私が1984年6月4日に安房川岸で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて荒野をさ迷って修行した課程の記録
私が 1984年6月4日に 安房川の岸辺で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて 荒野をさ迷って修行した課程の記録
2007/11/28
クリア
19・11・28
今朝のメッセージの映像は、大地から「生命・いのち」の炎が燃え上がり、村祭りが行なわれる広場の会場で、吹き鳴らす法螺貝の音が聞こえて来た。
そして「木・火・土・水・金・・・」と、曜日に使用する漢字が現れ、最後に女神の声で「クリア」との言葉が告げられて来た。
今朝「クリア」を広辞苑で調べると、@明らかなさま。明晰。澄んでいること。冴えていること。「クリアな頭の持ち主」A高跳びで、バーを越えること。「2mをクリアした」と 載っている。
今朝のメッセージの意味は、私が、上記のどちらかをクリアして、是から、次の世界が始まる事を、意味しているのではないだろうか。
今朝の映像は、私の意識が、誰かを伴って山奥に在るお寺を訪ねた。
其の建物の周囲には、鬱蒼と木が茂っており、庭に続く池には、虹鱒(にじます)の様な透明な魚が20〜30匹泳いでいて、他に、黒い身体のうなぎも三匹泳いでいた。
其の池は、水がとても澄んでいて、汚染が無い様なので、私は、其の魚やうなぎを食べて見たら、身体にどんな反応が起きるだろうかと意い、付き添いの人に「お金を持っているか」と尋ねると、「ハイ 100万円預かっています。」と云うので、安心して建物の方に向った。
其の建物には、竹で尺八を作っている若い修行僧が一人留守番をしていて、「師匠は 今は村の人達に頼まれて 村祭りの行事の儀式に出掛けている。」と云う。
其の内に、麓の山の高台から、法螺貝の様な音が風に乗って流れて来た。
其れからしばらくして、三人の弟子を伴った、痩せ型の50歳ぐらいの行者が寺に帰って来た。
そして、庭の近くの広場に、少しの木を積んで、其れに念力で火を点けた。
すると、大地から上に向けて、オレンジ色の炎が真っ直ぐに、柱の様に立ち上がったのである。
そして、火が点いている薪は、周りに飛び散って未だ燃えていた。
其れは、燃やした材料の、何倍ものエネルギーが、発生した事を意味していた。
其の火が消えた処で、其の行者は弟子を使って、私達に修行の一端を見せてくれた。
其れは、受身の形で、横に転がって行く稽古と、縦に回転して行く稽古である。其れは、初心者に対するもので、本当は厳しい修行があるらしく、上級者の弟子は、其の修行で怪我をしているので、技を見せる事は出来ないと云った。
そして、其の場面が消えて後に、「木・火・土・水・金・・・」の漢字が出て来たのである。
其の漢字の意味は、仏教の五輪塔が意味する「地・水・火・風・空」の理みたいなもので、人間にとって大事な順番を示して来ているのではないだろうか。
「木」は環境を意味し、「火」は科学を意味し、「土」は食料を意味し、「水」は生命を意味し、「金」は経済を意味していると、考えても良いのかもしれない。
しかし、私の考えが当っているとは限らない。
何故なら、池の魚や、うなぎを見て、直ぐに食べさして貰えるだろうかと考え、お金が有るかどうかを確かめる程の、食いしん坊の魂しいが出した答えだからである。
しかし「クリア」との言葉が聞こえ、お金をとりあえず100万円も預かっているお供が、付けられて居たのである。
其れは、私に「弁財天・サラスヴァテイ」が、お金を使っても良い時節が来たと示している様にも想えるし、今朝の映像に登場した行者は、山岳密教の行者だったので、山岳密教の元祖である「役の行者」の霊魂だったのかも知れない。
愈々、「弁財天」と「役の行者」が手を組んで、私を使おうとしているのだろうか。
そうであれば、私も24年振りに、自分の好きな事を遣りに、世間に出て行かなければ成らないとの事だろうか。
是までの24年間は、過去の世に生きて、何かを遣り残した人達4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」に、付き合って来たのである。
