このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2006/10/17
パズルが開いて来た
18・10・17
15日から、今日17日までは、伊勢神宮の神嘗祭である。
其の事に、関係が有るのかどうかは判らないが、今朝の映像ではパズルの中身が開いて見えた。
やはり、「少彦名命・すくなひこな」は「高御産日神・たかみむすびのかみ」の子だとされているのは、真実の様である。
「高御産巣日神」は、「天御中主・あめのみなかぬし」の右下の位に位置している神であり、16神名の中で一番高位に在る神である。
少彦名命は、其の子・縁とされている神だから、パズルの一番上に出てくるのは、当たり前でもある。
昨日、「少彦名神社」の崇敬会の代表である「叶 豊氏」の事務所のパソコンで、少彦名に関するブログ二つと、提示版一つを創った。
それで、霊界に有るシステムが完成したのかも知れない。
今朝のメッセージに現れた映像は、パソコン画面に、縦に横文字の文章が箇条書きに連なっていて、其れには英語の訳が付いていた。
其の箇条書きの文章は、様々な場面の映像にアクセスが掛かるもので、多くの情報を抱え込んでいるものである。
其の情報とは、人間の暮らしの習慣や文化に関するもので、人間に必要なものだけが選ばれ、凝縮されているものである。
其の意味は、是からの世の中は、人間の暮らしにとって、必要な情報だけが伝えられ、不必要な情報は整理されて、無く成るとの意味の様である。
そう成れば、現在の教育体制は様変わりし、受験競争も無くなり、子供達にも笑顔が返って来るのである。
現代社会の間違いは、子供の時から、誰かの概念を押し付けられ、自分のアイデンティティを育て上げる事が出来ないので、オリジナルに欠けた人間だけに成り、世の中の流れが、一方方向に陥りがちである。
其の弊害が現れ、現代社会に混迷を齎しているのである。
大多数の人間が、同じ方向に向って進んで行って、行き詰れば、社会風潮は暗いものと成って来るのである。
日本の神社で、唱える祝詞には「幸はえませ・・・」と有るが、其れは「さきはえませ」と読み、「咲き映える」ことを意味している。
社会が混迷を極めれば、大人達ばかりか、子供達の顔からも明るさが消えてしまうのである。
其れを、解決するには、人間が幸福に暮らせる情報だけを選択し、不必要なものを消去しなければならない。其れは、人間社会全体の禊ぎ祓いを意味している。
今朝のメッセージは、人類全体の、意識改革が必要である事を示して来ている。其れは、新しい世界が始まる事でもある。
ようやく、奈良の「矢追日聖氏」に、終戦の日に告げられた「日本から 世界に向けて 新しい価値観が拡がる」との神のメッセージが、現実のモノ・現象として世界に拡がる時節を向かえた様である。
其れは、ようやく「少彦名神」が登場するとの事かも知れない。
高御産巣日神の子が動くと言う事は、もう、上は高御産巣日神と、其の上の「天御中主」の存在しかない。
ようやく「王手」が、目の前に見えて来た。
私の意識も、最終局番を迎えているのではないだろうか。
「亟・キョク」の漢字は、「天に求められ 速やかに 答えを出す」との意味である。私への、天の求めも22年掛かって、ようやく果たされるのではないだろうか。
是までの22年間では、実に多くの、全国各地の方々に大変お世話に成った。最後の答えは、私だけのものではなく、其れ等の方々の物でもある。
是で、籠目・カゴメの、後ろの正面の存在が明らかになれば、私の役割も終わり、私は檻・おりから出て、自由な身に成れるのである。
今回の、21日間の旅は無事に終わり、今日 屋久島に帰れば、新たな自分の意識が生まれるかも知れない。其れを、楽しみにして、ハンドルを握る事にしよう。
平成18年10月17日
礒邉自適
2006/10/16
ストリート
18・10・16
今朝は、昨日に続いてクロスワード・パズルの形式で、色んな場面が現れて来た。其れは、人間の意識構造の成り立ちを、示して来ている物らしい。
其の基本的な構造は、ミハエル・エンデの映画「ネバー・エンディング・ストーリー(果てしない物語)」を観た事が有る人なら、解るだろうと想うが、人間の意識は、道を歩く事で、周囲の状況や起きる出来事から、五感が働いて取り込んだ情報で、組み込まれて行くものである。
極端な話しをすれば、生まれた時から、人間を無色の部屋に閉じ込めて置けば、体だけは成長するが、意識は0のままで、人間とは云えない物に成ってしまうだろう。
日本には「可愛いい子供には 旅をさせろ」との諺・ことわざが有るが、其れは、正に、人間は子供のうちに家を離れて旅をすれば、精神構造が大きく丈夫なモノに成る理・ことを謂い表している。
日本語の「たび」は「家を離れる」の意味だから、釈迦仏陀の教えの「出家」や、イエスキリストの「私に付いて来なさい。一緒に旅をしよう。」との謂いと、共通の世界である。
日本の古事記のストーリーには、「天照大神」が日本に降臨した時に、出迎えて、道案内をしたのが「猿田彦神」だと伝えられているが、其れは、正しくストーリーには、道案内が一番重要である理・ことを意味している。
