2006/11/9

国重文・木造阿弥陀如来坐像を祀る医王寺  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)梅迫町内谷岡ノ段22には「昭和16年11月6日に国の重要文化財に指定された木造阿弥陀如来坐像を持つ医王寺(いおうじ)」がある。これは、足利尊氏の子、2代目将軍義詮(よしあきら)の時代、諸国安国寺の筆頭の綾部の安国寺の支院28寺の一つである。安国寺町が安国寺をお守りしているのだが、この地、内谷は梅迫町にあり、江戸末期の何鹿郡の地図を見ると、内谷には「安国寺村ノ内」と記されている。小生4年前「綾部の文化財を守る会」の事務局長になった時、当会がこの寺に昭和56年に改定の「駒札」自治会と共同で作成した物を撮影に訪れたが、当時の寺総代に案内され、田圃道を運動靴で通り、滑って田の中に落ち泥だらけになり、駒札のみ撮影し、仏像の写真が撮れなかったので今回、綾部西国観音霊場33ヶ寺目巡り(前は何鹿郡(いかるがぐん)西国観音霊場巡りといい、室町時代頃からの起こったものと云われている。)の日に当たっていたが、予定がぎっしりなので、寺総代にお願いし、無理を云い、藤本住職、役員20名は、朝から山に祈願で登り不在なため、現在の寺総代の奥さまと4年前案内して頂いた総代の奥さまに案内して頂き、仏像の写真を撮ることになり、前回で懲りたので、長靴姿で行くとビックリして居られた。今回は別に道が作られ、大部整備され比較的容易にいけるが、仏像は町内の人でも簡単には見れない。年数度のご開帳のみである。まして、他地区の方は、見せてもらう理由を藤本安国寺の住職か、寺総代にいい志納料をお供えし、特別な仕掛けの扉を開いて、見せてもらうことになる。現に今回の開扉には女姓の力では開けれず小生が「うんうん頑張り、所定の開き方に従って開扉」し撮影したものである。この像は「木造阿弥陀如来坐像」と云い、鎌倉時代の元享元年(1321)作者:法印尭円、像高70.9センチメートル。端正な姿で定印を結び、玉眼入りで、着衣に鳳凰や蓮華唐草文を粉留め技法で表し、彩色で仕上げている。如来像は普通衲衣だけつけるが、この像はその上に袈裟をまとう姿となっている。胎内背面に「元享元年三月法印尭円」の署名があり、製作年代と作者がはっきりしている貴重な物である。尭円は京都三条仏所の十一面観音像等を彫った有名な仏師である。参考文献:綾部市資料館発行「あやべ歴史のみち」2000年発行である。又、すぐ近くに村社であるが、伊佐那美命を祀る十二社神社がある。又、綾部市口上林地区の佃町(つくだちょう)に同じ名の十二社神社がある。この点は後日掲載する予定です。なお、すべの「日誌」の写真上をクリックすると写真が拡大し、仏像等を詳しく見れます。

当会と内谷自治会・綾部市観光協会の共同制作の駒札「医王寺」
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国の重要化財「木造阿弥陀如来坐像」
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地蔵菩薩立像(年代等不だが相当古いものである。座高40CM位)
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聖観音立像(年代等不明だが相当古いものである。座高40CM位)
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達磨大師像(相当古いが年代不明、座高35CM位)
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外の地蔵菩薩石像
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2006/11/7

諸国・安国寺の筆頭の文化財  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)安国寺町寺の段1番地にある「景徳山 安国寺 臨済宗東福寺派」は文化財の宝庫です。国重文4点、京都府指定文化財2点、京都府登録文化財2棟、綾部市指定文化財1点があります。又、綾部随一の紅葉の名所で知られ、例年11月の第3土曜日に「安国寺もみじ祭り」が催行されます。今年は11月18日(土)がこの祭り日です。近畿自動車道舞鶴・若狭道の「安国寺IC」を降りると、足利尊氏公の銅像があり、無料の駐車場もあります。大型バスの駐車場からは歩いて3分です。尚、当日は午前11時からセレモニー開始で、紅葉に加えて、有名な位田高城(いでんたかしろ)太鼓午前11時20分〜、琴と尺八は村田社中で午前10時〜午後3時まで演奏、野点・もちつき、模擬店も「うどん、弁当、ジュース、ビール、酒、あんもち、あべかわ、やきいも、地元産品等」が販売されます。滅多に見られない国の重要文化財「木造釈迦両脇侍坐像」が無料で公開され、藤本住職が案内されます。尚、この安国寺は、正歴4年(993)ころに地蔵菩薩を本尊として、開創されたと伝えられ、もとは光福寺と称した。建長4年(1152)勧修寺重房が上杉荘を賜り、これより「上杉」を姓とするようになった。その「上杉の姓」は関東管領から、かの越後国の上杉謙信公に引き継がれたことは、ご承知と思う。その後、嘉元3年(1305)足利尊氏公の生誕によって当寺は上杉氏・足利氏の尊崇を受けるようになった。歴応元年(1338)足利尊氏公は夢窓疎石の勧めによって、元弘の戦乱以降に亡くなった多くの戦没者の霊を慰めるため、国ごとに安国寺・利生塔(りしょうとう)を建立するにあたり、光福寺を丹波の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においた。康永元年(1342)尊氏公は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して安国寺の始祖とし、多くの寺領を寄進した。それ以降、塔頭(たっちゅう)16、支院28を有する大寺院であったが、江戸中期に至るまでの間に、大半の寺領は押領されて、塔頭・支院は減少したが、いまなお多くの重要文化財、府・市指定文化財,重宝等を蔵する名刹である。

