2014/5/20

畿内の文化財・史址を見る!18.西国観音霊場第23番札所で勝運の寺として有名な勝尾寺!  文化財研修記

 大阪府箕面市粟生間谷2914−1には西国観音霊場第23番札所、法然上人第5番霊場の高野山真言宗の勝尾寺(かつおうじ)がある。山号は応頂山。開山は開成(かいじょう)、本尊は十一面千手観世音菩薩である。寺号は「かつおじ」「かちおじ」などとも読まれる。伝承によれば、勝尾寺の草創経緯は次のとおりである。神亀4年(727)、 藤原致房の子の善仲、善算の兄弟はこの地に草庵を築き、仏道修行に励んでいた。それから約40年後の天平神護元年(765)、光仁天皇の皇子(桓武天皇の異母兄)である開成が2人に師事して仏門に入った。宝亀8年(777)、開成は念願であった大般若経600巻の書写を終え、勝尾寺の前身である弥勒寺を創建した。そして、数年後の宝亀11年(780)、妙観が本尊の十一面千手観世音菩薩立像を制作したと伝えられる。
開成の僧としての事績については正史に記載がなく不明な点も多いが、北摂地域の山間部には当寺以外にも高槻市の神峯山寺など、開成の開基または中興とされる寺院が点在している。勝尾寺は平安時代以降、山岳信仰の拠点として栄え、天皇など貴人の参詣も多かった。元慶4年(880)、当時の住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行い、「勝王寺」の寺号を賜るが、「王に勝つ」という意味の寺号は畏れ多いとして勝尾寺に差し控えたという。『日本三代実録』は、元慶4年、清和天皇死去についての記事で、同天皇が「勝尾山」に参詣したことを述べており、これが勝尾寺の文献上の初見である。元暦元年(1184)、治承・寿永の乱(源平合戦)の一ノ谷の戦いのあおりで焼失。文治4年(1188)、源頼朝の命により、熊谷直実・梶原景時によって再建された。承元4年(1210)には晩年の、讃岐国流罪から戻った法然が当寺に滞在している。Jリーグのプロサッカークラブであるガンバ大阪も毎年必勝祈願を行っている。

1.勝尾寺標柱
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2.豊臣秀頼寄進の見事な山門
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3.阿形の仁王像
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4.吽形の仁王像
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5.山門から見た境内
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6.知恵の輪
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7.明治中興記念碑と多宝塔
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8.一願不動尊
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9.何処も勝ちダルマで一杯!
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10.日本最古の厄払い三宝荒神
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11.鎮守堂
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12.開山堂
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13.水掛観音堂
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14.大師堂
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15.豊臣秀頼寄進の本堂
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16.鐘楼
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17.不動堂
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18.不動堂内
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19.アップした多宝塔
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20.法然上人が4年間修行され、善導大師の夢のお告げで、浄土宗本基の戒を授かられた「二階堂」
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