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2006/8/6
「野鳩の声」
アニミズムの世界
野鳩の声
18・8・6
本日は、広島市で、被爆61周年の慰霊の儀式が行なわれる日だが、今朝は平和の象徴とされている鳩が、6時前から宿舎の横の林に来て、鳴き始めた。
最初は、夢の中で、神の声かと想ったが、目を開いて三次元である事を確かめても、其の声は、同じ鳴き声である。
其の声は「立派に成ったね 立派に成ったね」と、聞こえるのである。
其の声は、30分程聞こえていて、太陽の光りが強く成って来たら止まった。
平和のシンボルが、鳩に成っているのも意味が有るのかもしれない。
今朝は、其の現象で、22年前神の世界に入った時の事を思い出した。
其の日の朝は、矢本岳の実家に泊まって居て、朝寝室の窓に鳥が来て、翼で窓ガラスを叩く音で眼が覚めた。
すると、其の鳥は、屋敷の横に立っている高い木の頂に止まって、鳴き始めたのである。其れは、「時告鳥・ホトトギス」の鳴き声である。私は、其の声が、私を呼んでいる様に感じて、寝床から起きて外に出た。
早朝の野外には、余計な物事は未だ一切起きていない。
フト、上空を見ると、一羽の鷹が家の上を、円を描いて回転している。其の鷹を視ていると、右の翼の羽が一本抜けて落ちて来た。
そして、私が、其の羽を拾うと、其の鷹は、山の方に向かった。
其の山の方を見ると、美しい虹が山間に掛かっており、私は其の虹の存在を、神門であると感じて、何気なく其の鷹の後に付いて、山の方に向かったのである。
不思議な事に、其の鷹は、私が毎日、山に向かう癖が付くまで、数日間、毎日迎えに遣って来た。
其の鷹が、同一の鷹である事は、飛んで居る翼の羽が一本抜けているので、直ぐに判別出来たのである。
其の日から、毎日山中に入り込んで、人間に接触しないので、人間社会の煩わしさから遠退いて行ったのである。
其れから、私は、人間社会を遠目で客観的に視る様に成ったのである。
だから、中国の古典に載っている「宇宙の 事象が転換する時は 禽鳥類が其の氣を先ず受けて 其の禽鳥類から 人間に中継して来る。」との事が、現実の事として起きたのである。
其の現象は、2666年前の神武天皇のトキにも起きて、其の地は現在でも「鳥見」として、奈良市の近くに有る。
一昨日、4日のメッセージにも、大きな白い鳥が一羽、ゆっくり右回転で、私の方に向かって飛んで来る映像が映って来た。
そして、今朝は、野鳩が庭の木に来て、「立派に 成ったね」と鳴き続けるのである。
どうやら、屋久島から2666年振りに、新しい意識が目覚めるらしい。
其れは、人間だけの世界ではなく、森羅万象総ての氣が転換すると謂う事である。
今朝の映像には、薄いピンク色のアルバムが一冊現れて、「いのちのアルバム」と有り「生命の絆」と言う副題も示されて来た。
其れで、私が理解出来た事は、私が意識するかしないに関わらず、私の脳を使って、新しいプログラムが展開されていると言うことである。
其れは、私が、映像を解釈しようとすると止まるが、其の侭、何も意識しないで素通りさせれば、其の侭、宇宙のプログラムが滞り無く、三次元に流れ込んで行くと謂う事である。
其れが、島根県松江市に有る「熊野大社」の祭神である「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」の働きなのだ。
そして、其れが、本来の「みいつ・御陵威」の働きの理・ことなのである。
だから、私は、中国の王様に鍼を打つ人物に捜し出されて、皇帝の働きが出来る治療を受けさせられたのである。(1995年8月〜9月)
総てが、此の日の為に、準備されて来た事だったのである。
22年前、屋久島での修行が終わり、飛行機で鹿児島に出て行くと、鹿児島空港の上に、一羽の鷹が来て回転して居た。
私が、其の鷹の存在に気付いた事が分かると、其の鷹は、霧島の山の方に向かって飛んで行った。私は、其の鷹の飛んで行った方に向かい、霧島神宮に参詣したのである。
昨日は、久し振りに、霧島の知り合いからメールが有った。
其れは、「太陽に兆しが見えた」との事であった。
私の、守護霊の中の本霊は「「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」である。
宇摩志麻遅命の御陵が有る、島根県太田市の「物部神社」の神紋は、「日負い鶴」である。其れは、太陽を背にする大鳥である。