足利尊氏公うぶ湯の井戸
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山門(府登録文化財)
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安国寺の紅葉(11月18日(土)のもみじ祭りには更に美しくなります。)
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安国寺の仏殿(府指定文化財)
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仏殿内部の国重文「木造釈迦・両脇侍坐像(きづくりしゃか・りょうわきじざぞう)」
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同じく国重文「木造地蔵菩薩半跏像(きづくりじぞうぼさつはんかぞう)」
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市指定文化財「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」左母・清子、真中・足利尊氏公、右手妻・登子
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関連記事は下記をクリック願います。
http://www.ayabun.net/bnk/sinzan/sinzan.htm
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/ankoku/ankokuji.htm

2006/11/6

臨済宗南禅寺派の一等寺院・玉泉寺の文化財  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)武吉町(たけよしちょう)50に臨済宗南禅寺派の1等寺院(1〜3等にわかれている。)の「玉泉寺」がある、この寺のご本尊は釈迦・文殊・普賢菩薩の三尊像を祀る。梅林山と号し、慶長6年(1601)能登山獄峰禅師の開創といわれています。この三尊もさることながら、如来堂があり、中には昭和63年4月1日に綾部市指定文化財となった素晴らしい「木造大日如来像」像高90.8センチメートルで、この像は元は武吉町の深山にあった薬師寺に祀られていたが、天正の頃、明智光秀が丹波攻めの時、福知山城を築く時寺の建物を壊し運んだため、村人が諸仏を移し庵に祀ったと「丹波誌」に記された像であり、それから今日まで「大日講」より守られてきた。寄木造りで上半身は平安時代末期の様相をもったつくりで、膝が扁平であり、襞の彫の形式化などがみられ、鎌倉後期のものと言われる。又、昭和50年9月11日綾部市指定文化財となり保存の関係上、京都国立博物館に寄宅してある、「紙本淡彩墨画白衣観音図」を綾部市資料館から提供して頂いたので掲載します。白衣観音は「菩薩の心は白処に住す」と云われるように15世紀頃から頭から布をかむりきわめて実人物的に描かれており、観音の中でも、最も女性的な優しさが表現されています。この図は京都の臨済宗東福寺派本山東福寺に住した、画僧明兆の弟子・霊彩の描いたもので、室町時代中頃のものである。粘りのある線で描かれ、人物が画面に対して小さく、周囲に景色がはいり山水画に近い趣がある。

玉泉寺山門
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ご本尊・三尊像
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臨済宗南禅寺派本山の長老の揮毫
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美しい庭園と鐘楼
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綾部市指定文化財「木造大日如来像」
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綾部市指定文化財「紙本淡彩墨画白衣観音」縦93.1CMx横37.7CM
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2006/11/5

癌を癒す久田山妙見宮  綾部の文化財

大正15年発行の何鹿郡誌(いかるがぐんしで今の京都府綾部市)久田山妙見宮とその側の檜は大正15年13名木の第10番目で周囲3.40メートルと記載されていたので、小生が平成14年に胸の高さで紐をめぐらし、計ると周囲3.74メートルでした。通常、丹後の樹齢係数は檜は1なので374年となるが、実際はこの80年間で34センチメートルしか大きくなっていないので、推定樹齢500年以上と思われる。実際500年と何処かの本で読んだ覚えがある。又、この久田山(きゅうたやま)妙見宮は綾部市の臍にあたり(市の中心)、大阪府能勢町にある有名な能勢の妙見宮を文久年間(1861)に勧請し、広野の20戸で守護す、又、この北斗星(妙見菩薩)を祀る妙見宮は真北に向かい、幸福と健康、癌病に霊験あらたかといわれる身代わり妙見さんとして江戸時代は毎年多数の人々がお参りしたと言う。当初この大檜の前にあったが昭和59年発行の「吉美村誌第2巻」には明治13年に今のところに石碑と共に遷したと書いてある。尚、今は綾部市の吉美地区の里町の久田山にある綾部市資料館の無料駐車場から容易にいけます。又、綾部市資料館では「第14回秋の特別展」を200円で観れます。詳細は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/applet/ayabebunnkazai/186/trackback
樹齢500年の大檜
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久田山妙見宮(本堂10畳2畳の床の間)
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本堂内部
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石碑(南無妙法蓮華経が刻まれた,縦80CM、横30CMの河原石、烏帽子形)
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2006/11/4