私が、神の世界に入った時に、最初に起きた現象も、小倉の旦過市場の近くに有る「瑜伽神社」の境内に建てられている「猿田彦大神」の石碑からであった。其の出来事からも、私の旅は「道祖神」である猿田彦が、道を整えている事が分かる。
「猿田彦大神」http://star.ap.teacup.com/170606/1079.html
昨日からのクロスワード・パズル式の映像は、智慧の神である少彦神が力を発揮するには、土台に猿田彦神の力がなければ成らない理・ことを、知らせて来ている現象・ものである。
其の、猿田彦神の働きを土台として、あらゆる人間の営みが行われ、其の情報・知識の上に、智慧が組み上がって行くのである。
屋久島に生まれ育って、無学の私が、現在の認識を持てたのは、22年間の旅で、様々な出来事に遭遇し、体験を積み上げて来たからである。
其処には、「八百万・ヤオヨロズ」の神々の働きが有ったからであり、昨日からのパズルは、神議・かみはかりの現場が、覗き見えて来ている現象なのだろう。
今朝、私が理解できた事は、物語り・ストーリーが生まれる為には、長く複雑な街並み・ストリートが必要で、其の街並みには、様々な物の世界や、人間模様が在り、其れに触れる事で、認識が深まる理である。
其れが、現代社会には、大型店舗が郊外に出来、其処に真っ直ぐに早いスピードの車で出掛け、勝手に買い物籠に必要な物を入れ、何も会話の無いままレジを通り過ぎれば、何のストーリー性も生まれない。
其の、現代社会が生み出したもの・現象が、何のストーリー性も持ち合わせていない現代の若者である。
女性ならともかく、物語を創造できない男性は、一人前とは言えないだろう。
其れは、現代教育が齎した弊害でもある。
殆どの若者が、詰め込み教育の受験地獄の中で、自分のアイデンティティを確立出来ないまま、年齢だけが積み重なっているのである。
そんな者達が、多い社会を、是からどう導いたら良いのか、私にも有効な手段が浮かばない。
其の解決策のヒントとして、昨日と、今朝の映像が送られて来たのだろう。其れが、少彦神の智慧の現れであれば、私が五年前から、大洲市にある「少彦名神社」に関わって来た事が、ようやく意味有るものと成ってくる。
其の裏には、猿田彦神が大きな働きをしているのだろう。
ようやく、神々の努力が、此の三次元世界に、現実として現れる時節を向かえたのである。
今日は、是から、少彦名神社の崇敬会の代表である叶豊氏と会い、今後の活動方針と、関連HPの作成に付いて「芳我美光氏」と三名で話し合う事に成っている。
取り敢えずは、ブログ二つと提示版一つが必要であろう。其れ等を創って行けば、クロスワード・パズルも少しは開いて、繋がって来るのではないだろうか。
今回の旅は、関連HPのブログ立ち上げが、一番の目的の様にも思えて来た。其れは、IT社会も、神々が、人間に、準備させた物だと、想わされるものである。
本日16日は、伊勢神宮の「神嘗祭」の日でもある。
出雲の「安部忠宏氏」と出会って、今日で丸10年と成る。
出雲の「大国主命」と、大洲市の「少彦神」は、協力して日本の「政・まつりごと」を造り出した人間である。
今回の旅は、其の両雄の霊魂が、新しき国造りを始める為のものなのかも知れない。そうであれば、新しい国造りの物語・ストーリーが、是から誕生するのではないだろうか。
平成18年10月16日
礒邉自適
2006/10/15
パズル形式
18・10・15
今朝の映像は、本日行われる「少彦名神社」の秋季大祭に関係有るのか、脳の意識に、関係有る事が映し出されて来た。
始めに、スターターのピストルみたいな物が映り、其の銃身の横に、金色で刻まれているマークらしき印が見えた。
其の後も様々な場面が映った。
其れは、縦横の映像が「クロスワード・パズル形式」に成っていて、多人数の認識を組み合わせると、「意味・テーマ」が読み取れる様に成っている物である。
一番下の横列だけは、答えが出て、其れは、何処かの道である事が判った。
どうやら、一番下は「道路」がテーマのようで、一番上の所は、後一つ開けば答えが見付かるらしいのだが、未だ答えが当たってはいないのか、捲られては来なかった。
しかし、クイズ係りの人間(霊魂)の対応から、本人が体験した出来事に、関係が有るらしい事だけは解った。
今朝の映像から、私に理解出来る事は、人間の意識は、道を進む事で土台が出来、体験を積み上げる事で、認識・智慧が出来上がる事が、示されて来たようである。
そして、其れには、過去の人達の体験の積み重ねや、時間が関係しており、是からも其のシステムが、稼動を続けて行くらしい。
どうやら、人間の脳は、単独で機能しているのではなく、集団で機能しており、多くの人の認識が、集団の潜在意識と成って組み込まれ、結論を導き出している様なのである。
私の存在も、其のシステムを支える一つの部品みたいな物の様である。
今朝、解って来た事は、神霊達は、テレビのクイズ番組の裏に隠れている、スタッフみたいな存在であるらしい。
ある程度の、答えは持っているらしいのだが、其の答えを、人間に教えてしまうと、其処で人間の脳活動・次元が止まってしまうので、わざと答えを教えないで、其れ以上の答えが出るのを、期待しているのである。