一昨日の大きな白鳥は、其の日背負い鶴か、「日本健命・ヤマトタケル」の霊体だったのかも知れない。
今朝の映像には、パソコン作業が出来る女性達が、霧島の建物に10名程集まって、私の仕事の手伝いを始める様子が映されて来た。
どうやら私は、ノート型パソコンを一台手にして、世界中を回り、其の女性達に原稿を送らなければ成らない様である。
そして、「命・いのち」の写真を撮りまくり、「生命の絆」を映像と言葉で、表現して行かなければ成らない様である。
其れが、薄いピンク色のアルバムの意味なのである。
ピンク色は「弁財天・サラスヴァティー」の子供達の色である。
私は、水の子達の姿を、撮り続けて行かなければならないのだ。
一昨日のメッセージには、大分県犬飼町で大野川を守る運動をしている友人の「幸野敏治氏」の姿が映り、「是は 総ての変革である」との言葉が有り、新しきHPのトップページが映されて来た。
昨日は、其のトップページのデザインが出来上がったのである。
幸野敏治氏の姿と「是からの総ての改革」が、何故関係が有るのか。其れは、幸野敏治氏が大野川を守る運動を長年行なっているからである。大野川は、大分県・宮崎県・熊本県に支流を持ち、水源が三県に跨っているのである。
幸野敏治氏は、其の支流に住む人々を集めて、水を守る運動を続けて来た方である。
「大野川ネットワーキング」
http://www.pref.oita.jp/10400/viento/vol08/tokusyuu/02.htm
其の、大野川の支流の一つである祖母山山系は、「豊玉姫」を祭る山であり、七回半神木に巻きつく「大蛇・ククルカーン・括る神様」の本でもある。
水を守る運動をして居る幸野敏治氏は、「大山祇神」にとって一番大事な人間なのだ。
其の幸野敏治氏の働きを表に出し、其の働きを世界中に拡げて行くのが、是からの私の役割であるようだ。
今日は、また一つ新しいHP「いのちのアルバム(生命の絆)」のトップページをデザインしなければならない。
私の、HPとブログの数は40を超えて来た。其れを、一人一人に分けて管理して貰うには、40名のスタッフが必要に成って来る。其の40名が、一箇所に集まる必要が無いのが、I T社会の良い処である。
是から先、物事がどう展開するのかは未だ判らないが、此処のところ神霊界の働きの奥深さが、日に日に実感できて来ている自分が在る。其の自分自身が、何者で在るのかは、益々不可解に成っては来ているが。
今日は、広島の犠牲者の追悼が行なわれる日である。
私は22年前、初めて、車に炊事道具の鍋釜や布団を積んで旅に出て、3日目の朝、目覚めたのが広島の平和公園の入り口の広場であった。
私の旅は、昼夜を問わず、眠く成るまで走り続け、眠く成った処で広場を捜し、其の場で、車中に布団を広げて眠って居たのである。
全てを、霊の動きに任せて、ハンドルを切って居たのである。
其の同じ手が、今はパソコンのキイボードを叩いている。
是から先、何を打たされるのかは分からないが、止まる迄は続けるしかない。
今日は、原爆で亡く成った人達だけではなく、戦争の犠牲に成った方々の追悼の為にも、新しく出来た磐境で祈りでもして見ようかな。
少しでも、霊界の供養が出来て、世界が安らぐのであれば。
平成18年8月6日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2006/5/25
「新神国の伝達」
アニミズムの世界
新神国の伝達
18・5・25
今朝のメッセージは、光りの中に、黄金色に輝く樹木が映り、其の木には、枝が右の方に四本程突き出ていた。
そして「新神国の伝達」の文字が出て、新しいHPのトップページが映り、「悦子さん」の上半身の正面写真が現れた。
其の下には、文字が横文字で書かれていたが、内容は覚えていない。そして、芸能人が数名現れた。
今朝のメッセージの内容は、愈々具体的に、動き出せとの知らせの様である。
昨日、「天波博文氏」と「スーリアさん」より電話が有り、今後の事を、其々と話した所為なのかも知れない。
今朝の映像で、始めに金色に光って出て来た木は、何の木だか判からない。
若しかしたら、五十鈴川に生えていて、5〜6百年に一度、実を着けると云われている、「日枝・ひえだ」の木ではないだろうか。
今朝の光り輝く木の枝は、正に「日の枝」である。
日枝だとは「火枝神社・ひえだじんじゃ」の神(別名は日吉神社)で、元は琵琶湖の西岸坂本村の住人「最澄・伝教大師」の家の氏神様のようである。
