「仏像展」の図録を眺めています もう、図録は買わないと言いながらも買ってしまった図録ですが、実際には観えなかった詳細まで分かり買ってよかったと思っています
あの朝は雨でした
混んでいると噂だったので、少しは人が少ないかと期待して出かけました 北斎展など共に観た峰さんと一緒でした 歴史が絡んだものには欠かせない人です
開館9時半に、遅れること15分で入りました 平日でも、第一章にはもう人が集っていて、待たねば観られないので一番目的の【向源寺の十一面観音】に向かいました
仏像展のHPより借りました
キレイなお姿です なよやかでありながら、しっかりくびれたウエストやけっこう肉付きの良い身体は女性的でした
左足に重心をかけ右足を少し前に出している左腰をあげた姿は、軽い「逆くの字」です 左手が少し前に伸びて、衣が垂れ、右太ももの動きとあいまって、右上から左下への流れが強調されています
あのお顔で、優しく手を差し伸べられたら心が温かくなりそうです
この手がとても長く膝までも届きそうです 救いを求める人に差し伸べる手は、少しでも人々に近づくように長いのか、バランスの問題としてなのかと考えました
他の十一面観音菩薩像も長めですが、これはことにでした 昨年観た
弥勒菩薩像は、腕が短いと思っただけに気になりました
ぐるりと後ろに周りました なんと後姿の良い仏像でしょうか・・・
衣が単純なだけに身体の美しさが際立ちます 腰にかかる衣の重なりは腰の豊かさを引き立て、また前では気付かない腕の丸みの美しさにも目が行きます
人物彫刻を制作すると、腕のように
「何もないところ」はごまかしが効かないので、とても難しいところです 顔にかける比重と同じだけ、腕にもお腹にも足の甲にもかけると言うのはとても難しい事です
これは、お寺にある時には後ろからも観る事出来るのだろうか?と気になりました これが、
かつりんさんの blog記事で解決しました 実際に、向源寺に行っています
仏像展の感想をあれこれネットで話していたら、湖北が十一面観音の宝庫であること教わったのも、嬉しいことでした
見惚れたり、感心したり忙しいのですが、十一面の一つ後ろの正面の「大笑いしている顔」はどんな意味があるのか考えました・・ 同行の峰さんに教わりました 邪気を払う意味も、また救いを求める人の邪心を見抜いて笑う意味もあるだろうと言うことでした
展覧会では観えなかったのですが、図録でみると木目が綺麗です 乾漆(かんしつ)の仏像とはまた違う魅力です
それにしても、「一木」でこれだけの物を掘り出す技量には驚かざるを得ません たった一太刀、間違えって落としてしまえば直しは効かない作業 それに、これだけの心を入れた見事な仏像を作る いったいどういう人が作ったのでしょうか・・・
この像はことに作業が細かく、また腕がわずかに曲げられて少し前に伸びています 自分が制作者なので、どうしても材料や技量のことを考えてしまいます 腕が前に出る、それだけで、丸太は太くなります 太い材木は貴重です 高価になります 秋篠寺の十一面観音はまっすぐ下に下ろしてあるのでなおのこと感じました
あれこれ思いながら、前からは左斜め前、後ろは右斜めから観た姿が気に入って眺めました 頭の上の十一面が照明の関係で陰に入らないと見づらいのは残念でした 四方からの照明に、何か工夫があっても良いと思います
会場を出る前にもう一度観に行ったのですが、この時には混んでいて全体を観ることが出来ませんでした
この像は、姿に魅力のある仏像です 上半身だけ観たのでは魅力の一部しか分からないでしょう 早く来て良かった、雨が降って有難かったと思う展覧会でした
峰さんに、仏像が平安鎌倉と移って行くと「お顔や体形がなよやかのものからだんだんたくましく変ること」教わりました 時代により、人の生活も変ると仏像も変わります
教わることの多い私ですが、「あなたと観ていると観方がまるで違うのが面白い」といつも言われます 今回も、峰さんは仏像はまずお顔から・・ 私は、まず作品として彫刻として観てしまいます
そんな私はお昼を食べながら
「あの像は、ずいぶん腹デカだったよね 横から見たら胸より断然お腹が出ていたよ」
「それでも、あんなに魅力的なのだから希望湧いちゃうねぇ」
と言って笑わせてしまいました
* * 彫刻には、ブロンズ、テラコッタ、石、木などのように色々な技法がありますが、仏像は「布と漆」を使った乾漆と言われる技法で制作された物が多いです

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