いろいろな事やいろいろな言葉、その時には理解出来なくても、後になり、ああ、あれはこういうことだったのか・・と分かることがある
私は、中学2年生の時に日本美術史を、3年生で世界美術史を学んだ 後から思うと、あれは美大生相手に通用する授業だった 中学生だから分からないだろうとか、観てもわからなそうな子供だから、と言う手抜きはいっさいなかった
その先生が毎回の授業で、色々なお寺や仏像の写真を見せてくれた 「良いだろう、素晴しいね〜!」と、先生は自分で眺めて自分が感激していた 「僕はね〜、焼ける前の法隆寺の壁画を観ているんだよ!!!」と、よく自慢した それを聞くその頃私は、「こんな仏像の何処が良いんだろう?先生としては、美術の先生だもの、良いと言わない訳にはいかなんだろな・・」と思う、可愛げのない生徒だった
そして、中学3年生の修学旅行で京都奈良に行った 薬師寺で、西塔の跡の水溜りに映る東塔を見て、身体に稲妻が走るような衝撃を受けた(今は西塔が再建されています) 「先生は本当に良いと思っていたんだ・・ 本当に凄い!」 先生の言葉が本音であることを知った
この先生は、日展の審査委員をしている凄い先生だと大人の噂には聞いていたが、その頃の私にはそれがどんな価値なのかは分からなかった でも、先生の言葉が本物であることは分かった この先生の元から、美術系に巣立った生徒が多い 私もこの先生でなかったら、美術に進んだかどうか分からない
今でもクラス会をすると、絵など興味なさそうだった、あの頃のやんちゃ坊主が、「Vちゃん(先生の愛称)には会いたいな〜」と懐かしがる 絵を愛し、生徒を愛した先生のことは、生徒たちはいつになっても忘れない
これは、MINMINさんの「高校の授業」という文を読んだ時から、いつか書いておきたい思っていました
http://minminsroom.cocolog-nifty.com/webdiary/cat1578653/index.html

0