日吉とは、何百年かに一度「日の実」が枝に着く事から、「ひえだが良い・目出度い」の意味で「ひ よし」と成ったと、聞いた事がある。
京都の比叡山は、京の都を造営した桓武天皇に、最澄が丑寅の方角を護る様に頼まれて開いた山である。
比叡山の比叡は、日枝だの比叡である。最澄は、自分の氏神様の名を捩って、比叡山と名付けたのである。
現在の天皇家の家紋である菊花紋は、元々最澄の家の家紋で、後醍醐天皇の息子が、足利尊氏と戦う時に比叡山に立て籠り、菊花紋を自分の御旗のマークに借りたまま、返していないのだと聞いている。
今朝のメッセージを、私成りに紐解とけば、日枝とは、神の光りが枝として思考を伸ばす事で、今朝の四本の日枝は、十六菊花紋の内の、右四本が動き出したとの意味で、三次元に、其の枝を現実として、拡げろとの意味ではないだろうか。
其れは、昨日生まれた九次元の金龍が、自分の意識を広げ始めた事を、意味している。
其れに因り、十六菊花紋は八大龍王8x2=16から、九代龍王9x2=18の十八菊花紋へと、次元移行するのである。
其れは、私が21年前に、群馬県の榛名山に在る、榛名神社の鳥居の左横に立っている「雌 九代龍神」と彫られている、大きな石碑の前で、告げられた事でもある。
その事を、早速漫画家の「真崎守氏」に話したら、直ぐに「十八菊花紋」を作成して下さった。
「雌九代龍王」と彫った石を建立したのは、関東一の霊能者と言われて居た女性で、「何れ 九代龍神の雄が訪ねて来るから。」と、私が現れる事を、予言をして、其れを立てたとの事なのである。
私は、其の霊能者「水落ミツ」のパートナーであった「中屋龍洲氏」に、其処に連れて行かれたのである。確かに、其の石碑の前で、其れを裏付ける反応が起きた。
榛名山の頂上に祀られている神は、大山祇神の娘「木花咲耶姫・このはなさくやひめ」で、榛名神社の御祭神は「火彦霊神・ほむすびのかみ」と「植山毘売神・はにやまひめのかみ」で、主祭神は「大山祇神」と「大物主神」と「木花咲耶姫神」である。
名前からだけでも、今回のプログラムに関係が有りそうだ。
「ほむすび」の名も「日結び」で「日枝だ」の「造形・デザイン・イメージ」に繋が有りそうだし、他の三方の主祭神も重要メンバーである。
日枝だとは、宇宙の意識の思考パタンが、木の生長システムパタンを利用している事になる。
仏教の曼荼羅は、チベットで考え出された物で、最初の曼荼羅の絵は、大きな一本の木の中央に、釈迦牟尼佛が座って瞑想をしている絵から始まり、次に左右に二仏が配置され、其の後、回りに仏の数が段々に増やされて、しまいには樹木の姿が消え、現在の曼荼羅と成っている。
だから、やはり最初は、木の構造を利用して出来た物なのだ。
チベット密教の曼荼羅は、人間の思考を拡げる為の方法として、木の構造をイメージに取り入れて、制作して出来た物なのである。
其れはまた、現実的にも、人間霊が樹木に憑依して、御神木とされる事にも深い関係が有り、日本の神社の境内に生えている木が、「神籬・ひもろぎ」とされる事にも関係が有る。
今朝のメッセージは、新しい国・御代を創造する為に、新しい「日枝だ」を組めと言う事だろう。
其れは、神が、新しい「稗田阿礼・ひえだのあれい・語り部」の登場を要求しているとの事かも知れない。
今朝は、其の新しい語り部に接触して来る人達が、数名映像に現れた。
始めの二人は、誰だかハッキリしないが、後の人は宍戸錠氏の息子さんの「開さん」と、歌手の「水前寺清子さん」だった。
新神国の伝達は、やはりテレビ放送無しでは無理の様である。
新神国とは、「新しい瑞穂の国造り」の事である。
天波博文氏と、1995年8月3日より13日まで、富士の山中湖で「瑞穂の祭り」を開催してから、今年の8月3日で11年と成る。
其の時も、8月3日に木花咲耶姫を祀る浅間神社の参詣から始まった。
今年の8月3日で、私の両親が屋久島に渡って来て、丁度判還暦の60年に成る。8月3日は、本来の屋久島の「山の神・ヤマノカンサアー」の祭りの日であったらしい。
愈々、屋久島の山の神が、本格的に活動する時節が到来したのであろう。
是は、私が存在して始まるのではなく、屋久島の山に、私が動かされて始まる事である。
だから、私には、何の責任も義務もないし、勿論、私の実力でもない事は明らかである。
屋久島は、地球のマグマに溶かされた岩石が、おにぎりの様に、単独で1400万年前に浮上して来た物である。
