2006/6/29

東寺(金光明四天王教王護国寺)を訪ねて  文化財研修記

世界文化遺産「京都の国宝を訪ねて}をテ−マに綾部の文化財を守る会の春の研修旅行は77名の参加で行われました
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五重塔 国宝・江戸時代
東寺の象徴として広く親しまれている五重塔は、天長三年(826)弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火をうけ、焼失すること四回におよんでいます。現在の塔は寛永二十一年(1644)徳川家光の寄進によって竣工した総高55mの、現存する日本の古塔中最高の塔です。
全体の形もよく、細部の組ものの手法は純和様を守っており、初重内部の彩色も落着いて、江戸時代初期の秀作です
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金堂 国宝・桃山時代
金堂は東寺一山の本堂で延暦十五年(796)創建されたと伝えられています。文明十八年(1486)に焼失し、今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させたもので、慶長八年(1603)に竣工しました。天竺様の構造法を用いた豪放雄大な気風のみなぎる桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れています
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金堂・薬師三尊・十二神将 重文
金堂本尊の薬師如来坐像と日光、月光の両脇侍菩薩像です。光背上には七躯の化仏を配して七仏薬師をあらわし、台座の周囲には十二神将像を配しています。これら三尊像は桃山時代の犬仏師康正の作で密教的な薬師信仰の形をとどめています
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南大門から金堂、講堂、食堂まで一直線に並んでいる。手前は講堂
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講堂内・立体曼荼羅
堂内の白亜の壇上には、大日如来を中心とした五智如来をはじめ、五菩薩、五大明王、四天王、梵天、帝釈天の二十一躯の仏像が安置されています。これは弘法大師の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密厳浄土の世界)です。六躯は後補像ですが、十五躯は平安時代前期を代表するわが国密教像の秀作です
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食堂(じきどう)近代
僧侶が齋事に集まって食事をした場所で創建年代は未詳。896年、理源大師・聖宝により6mの千手観音立像(現宝物館安置)と四天王像を造立。千手堂とも呼ばれ、足利尊氏もここに居住した。昭和5年(1930)12月21日消失、昭和9年4月竣工。春日厨子に納まった十一面観音立像は明珍恒男氏の作である
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国宝大師堂(御影堂)室町時代
創建年代は未詳。弘法大師御在世中の住房で西院(にしのいん)とも呼ばれる。天福元年(1233)仏師康勝法眼が斎戒沐浴して、一刀三禮毎に「南無大師遍照金剛」と唱えつつ彫刻した大師像(重文)と、何面不動堂には大師の念持仏の国宝不動明王(秘仏)が安置され、毎月21日に沢山の参拝者で賑わう
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毘沙門堂 江戸時代
天慶二年(939)平将門の乱の際、都の守護神として羅城門に安置されていた兜跋毘沙門天立像(現宝物館・国宝)を天元元年(978)7月大風にて羅城門が倒壊の後、東寺に移し食堂に安置したりしたが、文政五年(1822)現在の堂を建立してお祀りした。創建千二百年記念事業で平成六年(1994)に修復された

2006/6/28

曹洞宗・浄泉寺とその背景  綾部の文化財

綾部市位田町田岸63番地にある、あやべ西国観音霊場第12番札所の曹洞宗永平寺派の「観流山・浄泉寺(じょうせんじ)」は元々真言宗の寺で、元はもっと奥に位置していたと言う。しかし、左裏の山は「高城山(たかしろやま)」といい、ここには「応仁の乱」のとき山城国一揆より勝ると言われる、大規模な丹波国一揆が、延徳から明応(1485〜1493)にかけて4年間も続き、この高城山(位田城)が大槻・荻野氏の拠点となり、管領細川正元や丹波守護代の上原元秀に激しく抵抗した所であり、当然当寺も兵火をうけた。曹洞宗になったのは慶長年間(1600年)頃、福知山久昌寺の二世・南渓存越(なんけいそんえつ)大和尚が荒廃していたこの寺を改めて、開創されたことによると言う。又、この寺からは由良川越えに四尾山や綾部市街が一望できる。本尊聖観音様の撮影は残念ながら断られたので、見たい方は春と秋に実施される「一日13ヶ寺を廻るAコース」にご参加ください 。

浄泉寺正面
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この中には素晴らしい「聖観世音菩薩」様
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左手の山は「高城山」で現在でも登り、「堀切」の跡が確認できます。
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ここから見える山は綾部市のシンボル「四尾山」と市街地
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2006/6/27

