2006/11/30

庭園日本一「足立美術館」  文化財研修記

11月27日(月)庭園日本一の「足立美術館」を訪れた。20年前は春は2回横山大観の名画を多数展示していることで有名であり、又、他に橋本関雪、美人画で有名な上村松月等を見たくて見学したのであった。所が、ある新聞に掲載された記事では、アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング誌2006年5・6月号」が発表した、「日本庭園ランキング」において、当館の庭園が全国731ヶ所の候補地の中から4年連続で「庭園日本一」に選ばれているではないか。このランキングは日・米・豪の専門家が選ぶもので「細部に至る維持管理は造園の大傑作である」との評価から日本一に選出された。この庭園と美術館を創設した足立全康氏については次回紹介するが、因みに、ランんキング1位はこの足立美術館(島根県安木市)、2位桂離宮(京都市)、3位山本亭(東京都)、4位無鄰菴(京都府)、5位栗林公園(香川県)、6位清流園(京都市二条城内)、7位摩詞耶寺(静岡県)、8位二の丸庭園(京都市二条城内)、9位石亭(広島県の旅館内)、10位三養荘(静岡県の旅館内)、11位武家屋敷野村家(石川県)、12位康国寺(島根県)、13位蓮華寺(京都府内)、14位玉堂美術館(東京都)、15位頼久寺(岡山県)である。次回も続き日本一の庭園の「足立美術館」を掲載します。

庭園日本一「足立美術館」入口
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苔庭
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案内する「足立全康像」
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生の額絵
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枯山水の庭
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迎賓の庭
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順序が変わるが「足立全康像」の次の庭
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2006/11/28

国指定文化財・鳥取城跡と国重文・仁風閣  文化財研修記

鳥取市は、元池田家鳥取藩主の居城で在った久松山(262メートル)を扇の要(かなめ)として発展した都市である。しかしこの城は、織田信長の時代に豊臣秀吉が毛利家を攻めた時、この鳥取城を全て土居で取り囲み、食を断ち全滅させた事でも有名であった。この城址の「鳥取城跡附太閤ヶ平」は国指定史跡で16世紀半ば山名氏によって築城され、城主は吉川氏等をえて池田氏に移った。この城には池田家因幡・伯耆32万石の威容が石垣、櫓、堀などにその栄華が残っている。又、紅葉も丁度見頃であった。また国指定重要文化財の「仁風閣」は明治40年、旧藩主池田家の別邸として建てられたフレンチルネッサンス様式の洋風建築。皇太子(後の大正天皇)の行啓宿舎となり、東郷平八郎元帥によって命名された。

三の丸跡
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太鼓御門石垣跡
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国指定文化財「鳥取城跡附太閤ヶ平」
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国指定重要文化財「仁風閣」表門
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同上「裏からの仁風閣」
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仁風閣の2階の「御座所」
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庭園の一部
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2006/11/25

あやべ観音霊場唯一の准胝観音様  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」梅迫町正月谷12番地には「あやべ観音霊場33ヶ寺と番外6寺」の一寺があります。この寺は番外6番札所で真言宗御室派(おむろは)の「乾昌山 久香寺(きゅこうじ)」と言い、「日の光 かがやく山の み法には 梅もひらきて とはにかぐわし」と歌われています。この寺は寛永13年(1636)時の領主・山家藩谷衛信公の祈願所として開かれ、明治時代まで檀家は谷家のみであったと言う。この寺の「あやべ観音霊場33ヶ寺と番外6ヶ寺で唯一の「准胝観音菩薩(じゅんていかんのん)」を祀っていることで知られています。志納料で拝観できますが、自家用車も入りませんので、下の公会堂前に止めておき細い道を登っていきます。又、桜の時期が一番です。

練塀に囲まれた「久香寺」
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60年に一度の御開帳の「庚申堂」
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観音堂
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真ん中に「准胝観音菩薩(じゅんていかんのん)」を取り囲む西国観音霊場の観音様
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准胝観音菩薩様
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久香寺から登る愛宕山信仰の高城山(愛宕神社、稲荷神社、無線塔)

