪族上林家にもお茶が伝わり、今は大畠町、私市町の茶が「綾部茶」として有名だが、当時は口上林に多数の茶園が有り、上林家が支配していた。この上林家の久重は永禄年間(1558−70)に宇治に移り、4人の息子、上林久茂、上林味ト、上林春松、そして上林竹庵達は宇治茶業界を代表する茶師となった。特に天正年間(1573−92)豊臣秀吉は茶頭取りとして、朱印状を与え他郷が宇治茶と詐称する事を禁じ、宇治茶の品質と流通を維持した。江戸時代においても同様に徳川家に茶頭取りとして、待遇したが、特に4男は徳川家康に仕え、三河土呂郷に100石の知行を受け、三河茶(現在の静岡茶の元)の栽培に寄与したと云う。後、宇治に帰り、上林竹庵と称し、茶業に精勤したが、関ヶ原の戦いの折、家康の恩義に報い、伏見城を鳥居元忠と共に守り、戦死した。
三代将軍家光の代には、将軍御用の「お茶壷道中」を持っておこなった。明治維新後、宇治茶師の各家は転・廃業したが、春松家は唯一宇治茶師の後裔として現在も茶業を営んでいる。

宇治・上林記念館
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向かって左側でお茶の販売・右側は記念館
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お茶造りの道具1.
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お茶造りの道具2.
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この像は上林竹庵の百年忌に創られ平等院に祀られていたもの。
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「茶壷道中」の壷(ルソン壷)と駕籠
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2006/12/22

宇治逍遥6:宇治平等院付近  文化財研修記

12月16日(土)宇治市の三男と孫に会いに行き、その後一日リュックサックを背負い、トレッキングシューズで宇治の平等院・国宝鳳凰堂を中心に次のように散策・撮影をした。5年振りで大分忘れていたが、平等院南門前の駐車場(乗用車一日700円のみ)に置いて、次のように歩き始めた。南門=平等院=表門=宇治川沿いの「あじろぎの道」=喜撰橋=塔の島=三重の石塔=朝霧橋=宇治神社前=宇治川沿いに観流橋を渡る=琴坂から興聖寺へ上る=宇治発電所を左手に見て=恵心寺=宇治神社=世界文化遺産登録・国宝「宇治上神社」=源氏物語の宇治十帳の一部を見る=(前はここから仏徳山の展望台へ登った約25分くらいで、宇治市の全貌がほとんど見えるが、今回は時間の都合上、割愛)=源氏物語ミュージアム=橋寺放生院=引き換えし宇治橋を渡り=上林記念館=昼食=駐車場の4時間30分コースでした。今日は、国宝・宇治上神社からーーさわらびの道「源氏物語の宇治十帖の早蕨(さわらび)」−−−源氏物語ミュージアムーーー橋寺放生院ーー宇治橋まで行きます。後は「宇治・上林記念館」のみ次回で宇治逍遥は終わりです。

源氏物語「宇治十帖の一つ早蕨(さわらび=わらび)」中ノ宮から匂宮への歌「この春はたれにか見せむ亡き人のかたみに摘む峰の早蕨」
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源氏物語ミュージアム(紫式部の歌の舞台が美しく見れる。)
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橋寺放生院「宇治橋の管理を主とし、真言宗・放生院常光寺と云うが、通称橋寺で聖徳太子の本願で秦河勝(はたのかわかつ)が最初作ったという。」
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橋寺本堂の前庭の国重文「宇治断碑(うじだんぴ)」は大化2年(646)に僧道登がこの宇治橋ををかけなをしたという。
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珍しい十二支守本尊
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樹齢数百年の巨大な「いちょうのの木」
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宇治橋から浮島と朝霧橋を望む。
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2006/12/21

宇治逍遥5:宇治平等院付近  文化財研修記

12月16日(土)宇治市の三男と孫に会いに行き、その後一日リュックサックを背負い、トレッキングシューズで宇治の平等院・国宝鳳凰堂を中心に次のように散策・撮影をした。5年振りで大分忘れていたが、平等院南門前の駐車場(乗用車一日700円のみ)に置いて、次のように歩き始めた。南門=平等院=表門=宇治川沿いの「あじろぎの道」=喜撰橋=塔の島=三重の石塔=朝霧橋=宇治神社前=宇治川沿いに観流橋を渡る=琴坂から興聖寺へ上る=宇治発電所を左手に見て=恵心寺=宇治神社=世界文化遺産登録・国宝「宇治上神社」=源氏物語の宇治十帳の一部を見る=(前はここから仏徳山の展望台へ登った約25分くらいで、宇治市の全貌がほとんど見えるが、今回は時間の都合上、割愛)=源氏物語ミュージアム=橋寺放生院=引き換えし宇治橋を渡り=上林記念館=昼食=駐車場の4時間30分コースでした。今年は暖冬で今でも宇治は満開の紅葉を少し、過ぎたばかりでした。今日ののコースは平等院から浮島(上流は塔の島、下流は橘島)から朝霧橋を渡り対岸へ渡ったところの興聖寺から、引き返します。
今日は「宇治神社」本殿は国重文と世界文化遺産の「宇治上神社(うじかみじんじゃ)」本殿は国宝を紹介します。

朝霧橋から宇治神社「祭神:菟道稚郎子(うじのわきいつらこ)・応神天皇・仁徳天皇の三柱。
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宇治神社(明治維新まで宇治上神社と一緒で「延喜式」の宇治神社二座といわれていた。
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宇治神社から左側上の「宇治上神社(うじかみじんじゃ)」の鳥居
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宇治上神社門
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宇治上神社拝殿(国宝・祭神は宇治神社と同じ三柱)
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同上本殿は国宝(拝殿及び本殿共日本最古の神社建築です。)
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