2013/10/8

紀州の文化財・史址を見る!28.紀伊大島とトルコ記念館!  文化財研修記

 トルコ記念館(トルコきねんかん、トルコ語: Türk Müzesi)は、和歌山県串本町の紀伊大島にある町立の博物館です。明治23年(1890)9月16日に紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国(現在のトルコ)のフリゲート艦エルトゥールル号(口径15センチ艦砲8門、アームストロング砲5門、2344トン、600馬力木造軍艦、速力10ノット、乗務員650名、全長76.3M、幅13.3M、艦長アリ・ベイ大佐)の模型や乗員の遺品のほか、トルコ政府から寄贈された品々を展示している。
 記念館の由来は、オスマン皇帝の特使を乗せて日本に派遣されたエルトゥールル号が、帰国の途にあった明治23年(1890)、樫野埼灯台近くで座礁したことにある。犠牲者587名という大惨事であったが、地元大島村(現串本町)の人々はトルコ人の遭難者に温かい対応を行ったことが、日本とトルコの友好の始まりとして有名なエピソードになっている。
 トルコ記念館はこの出来事を記念し、昭和49年(1974)12月に遭難現場付近の紀伊大島に建設された。2階展望台からはエルトゥールル号が座礁した地点を見ることができる。

1.串本大橋の一部
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2.トルコ記念館
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3.日本赤十字社「平時国際活動発祥の地」記念碑
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4..トルコ軍艦遭難慰霊碑
エルトゥールル号が遭難した明治23年当時、地元樫野の島民は献身的な救助活動を繰り広げ、引き揚げられた遺体は、救出され一命を取り留めたハイダール士官立ち合いのもとに、遭難現場である船甲羅岩礁を真下に見下ろす樫野埼の丘に埋葬されたと伝えられています。
翌、明治24年3月、和歌山県知事はじめ、有志の義金により、墓碑と追悼碑が建立され、併せて追悼祭が行われました。 後に、昭和天皇の樫野埼行幸(昭和4年)を聞いたトルコ共和国初代大統領のケマル・アタチュルクが新しい慰霊碑を建立するこ事を決定し、和歌山県が委託を受け、現在のような立派な弔魂碑に改修されましたが、墳域設定に際して、大島村民は樫野埼灯台南東約300uのこの広場(面積746u)を提供いたしました。そして、天皇行幸8周年記念日に当たる昭和12年6月3日、除幕の日を迎え、今日もなお熊野灘沖を行き交う船舶を見守るかのように、樫野の丘にそびえ立っています。
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5.トルコ記念館内1.
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6.同上 2.
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7.トルコ記念館屋上から見た樫野崎
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8.海金剛(この先でトルコ軍艦エルトゥールル号が遭難)
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9.串本ロイヤルホテルの部屋から見た串本港
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