だから、屋久島は孤立した花崗岩の塊りなのだ。
日本列島の屋根と呼ばれている両アルプスは、インド半島がユウラシア大陸を突き上げて、ヒマラヤの峰を押し上げたのと同じく、伊豆半島が日本列島を突き上げて競り上がった物で、「堆積岩・粘板岩」で出来ているし、富士山も伊豆半島の圧力で噴出した溶岩で出来た物である。
だから、屋久島の様に、花崗岩だけの単独の塊で、海抜2000m山を有する島は、他には無いのではないだろうか。
其処のところに、今回の神の動きの要因があると考えらえる。
地球が生み出した「卵」、其れが屋久島の実体なのだろう。
屋久島は、水の惑星地球の子供として、誰にも納得できる水の島である。
私は更に、その屋久島の水の子として、生まれたのだ。だからこそ、木の内側を流れる樹液の中に侵入し、木の仕組みを映し出す事が出来るのである。
日本では、水・樹木・岩・それらが皆「水神・神籬・磐境」として、神の存在に欠かせない物と成っている。
それらが、屋久島には嫌と言う程存在している。
屋久島程、アニミズムの世界として相応しい島は、他に無いのではないだろうか。其の島に、生まれ育った私は、屋久島の申し子と言う事に成る。
私の人生とは何なのか、自分自身に其れが理解されて来るのは、是からかも知れない。
平成18年5月25日
礒邉自適
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2006/5/19
「思考の柵」
アニミズムの世界
思考の柵
18・5・19
今朝の映像は、神のメッセージと言うより、神が私の脳を使って、意識の源に探りを入れていると、説明した方が合っているだろう。
此処から先は、今までの、人間が遡った事の無い、意識の源の世界である。
其れは、文字どころか、未だ言葉さえ存在しない、根源の世界である。
其の世界は、生命の根源である「物の存在・森羅万象」のスガタ、其の「モノ・現象」を映し出しているだけである。
其の世界は、人間以外の動物や、植物が生きている情報の世界である。
其処には、是まで、何人ものシャーマンが挑戦をして来ているが、未だ誰も、今朝の世界より、深くは潜り込めていないらしい。
何故なら、若し入り込んだら、抜け道が無いので、元の人間の意識にまで、還って来られないからである。
今朝は、其の世界に、私が入って行くと、次の迷路に踏み込む前に、誰かが引き戻しに遣って来た。
其れは、「少彦名神」の御魂の様であった。
少彦名神は、どうやらシャクジ神の総元締めらしい。
何故なら、植物の霊魂の中にまで、侵入をした事が無ければ、私が入り込んだ世界までは、入って来られないからである。
今朝の内容を、全部書き出すには、何日も掛かるだろうし、書いても、普通の人には理解出来ないであろう。
寧ろ、頭が良過ぎて、精神病院に入れられている人達なら、同じ体験を積んでいるかも知れないので、相互理解が出来るかも知れない。
今朝は、どうしたものかと意いながら、事務所に出て来たら、「思考の柵」との言葉が来たので、漢語林で直ぐに「柵・サク・しがらみ」を調べて見ると「木+冊」の組み合わせで「冊」は、文字を書く為に、木の札を並べて紐で縛った物 と載っている。
「思考の柵」とは、マントラを日本語風に言う物のようである。
「マントラ」とは、インドの言葉で「マン」は考えるで、「トラ」は「サラ・皿」の事であるので、マントラとは「言葉は 思考する為の 器」との意味である。
其の意味から、「思考の柵・さく」を考えると、「文字を書く行為は 思考を進めること。思考を進めるのは 文字を書き連ねる事。」との意味に、解釈して良いのだろう。
何故、其の様に解釈するかと言うと、今朝の映像の始まりが、其の事に関係があるからである。
映像の始まりは、私が、皆の代表として、アクアラングを背負い海に潜る処から始まった。
良い天気で、空は青く、海も青く澄み渡り、白い波が、目に染まりそうな景色である。
私は気分良く、何かを求めて、其の海に入って行った。
そして、深い海の底に潜って行くと、何故か其処には、鯛や平目や龍宮城の「乙姫さん」は居ないで、海草ではなく深い森が在り、手付かずの植物群が生えている情景なのである。
私は、水中に潜ったつもりが、深い森の中を彷徨っているのである。
私は海を求めて、其の森を抜け出し、峰を越えて、山の向こうへ行こうとしたら、誰かが遣って来て「一度浮上して 減圧しないと危ないから。」との意味を伝えて、私を陸の上へ引き戻した。