2006/11/21

観音霊場巡拝の起源とあやべ西国観音霊場  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」には「綾部西国観音霊場会」(戦前は「何鹿郡観音霊場会」と呼ばれていた。)がありその会の主催で年2回春は梅雨明けの6月下旬、7月上旬、秋は大体11月中旬に「あやべ西国観音霊場巡り」がA.B.Cの3コースで33ヶ寺と番外6ヶ寺をマイクロバスで巡拝する一日コースが実施される。即ち、各コース一日13ヶ寺を回り、各寺「般若心経を3回」読み又、ご朱印帳他に押捺をしてもらう。参加費も昼食代を含めて6,000円〜6,500円位と安いが朱印代は300円位,お賽銭は全て志納金である。前日、ホテル綾部に泊まれば集合場所まで迎えに来てもらえる。詳細は「第1番札所の真言宗・正暦寺(しょうれきじ)電話07773−42−0980)」へ事前に問い合わされると良い。
 わが国の観音信仰は古くは飛鳥時代にさかのぼり、法隆寺の救世観音、百済観音などを初めとして、白鳳から奈良時代に多くの美しい観音像がつくられた。当時の観音は国家安寧・病気平癒と云った現生利益をもたらす仏様として信仰されていた。奈良時代末の「日本霊異記(りょういき)には観音様の功徳を説くものが14編あります。その後、平安時代には密教の影響から変化(へんげ)観音が多数生まれ、多くの人々の要望に答えるようになった。更に、浄土思想を元に観音様は六道輪廻(りんね)する衆生を引導する仏として、又、極楽浄土への導き手として深く社会に浸透した。特に山岳修行行者の間に観音信仰が広まり、修行の地が決まり、後の観音霊場と成った。日本最古の観音霊場「西国33観音霊場」は「中山寺縁起」によると8世紀初めです。実際には、10世紀末「花山法王」の出家巡礼を契機に巡礼道が整備されたと云う。室町時代以降、「今生の罪と穢れを巡礼で消滅させる。」との願いが多くの人々に起こり、西国・坂東・秩父が100観音霊場として結ばれるのもこの頃です。綾部地方でも同じく室町時代に現在の綾部観音霊場の前身である何鹿郡33ヶ所が決められた。今回、小生は現在の「綾部観音霊場会」の編集委員の方の依頼を受け,毎正月の例会で配られる檀家への冊子「慈光」の六道に関係する六観音を未熟者ですが、諸般の事情で已む無く取材・撮影することとなった。一番先に大失敗です。馬頭観音様が取れず、住職にお願いし、畳の上で撮影したが、とんでもない失敗です。畳の上での撮影は始めてでした。札所順に掲載します。

あやべ観音霊場第2番札所・臨済宗妙心寺派「隆興寺の馬頭観音像」
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同上第6番札所・臨済宗妙心寺派「梅巌寺の十一面観音像」
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同上第8番札所・臨済宗妙心寺派「円照寺の聖観音像」
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同上第22番札所・高野山真言宗「宝満寺の如意輪観音像」
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同上26番札所・臨済宗東福寺「全国安国寺の筆頭・安国寺の千手観音像」
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同上番外6番札所・真言宗御室派「久香寺の准胝観音像」
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関係寺院は下記をクリック願います。
1.隆興寺
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/212.html
2.梅巌寺
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/209.html
3.円照寺
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/172.html
4.宝満寺
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/148.html
5.安国寺
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/213.html
6.久香寺
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/219.html