其れは、自分の遣りたい事を遣るのではなく、神魂の鎮魂に付き合う為だったのである。其れが済んで、ようやく未来に向かって、本格的に仕事が始まるとの事なのではないだろうか。
其の様に考えれば、是からは、私の意識が、神霊や精霊を引っ張って行かなければ成らない事に成る。
其れが当っているなら、霊魂に水汲みまでさせていたと言い伝えられている「役の行者」は、頼もしいスケットであると考えられるし、一切の財を管理する「サラスヴァテイ・弁財天」が、使用人にお金を預けて、私のお伴として付けたのであれば、是から事が上手く運ぶのではないだろうか。
しかし私の意識には、食欲の「猪八戒」が住んでいる様だから、まだまだご用心である。
エッ 若しかして「弁財天」はうなぎの蒲焼が好きなのかな・・・
今朝は、他にも「396」の数字が映り、其の数字が解けて行って、最後に「8と8」の数字が、左右に残った。
その数字が、何を意味するのかは分からない。9と9であれば、396÷4=99で答えが出るのだが、8では割り切れない数字である。
今日は夕方の便で、前田社長が「おおぞら高等学校」の整備工事の進捗状況を視察にくる。
3日間は、其の事に時間を取られるので、メッセージは来ないだろう。
私は、久し振りに、世間の風に吹かれる事に成る。
平成19年11月28日
礒邉自適
2007/11/15
重力が執着心の元
19・11・15
今日の課題
1、重力が執着心の元。
物質が存在する事で、生み出される重力が、人間の執着心を生み出している。だから、其の影響から脱出する為には、肉体から意識を離し、重力圏外へ出る必要がある。
だから、肉体を酷使する修行は、肉体に意識が囚われるので、悟りには向かない。
悟る為には、瞑想をして、波動を短波(イライラ波)から長波(リラックス波)に切り替えて、肉体から意識を切り離し、電離層から抜けて、無重力圏内へと出なければならないのだ。
其れが、宇宙飛行士が、突然神意識に達する原因でもある。
人間は、死んで霊魂と成っても、物質現象である自分の家族や、財産や、墓石や位牌などに囚われているので、執着心が外れないのである。
其れが「地獄」の概念を生み出した元なのだ。
何故、「地獄」との概念が生まれたかと言うと、其れは、此の我々の住む地球自体が、重力の塊・かたまりであり一番「重力」が強いからである。
だから、死んだら地獄に落ち込む事が、イメージされるのである。
其の重力に逆らう為に、反対の「天国」の概念を創り出して、天空に逃れ、自由を得たいと考える様に成ったのである。
今日の課題
2、真理の世界への扉は、真実(宇宙は無の空間)の世界と同じ、闇の色だから、何処に存在するのか判らない。
其のドアに着けられている把手は、ドアに合わせて闇の色が塗られているので、手探りで探して、手に触れるまでは、何処に有るのか、判らない様にしてあるのである。
其の、真実の世界への扉の把手の役割は、真っ直ぐ伸びて純白で在っても、竹の様に中味が空洞であれば、使用できないとの事である。
今日の課題
3、全体的に、事を動かしている物は、人間の目には見えない。
小さく、事を動かしているアメリカ大統領や、ダライラマ、池田大作、ローマ法王などは、人間の視野に納まるので、動いているのが見えるのである。
其れが、一番大事な大真理である。
今日の課題
4、現在・いまの政治家には光が無い。
其れは、票を貰う為に乞食根性が必要だからである。
今日の課題
5、此の「現象世界・相対世界」の三次元世界は、物質全てが適材適所に組み込まれているので、どんな物でも無駄無く構成されているのである。
其れが、神・はたらきの「真理・タオ・ダルマ」なのである
だから、人間である私達が、どうのこうのと、言える物でもないのだ。
平成19年11月15日
礒邉自適
2007/11/9
地上をたちもとおる御魂
19・11・9
羽の生えた 小さな天使達が 真っ白い姿で 100体ほど集まり 地上を舞っている姿を 天上から眺め
白い衣装に身を包んだ 聖者達が 御岳に集うのに参加し
山の上に在る村の 始発のバス停から 制服を来た女学生や 織工さんが朝出発するのを 畑で 薬草を手にして眺め
たまには 街に下りて行き 明るい店内に 美しい履物が並んでいるのを眺めて通り過ぎ