そして、今回の事を文章にしろと言う。
何故かと意うと、一度体験した事を整理して、文章に纏めてからでないと、次に潜った時に、迷路に嵌って帰れなく成るからだと言う。
自分一人で、無制限に其処に潜って行くと、永遠に引き返せない世界に、入り込んでしまうと言うのである。
其の説明を聞いて、私は是まで歩いて来た道が、自分一人ではなく、多くのサポーターが居て、深い世界に一遍に潜り込み過ぎない様に、神霊にコントロールされていた事が理解されて来た。
其の神霊のサポートが無ければ、私も、其の世界に深く入り過ぎて、戻れなく成り、精神病棟に入れられていたかも知れないのである。
言葉が在ったからこそ、夢遊病者に成らなくて済んだのである。
だからこその、「マントラ・思考の柵・言葉の短冊」だったのである。
何故こんな世界に、私は入り込んでしまったのであろうか。
そんなに強く、七夕の短冊にお願いをした記憶も無いのだが、不思議な世界である。
今朝、私が、文章にしなければ成らない「理・コト」は、「生物・いのち」の存在其の物の、情報の世界である。
生物は皆、複雑な遺伝子コードで組み上がって来ている。
地球の生物は、此の地球環境の中で、どの様に生きるかと言うことを、情報として確立し、其の情報に因り、今の姿を具象化して、存在を続けているのである。
今朝の私の意識は、其の生命全体の意識のソースの中を、泳いでいたのだ。
其れは、中澤新一氏の言う「根源の母・マトリックス」の中に入り込んでいたのである。
確かに、其の世界は、雌の生命プログラムのソースの中であり、私はそのソースの海の中に侵入して、根源の答えである何かを発見し、捉え様としていたのである。
今朝は、其の母・マトリックスの世界を認識したら、二度目の潜水が始まった。
次に、侵入した世界は、今度は、自分の血管の中であり、血液の中を泳いで心臓に辿り着いた。
其処には、コロコロ変わる「心・ココロ」の意味ではなく、「ココダ・此処だ」と言葉が待っていた。
それで、漢字の「心」が心臓の象形であり、「こころが心臓にある」との概念が、初めて理解出来た。
其れは、心臓の音が、総ての記憶をデジタル的に、記憶しているとの答えである。
人間の意識は、脳に織り込まれるのでなく、心臓細胞の振動数に全部インストロールされているのである。
今朝の私の意識は、其の心臓の音の周波数を捉え、其の情報を開くと、巻紙を広げる様に、其の振動の情報が右側に向かって開き始めた。
其れは、今日の時点から、子供の時までのドキドキ体験が、映像で再現され、更に母親の胎盤を通過し、動物の世界を通過し、植物の世界も通過し、ミネラルのスースの海にまで、還って行くのである。
何と、ドキドキした時の体験が、総て、振動として録音されているのである。
嬉しい時、驚いた時、怪我をした時、病気に成った時、恋をして胸がときめいた時、それらの感情の揺れは、総て、心臓細胞に振動として記録されているのである。
私達の記憶は、心臓の細胞が刻んでいる振動波の波を表す、心電図の様な記憶の巻紙に総て記録されており、脳は、其のフロッピーの情報を映し出す、パソコン機能にしか過ぎないのである。
其れは、生物が細胞分裂を繰り返している初期時に、脳細胞よりも、心臓細胞が前に出来る事からも、納得できる事である。
これで、インドのアーユルベーダーの世界が理解出来てくる。
アーユルベーダーの世界は、四本の手指で、相手の腕の脈拍を測る事で、其の肉体が過去に体験した情報を、皆読み取るのである。
其れは、心臓の脈拍の音を聞き取る作業なのである。
其の作業で、過去の病気や、ストレスの傷跡を探り出し、癒すのである。
心臓は、過去の出来事を、レコードに記憶する役割を果たしているのだ。
アメリカの女性が、男性からの心臓移植を受けたら、退院後無意識の処で、其の男性の生活行動を起こす様に成った事でも、頷ける事である。
これ等の事柄から解る事は、脳だけが、意識を司っているのではないと言うことである。
「いのち」とは、生命全体を意味し、其の生命全体には、共通の意識の海・ソースが存在し、其の海の中で、環境に合った形の情報プログラムが組まれ、其の情報どおりに、夫々が好きな形に姿を現して来ている、現象界全体の呼び名なのだ。
其の結果が、現在の地球の生命圏なのである。
其の世界を、釈迦牟尼佛はダルマとして説いたのである。其の釈迦の教えの世界が、「仏」の世界として伝えられているのだ。
私は、今朝、其のダルマの世界に、釈迦とは違う切り口から、侵入を果たしたのだろう。
