2013/1/26

飛騨・信濃の文化財史址を見る!40.偉人佐久間象山を祀る故郷・松代の象山神社!  文化財研修記

 御祭神は佐久間象山先生であり、幕末の大先覚者である。
 松代藩主佐久間一学の長男として文化8年(1811)に生まれる。 6才の時から父や鎌原桐山・活文禅師などから学問・武術を習い、 20才で詩文・経書・武術等免許される程の秀才であった。23才で江戸佐藤一斎の塾に入門、渡辺崋山・藤田東湖等と親交した。3年で帰藩し、藩の子弟に経書や漢学を教える。この頃名を修理、 号を象山と改た。
 29才江戸お玉ヶ池に象山書院を開き、多くの門弟を集める。藩主幸貫老中で海防掛の海防八策を幕府に上申する。36才帰藩し、湯田中・沓野・佐野(志賀高原)の利用係として 開発に努力、又大砲・電信機等の製作・実演する。
 41才江戸木挽町に塾を開き、勝海舟・坂本龍馬・吉田松陰・ 橋本佐内など維新の英才を輩出する。ペリー来航国論沸騰の際、 軍議役として横浜警備に当る。開国論を唱え横浜開港を主張する。 松陰密航事件に連座して投獄される。
 44才から9年間松代に蟄居される。この間高杉晋作・久坂玄瑞・ 山形平蔵・中岡慎太郎・石黒忠悳らが面会に訪れ、時世について、 激論、象山の学識に感動して去る。
 54才元治元年(1864)幕府の命で京都へ上る。将軍家茂・ 一橋慶喜・山階宮。中川宮に公武合体開国を説いて活躍中7月11日三条木屋町で尊攘派の凶刃にたおれ、尊皇開国の捨石となって 非業の最後を遂げた。その後4年にして明治維新の世を迎え、象山の尊皇開国という 憂国の至情がそのまま具現されたのである。

1.象山(ぞうざん)神社案内板と佐久間象山騎馬像
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2.神社駒札
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3.大鳥居と拝殿
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4.正面は拝殿
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5.拝殿に向って左側の碑
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6.同上碑の訳文
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7.拝殿
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8.拝殿横から本殿を見る!
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9.奉納の大釜
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10.同上 奉納由来
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11.長野県指定文化財の「高義亭」
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12.同上 由来記
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