帰り道では 黄色く完熟したバナナが 木に着いている姿や 赤く咲き誇る美しい花を眺め 伸びやかに蔓を伸ばして行く植物の側を通り 人間の乗った車が スピードを出して通るのを 遣り過ごしてから道路を渡り 山に還って来る
其の私は 足が無いので 履物は入らないし
肉体を持たないので 美味しそうなバナナを捥ぎ取る必要もなく
花瓶が無いので 花を手折る必要も無い
全てが調和して 永遠の時間を醸し出しているのを 時々 観て廻るだけ
する事が無いので ただ 山の彼方此方に 人間にとって必要な 薬草の種を撒いて育てている
其れが 私の正体である。
他の人達は 肉体を継続する為に「陰陽」の世界に 性活動に出かけている
私は 其の役割を終えてから どれだけの月日が過ぎ去ったのであろうか
其れも 私の住処には 時計や カレンダーが無いので 判らない
ただ 私に理解出来ている事は 私の此の霊魂を育てたのは 地上の力であると 言うことだけである。
平成19年11月9日
礒邉自適
「昨日の神社の様子」http://moon.ap.teacup.com/20070607/51.html
私の解釈
昨日夕方から、安房の「粟穂神社」の秋期大祭に参加して、神様に御供えを運んだからかも知れないが、今朝は、自分の意識が人間界から外れて、神界側に存在していて、山から地上に「たちもとおる(立ち徘徊る)」映像を見せられた。
其れで、一番強く感じたのは、人間は「生殖」の為に、地上に降ろされていると言う理・ことである。
其れは、人間だけではなく、地上に生育するあらゆる生物は、其の為に、天界から地上にプログラムとして、映されていると言う事である。
其れが「タオ・道」として、陰陽の「マーク・☯」の「蜥蜴・蛇」として表わされているのである。其れが、本当の密教の教えなのである。
其れが、本能(本当の能力)だからこそ、人間の意識を占有するので、イエスは「女の事を 想ってはならない。」と謂ったのであろう。
しかし、其のイエスの言葉の為に、イエスの訓えを信じる人達は、女性は卑しい者とされ、男性も自分の性に苦しんでいるのである。
其の点では、インド国のヒンドゥー教の訓えのタントラは、男女のセックスを一番崇高な悟りの舞台として捉えている。
タントラ教(タントラきょう、Tantrism、タントリズム)とは、バラモン教(ヒンドゥー教)・仏教(密教)を問わず、タントラと呼ばれる経典を奉じる、インドの神秘主義的教団の、欧米における総称。
「タントラ教」
ウィキペディア辞典 現在記載
其れは、ギリシア文化の「ヘルメースの杖」の雌雄の蛇や、日本の天皇家の儀式である大嘗祭の「あめの御伏す間・伽」の儀式にも、影響を与えている。
与えていると言うか、其の文化の源流・みなもとが、其処にあるのではないだろうか。
・・・ケーリュケイオン(古希: κηρύκειον, kērukeion)は、ギリシア神話における神々の伝令であるヘルメースの持物である。柄に2匹の蛇が巻きついている杖であり、その頭にはしばしばヘルメースの翼が飾られる。長母音を省略してケリュケイオンとも表記される。カードゥーケウス(ラテン語: caduceus, cādūceus、長母音を省略してカドゥケウス、伝令使の杖の意)ともいう。以下、カドゥケウスと表記する。
ウィキペディア辞典 現在記載
今朝のビジョンは、密教の経典に著されている「生命の神髄」を、短編映画で見せられた様なものであろう。
其れは、中国の老子も、ビジョンで観ていた世界なのかも知れない。
今朝の映像を、一々詳しく 言葉に変換して解釈を加えると、私の概念が作用して、有り難味が消えてしまうと想うので、解釈を加える事は止めて措く事にする。
皆 其々が、此の「色・シキ」の世界を、自分の眼でしっかり見詰めて、自分自身の認識を、深めて行くしかないのであろう。
其の為に「密教」との単語の概念が有るのだと考えられる。
此の世界は、空海ではないが、あまりくどくど謂っては成らない世界なのだ。
平成19年11月9日
礒邉自適
2007/11/8
三段階の神とは
19・11・8
人間の丑三つ時の意識は、宇宙の三層の靄・もやの中に包まれて休んでいる。
そして、明け六つに成るまでに、自分の情報を整理して、今日の、自分の意識の位置を決めて措かなければ成らない。
