悟りへの道
私が1984年6月4日に安房川岸で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて荒野をさ迷って修行した課程の記録
私が 1984年6月4日に 安房川の岸辺で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて 荒野をさ迷って修行した課程の記録
カレンダー
2008年
December
Sun
Mon
Tue
Wed
Thu
Fri
Sat
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近の記事
風邪の恩恵
ブッダの周期
神手の夢枕・かんだのゆめまくら
煩悩の世界
静かな革命が始まる
過去ログ
2011年2月 (1)
2009年12月 (1)
2009年10月 (3)
2009年7月 (3)
2009年6月 (2)
2009年5月 (1)
2008年12月 (1)
2008年9月 (4)
2008年6月 (1)
2008年4月 (2)
2007年11月 (4)
2007年10月 (1)
2005年5月 (1)
2002年2月 (1)
2000年5月 (1)
記事カテゴリ
ノンジャンル (0)
覚醒 (8)
精進 (3)
般若波羅蜜の智慧 (8)
帰命 (6)
完成 (3)
掲示板
リンク集
みいつ〜君の光〜
自適塾
いのちのアルバム
自適の今日
→
リンク集のページへ
最近のコメント
カウンター
本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数
検索
このブログを検索
ブログサービス
Powered by
2008/12/25
「唯一の真理の道」
般若波羅蜜の智慧
唯一の真理の道
20・12・25
本日12月25日は、イエス-キリストの誕生日として、世界中でお祝いが行なわれている。
本日のメッセージの映像は、「唯一の真理の道」に付いて示されて来たと、謂える様なモノであった。
今朝の映像は、初めに、スラリと高く伸びた木々が生えている、森を背景に、植物の黄色の実が澤山実って、ぶら下がっている様子が映り出されて来た。
次ぎの場面は、台所の風景で、女性が買出しをして来て、料理を作り始める場面だった。
そして、次ぎの映像は、地面に人間の糞が排泄されており、其の糞に蛆虫が涌いて、糞を分解していた。
今朝のメッセージの映像は、地球環境の中での、生命の関係性と循環を、示唆して来ている様である。
死海の辺の洞窟で、発見された巻物・聖書の、イエスキリストの言葉に「貴方達は 何処から来たかと訊ねられたら 光の元から来たと答えなさい。」「神は 何かと 訊ねられたら 此の大自然 其の物と答えなさい。」と、記されているとの事である。
今朝は、其のイエスキリストの言葉が、映像で示されて来た感がある。
地球上の生命は、水の循環と、太陽の光の働きに拠って、森林が形成され、草木には花や実が着いて、蝶や小鳥の生活を支え、落ち葉は微生物に分解され、其の腐葉土から、フルボ酸鉄が生産されているのである。
其のフルボ酸鉄が、水田等の作物を実らせ、海に流れ出してプランクトンを発生させて、貝や魚を養っているのである。
其の中間位置と言うか、食物連鎖の上に、我々人類は生を得ているのである。
今朝の映像は、地球生命の全体的な繋がりと、人間の在り様と言うか、関わり方を、示唆して来ている様なので、其の理・ことに付いて、何等かの結論を見出さなければ成らないのだろう。
其れは、釈迦仏陀の謂う「ダルマ・法」と、老子の謂う「タオ・道」の言葉の概念を、新しい言葉で、定義付けしなければ成らないとの事ではないだろうか。
「正しい」の漢字の「正・セイ・ショウ」は、木造建築の柱の組み込みの象形で、柱を正しく組む事を意味している。
だから「正」の漢字は、人間の作業の意味であり、真理や、ダルマや、タオとはあまり関係が無いだろう。
其の様に考えると、日本語の「ただしい」の言葉を、正しく理解しなければ成らない。
「ただしい」は、「ただ」に「さ・し・す・せ・そ」のサ行が助詞として付いて、言葉の意味を創り出している。其れは、「たださなければ」「ただしい」「ただす」「ただせ」「ただそう」である。
其の日本語に、どの漢字を当てれば、本来の大和言葉に当て嵌まるのだろうか。「ただ」は「ただ一つ」「ただひたすら」「ただまっすぐ」などの言葉が有るので、「唯一・ゆいいつ」の意味を含んでいる様である。
