2019/3/16

ライライその3  追憶

 うちにきて1,2年経った頃、急に鼻水のような物を出すようになりました。病院に行ったりもして色々調べたのですが、なかなか原因がわかりません。レントゲンを撮ってみると、上顎の骨の並びが歪んでいるとの事。おそらく、出産時に圧力がかかったのではないかという話でした。どうもしれが原因のようです。内科的なことではどうのもなりませんし、手術でどうこうもできないでしょう、ですのでこれに付き合っていくことにしました。

 恐らくこのせいでしょうが、色々なトラブルがありました。
 元々ウサギは目から口に抜けている涙の管が詰まりやすいのですが、ライライは歪みのせいで特に詰まりやすかったようです。目薬をさすとすぐ直ったのですが、5歳くらいの時に半年ほど続いたことがあり、苦労した記憶があります。もう毎時間涙を拭いてあげました。ある日突然治って喜んだことを覚えてます。

 あと、ライライは水をたくさん飲んだのですが、その飲んだ水が鼻から出たりもしてましたね。
タグ: ライライ

2019/3/2

ライライその2  追憶

 うちにきた最初の1年はとにかく元気!まだ若いだけあって部屋を走りまくる、ジャンプしまくるでしたね。足の間をグルグル8時に走ってました。これはうさぎの「大好き〜」ってアピールの行動のようです。

 そしてライライが来て1年三ヶ月後、メスのヒナタが新しい家族としてやってきます。最初はライライの子供がいたらいいなという思いでお迎えしましたが、うさぎは多産で5,6羽普通に生むとのこと。さすがにその世話は出来ないという事で、子供は諦めました。

 ヒナが来てからは行動がお兄ちゃんになりました。不思議なものですね。落ち着きがあるというか。写真はヒナです
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タグ: ライライ

2019/2/27

ライライ、月に還る  追憶

 2019年2月25日未明、ウサギの来夢が月に還りました。7歳と7ヶ月でした。

 出会いは何気に立ち寄ったペットショップからでした。そこのペットショップは半年前にオープンしたお店でした。その中の動物触れ合いコーナーにぽつんと一羽いたのがライライでした。既に生後半年、まだ若いとは言え売れ残っているのは明らかでした。店員さんに話を伺うと、一度飼い主が決まっていたものの、子ウサギがいいという事でキャンセルされたようでした。抱っこもされて、大人しい子だなという印象でした。一度店を出たのですが引き返し、ライライをお迎えすることにしました。
 店員さんが「(営業)部長売れたよ〜」「ウソ、あたし挨拶する」と言ってたのが印象的でした。みんなに好かれていたのでしょう。
 当時はハムスターを飼っていましたので、ウサギを飼うつもりはありませんでした。けど、なぜか縁を感じました。今考えると、自分の人生でも1,2を争うくらいのいい判断だったと今でも思います。

 うちにお迎えして二日目、体調を悪くして寝ていると、そっと寄り添うように布団の隣に居てくれたのを覚えています。
 備忘録を兼ねて、ライライの事をポツリポツリ書こうと思います。
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タグ: ライライ

2015/1/17

あれから20年  追憶

 神戸の地震から20年ですか。。。私は当時明石市にいて直撃を受けました。あれ以降、あの規模を越えるような自然災害にはあっておりません。まあ、あれを越えるような災害に遭ったら、軽く死にそうですが^^;;

 遙か昔のようにも思えますし、ついこの間のようにも思います。不思議な感覚ですね。
タグ: 神戸大震災

2009/1/17

阪神淡路大震災  追憶

 あれから14年ですか。。。当時、神戸市西区に住んでいたので直撃でした。その時いた店も数年前に閉鎖になったとの風の便りを聞きました。あの時のスタッフはみんなどうしているのでしょうか。

 今から14年経ったら、今現在の自分の位置をどう考えているのでしょうか。

 最近、ドル円で20P取る方式を繰り返して試してます。損切りは30Pにしてますので、失敗しても大きな痛手になりません。さて、来週はどうなりますか。

2008/7/15

あれから2年  追憶

 早いもので、信長の野望オンラインから実質引退して2年が経過しました。年月って、これから先のことを考えると長いようなんですが、振り返るとあっという間ですよね。
 生活の大枠では変わってないです。引っ越しも転職もしていませんし。ただ、今から数年後には大変動が待ち受けているような気もしております。再び信オンをやることはないでしょうが、たまに公式は見ていたりします。合戦がいまいちっぽいですね。

 しかしなんというか、、、人生に寄り道が欲しいです。日本ってそういうのが許されない土壌があるように思います。一度外れると本道に戻れないっていうんですか。まあ、最近はそんな事をほろほろ考えています^^;

2006/6/13

古き友×巫女×回想  追憶

 おくにんが引退してしまったので、私も昔の思い出なぞを。今、巫女の習得をやっているのですが、この巫女さんの名前は発売当初に知り合った方からいただきました。三ヶ月程度でいなくなってしまった方ですが、ほぼ毎日組んでまして、オンラインゲームの面白さを教えてくれた方でもあります。別のオンラインゲームの話をしてましたから、今もネットの海にいるんでしょうが。知人欄にも残っているのですが、もう3年近く光った事はありません。
 昨日はテンコとがっくんを驚かしたみたいです^^;復帰かと。首飾りの銘もその方のですから。おっと、たもふぇーも知ってるかな。

 今も残っていて、一番古い知人は誰だろうと考えたのですが、沙紀にゃーかな。しかし彼女も気が向いたときに課金するレアポップ。その次は考えると、葉子さんや邑さん、テンコやがっくん達になるかな。