其の、朝の目覚めの位置設定が、昨日より、安定して上に上がっているか、不安定に成って下がってしまっているのかが、人間としての、自分自身の戦いなのである。
其れは、コピー機に入れて有る、名刺大からA3までの用紙の、どれが、自分の魂の記憶の為に必要なのか、確認する儀式でもある。
其れが、「修行」と言う言葉の意味である。
平成19年11月8日
礒邉自適
私の解釈
私達の意識は、三層の靄・もやの様な、思考(情報)の綿毛に包まれて存在している。
其の三層とは、九次元世界で「宇宙意識」其のモノと一体と成っている。其の三層が、更に三種に働くので、九次元として認識されるのだ。
其れが、三+三=六の侭だと、神の働きには至れない。
其の六に、神の世界である三(陰の慈悲)をプラスすれば、ようやく九の悟りの世界に入れるのである。
其の九次元の世界に入れば、自分が、宇宙の中心軸に成るので、自分は「主」であり「全体」である。
其れが、釈迦牟尼佛の謂う三千世界の意味である。
だから、釈迦牟尼佛の訓えには「宗像神」も「住吉神」も「御岳神」も出て来ないのである。
其れは、神の働きが消えたのではなく、自分の意識が、宇宙の全体意識にまで拡大したので、全てが、自分の意識内に取り込まれてしまった為である。
だから九次元に至れば、全ての森羅万象が、自分の意識内で流転を始めるのである。
人間から、其れ等の働きが外れない様に、考え出されたのが、三々九度の盃や、一本締めや三本締めの手打ちの儀式なのである。
そして、其の神の「数字・働き」である三を、上下左右に拡げ、人間の生活がスムーズに行く様に考えられたのが、下記の三神の組み合わせなのである。
【住吉三神・すみよしさんじん】
1、表筒男命(うわつつのおのみこと) 2、中筒男命(なかつつのおのみこと) 3、底筒男命(そこつつのおのみこと)、の海中の三男神
【宗像三女神】1、田島の辺津(へつ)宮 - 多岐都比売命(たぎつひめ) 2、大島の中津宮 - 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ) 3、沖ノ島の沖津宮 -多紀理毘売命 (たぎりびめ) 別名 奥津島比売命(おきつしまひめ) 、の三島の三女神。
【御嶽山の神】 拝殿 1、前岳[へつのみや] 2、中岳宮[なかつのみや] 3、奥岳宮[おくつのみや]の山の神。
「其れ等は、皆人間の脳が生み出した物。人間の脳に、三段階の神が住んでいる」
それは、1、古代皮質 2、中脳 3、大脳の三層の脳が生み出す、三次元の働きであり、其れが意識の外に現れた「モノ・世界」である。
人間は、自分の意識が、其の三つの何処に位置しているのかを、考えなければならない。
1古代皮質は、蜥蜴や蛇と同じ脳で、臭覚が土台と成っており、自律神経を司り、心臓や肺を動かし、ホルモン分泌を統制している。
2中脳は、馬や狐やカンガール等と同じ脳で、視覚感覚や聴覚が発達し感情が加わって発達したものである。
3大脳は、音信号が発達し、言葉が組み込まれ、其れに拠って、絵や文字などが加わり、前頭葉が発達して、人間独自の脳が出来上がって来たものである。
だから、神の存在を認識し、其れを外側に表現して、意識を組み上げて来たのは、三段階目の人間の脳なのである。
其の大脳が集めた情報を、寝ている間に整理するのが中脳であろう。
だから、起きている間に、大脳の情報を整理しようとするのが、禊ぎ祓いの儀式なのであり、其れを行なう場所が、生命が36億年前に誕生した粘土(ミネラル)の海である「小戸・瀬戸」なのである。
其処に、36億年の命の時間を携えた、「瀬織津姫・せおりつひめ」が存在しているのである。
昨日は、一年振りぐらいに、札幌から屋久島に来て住んでいる女性が遊びに来た。
そして、「数日前に 蛇の子供が三匹夢に出て来た。」と云うので、其の日付を確かめると、私に、若い雌ライオンが三頭出て来て、未来創造のHPの守護をして居る場面が現れた11月2日と、同じ日である事が判った。
其の事からも、全体的に三神の働きが動いている事が、理解出来る。
平成19年11月8日
礒邉自適
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