そして更に、釈迦牟尼佛が認識した、次の世界に進もうとしているのだ。
釈迦牟尼佛は、法華経の十二縁起の中で、「総ての行為を止めて 言葉の使用をやめなさい。」と、説いている。
其れは、人間個人が、過去の総ての情報を断ち切り、命の本質に目覚める為の、方法を説いているものだが、其の総てを棄てた後の世界が、危ないのである。
釈迦牟尼佛の時代は、総てを棄て切って自由に成っても、どうにか、皆の支えで生きて行けたかもしれないが、現代社会ではそうは行かない。
「法華経の十二縁起」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/332.html
棄てた後の、自分を護るのがまた大変で、其の自分を護る為の道具が、言葉なのである。
言葉が、総て人間の思考から取り除かれれば、もう、人間社会では生きて行けない。精神病院に入れられるのが、落ちである。
私も、総ての行為を止めて自由に成った時は、素裸で山の中に居た。
其れは、「裸」「パトカー」「警察」「捕まる」「病院」などの単語が、思考に残っていたので、山の中に籠もって、人里には出ない様に、自分の意識をコントロールし、自分を護る事が出来たのである。
その言葉がなければ、分別がはかれなく成り、私はとっくに、精神病院に入れられていただろう。
私は、言葉の存在に拠って、自分を護る事が出来たのである。
アニミズムの世界を体験するには、境界を越えて、動物や植物の内側の世界に侵入して行かなければならない。
だから、完全には入り込んでしまえば、現在の人間社会への復帰が、難しく成る。
其れを、復帰可能にする為には、情報を段階毎に言語化し、顕在意識に言葉を錨として、絶えず引いていなければならないのだ。
其れをやらなければ、糸の切れた凧の様に、当て所も無く、彷徨い始める事に成る。そうなれば、もう元の陸地には、還れなく成るのである。
其の理が、今朝のメッセージ・映像で、始めて理解出来たのである。
今朝、私を連れ戻し、其の理・ことを、私に教えてくれた者は、一体誰なのだろうか。
まだまだ、此の世界は、奥が深い様である。
今朝のメッセージの内容は、未だ有るのだが、此処らが、私の思考能力の限界の様な気がする。
平成18年5月19日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2006/5/13
「時告鳥の声」
アニミズムの世界
時告鳥の声
18・5・13
今朝 未明
今年 初めての ホトトギスの声を 聞いた
毎年 此の季節に成り ホトトギスの声を 聞くと
37歳の初夏に 意識が 連れ戻される
何故なら 其の年 仕事を 全て止めて
師の下で解脱し 無の世界に入って 居たからである
其の虚脱感の中で 頭に 強力に響き渡る 音は
天空に 響き渡る ホトトギスの声だったのである
一切の カルマが解き放たれ 空に成った その頭の中には
唯 昼夜 ホトトギスの声だけが 響き渡っていた
だから 今でも ホトトギスの声を 聴いた瞬間
虚空の中に 意識が 吸い込まれて 行くのである
今年も 再び 其の季節が 訪れた
しばらくは 此の初夏の 草 呼吸(いき)の 香りの中で
ホトトギスの声に 導かれ
ブッダの境地を 楽しむ事が 出来るだろう
平成18年5月13日
礒邉自適
ホトトギスの鳴き声
http://www9.big.or.jp/~mishii/bird/hototogisu.html
投稿者: 礒邉自適
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2006/5/5
「拡がるリズム」
アニミズムの世界
拡がるリズム
18・5・5
今日は、端午の節句で、男子のお祝いの日である。
其の日に、関係が有るのかどうかは分からないが、端午・タンゴのリズム?じゃないけど、音に付いて、深い神秘が開けられて来た。
始めに、澤山のホームページが創られて行く場面が映り、「奥出雲」と「天智天皇」の名が告げられて来た。そして、テレビ画面の上の向こう側から、誰かの手がアルファベットの文字一行と、数字の暗号二列が、書かれている紙を開いて見せた。
其れは、インターネットを使って、送れない文字や、映像の内容を、パソコンのテレビ電話の画面で見せて、直接に、人間の視覚に情報を送る方法を、暗示している。
其の方法なら、盗聴などで、情報が外に漏れる事は無いだろう。
其の暗号文字は、未来の人間の脳が、進化していることが伺えるものである。