福井県の国宝と文化財  文化財研修記

福井県には5ヶ所で6つの国宝がある。(京都府は綾部市の光明寺の国宝・二王門を含めて日本一の254個ある。)1、永平寺の開祖道元筆「普勧座禅図1巻」2、瀧谷寺(たきだんじ)の「金銅宝相華文磬(こんどうほうそうげもんけい)」で法会の声明に用いられた楽器3、劔神社(つるぎじんじゃ)の「梵鐘」4、常宮神社(じょうぐうじんじゃ)の「朝鮮鐘」そして、小浜市の「明通寺」には5、「国宝本堂1棟」6、「国宝・三重塔」である。今回はホテル綾部の町井社長が株主20名限定企画の日帰り旅行であった。最初に、大飯町の水上勉の「若州一滴文庫」、最近出来た「御食(みつけ)国若狭おばま食文化館」、昼食はこの小浜で有名な「えび喜」、そして午後には、国指定重要文化財を多数持つ「羽賀寺」、この寺住職は6年前にも「綾部の文化財を守る会」で企画し、綾部弁が懐かしいといわれた人で、あやべ西国観音霊場第1番札所「正暦寺」の玉川正信住職の長男・正隆師(三男・弘信氏は当会の理事)である。副会長のご逝去で参加やめようかと一時考えたが、誘った人もおり、正暦寺の奥様も参加でお茶も用意して頂いているので参加した。住職の説明とご本尊は716年元正天皇が僧・行基に命じ建立したもので「女帝元正天皇御等身の十一面観世音菩薩」様はやはり、すごかった。最後に「明通寺」の国宝2つと市指定の古木等をみて、参加した甲斐があった、おまけに、梅原康先生と恩師・登代子先生ご夫妻も参加しておられ、話がはずみ過ぎた感。

水上勉の「若州一滴文庫」玄関
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その内部「水上勉の文」
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羽賀寺本堂、内部に上記の素晴らしい「十一面観音菩薩」様
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素晴らしい「音色」を響かす梵鐘・女性数人が打つ、小生恥ずかしくて残念でした。
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延暦の昔、坂上田村麿公が天下泰平の為に、大同元(807)年に明通寺の元の堂宇を建てたと言う。この国宝・本堂1棟は正嘉2年(1258)の再建で鎌倉中期のものである。
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明通寺の国宝・三重塔(文永7年1270再建のものである。)
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見事な境内の一部
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2006/6/24

延喜式内社・高蔵神社と諏訪神社  綾部の文化財

今回は、京都府総合資料館(京都市北区)には明治初期より初めて明治10年(1877)6月に京都府管内の延喜式内社を確定し,その所有している書物は「延喜式内並国史見在神社考証(えんきしきないしゃならびにこくしけんざいじんじゃこうしょう)」と云い、綾部市(元、何鹿郡いかるがぐん)では12の式内社があり、最近では、当会の会報で綾部市吉美地区の高倉町の「高倉神社」、西八田地区の中筋町の「島萬神社(しままじんじゃ)を紹介しました。今回は綾部市(物部地区の)西坂町の式内社「高蔵神社とその末社の諏訪神社」を紹介します。尚、京都府総合資料館では38年前に当会を結成した会報「綾部の文化財第1号」から現在までのものがそろっています。
 ぎょ!!小生は綾部市史上巻で何鹿郡(いかるがぐん・現、綾部市)の延喜式内社は12と読んでいたが、この「神社考証」には五区栗村の「佐陀神社両殿之図」と第五区東栗村の「佐陀神社図」とまったく違った二つの図が掲載されている。再度調査しますが、2ヶ所に在ったものと思われる。

高蔵神社の「手水舎」は当会理事の泉美千代さんを含めた8名の献納が明記されています。
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高蔵神社正面
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高蔵神社の「流造」(切妻・平入り)
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京都府総合資料館所蔵の明治の「高蔵神社境内等」
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諏訪神社由緒縁起
 京都府綾部市(物部地区)西坂町にあるこの「諏訪神社」は源頼朝の命で建久4年(1193)に信州上田城主の上原右ェ門丞景正が丹波の国何鹿郡(いかるがぐん)の地頭職に任ぜられ、物部町高尾に城郭を築き、信州一ノ宮・諏訪明神の分霊を祀ってこの「諏訪神社」を建立。何鹿郡では「地頭職」の名前はこの上原氏のみ判明している。御祭神は「建御名富神と姫神八坂刀売神」であり、境内社は稲荷神社もあり、十月十七日の秋祭りには「高蔵神社の神輿」が立ち寄り、宮司、自治会長等が参拝する。