第47代総理大臣芦田均先生は本来なら綾部人である。  文化財研修記

10月22日(日)に京都府福知山市にて第44回両丹地方史研究会に参加した事は、以前掲載した。その時、小生の所属の「綾部史談会」で古文書を読む指導をして頂いている村岡敬公(ひろまさ)先生が山家谷藩の滋賀郷(綾部市のしがさと)大庄屋へ芦田鹿之助の弟(芦田均元総理大臣んの叔父)が養子に入り、後、グンゼ三代目遠藤三郎兵衛となった。その芦田均元総理大臣の実家は福知山市字宮36番地で平成14年5月18日この地に「芦田均記念館」建設、オープンした。江戸時代はこの宮村は綾部九鬼藩の山裏組と称する所であって、その父、鹿之助は綾部九鬼藩宮村の大庄屋でもあった。芦田均元総理大臣は精錬潔白で、政治資金を上手く集めることが出来ず、綾部の叔父の遠藤三郎兵衛氏に3度も政治資金の依頼文を書いているのを、小生自身読んでいる。その証拠に末娘・るり子を遠藤家の養女として幼少の頃から出し、遠藤るり子は滋賀小学校をでているので家族の写真には入っていない。るり子さんは大蔵官僚と結婚され、横浜に居住、4年前に亡くなられ、息子さんは綾部に余り縁がないが、土蔵の内部の文書等全て綾部市に寄贈され、現在、毎水曜日、綾部史談会々員10余名が読んでいる次第ですが、何しろ数千点もあり、面白く珍しいのは文化文政期から明治にかけて約240通もの女性の手紙があり、この点について村岡先生は発表された。小生3度目の訪問となるがこの「福知山市芦田均記念館」を訪れ、写真を取らせて頂けたので掲載します。入場料無料、バス乗用車も無料の駐車場があり、火曜日は休館で午前9時から5時閉館です。何時も思うのだが、当館オープンの時の元総理大臣中曽根氏のお祝いのことば(要旨)−(一部略)マッカーサー指令部から示された憲法原案、特に第九条一項について、日本国権の発動たる戦争と国際紛争を解決する手段として戦争をしないことを約束された。(一部略)これは間違いであり、これを修正することを決めて衆・参議員をまとめてマッカーサー指令部へ申し入れ実現したのは芦田憲法改正委員長でありました。(一部略)自衛権は法律以前の問題で人間として存在する以上基本的人権として認められるものである。(一部略)国会で議論され、芦田先生がまとめられて「第二項の冒頭に、前項の目的を達成するために」という言葉を入れた。つまり自衛隊は認めるんだと、そういうことを前項の目的を達成する意味を込めてマッカーサー指令部に認めさせた。(一部略)以下,小生の意見です。その御蔭で今日の日本があり、いよいよ本格的に憲法を改正、集団自衛権を認め、北朝鮮に対しても小生は核持込は認めるべきだと思慮する。

福知山市芦田均記念館
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記念館内部1.
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記念館内部2.
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実家の本屋は明治に焼ける前の画(今は資料館)
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素晴らしい庭が見れる。
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叙勲記念碑
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2006/11/4

伝統を誇る綾部の菊花展  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがるん)で「綾部市菊花展」が11月3日(祭)から5日(日)の3日間のみ開催されている。11月4日(土)朝9時、四方八洲男綾部市長、綾部市菊花会々長の西村隆氏(元中学校で小生の子供の恩師)が挨拶と表彰式があり、それを撮影した。昔は「綾部菊人形展覧会」が京都府で一番有名であった。菊人形の体内に「水入」を居れ、菊人形の菊の茎を刺して、創っていくのだが、それでも1週間しか持たないので2週間の展示となると、一度、菊花を総入れ替えが必要ですので今は菊人形の展覧会は無いが今回1点のみ展示している。しかし、その菊花作りの伝統は今でも残り、498点が展示されている。大阪府では枚方市の京阪枚方駅前の「枚方パークの菊人形」が有名でつい数年前まで展示していて、小生も数回見に行ったが、枚方パークの閉鎖に伴いなくなった。綾部に残る菊花展はその伝統を誇りとし、今も3日間展示される菊花は生きた「文化財」と言える。
綾部市々長賞の菊花
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綾部市菊花会々長賞の菊花
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特別賞は唯一の菊人形「大人になった悠仁親王様」
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見事な菊花
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挨拶される綾部市菊花会々長西村隆(もと教師)氏
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菊花の盆栽その1.
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菊花の盆栽その2.
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2006/11/2