ある記号や、数字を、視覚で見れば、其の暗号で、パソコンの中に有る情報の位置が、読み取れるのである。
近い将来、人間の脳は進化して、コミュニケーションの方法が全く変わってしまうらしい。
其れは、人間の意識が、音の世界に深く入り込み、古代の能力を蘇らせる事を意味している。
山に住む仙人は、「千里眼」や「神通力」を持っていると、云われているが、其れに近い状態に、人類が達するとの事だろう。
今朝の、私の意識は、言葉や文字の世界ではなく、音の信号として、働いていた様である。
其れは、心臓の鼓動がドンドコドン・ドンドコドンの振動で、肺呼吸がスー スー・ピー ピーで笛の領域なのである。
そして、其のドンドコドンの大地の音と、ピーヒャラ・ピーヒャラの天空との間に、チャカ チャカ チャカ・チンチンチンの鉦・かねの音が、挟まって鳴り出したのである。
処が、心臓は太鼓に反応し、肺呼吸は笛に反応しているのだが、チャカチャカの音は、脳が言葉を使う時にだけ聴こえていて、言葉を使って思索する事を止めて、映像だけを見ている時には、聴こえないのである。
と言う事は、心臓の鼓動と、肺呼吸のリズムは、本来人間の肉体が持っている音だが、鉦の音は、外来の音なので、自我意識が働かない時は、脳のシステムから外れてしまう様である。
だから、チャカチャカとかチンチンの鉦の音は、人間の自我意識の世界の物なのである。
其れは、人間の自我意識が創り出しているものだから、アフリカやアマゾンの、深い森の中に生活する原住民が、音を通信手段として、言葉の変わりに使っている事も、能く理解されてくる。
何故、そんな風に、私が考えるかと言うと、チャカチャカの音が「イチゴ・イチゴ・1 5・・・」 と聴こえ、「ビワビワビワビワ・・・・・」と聞こえたからである。
私は、此処数日食欲が無く成り、近くの「野いちご」や、「枇杷」を一日に数回食べている。其の、イチゴや枇杷の細胞が、私の60兆個の細胞に、反応しているのだろう。
其れは、私が、イチゴを捜して食べる時「イチゴだ・イチゴだ」と、名前を名付けながら、食べて居るからだと想われる。
其れに、枇杷を食べる時も同じく、枇杷の枝から熟したのを選別しながら「ビワビワビワ」と、枇杷の実を「言葉・音」として処理し、認識しているからだと考えられる。
此の食欲の無さと、細胞の反応は、22年前、屋久島で私が、殆んど断食状態で修行して居た時と、同じ状態の反応である。
また、昔の状態が、復活して来ている様だ。
22年前は、私は自分に起きて来る出来事が、何が何だか、良く解らなかったが、今回は何が有っても、冷静に、自分に起きる事を分析出来るだろう。
22年前の、色んな物品が現われたり、消えたりする現象や、天気を左右する力が、再び蘇って来れば、地球の次元上昇は早まるのかも知れない。
其の準備として、今朝「奥出雲」と「天智天皇」の名が出て来たのだろう。
奥出雲は、大山祇神系の娘である「櫛稲田姫」と、天孫族の「素戔鳴尊」が結婚し、男子二名・女子二名のハーフの子供を、産み出した地である。
其れは、日本の歴史の始まりの地である事にもなる。
そして、天智天皇は、奈良から近江へ都を移し、新しい政治を行った。
また、時計を導入し、土地の測量をし、戸籍や台帳を整備している。
天智天皇が、蘇我氏の専横から抜け出して、近江の地に都を開いたのが、西暦667年である。それより666年前の、西暦一年には、崇神天皇が即位しており、崇神天皇の660年前には、神武天皇が即位している。
だから、此の三天皇は、「初国治天皇・はつくに しらしめす すめらのみこと」と呼ばれてもいる。
今年は、皇紀2666年で四回目の666年である。
1333年(天智天皇667年+666年)の「後醍醐天皇」の国造りは失敗に終わったが、今回の国造りは、地球全体の国造りである。そして、今回の国造りは、失敗するわけには行かないのだ。
今回が、人類に与えられた、最後のアセンション・次元上昇のチャンスなのである。
今朝は、取り敢えず「奥出雲」と「天智天皇」のHPを造った。
私に出来る事は、霊界人が、働き易い様に段取りを着ける事である。
今朝は、男性が一人現われて、協力してくれる様になる映像が映されて来たが、未だ其の男性は面識の無い方であった。
今日は、此のくらいの協力で、良いだろう。
何処へ、どう拡がるのかは分からないが、此の三次元世界には、音の影響が強い事だけは理解出来た。
今年、3月17日には「虹のキャラバン」のブログを作製してある。