 葉子さん達と知り合ったキッカケは、私の人違いの対話から。その引退した巫女さんと間違えて対話いれて、よかったら習得いきませんか、という事から始まったのはよく覚えています。
 引退してしまった人、たくさんいるけど、みんな元気かなあ。東西くらい、顔だしてくれ^^

2005/9/23

発売組×忍者×不遇時代  追憶

 本日ソフトが届きますので2アカですね。私は発売日組ですので、このゲームをやり始めてはや二年三ヶ月。当時の人は数えるほどになりましたが、一つのゲームをこれだけ長いことやった記憶がありません。今日は少し昔話でも。

 私はβテストはやってませんので、始めた当初は右も左もわかりません。今思えば、ゲーム的には一番楽しかった時期かもしれませんね。1stは忍者。その時の忍者のイメージはウィザドリーの忍者ですね。クリティカルで一撃にて相手を倒す、トリッキーな技がある、行動が多い、などなど。そして取説にしたがって器用全振り忍者を作ります。それがイバラの道になるとは全く知らず。
 今では習得も経験も楽ですが、当時は相当大変で、難易度10の習得とか今の13習得よりしんどかったと思います。レベル20台くらいまでは職業はあんまり関係なく遊べました。しかし30台になると職業の差というのが出始めます。この辺りで発売から親しかった知人が突然引退する事になり、ひとりでウロウロする事が多くなりました。つまらなかったですねえ。つくづくMMOは知人だなと思います。
 時代は陰陽マンセー。
「鍛冶、僧、忍者は職業に非ず!」
 そんな酷い時代でした。2年やってると何度か辞めようかと思ったこともあるんですが、一番最初に思った頃だと思います。この3職業は本当に誘われませんでした。甲府で党員募集だしている所に対話を入れて、4連続で「忍者はちょっと」と言われた時は、こんなゲームやってられるか!と思いましたね。
 おかげで党首やり始めたのもこの時期です。自分で人を集めないと徒党できませんでしたから。そして忍者の黄金時代、不意打ち強化がはいります。狩人相手に忍者徒党とかありましたね。あれはあれで結構面白かった。忍者は取り合いは強いですから、忍者ウゼーとか思われながら全ての狩人をゲットしたりw
 そんな不意打ちも結構すぐ修正きましたけど。
 今はどうかというと、2年前の不遇時代にくらべるとマシではありますが、決して優遇とは思えませんね。主力武将徒党にそんなに忍者いませんよね。勿論忍者でも本陣落とせます。ただ、どうしても倒す速度は遅くなりますから。
 今度の器用修正で少しでも忍者が楽になれば、と思います。あとは武器熟練お願いしたいですね。ただでさえ武器の耐久低いですし、、、

2005/8/16

小細工×直史×ガイドツアー  追憶

 軍楽、小細工一蹴終了しました。不動の陣2に入りましたが、小牧山には間に合わず。次回ですなあ。
 NPCがわかない不具合は直ってないので、仕方なく生産とTDをまったりやってました。

 ネタがないので、某仙人とかぶる形で昔話を。前も書きましたが、初期の小牧山は斉藤は劣勢でした。ただ、人数が少ない割には参戦率は今より高かったように思えます。知人欄見ても、ほぼ100%でしたしね。そうこうするうちに、上杉が北条に友好封じを成功させます。そこで北条の人たちがあちこちに流れるわけですが、北条直史を頭とする一派が織田に仕官します。当時の北条はβからやってた人が多く、コツを知っているためにレベルや技能を上げるのが早かった人が多かったですね。確かに彼らは強かったですよ。が、「織田は俺たちが強くしてやる」とかなんとか、那古屋で叫んだりして織田内部でも反感を持つ人も相当多かったようです。
 そんな中、ガイドツアー事件が発生します。当時は戦闘終了後は無敵でして、こちらからは叩けません。で、斉藤に低レベル薬師をいれて、それを叩きつつ本陣に迫るという方法です。結局本陣までたどり着いたものの、何かに負けてましたが、相当頭にきましたねwGM呼ぶ騒ぎにまでなりましたし。GMの見解は、仕様を悪用したやり方で黒、って判断でしたな。げんつんもこの徒党にいたのかな?だとしたらこれがげんつんとの最初の出会いですねw

2005/8/12

自制心×浅井事件×その後  追憶

 自制心覚えました。こうなったら、なんとか不動の陣2までいきたいものです。

 ネタがないので昔話でも。浅井事件、今ではその当事者が二人ともいない事件です。当時は織田が滅亡状態にありまして、斉藤は侵攻先を探していたと思います。その時、主力でもあった時貞(この時は軍楽でなくファーストでした)が浅井の会議を傍聴しにいってました。そして事件が起こります。議長団の一人の鍛冶と揉め出すんですねえ。そっから大騒ぎです。会議開いて浅井侵攻にはなりましたが、献策で反対の意思表明したり出奔もけっこうありましたな。過程が過程でしたし、浅井侵攻じゃないと固定で出奔するとか言ったのもこの会議だったように記憶してます。この時は某仙人もその固定だったはず、、、wきっとそのうち彼のブログの昔話で語ってくれるでしょうー
 で、時貞が彼であるべく浅井の町でシャウトですよ。その現場にはいませんでしたが、公式でスレッドが立ったくらいですからねえ。斉藤はやくざ国家って言われたのはこの辺りでは?w
 しかし、結局は浅井の友好封じが決まって斉藤は侵攻取れませんでしたねえ。これが浅井を近くて遠い国にした「浅井事件」でした。

※本日の迷言
「阿修羅を倒しても、あっしを倒さないと先にはすすめんど〜〜〜」
 業雲堂の入り口に困った二刀が立ってましたとさ、、、w



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