どうやら、私は、其のクロスワード・パズル番組の回答者に選ばれて、是まで22年間道を歩かされて来たようである。
其の、道の舞台を、組み込んでいるのが道祖神の「猿田彦」で、一番上段の組み込みの処に「少彦神」が、関係している様である。
どうやら、私にも、人間の思考の裏側のシステムが、見えて来たような気がして来た。
是も、新たな仕掛けなのかも知れないが、仕掛けられた罠は、答えを探り出し、其の錠前を外して行かなければ成らない。
其れが、新しき世界の、スターターのピストルの役目を果たす事に、繋がるのだろう。
先ずは、ピストルの銃身に刻まれていた、記号かマークの意味を、探り出さなければならない。
平成18年10月15日
礒邉自適
2006/10/14
何から始めるか
18・10・14
今朝の映像は、赤い梅干の様な丸い玉が、20個くらい透明な容器の中に入っているのが映って来て、次に、飛行機の胴体の様な物が現れた。
其の飛行機の方は、胴体は有るが、両方の翼も尾翼も無いので、飛び立てないと言うか、役に立たないと言う意味の様である。
始めの赤い玉は、人の魂しいと言うか、人材の様な意味を持ち、其の人材は、飛行機に乗る段階にまで至ってはいるが、肝腎な、乗り物の羽根や、舵取りの尾翼が無いので、飛び立てない事を、伝えて来ているのではないだろうか。
私は、昨夜から、愛媛県伊予の山中である「中山町」に在る道場に来ている。此処は、六年前に、三年間、屋久島に帰るまで、住んで居た所で、「弘法大師空海」がメッセージを伝えて来た所でもある。
今朝は、また、其の弘法大師空海が、是からの工程を伝えて来たのだろうか。
私は、屋久島を9月27日に出発して、今日で18日と成る。
其の間、広島県宮島での新しい出会いや、久し振りの出雲での生活、其れに和歌山や淡路島での出来事など、思考に影響を与える場を辿って来た。
其の流れの中で、何か、新しい方針が、出来上がって来ているのだろうか。
其れに付いては、未だ、具体的な事柄は、明確には成って来ていない。
明日は、大洲市の「少彦名神社」の秋期大祭が有るので、其れに参加しなければ成らない。
明日に成れば、国造りの智慧の神である「少彦名命」が、何か、明確な物を知らせて来るのだろうか。
平成18年10月14日
礒邉自適
2006/10/7
ザワメキ
18・10・7
今朝の映像は、歴史を書き連ねた文章の真ん中に、二人の顔の写真が載っていた。
右側の顔は、私の顔らしく、左側の男性の顔は、誰だか判らない。
其の映像の意味は、私が、私個人の存在ではなく、歴史的な産物である事を意味しているようである。
そして、私の意識の前には誰かが存在していて、私の意識は、其の者の意識の上に、成り立っているとの理・ことの様なのだ。
其の意味を、理解しようとするには、釈迦の言葉を借りた方が良いだろう。
釈迦は、自分が仏陀に成ったのは、今回が初めてではなく、何代も前の人が仏陀に成って、其の仏陀の意識の上に、自分の意識も積み重なっており、自分もまた、後世に生まれる仏陀の土台に、成るのだと謂っている。
其の理が、今朝の映像の、意味なのであろう。
中国の老子も、同じ概念から「いにしえの人は すばらしい」と謂っているし、イエスキリストも「永遠のいのち・魂しいが存在している」と謂っているので、皆、其の魂しいの積み重ねの実態には、気付いていたようである。
昨日のメッセージに書いた様に、総ては、積み重ねの上に成り立っているのだ。
今、其の意味を書いたら、左手中指がカモ・(神の電気信号)がビリビリして来た。
やはり、魂しい・霊魂の積み重ねが、大事である理が、知らされて来ているのだ。
そうであれば、私の役割は、未来仏の為に、今回の生で、何等かの積み重ねを果たさなければ成らない様である。其れも、私の個人的な思い込みではなく、是まで積み上げられて来た霊魂の智慧を、其の土台として行かなければ成らないのである。
其の事を、実行して行く為には、多くの人の協力と賛同が必要である。
是から、私が行わなければ成らない事は、其の人達の結集を図る事である。
其れが、私の22年間の旅の目的だったのであろう。
是から、愈々、最終段階が始まるので、人類の智慧の結集を図り、未来世界の創造を興さなければ成らないのだ。其れが、正しく行われれば、神霊達も自分の役割を果たす事が出来、自然災害も少なく成って行くものと考えられる。
其れは、何も、荒唐無稽な話ではない。
奈良に在る「三輪神社」が出来た云われも、古代に、同じ様な事が起きたからである。
今回また、其れと同じ事が起きようとしているのである。
現在まで、伝わっている神話は、奈良が元であるとか、九州が元であるとか、出雲が元であるとか謂われているが、其れは、其れなりの意味が、各地に有るのだろうから、とやかく言う必要はないだろう。
要は、未来を、何処からどう組み立てるかである。
昨日は、立て横の石積みらしき物が出て来たので、取り敢えずは、出雲の地から始めるのが得策なのではないだろうか。
霊界の霊魂に逆らうのと、協力を戴くのとでは、雲泥の差が生まれるであろう。
取り敢えずは、出来る所から、始めて見るしかないだろう。
今朝はパソコンに向かったら「ざわめき」との言葉が告げられて来た。