2006/11/18

全国安国寺の筆頭・綾部安国寺のもみじ祭り  綾部の文化財

京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」安国寺町寺の段1番地には全国安国寺の筆頭寺院・綾部安国寺がある。今年から秋の「安国寺もみじ祭り」は11月の第3土曜日となりました。したがって今年は11月18日(土)午前11時に四方八洲男綾部市長の「来年、平成19年10月22日の「京都の時代祭り」には足利尊氏の行列が参加することに決定しました。(略)」と発表されました。足利尊氏公は南朝に対して戦前に逆賊の汚名を着せられこの時代祭りに参加できませんでした汚名を返上です。現存する安国寺は宮城県(陸奥国)古川市の興聖山・安国寺から長崎県(隠岐国)隠岐の島の隠岐郡の富春山・安国寺、あるいは鹿児島県(大隈国)始良郡加治木町の大平山・安国寺まで41ヶ寺があり、この綾部の景徳山・安国寺が筆頭であります。国重文4点、府指定文化財2点、府登録文化財1点、市指定文化財1点を持つこの寺は「全国安国寺の筆頭」に相応しいものです。又、「全国足利氏ゆかりの会」が結成されており、会長は栃木県の足利市の市長で事務局長は綾部市長です。更に加盟は平成13度分ですが36寺社、関係団体は32もあります。平成19年10月22日の「京都時代祭り」には綾部市民も各関係者も参加の予定です。小生も「綾部あしかが会」のメンバーでもあります。足利市の本拠の「鍐阿寺(ばんなじ)」も、素晴らしい堀を持つ,城郭寺院です。もう一度、この寺と近くの新田義貞の太田市も見学計画中ですが、何しろ遠方で最低2拍3日は必用です。
「民をなで くにを 安らふ 景徳の 大悲のひかり ここにをさむる」とこの寺は歌われております。

開山堂山道門を望む紅葉
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開山堂は年に数回の開扉で南禅寺出身の「天庵和尚の像」
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新しく作り変えた「当会と安国寺との共同作成」の駒札
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挨拶される四方綾部市長
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大人気な表千家の野点
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有名な位田高城太鼓に胸を躍らせ聞く多数の参詣者達。
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村田社中の「琴と尺八」聞き惚れる人々。
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関連記事は下記をクリック願います。
http://star.ap.teacup.com/ayabebunnkazai/205.html

2006/11/18

綾部九鬼藩主の菩提寺と文化財  綾部の文化財

「花と綾部の文化財シリーズ第61回目」の記念すべき投稿であり、小生の綾部中・高等学校で同級生であり、惜しくも平成12年2月57歳の若さで亡くなった故・姫坂隆義先代住職を偲び「臨済宗妙心寺派・隆興寺(りゅうこうじ)」に決めた。
京都府綾部市「もと何鹿郡(いかるがぐん)」神宮寺町上藤山2番地にあるこの臨済宗・妙心寺派の「瑞應山 隆興寺」は歌に「慈悲の目に にくしと おもうものはなし とがあるものは あわれまします」歌われている。江戸時代には、綾部九鬼藩の菩提寺であり、初代藩主九鬼隆季(くきたかすえ)が寛永10年(1633)幕府はあくまで新規に徳川家光が贈ったことで2万石で入部したこととした。しかし実際は、隆季が綾部に来てから、同母弟の隆重(たかしげ)に福知山市の飛地、現在の三岳にある500石をを与え、旗本として独立させておりますので綾部藩は19,500石となります。(大阪府三田市に同族の三田九鬼家3万6千石がありますが、これを説明すると論文になりますので下記をクリックして見てください。)隆季の墓はここになく鳥羽にあります。初代隆季公から第10代隆備(たかとも)で明治を迎え、子爵になります。この綾部九鬼藩主は現在も子孫が和歌山の世界文化遺産登録の熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)の宮司家とし存続し、先代の宮司様のお墓はこの「九鬼家の墓地」にあります。往時は綾部九鬼藩の菩提寺として、藩内に臨済宗末寺数ヶ所を持ち、寺門隆盛を極めておりました。今はご本尊を「釈迦如来」とし、綾部西国観音霊場第2番札所で、33ヶ寺の内唯一「馬頭観音」様をお祀りしています。又、大正始めのスペイン風邪による病没者ののために西国33ヶ寺の石仏も祀られております。寺宝であった九鬼家系図は今の和歌山県「熊野本宮大社」へ貸し出し中です。綾部西国観音霊場第2番札所であるこの隆興寺はご本尊は「釈迦如来」そして33ヶ寺と番外6寺のうち唯一の「馬頭観音」様が札所で、通常は馬の顔を胴体が人間のお姿のもありますが、当寺のは違います。次の写真を見て下さい。

