私が1984年6月4日に安房川岸で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて荒野をさ迷って修行した課程の記録
私が 1984年6月4日に 安房川の岸辺で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて 荒野をさ迷って修行した課程の記録
2008/9/8
先達(せんだつ)
20・9・8
本日9月8日は、大本教の出口王仁三郎が「9月8日には12の秘密が有る」と、謂っている日付であり、明日9月9日は九の陽数が重なる「重陽の節句」である。
今朝のビジョンは、簡単に云えば、私が先達として、歩き出さなければ成らない様子が伝えられて来た。
其のビジョンとは、「111=91(13×7)」の数字と、初代から始まった系図の一番下に、私の名が書き込まれており、私が一番下の弟子であるが、私が時間の最先端である事が示された。
そして、私自身が車を運転して、新しい道路を造る現場に行く場面が現れた。
私は、車を運転しながら、唇に白い紙を二枚咥えて居た。
しかし、現場に着いて、其の紙を見ると、其の二枚の紙は、設計図などではなく、未だ何も書き込まれていない白紙の物であった。
どうやら、今朝のビジョンは、昨日のメッセージで「大修者」「動いてみるか」と、告げられて来た事の、続きの様である。
私は「動く」とは返答していないのに、神霊界では、既に、次の段取りに入っている様である。
先ず、数字の「111」は、物事の始まりと、終わりを意味しているのだろう。
「一」は始まりであるが、物ごとが始まる時には、既に、物は「三」に分かれており、三方向に分かれる事自体が、始まると言う事であろう。
そして、物事が終焉を向かえる時も、「三」に返ると言う理・ことである。
今朝の映像には、丸い透明なガラスの様な容器が、六段重ねられているのが映し出され、其れが上の分から、順番に右の方に下ろされて、「三・二・一」の状態に並べられた。
其れは、人間の意識の組み立ての基本を、説明して来ているのではないだろうか。
六段の容器は、「三・二・一」の反対の「一・二・三」にも並べられるが「二・二・二」にも並べられる。
其れは、中国の易の原点をも示唆しているのかもしれない。
其れが、明日の「九」と言う、一番の陽数であれば「三・三・三」の数字になり、易の式 其の侭である。
それに、其の「三」自体が、「一」は小さく「一・一・一」に、分けられるので、「三」自体が「九」の数を含んでいるのである。
中国の、老子の道徳経の一節には「始めに 一が有り 一から二が生まれ 二から三が生まれ 三から全てが生まれた」と在り、其れが「道教」の始まりと成り、現在の易の世界が在るのである。
大本教の流れを組む、岡本天明氏の日月神示には「老子だけを内に祭り 他の神は全部外に祭れ」とある。
其の神示からすると、今日から、其の「神一厘の仕組み」が始まるとの事であり、出口王仁三郎の遺言である9月8日の秘密が、開いたと言う事なのかもしれない。
出口王仁三郎が、生前に鹿児島の知り合いである鹿児島出身の政治家・床次竹二郎の弟、「真廣」に渡した手紙・遺書に「現在・いまの宗教は 全て偽物だ 本物が現れたら 大本も終わりだ。其の本物は鹿児島から 下駄を履いて チャラチャラ遣って来る」と云っていたとの事である。
其の出口王仁三郎は、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」でマクロビオティックの創出者である「桜沢如一」に次いで、二番目に現れ、私に下駄を履かせて、毎日歩く訓練をさせたのである。
そして、三番目に現れたのは「宮本武蔵」であった。
そして、私が、1985年7月4日に、京都府亀岡市の湯の花温泉に在る、杉岡判太夫政房氏の経営する「憩いの家」の温泉に入りに行くと、私の様子を見た宿の主人である「杉岡判太夫政房氏」が驚いて、私に「今日 此処に泊まってくれないか」と云った。
私は、其れを断る理由も無いので、泊めて貰う事にした。
そして夜、食事が済んだ後「此の本を読んでくれ」と云って、渡してくれた本が東京で「さすら」を主催していた「金井南龍氏」の本であり、其の中に、先ほどの手紙の内容が書かれていたのである。
次の日、杉岡氏に勧められて大本教の本部に行くと、係りの人が出て来て会館に通された。そして、広間に座ると、右隣りに出口王仁三郎の霊が出て来て座り、前方から「出口ナオさん」が、紐に玉を通した櫛玉を、三方の上に澤山乗せて持って現れ、其れを王仁三郎に手渡したのである。
「鴻基始・こうきし」http://star.ap.teacup.com/2007313/32.html
「儀式開始」http://green.ap.teacup.com/20060818/749.html
話を、数字の世界に戻すと、何故か、「111」を割る式が、「13×7」だったのである。だが「13×7」は、「91」である。
其の意味する処は、何であろうか。
其れは、111に返るか、辿り着くまでが、「13回×7年=91年」か「13ヶ月×7=91ヶ月」の月日が掛かるとの事であろうか。
其れとも、もっと大きな、サイクルの数字なのであろうか。
其れとも、91年は私の寿命であり、91ヶ月は、私の是から取り組む「仕え事・しごと」の期間なのであろうか。