其れは、人間界の事ではなく、出雲に神々が結集している事を、告げるものかも知れない。
出雲大社の、境内の拝殿の両側には、今でも、全国から集まった神々が、寝泊りする為の、長屋が建てられている。其の社に、世界中から、神々が集まっているのではないだろうか。
今朝は、私の意識と肉体の状態が、殆ど、元に返っている様子がある。
其れは、何等かの次元を、私が通過したからではないだろうか。
今朝は、中村孔紀氏よりメールを戴いた。
是から、急速に事象が展開され始めるのであろう。私は、是まで22年間、一応の訓練は、神々の指導で行って来ている。其の成果が、今後、試される事に成るのであろう。
私は、出雲に来て5日目である。今のところは、何も問題無く進んでいる。
明日は、明日なりの事が起きるのであろう。
私は、出来るだけ、自我意識が働くのを止めながら、起きる事に対応して行くしか無いのである。
「神惟ら魂霊映えませ・かんながらたまちはえませ」である。
平成18年10月7日
礒邉自適
2006/9/17
太田市物部神社の御陵
18・9・17
今日午前中、出雲の「安部忠宏氏」と電話で話していて、一つの事に気付いた。
其れは、「宇摩志遅命・うましまじのみこと」の御陵で、霊魂の光りが写真に映った現象に付いてである。
私が撮った写真は、出雲の安部忠宏氏と一緒に参拝した時の物だが、もう一枚東京の「阿部清氏」が別の日にお参りした時にも、同じ様な物が映っている。
その写真の霊魂に付いて、本日判った事が有る。
其れは、二人の姓が同じ「安部」である事だ。
安部姓は、元々「饒速日命・にぎはやひのみこと」の子孫である「長髄彦・ながすねひこ」が、神武天皇に奈良の統治権を譲った時に、長髄彦の弟は、其れに反対して東北の地に移動し、「アソベ族」と合体して「アラハバキ族」と成り、後の安部・安藤の姓に成ったと伝えられている。
だから、安部忠宏氏も安部清氏も、其の饒速日命一族の末裔であるとも、考えられるのである。
「宇摩志麻遅命」は、其の饒速日命の息子であり、大田の物部神社は宇摩志麻遅命の御魂を祀る為の神社で、其の饒速日命の子孫が、奈良県石上神宮に祭祀されている「物部族」なのである。
其れ等の事柄を考えれば、両安部氏が大田神社の宇摩志麻遅命の御陵に参拝した時に、宇摩志麻遅命の御魂が喜んで、挨拶に出て来るのは不思議な事ではない。
薩長連合の明治政府が出来るまでは、天皇家が祭る御魂は「天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと」の神霊で、「天照大神」ではなかったのである。
其れまでは、天皇がお参りするのは和歌山県の「熊野神社」で、三重県の伊勢神宮ではなかったのである。
明治天皇が、始めて「伊勢神宮」にお参りしたのは明治6年である。
其れは、「瓊瓊杵尊・ににぎのみこと」の子孫である「神武天皇」の出身地である薩摩藩が中心と成って成立した、新政府の支配権獲得の為のセレモニーなのである。
だから現在、霊界も混迷を起しており、人間界も、其の影響を受けて乱れているのである。
今日は、昼食の後暫らく微睡でいると、映像が映って来て、私の意識の前の左右に、パソコンのリンクが組まれるのが見えた。
其れは、左大臣・右大臣のシステムが、復活するとの事ではないだろうか。
現在の政治の仕組みは、政府機構の他に国会が在り、二院制が敷かれ「参議院・衆議院」が在って、723名の議員と、秘書など関係者が大勢いて、莫大な費用が掛かっている。
其れに比べ、昔は、王の両脇に左大臣・右大臣が居て、其の下に政府機能があり、現在よりは簡単に政治が行われていた。
どちらが良いのかは判らないが、昔の方が、無駄なエネルギーを使わずに済んだであろう事は確かである。
是からの社会は、現在の政治手法から、変化して行くものと考えられる。
其れも、昔のパターンに返るのではなく、IT社会に合った、合理的で簡素化された、効率の良い体制に成るのであろう。
其れを、宇摩志麻遅命の御魂が求めて来ているのである。
現在の天皇家に伝わる「新嘗祭」や「大嘗祭・大譲祭」などの儀式は、皆 物部族の伝統儀式であり、新嘗の祭りが行なわれる11月22から23日の儀式は、物部の鎮魂祭が元である。
其れが、現在では、勤労感謝の日と名前が変わり、物部の供養の日ではなく、民衆の為の日と成ってしまっている。
「鎮魂・たましずめ」http://moon.ap.teacup.com/20061108/449.html
現在・いまの世の中は、先祖の御魂を供養して、未来の平和を願うのではなく、全てが、自分の欲望の為だけに営まれているかの様だ。
此の、我が儘一杯の生き方をしている人間を、何時までも、神や大自然が許して措く分けが無いのである。
出来るだけ早く、古代の御魂が安心して、人間の暮らしを見守れる世の中を造らなければ成らない。
此の侭、人間の欲望追及が続いて行けば、必ずや神界は人間に失望し、地球生命全体の為に、何等かの「手法・かたち」で人間の整理を始めるであろう。
今日の映像のリンクの様子は、其の最初の始まりを、示して来たのだろう。
愈々「安部清明」の登場か・・・・
平成18年9月17日
礒邉自適
2006/9/15
彼の世と此の世の境目
