2013/2/23

冬の京の文化財・史址を見る!2.六道之辻にある西福寺と愛宕念仏寺跡碑!!  文化財研修記

西福寺(さいふくじ)は、正式には桂光山敬信院という。 浄土宗。本尊は阿弥陀如来坐像。 六道の辻(ろくどうのつじ) 東山区松原通東大路西入轆轤町(珍皇寺前)です。
 六道とは,仏語で衆生(しゅじょう)が生前の業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界。すなわち,地獄・餓鬼・畜生・阿修羅(あしゅら)・人間・天上のことです。
 六道の辻は,六道へ通じる道の分かれる所の意で,一般的に珍皇寺門前のT字路をさします。小野篁が冥府との往復を果たしたという伝説から,この辺りが冥界への入口「六道の辻」と称されました。珍皇寺内と西福寺前に六道の辻を示す石標が建てられています。
 西福寺は,空海が鳥辺野の無常所の入口にあたる地に地蔵堂を建て,自作の土仏地蔵尊(六道の地蔵尊)を祀ったことに始まると伝えられています。

1.六道之辻と西福寺
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2.同上
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3.同上
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4.同上
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5.本堂前
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6.愛宕念仏寺跡碑:今の京都の四条の西院から東山方面にかけてを、昔は愛宕郡と言いました。奈良時代の末、今から約1240年前に、聖武天皇の娘の称徳天皇がここに寺を建てます。愛宕(おたぎ)の地に建てられたので愛宕寺と言いました。ところが平安時代の初めに、鴨川の洪水で全て流れて廃寺となってしまいます。その復興を命じられたのが天台宗の僧・千観 (918〜984) です。千観さんは、いつも念仏を唱えていたので、民衆から念仏聖人とよばれ、このことから寺名を愛宕念仏寺とよばれるようになりました。今は嵯峨に寺が移されています。
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7.同上 碑の裏側
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