2013/2/24

冬の京の文化財・史址を見る!3.小野篁を祀る六道珍皇寺!  文化財研修記

この寺の所在地付近は、平安京の火葬地であった鳥部野(鳥辺野)の入口にあたり、現世と他界の境にあたると考えられ、「六道の辻」と呼ばれた。「六道の辻」は五条通(現在の松原通)沿いの六道珍皇寺門前やその西方の西福寺付近とされている。
 この寺の創建については諸説あって不詳で、開基についても大安寺の僧・慶俊、空海、小野篁などとする説がある。かつてこの地に住した豪族鳥部氏の氏寺(鳥部寺、宝皇寺)がその前身ともいう。東寺百合文書の「山城国珍皇寺領坪付案」という文書の長保4年(1002)には、珍皇寺は承和3年(836)に山代淡海が創建したとある。藤原道長の日記『御堂関白記』寛弘元年(1004)3月12日条にある「珎光寺」は珍皇寺を指すとみなされている。近世の地誌類には「珍篁寺」と書かれることもあり、寺号は本来「ちんのうじ」ではなく「ちんこうじ」と読まれていたと考えられている。珍皇寺には念仏寺、愛宕寺(おたぎでら)などの別称もあり、『伊呂波字類抄』『山城名跡巡行志』は、珍皇寺の別名を愛宕寺とするが、愛宕寺が珍皇寺と念仏寺に分かれたともいう。東山区松原通大和大路東入る弓矢町(珍皇寺の西方)には念仏寺という寺があったが、大正年間に右京区嵯峨鳥居本に移転した。
 鎌倉時代までは東寺に属していたが、室町時代に建仁寺の聞渓良聡が入寺して再興、臨済宗に改められた。明治に入り一時建仁寺に併合された時期もあったが、明治43年(1910)に独立した。

1.六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)
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2.寺駒札
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3.朱の山門
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4.薬師堂(国重文の木造薬師如来像を祀っている。)
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5.閻魔堂(小野篁堂とも呼んでいる。六道の日のみ公開です。中には昼は朝廷に仕え夜は閻魔大王に仕えて行き来していた云う。木造閻魔大王像、小野篁像、空海像などが祀られています。窓ガラス越し参拝は可能です。)
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6.迎鐘(之を鳴らして霊を現世に呼び戻すと云われています。)
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7.本堂に向って左側の地蔵菩薩郡
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8.同上
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9.本堂(本堂前には三界萬霊供養塔が立っている)
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