18・9・15
どうやら、今朝で、私の意識探索の旅も終わった様である。
と謂うのは、「無い物は無い。有る物は有る。」と言う結論が出たからである。
「神は、在るか 無いか 其れは在る。」「霊界は、有るか 無いか それは有る。」
では、「彼岸の川が 有るか 無いか 其れは無い。」と、言う理・ことだ。
河川が存在するのは、水が流れている此の地球だけである。
例え、霊夢で、河川が存在し、其の川に水が流れているにしても、其れは、脳の中の情報に拠る映像で、霊界に水が実際に流れているわけではない。
今朝は、ようやく私の胸の重さが、消えている。
其れは、霊界の作業が、終わったからであろう。
今朝は、山尾三省の顔写真が出て来て、其の写真が載っているページの右下に、「。」句点が打たれていた。
其れは、物語が終了した事を、意味しているのだろう。
其の映像の後には、私が、子供達に玉葱の苗の植え方や、肥料の遣り方を教えて居た。そして、其れが終わると、子供達皆に、日記を書く事を薦めて居たのである。
其れ等の映像は、宮沢賢治が最後の憶いを私に告げて、魂上がりした事を意味している。
彼等は、言葉が存在する事の世界で、人間の「カルマ・業・柵」と戦って来た戦士だったのである。
山尾三省も、宮沢賢治も、仏教の罠に嵌り、抜け出せない侭、一生を終わったのである。
其れが、私の最後のお荷物だったのだ。
私は、四年前の4月24日に屋久島に帰って来たが、何故か、自宅に真っ直ぐに帰らずに、三省の墓に詣でる事に成ってしまった。
其れは、同行した「白土雅一君」が、「白川山に 友達が住んで居るので 会いたい」との事と、宮之浦港で出会った母子が、「三省さんの墓参りに行くのだ」と云うので、では一緒にと言う事に成ったのである。
四人で、山尾三省の墓に到着して、雅一君が竹音にて供養をしていると、私に一言「礎・いしずえ」との言葉が告げられて来た。
其の日から、間もなく四年半の月日が経とうとしている。
先月8月28日は、三省さんの五回忌が行なわれて、私も、其の催しに参加した。
私は、撮影の準備が有るので、少し早目に「やまびこ館」に行くと、丁度 準備が整って、皆が昼食に帰って誰も居なかった。
私は、三省さんの御影が飾られている祭壇の前に行き、線香を立てて礼拝をすると「此処から始まる」との言葉が来た。
其れは四年半振りの言葉であった。
私は、其の言葉が気に成ったので、「山尾三省を偲ぶ」のHPを造ったのである。
三省さんが住んで居た白川山は、屋久島の殆んど真北に位置する場所である。
其れは「屋久島おおぞら高等学校」が出来た、島の真南の平内地区とは、真反対の場所なのである。
其の位置関係や、方位の意味も、含んでいるのかも知れない。
おおぞら高等学校と白川山は、地図上で南北に線を引くと「東経130度30分」の所に位置し、其の線上には開聞岳が有り、「枚聞(ひらきき)神社」が存在して更に「久留米水天宮」→「大宰府天満宮」→「宗像大社」へと続いている。
「東経130度30分」http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/yjj/yahazuline.html
太宰府天満宮は、全国の「天満宮・天神さん・菅原宮」の総本宮である。
其れは、天満宮が、日本の学問神の中心とさえ、考えられて来ている事を現している。
今朝のメッセージで、私が、子供に日記を書く事を薦めていたのは、菅原道真公の霊魂だったかも知れない。
私が21年前、大宰府天満宮にお参りした時に、「後を頼む」と告げられた事が有ったが、其の言葉の意味が、今日まで継続されていたのだろうか。
「後を頼む」とは、菅原道真公の後には、深い学問の世界が行われていないとの意味を、含んでいるのだろうか。
学問と謂っても、其の部門は沢山ある。
私に、其れ等の世界を、全部遣れとの事ではないだろう。
私にしか、出来ない事と謂えば、挙げられるのは「霊界通信」の分野と、言葉の世界に付いてである。
私の毎日の行動は、目に見えない霊界と、目に見える此の大自然の間に生活し、其の関係の秘密を、探って行く事である。
其の世界の答えとして、今朝は一つの結論を導き出した。
其れは、目に見えない「四次元・絶対世界」と、目に見える「三次元・相対世界」の境目は、人間の「頭蓋骨」と「頚椎」の間にあると言う事である。
頚椎から上の、頭蓋骨の世界が四次元で、頚椎から下が三次元なのである。
だから、彼岸とは、頭骸骨と頚椎の間に在る事に成るのだ。
其れを、古代の人々は認識しており、頭骸骨の世界を「魂」とし、首から下の世界を「心」としたのである。
「魂・コン」は「云+鬼」の組み合わせで、「鬼」は死人の頭の意味で、「云」は伝える・廻るの意味である。
「魂」は、死んだ人の「たましい」がぐるぐる廻って、情報を伝えて行くとの概念を表すものなのだ。
「鬼」とは、イエスキリストの修行の最後の段階で、其の仕上がり具合を試しに現れた「悪魔(霊界の校長先生)」の存在のことである。
一方、漢字の「心・シン」は、心臓の形の象形である。
其れは、人間の心が、此の三次元の現象の移り変わりに反応し、絶えずコロコロ流転するとの意味である。