其れを考えると、「正しい・正す」も唯一の意味に通じており、「唯一の形態・唯一の方法・唯一のもの・・・」に、近付けるとの意味合いが有るのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージの映像の意味は、「唯一の自然法則」を示して来ているのではないだろうか。
良く考えて見れば、自然環境中の生物の関係性を見れば、人間だけが「言葉」や「文字」や「文化・文明」を有していて、自然法則から離れ、勝手な行動を続けて、地球環境のバランスを破壊している事に成る。
今朝のメッセージは、是から、未来社会を構築して行く上での、基本的な考え方を、指示して来ているのではないだろうか。
今朝の映像を、別な角度から見ると、ただ真直ぐに伸び上がっている木は、神霊の宿る「神籬・ひもろぎ」の事を意味し、繋がっていた木の実は「櫛玉・玉串・御霊」を意味し、人間の霊魂と、森の存在の関係性を、示していた様にも思われる。
そして、台所の場面は、日本の伝統である「御饌殿・みけどの」を意味し、「食国の政(おすくにのまつりごと)」の事を、示しているのかも知れない。
そして、人間の飲食と排泄の背後には、微生物の活動の存在が有るので、其の微生物の活動を、倫理の中に、明確に反映しろとの事ではないだろうか。
日本には、「虫の知らせ」と言って、予知能力現象を「虫」の所為にしている言葉が有るが、其れが、科学的に捉えられて、明確に説明されている分けではない。
其れどころか、昆虫や微生物等は、目の仇にされる程嫌われて、薬剤や殺菌剤で抹殺されているのである。
考えて見れば、人間の体内から、森の存在まで、全てが、微生物の存在に拠って、支えられているのである。
味噌や、醤油や、酒や、パンやチーズや漬物等、食品の加工にも、実に様々な微生物の働きが利用されているのである。
其れ等の、微生物の活動や、植物の受粉などの役割を果たしている、昆虫や小鳥の存在等は、是までの宗教には、取り上げられてはいない。
今朝のメッセージは、其の様な事柄を含め、新しい価値観を、創出しろとの事ではないだろうか。
現在の世の中で、価値が有るとされている物は、医者や、弁護士や、政治家等の人間と、お金や、宝石や、ファッション等の世界である。
其れ等の、自然から離れた物の存在が、我々の精神を乱しているのである。
乱していると謂うか、其の世界が一番大事とされ、本来の正しさが失われてしまい、今や「ダルマ・法」や「タオ・道」の世界が、理解不可能と成ってしまっているのだ。
今朝のメッセージの映像世界は、其の様な事からは、遠く離れたモノであった。
イエスキリストの言葉には、「財産を持っている者が 神の国(永遠の魂しいの世界)に入るのは ラクダが針の穴を潜るよりも難しい。」と有る。
其れは、財産に執着している者は、絶対に、神の世界には入れないと言う理・ことである。
其れを謂った、イエスキリストの誕生日に、どれだけの人が、其のイエスの言葉の意味を、噛み締めているのであろうか。
昨夜のテレビニュースでは、殆どの業界が、マイナス経済に成っているのに、ケーキ屋さんは、売り上げが落ちていないとの事である。
其れは、マイホームで、家族団らんの「クリスマス-イブ」が、行われている証明であろう。「過ぎたるは 及ばざるが如し」の諺の様に、行き過ぎた物の追求が、漸く元に戻りつつあるのだ。
大事な国の税金は、滅び行く都会に注ぎ込むのではなく、荒廃して行く農村に、人々を返し、自給体制を整える為に、残り少なく成ってはいるが、税金・資金を、村興しに注ぎ込むべき時を迎えているのである。
都会で、進むべき道を失っている人々が、安心できるのは、自然の懐に還って、自然と共に過ごす事である。
其処に還らない限り、今朝の神のメッセージは、理解されないのではないだろうか。
神の、人類に対する愛は、未だ失われてはいないのである。
神の愛は、人間の財宝とは異なり、無限である。其の、神の愛に縋らなくて、何処に永遠のしあわせが有るだろうか。
私は、昨日、ようやく長い家離・たびを終えて、其の神の愛の世界に、還り着いたのである。そして、其の答えが、今朝のビジョンなのであろう。
来年は、1月6日から、本格的な活動が始まる。
今日は、今から、其の資料作りに掛からなければ成らない。
何が無くとも、神の計画は、瞬時の休みなく、働いているのである。
其れが、大地の母と、天の父の間で営まれている、「永遠のいのち」の世界なのである。
平成20年12月25日10時55分
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
1
| 《前のページ | 次のページ》
/1
記事
画像
新着順
投稿順
teacup.ブログ “AutoPage”