若し、其れが仕事の期間であれば、61歳+7年と7ヶ月と成って、69歳の4月8日と成るので、4月8日は釈迦の誕生日であり、69は「タオ・道」のマークである。
そうすると、私の「111」の完成は、69歳の4月8日となる。
そして「91歳−69歳=22歳」で、私の隠居生活は、22年間あると言う事に成る。
今朝は、其の件に関してか、初代から現在まで続く、代々の系図が現れた。
その系図は、左上が一代で、下方に順番に横書きで2・3・4と、代々の名前が書かれており、其の列は横に四段有って、私の意識の存在は一番右側の下の最後の所にあった。
私は、昭和62年2月26日に、京都の亀岡市に在る「田中真海老師」の大雲山西光禅寺で在家得度式を行い、「真悠護法居士」の戒名を受けている。
其の事に関係するのであれば、私は「釈迦牟尼佛」の弟子として、81代目の弟子である事に成る。
其れか、霊界の天皇霊に関係があるのなら、平成元年1月7日の夜中、私の心臓に飛び込んで来た「昭和天皇」の124代が関係ある事に成る。
其れは、神武天皇が初代であるから、それより前の「天照大神 →「忍穂耳尊・おしほみみのみこと」→「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」→山幸彦 →「鵜草葺不合命・うがやふきあえずのみこ」の五代を足して、129代にしなければならない。
更に、其の上には、天神七代・【陰陽×七代=14。「伊邪那美命・いざなみのみこと」から「国常立命」】プラス 造化三神(高御産巣日神から天御中主)計17神が、存在する。
今朝、其の代々の系図が現れた意味は、「時間・トキ」の概念を意味しているのであろう。
系図では、「釈迦牟尼佛」や「天照大神」が一代・初代であり、彼等が名簿では一番上に位置しているが、其れは、過ぎ去った過去の世界の人であるので、彼等が生きていた世界は、既に消えてしまって無いのである。
在るのは、我々が生きている、今日の「いま・現在」だけである。
其れを考えると、今の瞬間・トキを生きる我々が、最先端に位置するので、一番と言う事に成るのである。
だからこそ、私に「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて、過去世を生きた4311体もの霊魂が、憑依して来たのである。
其の、過去世を生きた霊魂は、私の身体に憑依して、行動を共にして来たので、全ての事を理解して、昔の意識ではなく成っているのである。
そして、人類の未来社会を構築して、自分達も、新しい此の三次元世界に、生まれ変わりたいのである。
其の為には、自分達が生きて行く為に、未来社会を良い物にしなければ成らないのである。
しかし、彼等は、私と違って、此の世には肉体を持たないので、自らは手も足も出せないのである。
其れに、私以外には、彼等の意志を受け継ぐ者が居無いのである。
だからこそ、私に、ぼつぼつ動き出す事を、要求して来ているのではないだろうか。
其れは、未だ、道無き所に、新しき道を造る事である。
其れも、設計図も無く、道の行く手も決っていない世界である。
そして、其の道は、此の三次元の物の世界と、精神世界の両方の道である。
今朝は、其の他にも、動物のビーバーが現れ、数匹の子供を一人前に成るまで連れて歩き、育てて居る場面が映し出されて来た。
其の映像の意味は、全ての生き物は、命懸けで子供を一人前に成る迄、育て上げなければ成らない理・ことを示しているのだろう。
そして更に、沼から最初に陸に上がる、毛の薄いオットセイみたいな動物が一頭現れて、此方を見ていた。
その映像の意味は、人間の先祖が、葦の生える沼から誕生した理・ことを意味しており、釈迦牟尼佛や、神武天皇等から始まる系図は、ほんの短い間のモノであり、生命の存在は、永遠の時を重ねて来ており、その繋がりは、ビーバーの親の様に、一生懸命子育てを続けて来たからこそ、現在・いまが在るとの事ではないだろうか。
今朝のメッセージは、生物的な私の「血・DNA・遺伝子」の代々の繋がりと、釈迦牟尼佛からの精神的な価値観の繋がりと、神武天皇からの国体である政(まつりごと)の繋がりの、三系統の認識を、私に迫って来たのかもしれない。
其の様に考えると、最初に出て来た「111」の数字は、その三本の系図を、源に還って考えろとの事ではないだろうか。
先ず、其処のところを明白にしないと、DNAの繋がりである、姓名以外の二つの道の設計が、出来ないと言う事なのかもしれない。
しかし、其の三つの系統の流れを、理論的に組み上げれば、未来創造の基本的な枠組みは、自から見えて来るのではないだろうか。
其の様に考えれば、今朝のメッセージは、是から、私が取り組むべき道標を示して来ていると考えられる。
其れは、やはり、神霊界が存在し、私にヒントを与え続けていると言う事である。其れが、日本の伝統である「惟神の道」と言う事ではないだろうか。
そして、其の道の最先端に「先達・せんだつ(先に達した者)」として立っているのが、此の私と言う事なのであろう。
其れは、以前の私ではなく、老子の謂う、天が「嗇・しょく」として育て上げた「大修者」と言う事なのではないだろうか。
平成20年9月8日1時38分
礒邉自適
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