「いただきます」って言って食事していないなあと思い、
反省のため意味を調べてみると、以下のような解答があった。
***以下、原文***
「いただきます」とは、「食事を、いただきます」という意味もありますが、仏教では、「命を、いただきます」という意味に捉えます。
物騒だなとお思いの方もあるかと思いますが、この『命』とは、大根、ニンジン、椎茸、肉、魚、その他、植物も含めた多くの生き物の『命』です。
その『命』をいただいき、自分が生かされていただく、感謝の気持ちからでる「いただきます」ということです。
曹洞宗の教えの一つに『五観の心』という教えがありますが、次のような内容です。
一つ、目の前におかれたこの食事ができるまで、どれほどのさまざまな手数がかけられているかを思い、その労苦にたいして感謝していただきます。まごころをこめて料理をしてくれた人がいます。材料を産地から運んでくれた人、丹精こめて米や野菜を作ってくれた人、魚をとってくれた人、多くの人々のおかげ様によってはじめて食事をいただくことができるのです。
二つ、自分のおこないを反省してこの食事をいただきます。
三つ、好き嫌いせず、欲ばらず、味わっていただきます。
四つ、健康な身体と心を保つため、良薬としていただきます。おいしさを追求することばかりに熱中して、健康をそこねたのでは何にもなりません。
五つ、円満な人格完成のため、合掌していただきます。
欲望や空腹を満たすだけの食事では、何の意味もありません。多くの生き物の命、このいただいている命を最大限に有効にいかさなければなりません。
まちがっても悪行をなすための活力としてはならないのです。
今日からは、だまって箸を取り食事を食べるのではなく、以上のことを考えながら、感謝の心を持って「いただきます」
***以上、原文終わり***
う〜ん、こんな事をちっとも思ってはいない。
世の中、食べる物が手に入りやすい状況ですから。(お金があればですが・・・)
某関西系漫才コンビの一人が、中学生の頃ホームレスだった時、
道端の雑草を食べていたとTVで流れていた。
自分もこんな経験をすれば、食べ物のありがたみが身にしみるかもしれない。
えっ、経験したいのかって?
とんでもない!
私は苦労を買って出るタイプではありませんから〜。
でも「いただきます」は言うこととしよう。
言わないよりはマシだから。
では、またです。

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