美しい境内(入り口)春の白・紫の藤のコントラストも素晴らしい。
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美しい紅葉の庭と観音堂(本堂)が見える。無料駐車場は寺院前の上あります。山門前は駐車できません。志納料をお供えすることにより、檀家以外でも馬頭観音像が拝見できます。
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ご本尊「釈迦如来像」とその前が「馬頭観音像」
後ろのご本尊「釈迦如来像」
ご本尊前の「馬頭観音像」
仏像の写真の掲載は諸般の事情により中止になりました。悪しからずご容赦下さい。
参拝の方はご住職に依頼され、許可の元、拝観することができます。

綾部九鬼藩主の歴代の墓(初代は鳥羽にある。詳細は下記をクリック願います。)
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大正始めのスペイン風邪で多数の方々が亡くなられ、その供養として建てられた、西国33ヶ寺の石仏の一つ。
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平成16年11月30日(金)当会創立35周年記念講演「綾部史談会長・山崎巖先生」の講演文他。
http://www.ayabun.net/35nen/kinen/kinen.htm
http://www.ayabun.net/35nen/kuki/kukisiryo.htm
http://www.ayabun.net/minzoku/sanda/sanda.html

2006/11/15

京都の国宝を訪ねてのHPをアップ  文化財研修記

今春実施した綾部の文化財を守る会の研修旅行「京都の国宝を訪ねて」のHP{東寺」「上賀茂神社」「下鴨神社」の3編を完成させアップしました。
またプリントして明日の秋の研修バス2台の中で回覧します。HPとブログの2種をつくりました。昼食時に回収して今回も前回と同じガイドさんに見せ、帰路のバスで2種を入れ替え回覧する予定です。
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東寺(金光明四天王教王護国寺):「瓢箪池」に咲く菖蒲を背景画像にあしらいました
http://ayabun.net/kensyu/toji/tojihp.html
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賀茂別雷神社(上賀茂神社):「献上梅道中」の平安京姿の女官たちが背景画像です
http://ayabun.net/kensyu/toji/kamojinjya.html
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川合神社・賀茂御祖神社(下鴨神社):「糺すの森」をHPの背景画にあしらいました
http://ayabun.net/kensyu/toji/simokamojinjya.html

2006/11/14

臨済宗・梅巌寺とその文化財  綾部の文化財

小生の「花と綾部の文化財」は投稿60回目になるので、もっともご縁のある方の所と決めた。20数年前に小生の父母の葬儀の陪僧を勤めて頂いた岩佐寛海住職のお寺です。京都府綾部市「もと(何鹿郡)いかるがぐん」下八田町水崎26番地には綾部西国観音霊場第6番札所であり、現在は臨済宗妙心寺派の寺であるが、もともと健武年間(南北朝時代)に真言宗の大寺として威容を誇っていたと言う。室町時代には大火のために廃寺同様となったが、この下八田地区が山家藩谷家の領地となって後の元禄年間(1700年代)に再興され、福井県小浜市(此処は大変国宝や重文のある寺が多く、今春の研修旅行記にも国宝の明通寺を記載した。)の常光寺より禅師を迎えて現在の臨済宗に改められた。この寺住職は又花木が好きで,平成五年には境内に紅白梅45本が植えたれたとの事。この寺は「瑞雲山 梅巌寺(ばいがんじ)」と云い、正に「梅の巌」の名にふさわしい。この寺を歌った歌は「実りには 花もやさかん 梅巌寺 草木のすえも ともになびきて」、本堂には江戸時代末期の文政3年(1820)に小畑(おばた)の3社祭りの小畑の屋台の裏の龍の絵が描かれ、その時、72歳で候、素后の署名と落款があり、はその絵を画いた本名は長谷川素后(はせがわそごう)であり、山家藩谷家のお抱え絵師であったので山家素后(やまがそごう)とも呼ばれていた絵師の貴重な禅画襖絵4幅が画かれている。それを撮りに行ったったのだが、この絵とご本尊十一面観音、室町時代の庭園があることのみ頭にあり、夏にダウンして古木の「百日紅(さるすべり)」の木の撮影ができなかった。今回、4幅の禅画とご本尊、室町庭園を撮影したが、そればかり頭にあり、吉美小学校の授業の一環で年数回サッカーを教えている日であり、コーヒーのみ頂戴し、サッカー指導後、家で梅巌寺の資料を見ると、ご本尊左横に恵心僧都の手による一刀彫の等身大の地蔵菩薩立像と右側には、達磨大師の坐像があると記されていた。そこで、住職に電話するとその通りで、小生が聞かなかったので「云わなかった。」諭旨であった。又、冬の梅巌寺も趣があるのでその節、撮らせて上げるとの事。又、コーヒーのみに来ててよ!!雑談しようとの事であった。今回は素后の禅画2幅、室町時代の庭園、ご本尊、綾部の大本教の教祖・出口直さんが修行された綾部の霊場・弥仙山「(みせんさん)丹波富士とも云う。」が表庭園から見える所を入力しました。冬にその風景や残りの素后の2幅の禅画や恵心僧都の一刀彫の地蔵菩薩像を期待して下さい。

