2007/12/19
磯部の宮
17・5・13
昨日、下関の知人Mさんより、宇野正美氏の講演ビデオが二本送られて来た。今年の、3月23日と4月3日の講演分である。
その内容には、2012年9月26日に現在の文明が終わり、3ヵ月後の12月23日から新しい世界が始まるが、其の3ヶ月間に、人間がどうなるかは分からないと云っていた。
そして、救いは、日本に渡って来ているユダヤ民族の血筋が、表に現れる事だとも云っていた。
私し自身も、何故、この様な人生を歩かされるのか興味が有るので、今まで色々と調査して来た。
私の先祖は、鹿児島市の磯辺町で、現在の上福元町であり、電車の駅は谷山駅である。
私は、屋久島で産まれ育ったので、故郷は屋久島であり、私が礒邉の実家に初めて行ったのは、1歳8ヶ月の時で、祖父の葬儀の時だから、お爺さんの顔は絵でしか知らない。
磯部の姓は、鹿児島の錦江湾の磯辺町と、伊勢湾の磯部町に有る。
三重県志摩市磯部町上之郷には「磯部の宮」が有り、志摩国一の宮で、「伊雑宮・いざわのみや・いぞうのみや」と呼ばれ、「遥宮(とおのみや)」とも呼ばれている。
伊雑宮は、伊勢皇大神(内宮)別宮の一つとされ、祭神は「天照坐皇大御神御魂」が祭られている。
しかし、伊勢神宮を創建したのは倭姫命で、倭姫命に土地を提供したのは磯部の民だから、伊勢神宮よりも、磯部の宮の方が以前から存在した事になる。
倭姫命は、「垂仁天皇」の皇女で、景行天皇の時代に伊勢に住んでいた事に成っている。だから、伊勢神宮は未だ2000年経っていないのだ。
それよりも古い神社は、奈良の「石上神宮」である。
石上を、何故「イソノカミ」と呼ぶかと言うと、イソとは石・岩の有る所で、砂の有る所の「浜」と区別をして、石の有る所を磯とよぶのである。
伊勢の「イセ」は、石敷(イシヒキ・イシフセ)の意味だとの事らしい。
その証拠に、物部一族の墓地は石を敷詰めている。
現在の、八王子の多摩御陵の天皇家の墓(大正天皇夫妻、昭和天皇夫妻)も、全部石を敷詰めている。それは、物部族の風習を取り入れたものである。
島根県太田市の物部神社の裏山に在る、物部初代「宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)」の稜墓も石を敷いてあるし、明石海峡大橋の明石側の付け根近くにある、五色塚の古墳も物部一族の墓であろう。
何故、物部一族は「石」を神として祭り、死んだ者の墓に、石を敷詰めるのか、そして何故「物部」と名乗っているのか。
それは、物部の名は、天皇家の物・物質を全て管理していたからであろう。
物部一族は、天皇家(カド族・みかど)の儀式を取り仕切り、神器や武器、兵や食料まで、全ての物の管理を行っていたのである。
その物部の民が、一番大事とする物が石であるので、自分達の代々の霊を祀る神社の名を「石上・いそのかみ」としたのであろう。
石を大事とする部(民)族は、石工であり、石工はメイソン(Mason)である。メイソン・メイスンは「石大工」で、イエスもナザレの石大工の家で育っている。
石大工を、日本風に言えば「石部」であり、部族には「服部・はつとり」や「海部」、「語部」等の部があり、部とは、現在の〇〇屋と同じ意味なので、石部とは石屋の事である。
部とは、現在の〇〇屋と同じ意味なので、石部とは石屋の事である。
・・・具体的な職掌名を帯びる部のことで、それぞれ伴造に統率され、朝廷に所属する。海部(あまべ)・錦織部(にしごりべ)・土師部(はじべ)・須恵部(すえべ)・弓削部(ゆげべ)・麻績部(おみべ)・渡部(わたりべ)・犬養部(いぬかいべ)・馬飼部・鳥飼部などの例がある。
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
滋賀県には、「石部神社」も在るし、兵庫県には私の姓と同じ「礒邉神社」も存在する。
私が知っている一番北に在るのが、群馬県の「すずめのお宿」で有名な磯部温泉である。
礒邉・磯邊・磯部・磯辺・石部は、文字が違っても、元は同じ一族であろう。
何故、日本人はお墓に石を立て、その周囲に、白い砂や小石を撒くのだろうか。それは、少なくとも、昔の風習を伝えているものなのだろう。
旧約聖書では、アブラハムが一人息子のイサクを神に奉げ様として、岩山の石の上に寝かしたとある。
石を、神に繋がる物と考えていた文化は、確かに日本にも伝わって来ているのである。
石と、言葉を交わす事が出来る者、それが「メイソン」であれば、私も「自由な石工」で「フリーメイソン」となるのだが、真実の姿が、他人に伝わるかどうかは疑問である。
私が、石部一族の一員として、エルサレムの丘に行く事に成るのか、それも分からない。
日本では、花崗岩の山に、参拝するのは当たり前とされているが、果たして西洋ではどう受け取られるのであろうか。
「教会や 寺院には 神はいない。神は 岩山に居る。」と言っても、イエスや、モーゼや、マホメットの様に、其れを実行する者はいないだろう。
現在の、磯部の宮の神主や、伊勢神宮の神主が、岩山に参拝しているのかどうかも、私にはわからない。
これから、全国の石部族の血筋が目覚めて、何かを、始める事に成るのだろうか。其処の処までは、宇野正美氏も知らないのだろう。
平成17年5月13日
礒邉自適
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