人間の心臓は、驚く場面に遭遇する度に、脈拍が変化するので、心・こころは心臓に在ると考えられたのである。
そう考えれば、仏や神に仕える者が、平静心を保つ為に、人間社会から離れた山に、建物を造って住む事の理由も、ハッキリして来るのである。
仏教では、霊魂は「盆の窪」から出入りすると云われている。
其れは、うなじの中央の窪んでいる所だから、丁度 頚椎の上に頭蓋骨が乗って動く部分である。
江戸時代には、其処から邪霊が侵入しない様に、子供の髪の毛を、剃り残していたのである。其れに、お坊さんが葬式に着て来る服も、盆の窪を被う為の襟が付いている。
其れ等の風習から解る様に、江戸時代までは、霊魂の働きは、人間の日常の暮らしの中に、身近に存在していたのである。
其れが、明治維新の時に急激に西洋文化を取り入れ、価値観が変動した為に、おかしな事に成ってしまったのである。
私は、今朝も、霊夢の世界から、自我意識が転換する時に、「コクン」とか「ギシッ」とかの、骨の傾げる音が、盆の窪の所で聞こえた。
どうやら、首の所で聞こえる音は、意識が「四次元」から「三次元」に切り替わる時に、起きているものらしい。
今朝の様子からして、22年振りに、私の意識は「魂の世界」から、「心の世界」へ次元転換したのではないだろうか。
其れは、22年前、彼の世に渡っていた意識が、此の世に還った事を、意味している。
仏教で言う処の「彼岸」は、神道の鏡の意味する世界と同じである。
22年前、鏡の向うへ抜けて、四次元に行っていた私の意識が、今朝は完全に元の三次元に還って来ていたのである。
今朝のメッセージは、新たな、仏陀の世界が、築かれ始めた事を伝えて来ている。其れは、現代の時間帯に一番近い、彼の世の「三省」の霊魂を通じて、宮沢賢治や、釈迦仏陀の御霊が動き出した事でもあるのだ。
ようやく私の旅も、過去の時代を生きた、霊魂の情報処理が済んで、自分の心の事を、考えられる処まで辿り着いた事に成る。
ようやく、奈良の「矢追日聖法主」が、終戦の日に神から請け負った事業が、完成したのだ。
「正傳矢追日聖」http://moon.ap.teacup.com/20061108/568.html
後は、どの様に全ての事柄を、平城京にまで持ち込んで行くかである。
平成18年9月15日
礒邉自適
2006/9/14
憶い は 重い
18・9・14
9月8日から、続いている胸の重さは、今日も未だ続いている。
どうやら、此の胸の重苦しさは、私の自己の物ではなく、宇宙全体の重みの様である。
大本教の「出口王仁三郎」は「9月8日に 12の秘密が有る」と、生前に云って居たらしいが、私の此の胸の重さも関係が有りそうである。
其の胸の重さを説明するのに、刃物を、何処から切り込めば良いのだろうか。
其れは、仏陀の立場を説明する様なものでもあるし、密教の神髄を、暴露する様なものでもある。
其れに、「天皇・スメラのミコトの立場を支える事にも成るし、出口王仁三郎の疑問を解く事でもあるようだ。
其れと、一番重要なのは、漢字の「自分(自れの存在の分けを知る為に、自分を刀で両方に切り分けて見る。)」の単語が、何故存在するのかと言う疑問を、解く事である。
其れは、お釈迦さんと同じ舞台に立つ事であり、宮沢賢治の苦しみを共有する事でもある。
何故、9月8日午後からでなければ成らないのか。
昔は「正午」の言葉があるように、日付の変更は、地面に立てた棒で計っていたので、太陽が真上に来た時に、日付を換えていたのである。
だから「時計・ジケイ」は、元は「ツチハカリ」で「土計」と書いていたのである。
9月8日の正午からが、9月9日であれば、私の胸の重みは、其の時刻から始まった事に成る。
9月8日の朝のメッセージは「臭」である。
其の前の日は「想」であり「自己見性」である。
どうやら私は、今 究極の処に存在しているらしい。
其の感情・状態は、「キュウキュウする。」の言葉に関係が有りそうだ。
何故、宮沢賢治は、宇宙に向けて「999・スリーナイン」を走らせたのか、其処にも、感性から導かれた秘め事があるのではないだろうか。
日本の神話では、白山権現菊理姫が「伊邪那岐」、「伊邪那美」の、陰陽の「括り・ククリ」を務めた事に成っている。
中国の暦の考えでは、9月9日は重陽の節句とされている。
其れは、九が極まりの数字で一番の「陽」と考えられているので、其の九が重なる日として「重陽」と呼ばれているのである。
其の意味などを参考にすれば、天地が和合して、私の胸に巣くっている事に成る。
若しそうであれば、此の私の胸の重苦しさも、納得出来ない事もない。
絶対界である全宇宙と、人間の住む相対界が、私の胸の内で合流して、渦巻いているのであれば、理解されない事もないのである。
昨夜は一晩中、私の潜在意識は、様々な世界を映し出していた。
其れは、私の意識ではなく、別の意識体が、私の脳をパソコン代りに使用して、あらゆる世界を検索しているのである。
特に、昔、精神的な活動を行なって居た人達が、入れ代わり、立ち変わりで、アクセスしているのである。
私の脳味噌は、時代差のある人がアクセスする度に、スイッチが切り替わる音まで、立てているのである。