本堂前の紅葉(もっと見事になります)
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本堂前の庭園から古木の百日紅の木の間に綾部の霊山「弥仙山(みせんさん)」が遠望
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長谷川(山家)素后の襖の禅画1.
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長谷川(山家)素后の襖の禅画2.


室町時代の庭園
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ご本尊「十一面観音」様
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観音堂からみた正面の庭園
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2006/11/12

京都府何鹿郡(綾部市)の同じな名前の十二社神社  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)に関係する「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)明治10年十年出版」が京都府立総合資料館に保存されている。この資料館に保存されている「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)」は国宝で毎年秋には無料公開されることで有名だが、小生が「綾部の文化財を守る会」の事務局長を4年前元綾部市々市会議長であった塩見一麿事務局長から(当会の会報17から30頁のものを春秋2回500部発行している。)引き継いだが、その会報一部をこの資料館へ送付する件が抜け資料館から、塩見氏経由小生へ55号以降の会報59号の送付依頼を受けた。今秋号は62号です。詳細はほとんどホームページ委員長の鍋師有理事に入力をお願いしている。当会は現在設立38年目に当たります。さて、元に戻り、「式内社神社考証(しきないしゃじんじゃこうしょう)」と我々、綾部史談会の者は略して呼んでいる物には京都府何鹿郡(いかるがぐん)には12の式内社があり、当時は写真技術が無いので「カラー絵」12社が見事に描かれている。小生はこの資料館のデータベースから承認をえて、取り出しもっている。次いで綾部市資料館には「明治十六年四月発行の丹波国何鹿郡(たんばのくにいかるがぐん)神社明細帳」の写しがあり、この綾部市にはまったく同じ名前の「十二社神社」2つあるのを知り皆さんに見てもらうことにした。一つは、東八田地区の梅迫町(うめざこちょう)内谷、もう一つは口上林地区の佃町(つくだちよう)にある。「何鹿郡神社明細帳」にはいずれも村社であるが、郡内でまったく同じ名前の古社が2つも有るのは珍しい。梅迫町の「十二社神社」の祭神は「伊射那美命(いざなみのみこと)」、境内社は三ノ宮神社:祭神は大山祇命、武大神社:祭神は須佐ノ男命、聖大神:祭神は保食命、稲荷神社、であり、佃町の「十二社神社」の祭神は二柱、即ち、
伊射那岐命(いざなぎのみこと)と伊射那美命(いざなみのみこと)で古い時代紀伊国「熊野神社」より勧請したと記され、又、境内社は四社、春日神社:祭神は天兒屋根命、八幡宮:祭神は応神天皇、大神宮:祭神は天照大日要命、愛宕神社:祭神は火産霊命(ほあかりのみこと)と記してある。