諏訪神社
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2006/6/24

於与岐八幡宮とその文化財  綾部の文化財

今回は、綾部市於与岐町(舞鶴市の境)にある昭和59年4月14日京都府登録「無形民俗文化財・於与岐八幡宮の祭礼芸能」、昭和60年5月15日同登録文化財「八幡宮本殿一棟」、同日・府決定「八幡宮文化財環境保全地区」です。

京都府決定「八幡宮環境保全区」
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於与岐八幡宮
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京都府登録文化財の本殿一棟
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京都府登録・無形民俗文化財「於与岐八幡宮の祭礼芸能」
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この祭礼は10月第3日曜日午前8時45分位いから始まり午前中で終了です。神輿4基の前で獅子舞、天狗様の鼻高の舞等が奉納されます。
詳しくは、下記をクリックしてください。http://homepage3.nifty.com/misensan/4-2004-08-29.html
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/oyogiy/akimaturi.htm

2006/6/22

献上・紀州梅道中その2  文化財研修記

鍋師有理事に続き、1号車で綾部市里町の岸見直さんから逆サイドから撮った行列の写真や国宝本殿前での写真、行列参列者が特別席で並んで儀式を見ている写真等を提供して頂いたのでスキャナーで撮り入力しました。

献上行列の裃姿の人々
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献上のお供えの供物は2つです。
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入場後、太鼓橋を閉める神官
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国宝・本殿前で儀式が始まりました。
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特別席での行列参加者達
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2006/6/20

献上・紀州梅道中に遭遇  文化財研修記

なんと六月六日は「梅の日」、上賀茂神社楼門前でご案内の祢宜さまを囲んで2号車一行の記念写真を撮影し一行は拝殿に入門。私は1号車一行の到着を待ち記念写真を撮影。続いて拝殿に入門かと思ったが、案内の祢宜さまに連れられて周辺の参観に向かった。すると突然ホラ貝が鳴り響き、楼門前の太鼓橋の前後の欄干に結ばれた制止縄が解かれ、山伏、法師など平安時代を思わせる紀州梅献上の一行がやってきた。(なべちゃん記)
 1号車の皆さんは、当参拝団担当の権禰宜の村松晃男さんに案内され、特別に東門を開けてもらいこの東門から入り、国宝本殿前での「今年の梅の献上儀式」を行列参加者以外は、入れない所から見られた諭旨、国宝権殿も見られたとの事です。精進の賜物ですね。(四方續夫記)

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祢宜を先導にホラ貝を吹き鳴らす山伏・法師・幟・献上木札の付き人一行
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僧正のあとには裃姿の代表者がつづき、さらに平安時代の烏帽子・水干姿の献上者たちがつづく
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太鼓橋の上に樹木があり日傘を横にしてとおる。平安時代の市女笠(いちめかさ)をかむり高貴な姿をした娘たちの晴れやかな大人数の一行が梅を入れた笊・花を持ってとおる
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大きな梅干しの張りぼての後は、献上梅の葛籠を担いだ烏帽子・水干姿の献上者たち
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つぎなるは梅の笊を持ち、梅の実のついた枝を背負った梅とり姿の女人たち
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なんと献上梅の一行の祭殿への入門時に合わせたように2号車の会員が本殿参拝を終えて合流
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献上梅道中一行から配られた「梅の御菓子」や枝からもいだ「梅」を手に持つ会員たち、してやったりとニコニコ顔の四方事務局長

2006/6/19

楞厳寺と文化財2  綾部の文化財

6月19日(月)朝、瑠璃寺の再度の撮影に大畠町の寺総代宅へ行くも不在、「もう一度来て下さいとの仏の声。」、帰路、綾部唯一の「関西花の寺25ヶ寺の第2番、あやべ西国観音霊場第14番の楞厳寺(りりょうごんじ)」へ立ち寄る。「花と綾部の文化財11」で紹介したが、それぞれ樹齢400年を越える3古木(椿、菩提樹、百日紅)の一つ「菩提樹」が咲き始めました。その他前回で紹介できなっかた霊水の湧く「宝筐印搭」や明治の大画家、長井一禾(ながいいっか)の屏風絵等。

