2005/7/30

高倉神社の土用の丑祭(高倉町)  綾部の文化財

7月28日真夜中0時より「高倉神社の土用の丑祭」の宵宮祭が始まりました。5時頃「五葉の笹」を求めて奥宮神社付近でごそごそ探して居られる方がありましたが、昨年の笹枯れの影響で笹はほんの少し、見つかれば幸運です。午前9時から本殿正面横で本殿祭が始まりました。本年から四方律夫宮司様は交代され四方幸則宮司様(2名とも当会々員)で参加者はご来賓、各町自治会長です。
 木下芳信議長、山崎巌(綾部史談会々長)ご夫妻とご友人、そして取材に綾部資料舘々長の近澤豊明氏の姿も見かけました。
 吉美商工繁栄会の「はらわた餅」は飛ぶように売れ、6個入りが370円で小生も家内に頼まれ3セット買いました。
 猛暑の中にもかかわらず、子供達は吉美公民館主催の輪投げ10円、スーパーボールすくい10円、福引きは良い商品で50円、みんな夢中のようでした。有岡町、多田町の野菜の販売、高倉町の花の株販売も好評でした。

2005/7/19

二千年の眠りから覚めた大賀ハス 極楽寺(白道路町)  綾部の文化財

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この蓮は、昔、日本各地に生えていたものが二千年ぶりで蘇った古代蓮である。蓮にまつわる話として、故大賀一郎博士のことに触れなければならない。博士は昭和初期に南満州(中国東北部)で、数百年昔の蓮の種子を発見し、育て上げて学位を取り、蓮博士と称せられた学者。この池の蓮の種子も、博士が千葉市で発見した三粒の種子の一粒である。
千葉市検見川(けみがわ)は、大昔、海に近い一面の湿地で、地下は深い泥炭層である。博士は弟子の学生や地元学生の協力を得、毎日々々泥を掘ってはフルイにかけ、水で洗うという作業を続けた。昭和26年は第二次世界大戦後で、機器機械は乏しく、食物も不足な時代、今日見つからねば作業を中止しようと決意した40日目に、地下6米を掘ったところ、フルイに三粒の種子がかかる。昭和26年3月30日の夕方である。その時の博士の顔は涙と泥でグシャグシャだったという。
三粒の種子の一粒は博士の庭で、一粒は地元検見川で二千年の睡りから芽を出し、昭和27年7月18日に花が咲いた時は、生物の奇跡として、世界の学会は驚く。翌28年にはドイツの国際園芸博覧会で開花し、世界で認められ、「大賀ハス」と名付けられ、千葉県の文化財に指定されている。
今、京都府では府立植物園と、ここだけがこの珍しい蓮の花を咲かせている。
はちす葉の にごりにしまぬ こころもて なにかは 露の玉とあざむく 僧正 遍照
http://www.ayabun.net/bunkazai/annai/gokurakuji/gokurakuji.htm
http://www.doblog.com/weblog/myblog/15478/1623302#1623302

2005/7/13

覚王寺の仁王像(旭町)  綾部の文化財

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山家資料館々長 塩見光夫氏より、次の投稿を頂きましたので掲載します。もと願成寺と言ったが、廃寺同然となっていたものを、山家谷家第二代藩主衛政が菩提寺とし、又第三代衛広の帰依厚く、方丈、庫裏、阿弥陀堂、仁王門、鐘楼を造営し、寺観を整えた。明治維新後、旭町の住民のみでは守りきれず、この仁王像が海外に売られようとしたのを止める為に「当会」が発足した理由であります。現在この仁王像は京都国立博物館に保管されほぼ十年に一回陳列展示される。(一)金剛力士像(阿形)・覚応寺伝来・木像彩色・鎌倉時代、京都府綾部市の覚応寺に伝来。筋骨などの部分を誇張しながら穏健にまとめ上げている。丹波地方を代表する仁王の一例。(二)金剛力士像(吽形)口を結ぶ阿形に比べて力感表現を主とし、それ故に全体のまとめ方に失敗した感もある。力み過ぎが一種の滑稽味を生んだ。(いずれも京都国立博物館の解説による。)



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