そんな事が朝まで続いて、私が感じた事は「思い・想い・憶い」の語は「重い」の意味であり、人間が解決出来ない事象・物事を抱え込めば、胸の処が、重圧感を覚えて、重く成ると言う事である。
其の「オモイ」は、恋の想いも重いし、過去の嫌な思い出も重いが、私の今の重みは、宇宙の事象を抱え込んだ重みである。
12日は、光りを見ている意識ではなく、自分自身が、光り其の物に成っている世界を認識していた。
そして昨日は、新しき道に質量が流れ始めるイメージが伝えられて来た。
其の新しき道とは、賢治の999の銀河鉄道である。
其の列車の客が、私の意識の中でパソコンを使用しているのである。
其のパソコンは、光りファイバー(石英のガラス管)に繋がっているので、私の松果体(シリコン)とチャンネルしており、情報を共有しているのである。
賢治の言葉には、「神霊の思頼・みたまのふゆ」とか「くしみけぬ」とかの、神道の言葉は出て来ないようである。
其れは、賢治が法華経の熱心な行者だから、古神道の言葉を良く知らなかったからであろう。
賢治も、古神道の言葉に、もう少し触れて居れば、彼の言葉も違った物に成り、気持ちも軽やかに成ったのではないだろうか。
私は、出来るだけ賢治の作品には触れない様にして来た。
其れは、宮沢賢治の存在が余りにも、自分に近すぎて、重苦しく成るからである。
あの、黒い外套を着て、寂しく俯いて立っている賢治の姿を見ると、自分がそう成っている様な意いに、陥ってしまうからである。
此の一週間の胸の重さは、避けて来た賢治の憶いが、一気に流れ込んで来たのかも知れない。
それに、五年前に亡く成った、屋久島の百姓詩人「山尾三省」のHP「山尾三省を偲ぶ」を立ち上げたので、其れも影響して来ているのではないだろうか。
何故なら、山尾三省は「宮沢賢治」の熱心な信奉者だったからである。
彼等が、私の意識の中に潜入して、何かを企んでいる可能性は、十分に有るのだ。
今朝の映像の中では、紫色掛かった薄暗い闇の中に、数知れない程の虹色に光る記号が、稲光の様に走り回るのが映し出されて来た。
其れは、私の意識が、宇宙の其れと、境界が無く成っている事を示している。
そして、其のエネルギーの総体が、此の胸の重苦しさとして、存在するのだろう。
私は、4年前の4月24日に屋久島に帰って来たが、何故か、自宅には向わずに、成り行きで、白川山の山尾三省の墓に、直接向う事に成ってしまった。
そして、三省の墓の前で伝えられて来た言葉は、「礎と成る」と言うものであった。
其れは、我々言葉を扱う役目の者は、人間の意識・文化の礎と成るとの意味であろう。私も、其の礎の一個にしか過ぎない存在なのである。
人間の意識や魂しいは、其の様にして、釈迦や賢治や三省などを通して、「クシミケヌ・櫛御氣」して行くのである。
誰かが、彼らの御魂を供養(禰宜らって)其の功徳を、繋いで行かなければ、銀河鉄道は闇の彼方に走り去って、再び、青い鳥は飛んで来ないのではないだろうか。
私の、此の胸の重さは、彼らの記憶がオモイと成って、私の気持を999の旅へと引き込もうとしている為だろう。
それから逃れる方法は、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」として不動の心を築き、未来に向かって「地蔵尊」として、立ち尽くす事である。
賢治の様に、寂しく俯く姿としてではなく・・・・・
「山尾三省を偲ぶ」http://moon.ap.teacup.com/20060830/
平成18年9月14日
礒邉自適
2006/9/6
本番に向けて
18・9・6
今朝の映像は、幾つもの場面が有ったが、皆 共通しているのは、「プロ・其の道の熟練者」が居なくて、私の遣る事が、捗らない事であった。
其の意味は、是から、本番が始まるので、素人を相手にするなと言う事であろう。
今朝、パソコンに向かって居ると、ニュースで皇室の「紀子さん」が、無事に男子を御出産された事が報道された。
是で、国民も一安心だし、余計な会議も開く必要が無いし、税金も無駄にしなくて済む。後は、其の子が、無事に成人に成る事を祈るだけである。
其れは、其れとして、皇室に男の子が産まれても、現実社会が良い方向に転換する分けではない。
現在の皇室には、何の権限も与えられていないし、宮内庁が、政治に関する事に関わる事は出来ないし、神社庁や宗教界に対して、主導権が有る分けでもない。
現存する体制は、過去の世界の産物であり、未来創造の足枷に成ったにしても、未来創造の為に、働いている分けではないのである。
其れが働いていれば、屋久島の私なんかに、「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きる分けが無いのだ。
今朝のメッセージからすると、今度産まれた子供の為の新しき御代を創る為、私に、様々な場面を見せて来たのだろう。
昭和64年1月7日の深夜、私のハート・心臓に「昭和天皇」の御魂がドカンと飛び込んで来て、私は驚いて飛び起きた。
それから、2月24日の「大葬の日」の未明に、また昭和天皇が現れて「我が身 既に遠く 善き代を 願い奉る。」と告げて来た。
其れから、18年半が過ぎている。
今朝は、其の昭和天皇や、先祖代々の天皇霊が、是からの御世を、改めて私に委ねて来たものと想われる。