3分から5分咲きの菩提樹の白い花
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霊水の湧く「宝筐印搭(ほうきょういんとう)」
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長井一禾の屏風絵「鴉と柿木」
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長井一禾の掛け軸「鴉と夕日」
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本堂天井の「四季の花」
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もっと詳しく知りたい方は下記をクリックして下さい。
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/ryogonji/ryogonji2.html

2006/6/18

石田神社とその文化財等  綾部の文化財

6月18日(日)は17日の雨の余波で、畑が無理なので午前中、神社撮影巡りと決めて、石田、於与岐、諏訪、九社、高蔵神社と淵垣八幡宮を廻ってきたので順次紹介の予定です。
先ず京都府指定文化財の「石田神社本殿(昭和61年4月15日指定)とその右側にある国重文の恵比寿神社本殿(西宮大明神と札が掲げられている。)」を紹介します。本殿は正面に軒唐破風(のきからはふう)、千鳥破風(ちどりはふう){破風とは屋根の切妻部分のところに打ちつける合掌形の厚板、又はその三角形のこと}を付けている。軽快な装飾で、又手の込んだ彫刻をもち、妻(つま=近世的手法)で正徳期(1771年代)のもので、大工は梅迫の四方好兵衛政重と、その長子小兵重頼、次男源兵衛重種のの親子である。国の重要文化財に指定された、本殿右側にある「恵比寿神社本殿」は西宮大明神と呼ばれ、昭和62年6月3日に指定されました。もとは三間社流造りで、その身舎(本体)部分は、本殿の小屋屋根裏に残った鎌倉時代末期・延慶4年(1311)の棟札から石田神社の本殿の前身建物(旧本殿)であろうと言われている京都府北部最古の神社遺構である。尚、この地域は「石田神社文化財環境保全地区」に京都府より指定されている。

石田神社正面と当会の駒札
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京都府指定文化財「石田神社本殿」
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国重要文化財の境内社「恵比寿神社本殿(西宮大明神)
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修抜所
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ホ−ムペ−ジ「綾部の文化財・元旦初詣風景」

2006/6/18

丹波三瑠璃寺とその文化財等  綾部の文化財

6月17日(土)午前中と昼過ぎ、当所ではアナグマででるのでスイカにネットの囲いを新たに購入し、準備を始めたが雨となったので中止。気になっていた楞厳寺の菩提樹を見にいくが、まだ蕾。近くの、綾部市大畠町東谷田40番地のあやべ西国観音霊場第13番札所で、かの有名な「丹波の三瑠璃寺」、この大畠町、舞鶴吉田、氷上郡(現丹波市)の小川の3瑠璃寺の一つである「大嶽山 瑠璃寺」である。寺伝によると文禄2年(1593)大畠城主大槻飛騨守が、亡き先代山城守の菩提を弔うため建立した綾部市で最も古い曹洞宗の寺であると言う。開山初祖は福知山久昌寺の初祖の威雲宋虎禅師である。本尊として祀られている「十一面千手観音像」は当初、綾部藩主九鬼公の念持仏であったと言う。九鬼公の催す法要には山主が参列し、また九鬼公も休養のためよく当寺を訪れたと言う。又、3ヶ寺の薬師堂の薬師如来像は一本の同じ楠から彫られた像という。
写真は後日の楽しみに、ご縁があったのは道に迷い探していたところ、元綾部信用金庫本店(現北京都信用金庫綾部支店)で退職された大槻氏に出会い、すぐ寺総代様に紹介され仏像の写真が撮れたことです。「薬師如来」様の像の写真は鍵がなく撮れなかったのです。「又、撮りにきなさい。」との如来様の声が聞こえます。又、戦時疎開でこの寺に宿泊した京都市日彰小学校の生徒が昭和57年に「記念碑」たて又、平成7年に還暦に同窓会をこの寺で行なった事でも有名です。

本堂前
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鐘楼
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本堂内(左手は達磨大師様)
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厨子を開くとなんと見事な「十一面千手観音菩薩」様
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左手に「十一面観音」真中、「永平開山道元大師」右に当寺開山の「威雲宗虎禅師」様
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十一面観音菩薩様
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薬師如来像(一本の同じ楠から彫らたと言う像)(左・右に日光及び月光菩薩様)8月8日が縁日で善男善女の参詣でにぎわいます。
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