国立新美術館のモディリアーニ展、モディリアーニは大好きだけど私が好きな作品が2点とも来ていないので、あまり期待はしていなかった
今回来なかった「「ソファーに座るズボロウスカ夫人の肖像&腕を広げて横たわる裸婦(赤い裸婦、クッションの上の裸婦)」「ニューヨーク近代美術館」
どちらかと言えば、同時期開催の
名古屋市美術館のモディリアーニ展が観たかった お下げ髪の少女もあるし、裸婦もあちらの方が魅力感じた
しかし、会場に入ったとたんから心奪われた 私の知らないモディリアーニの初期の作品がいっぱい・・・
彼の絵は、繊細な色彩の微妙なタッチが美しい
「ユゲット」や「黒い服の女」「ピエールエドゥアール・パラノフスキ」など人物の背景に使われている、
グレーブルーなどと簡単には言えない独特の水色 緑がかった水色、パンフレットに使われている横向きの女性のバックの色などなど・・
自宅で買って来た図録を見ると、あまりに色が変わってしまっていて、すぐにはあの絵と分からないほどだった まるで別の絵をみているような気になる ポスターも、ずいぶん印象が違っていた
独特の水色は、水色の目と合わせて彼の色だが、もうひとつ実にキレイだと思うのはえび茶というべきかワインレッド濃茶の組み合わせと言えば良いのか、この
「赤っぽい濃茶色」がなんともいい・・
この色との組み合わせが、過渡期の時代の人物のバックに多く使われている 「ソファーに座るズボロウスカ夫人の肖像」の色です
そして、凝っていたバックが単色にかわって行く
最初に見た時には過渡期の時代の絵がとても良いと思ったのに、最後まで観て逆に後ろから観てくると、今度はこのバックが煩く感じた
そしていつも思うのは、彼の
「人物の肌の美しさ」ときたら、なんともたまらない
それが男性でも、なんですよね・・
彼の絵には、バックも服も濃い色で顔と手だけが浮き上がっているものが多いが、実に艶やかで触りたくなる
「若い婦人の肖像」はことに顔の色がキレイで、ピンクの頬に薄っすらとしたピンクの瞼、若い女性がこういう化粧したらきれいに見えるのになあ、と眺めた
先日の東山魁夷は、後からも絵も色を思い出せるのに、モディリアーニの絵はああキレイだったとか寂しそうだったと言う感動は思い出せるのに、絵の微妙な色がチャンと思い出せない
あの色、目に焼き付けたいと思うと何度も観るしかないのか・・ 何度でも観たい絵ばかりだった
また、彼の構図や雰囲気作りの上手さにはいつも舌を巻くのだが、今回も改めて感心する
首の傾げ方、バックの模様の持って行き方目の高さの違いからまでも、観る人の目線の誘導がチャンと計算されている 感動と感心と両方して、この人の絵を観ていると忙しい・・
たとえば雰囲気として、C.D.婦人像のバックに傾いだ茶色の柱?があるのだが、首をかしげた彼女がその柱に寄り添うようで、はかなさが強調されている
私はどの画家でも、作品の前段階のデッサンが好きだが、今回は彼が彫刻を目指した「カリアティッドの人物像」が多く出ていたので、やっぱり彫刻家のデッサンだなと感じるものだったので、観られて嬉しかった
この時代の絵もまた良いのだが、話はまたどこかで・・
私は1992年の東武美術館のモディリアーニ展観ているが、今回の展覧会方が作品の数がずっと多いことや、昨年のBunkamuraのモディリアーニ観ていないので、今回は嬉しかった
私の好きな作品の
C.D.婦人や
ユゲットが、
ポーラ美術館・アサヒビールと日本にあることを喜んだ
でも、彼の絵というと誰でもが知ってるとあった、「大きな帽子を被ったジャンヌや赤毛の若い娘」には東武美術館の時にも今回も惹かれなかった
それよりは、男性の絵でパラノフスキーの肖像画が良かった スーチンも良かった
今回皆良いのだが、残念ながら、
「この一点」という絵がない展覧会だった
月曜日が開館(火曜日・休館)と言う珍しい美術館なので、月曜日は休みと思って人が少ないこと期待して行った そのためかどうかはっきりしないが、空いていて観やすかった
話は横ですが、この美術館は「分かり難い美術館・不親切な美術館」の印象です
今回は
「地下鉄・乃木坂駅」から美術館まで直結で入ったのですが、駅から会場までは雨に打たれずに済む屋根があるのに、チケット売り場だけは離れていて数メートル、雨の中歩きます 「ここにも屋根付けてくれても良いのに」と、大雨だったので恨めしくなりました
また、広い美術館で会場はどこだろうと探すし、トイレは入り口通路で男性と間近ですれ違うのが嬉しくないし、中も使いにくいです
会場の中に、ベンチが多く休憩室があるのは嬉しいのですが、休憩室での声が良く響き、中のオシャベリが外まで聞こえてくるのは、話している人は気づいていないのだろうとお気の毒でした

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