小畑三社祭、やっこ振り  綾部の文化財

小畑村史は作られていないので「豊里村史」から集録しました。
小畑祭は、古来郡内でも有名な祭であって、その賑かさは、近郊の祭礼中、最も人出の多いのは吉美高倉神社の祭 最も盛大なのは小畑の馬場といわれている
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毎年旧9月16日が祭日である。馬場は鍛冶屋、幅三間・長さ一町半許り。15日の夜は、宵宮といって、各々氏神前で祭礼を行い、翌16日は、中、鍛治屋、小西の三部落より、神輿四社・屋台三社、その他鉾2つ以上、獅子各々1宛の渡御がある。
当日は正午を期して、各部落共氏神境内に参集し、勢揃いして馬場に向う。その行列を「シグルマ」と称し、神木・金弊・木鉾・御旗を持ち、20〜40名の壮者が袴の股立をとり、鉢巻を締め、白張に身を固めて神輿を担ぎ、獅子・鉾などが前後して続く
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次に祭礼組(屋台の練り込みを行う仲間)は、先箱・神弓・ミケシ立傘・台傘・槍を両側に配し、その中に大・中鳥毛を打振って供し、次に屋台が後に太鼓・鉦・笛等十数名の若者を従えて続く。これは徳川時代の大名の参観交替を擬した行列であり、神輿が全部揃うと見物の所謂練り込みが始まる
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全員宮の定紋付き平袖の襦袢を着用し。脚絆・草鞋がけの姿も凛々しく、夫々の所礼を奉納する。即ち、先箱・弓・ミケシ・台傘・槍の順序に左右に分れ、その中央で中・大鳥毛各三名宛交替で、或いは高く或いは低く掛声勇ましく振り回す。俗に云うヤツコ振り)様式は三社共異なる
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これに続いて屋台を引出す。屋台の後に太鼓を据え、鉦を吊し、笛を吹く者之に続く。この笛・鉦・大鼓による古色豊かな合奏が奉納せられ、一曲終る毎に十二名の青年(四本柱と言う)が笛や太鼓に合せて祇園噺を歌い、屋台は前進する
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この練り込みが終ると、以前は三頭の神馬が競馬を行うこと三回を以て全祭礼が終了するのであった。(現在競馬は中止)そして神輿の還御・屋台は合奏しながら夫々の宮に帰る
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なお、子供の祭太鼓も有名である。これも亦練り込み太鼓とも云われ、三社各様式を異にするが、祭礼の華である。祭礼の起原については詳でない
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2006/11/1

小畑のヤッコ振り屋台  綾部の文化財

小畑の三社祭り「やっこ振り」で祭事の中心に位置する屋台の飾りを撮影した。
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一の宮神社の屋台飾りは「野菜で作った狩猟風景」サツマイモの馬に乗った騎馬武者、手足は莢豆などで出来ている。狩られる獣たちもジャガイモ、ニンジン・・で作られている
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二の宮神社屋台の飾り物は、何と「まったけ」毎年採れたばかりの立派な「松茸」がにょきにょき!
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三の宮神社の屋台は「幸せ家族の人形たち」
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三之宮神社屋台の後ろ幕を飾る「龍の墨絵」屋台の付き人が古いものだと説明してくれた
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Q:四方續夫(綾部史談会古文書研究会)さま
小畑やっこ振り、三之宮神社の屋台に掛けられていた後ろ幕です、読んでください(添付写真参照)文久三葵亥仲春寫 干 年七十二 后(花押印) としか読めません。宜しくお願いいたします
A:四方續夫綾部の文化財を守る会事務局長より
小畑の屋台の龍の絵に有ったものですね。之は山家藩お抱え絵師の本名「長谷川素后(はせがわそごう)が文久三(1863年)発亥(みずのとい年)仲春(ちゅうゅしゅんと云う字(あざな)描
干O(其時)Oは候(そうろうの崩し文字)年72歳でそうろう(72歳でありました。長谷川をぬいて)素后と署名しててあるのです。
この人は多くの掛け軸や屏風を描いた人です。広小路羽室家の展示では長谷川素后の軸屏風が目立つ。と書いています。200円払い、是非3回ぐらい見ると其の趣がわかります。小生今日も、史談会の後、羽室功一氏、近澤館長の案内で又、見ました。後半に壷や皿等を入れ替えられるので又見ます。



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