昨日の「日本の滅ぶ日」の文章も、今朝のメッセージの、布石ではなかったのだろうか。
昨日の原稿内容を、今日書けば、縁起が悪いとして、国民の反発を買っていたかも知れない。
しかし、そんな感情論だけで、何かが、良く成る分けでもないのだ。
以前の社会と違って、天皇には、何の権限も与えられていないし、イギリスの皇太子の様に、自分の意見を云う事も、許されていないのである。
だから、天皇家に男子が誕生したと喜んでも、国民が、未来に対して、積極的に国造りに取り組んで行かなければ、今回の吉事も、何等意味を持たないのである。
現在の天皇家の仕組みは、国の体制が無ければ、何の役にも立たなく成ってしまっている。
本来の天皇家とは、皇太子が、自由な身分の時に、国内を旅し、国の実情を調べ回って、天皇に即位した時に、祭り事を正しく行なう事が出来る様に、努力をしていたのである。
国の事情が判らない人間に、祭り事が出来ないのは、当然の理と云えよう。
今朝のメッセージは、其の大事さを、伝えて来ているのだろう。
是から、新しき社会構造を構築して行くに当り、日本国の象徴として存在すべき皇太子が、どの様に育って行くのか、其れは、国民の側にも責任があるのだ。
現在の皇太子は、民主主義教育を受けていて、「現人神」の教育は受けていないだろう。
今度産まれた子供には、神の降臨する現人神としての、御魂研きをして貰わなければならない。そうして貰わないと、又 私の様な、犠牲者が生じるのである。
本来「神霊の思頼」は、天皇の世代交代の「大嘗祭」の時に、起こるべき現象である。
其れが、天皇家や、宮内庁や、伊勢神宮で起こらないで、一民間人に起きること事態が、祭り事が正しく行われていない証拠である。
今回、男の子が生まれたのは、昭和天皇の念いが適っての事であろう。
だからこそ産まれる前に、様々な映像を送り込んで来たのだ。
昭和天皇は、私に、曾孫の面倒を見させる心算だろうか。
此処まで打ったら、右手の薬指がビリビリして来た。
薬師如来でも、働いているのだろうか。
取り敢えずは、国民が安堵出来ただけでも、目出度き事である。
平成18年9月6日
礒邉自適
2006/9/5
山から降りて来た婆さんは瀬織津姫
18・9・5
今朝、「赤城山さん」から電話が有り、私が夢に出て来て、私が、彼女の左側に位置しており、お互いの腹に「管・チューブ」が繋がって、注射針が刺さっていたとの事である。
彼女は、日本列島の山を訪ね廻る、修行者みたいな存在なので、日本列島に付いて、何かの共通メッセージが有るのだろうと想う。
私が思い当るのは、今朝の私へのメッセージとの関連を考えると、繋がれたチューブは人工腎臓透析の様な物で、日本国の、腎臓透析をしろとの事ではないだろうか。
腎臓の働きは、躰を巡回する血液の中の、有害物質を排出する役目である。
心臓がポンプアップをし、其の力で、血液は身体中の老廃物を集めて来る。
其の集められた物質は、肝臓の働きで再生利用な物と、廃棄物に分けられ、廃棄物が腎臓に送られるのである。
腎臓の働きが衰えれば、毒素が、肉体内に溜まり、死を迎えるのである。
今朝の赤城山さんへのメッセージは、日本国の有害物質の体内排出を、支えろとの事ではないだろうか。
今朝は、「此ノ国マナコ」のHPに「瀬織津姫」の事が書いて有り、天照大神はもともと「男性の蛇」だとも書いてある。
私は、其の記事を読んで、昨日 山から下りて来た婆さんは「瀬織津姫・せおりつひめ」で、般若の男は「天照皇大神」であったのではないだろうかと想ったりした。
大祓詞(おほはらえのことば)には「・・・高山の末 低山の末より さくなだりに落ちたぎつはやかわの瀬にます 瀬織津姫と言う神 大海原に持ち出でいなば・・・云々」とある。
昨日の婆さんの行動は、其の祝詞の言葉の表す様子に似ている。
赤城山さんの話しでは、8月31日9時59分に地震が有り、宮崎県西都市近くの一之瀬が震源であったとの事。
31日も59分も最後の数字であり、締め括りを意味しているし、一の瀬と云う名が気に成る。
昨日のお婆さんは、山から降りて来て海の瀬に乗り、海の水を急流に変えたからである。
私には、9月1日のメッセージに「おがたま・招霊木」の木の花が、咲き誇っているのが映されて来たが、昨日 平内の女性が、自宅の庭で仕事をしていたら「自適さんに会いに行け」との声が聞こえたとの事で、夕方事務所に訪ねて来た。
話しを聞けば、庭には招霊木の木に花が咲いていて、近所の四歳位の娘が、「庭のビロウ樹の木の横に 身体の大きな男性が 力瘤の有る右手をかざして 立っている。」と、云うとの事である。
場所を聞けば、東経130度30分の位置である事が判った。
其れは「コノ國マナコ」のHPに今朝書き込まれている「エネルギーラインを司る神」と連動している。
エネルギーラインとは、山門であり岩戸である。
岩戸に仕える神とは、手力男命である。
娘に見える男神は、其の手力男命なのかも知れない。
四つの情報が皆、繋がって来ている。
愈々、般若波羅蜜の出番なのだろう。
平成19年9月5日
礒邉自適
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