梅迫町の「十二社神社」通常は二柱で夫の伊射那岐命(いざなぎのみこと)と祀るのだが伊射那美命(いざなみのみこと)のみである。
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境内社は三ノ宮神社:祭神は大山祇命,武大神社:祭神は須佐ノ男命、聖大神:祭神は保食命、ご神体は岩石ばかり。
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村社ながら拝殿と本殿を持っている。
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佃町(つくだちょう)の十二社神社は通常の如く,二柱即ち、伊射那岐命(いざなぎのみこと)と伊射那美命(いざなみのみこと)を祀っている。
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二の鳥居と本殿
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村社ながら中々の彫の本殿
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境内社は四社、春日神社:祭神は天兒屋根命、八幡宮:祭神は応神天皇、大神宮:祭神は天照大日要命、愛宕神社:祭神は火産霊命(ほあかりのみこと)
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2006/11/10

300年間続く建田の金比羅宮宝永講秋季大祭  綾部の文化財

京都府綾部市(もと何鹿郡いかるがぐん)武吉町浦入14番地の浦入源伍氏宅で11月10日(金)「建田(たった)の金比羅宮宝永講秋季大祭」が催された。これは今から300年の昔、いわゆる天下分け目の合戦の後遺症で圧政に耐えられず、当時約200戸、武吉(たけよし)・佃(つくだ)・忠(ただ)村の地元民は、子孫と村の将来を考え窮状打破するため生命の危険を冒し、江戸幕府へ直訴(実情を訴える、直訴者は通常断罪)することを決意し、当時唯一集まりが許される神仏の崇敬講に着目し、金比羅講に結集、協議した。直訴には各村から一人ずつ3名の若者が選ばれ、内一人は母子二人暮らしであったが、息子の壮途に憂いを残さないため母親は自決した。3人はこのような村人の信心、あらたかな神の加護、窮状に共感をえて於与岐(およぎ)の素封家:吉崎氏より旅費の供与を受け直訴に出発し、すぐ様、追跡にあったが多くの人々や神仏に助けられ、無事に江戸幕府へ直訴を成し遂げた。このことは当時では全国的にもまれな幸運な成功であった。3人の帰路、藩の追及がその若者に及ぶことを恐れ、国境の通称いなば境で村役達は出迎え、ほんの心尽くしで、大根,柚子、唐辛子の生切れの肴で慰労会を開き、若い三人の身の安全のため、因果を含め今後地元へ帰還することなく潜伏生活を依頼した。ついで三人の偉業を子々孫々に顕彰するため、併せて神の加護を感謝して,今後1千年間金比羅講を続けると約束した。
 今年は11月9日(木)午後5時秋季大祭前夜祭11月10(金)午前6時秋季大祭・遥拝式、それから特別祈願拝(これは、家の中に入り久保宮司様による御祓いを受ける)志納料は各自の自由だが一人千円から、1万円もお供えされる人もある諭旨)午後3時頃秋季大祭終了報告会、その後、佃町からの出迎えを受け「戸渡しの儀式」をえて佃町の民家の講元へ、そこで「遷座式」が行なわれ、平成18年11日10日から翌年の11月10日まで毎月10日に月礼祭が行なわれる。そして、平成19年11月10日には忠町へ、平成20年11月10日には再び武吉町の民家へ遷座される。この浦入家の裏庭には「天正八年(1580)正月廿八日 奉斎 堀 土佐守藤原宗光 」の石碑と巨大な古木の梨の木があった。浦入の地名を姓に持つこの浦入氏は元地方の豪族であったと思慮する。参拝者は昔、数千人だった諭旨、だが今でも1,700〜1,800名参拝される。当会の会員吉美地区里町の木下清氏も参拝されたのに出会った。駐車場も地元の消防団の方々の案内で安心で無料です。

賑わう「建田(たった)の金比羅宮宝永講秋季大祭
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こんぴら大祭福引き会場
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絶え間ないお参りの人々
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絶え間ないお参りの人々(2)
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特別祈願を受けられるご夫婦
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3時からの秋季大祭終了式に参加する3ヶ町の代表講員
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「戸渡しの儀式」に参加する役員,いわれある大根、柚子、唐辛子の三種を使った膳。
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詳しくは綾部の文化財会報集録のこちらも併せてご覧ください
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/tatta/tatta.html



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