「虹のキャラバン」
http://star.ap.teacup.com/2006317/
わたしは、私しなりに、準備は進めている心算である。
平成18年5月5日
礒邉自適
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2006/5/2
「長い旅だった」
アニミズムの世界
長い旅だった
18・5・2
明日5月3日は「憲法記念日」であり、私の次男「嵩靖・しゅうせい(高きところに立ち 国を安らかにする の意)」の18回目の誕生日である。
そして、私の在家得度の戒名は「真悠護法居士」である。それらの因縁が、私の22年間の旅の結果である。
其の因縁の最終課題が、今朝の映像かも知れない。
今朝の映像は、屋久島の北西315度「乾・いぬい」に位置する、永田集落から眺める「永田岳1886m」の頂上に、一日が暮れる瞬間の、夕日が当って輝いている場面だった。
そして、其の頂の岩肌に、文字が一字だけ映し出された。其れは「戒・カイ」の漢字である。戒は、「両手+武器」の組み合わせで「いましめる」の意味である。
何故、明日の憲法記念日を前に、「戒」の文字が夕日の照らされて映されて来たのだろうか。
今朝は、其の映像の後に、グリーンの表紙の本が三冊現れたので、其の本の中味がヒントなのだろう。
其の本は、友人が持っている、外国の女性の裸体だけが載せられている、芸術写真の本の様であった。
其の本の内容と合っていれば、女性の肉体こそ、神の姿の最先端であり、其れが、自然の鏡である理を示して来ている。
此の宇宙で、一番正しい物は、生命を伝えて行く、女性の肉体の姿なのだ。
其れが、宇宙の最大の目的であり課題・テーマなのである。
老子の謂う「タオ・道」や、釈迦仏陀の謂う「ダルマ・法・真理」。其れに、イエスキリストの謂う「永遠の命」も、突き詰めて行けば、其の一点に絞られてくる。
宇宙の目的は、唯、生命の存続だけが目的なのである。
其の、一番大事なダルマ・真理を、男性のエゴが、邪まな概念を創りだして、歪めてしまっていたのである。
私はただ、其れだけの単純な結論を得る為に、22年もの歳月を費やして来たのである。
考えて見れば、1984年3月13日に「無庵師匠が 神だから 護れ」と大きな言葉が有って、驚いて目を開けると、寝室の二階から見る太平洋の水平線に、丁度朝日が半分だけ顔を出しており、其の声は、太陽からの声だと感じた。
其の事が切掛けに成り、私は全てを掛けて、無庵師匠を護る事に専念したのである。
其の時には、未だ、其れが、自分を護る為の出来事だとは、知る由もなかったのだ。
其の日から、いつ終わるとも知れない、真理の追究が無庵師匠との二人三脚で始まったのである。
其の、真理追究の旅が、今朝ようやく完了したのだ。
何の事はない、生命のシステムを理解し、其れを護る事こそが、男性の役割であり、其の為だけに、男・雄としての存在が在るのである。
其の理・こと以外に、真理は無いのである。
たった其れだけの常識が、いつの間にか、認識から外されてしまっていたのである。
其の、簡単で、当たり前の理屈が、何処で、どうすり替えられてしまったのだろうか。
其れは、男性が、自分のコンプレックスを隠す為か、努力を嫌がってサポタージュしたかのどちらかだろう。
其の、オトナの逃げ口上が、子供達の意識が向かう方向の的まで、外してしまう事に成ったのだ。
何故、其れがそう成ってしまったのか。
其れは、女性自身の立場からは、言えないからである。
男性が、自分の為すべき本来の道を、踏み外して忘れてしまえば、其処で、其の戒めは無く成ってしまうのである。
其の、大真理が忘れられてしまえば、もうどんな憲法や法律を創っても、何にも成らないのである。
其れに、宗教や哲学など、中途半端な頭で、理屈を並べる人達(男性)が居て、どんどん無明の世界を拡大して来たのだ。
私も、其の男性のカルマ・業の中に、シッカリと嵌ってしまって居たのである。
何故、老子の謂う「男性の立場を知った上で 女性の立場に身を置く」の概念が、学校教育や社会通念から、外されてしまったのであろうか。
其れ等も皆、蛇が勧める、智恵のリンゴの実を、人類が食べてしまったからであろうか。
昨日の「中山博さん」の映像には、木が何本も並んで生えているのが映されて来て、其の木の下の地面に、黒い球が沢山落ちていたとの事。
其れこそが、役に立たない古い知識の実を、意味しているモノではないだろうか。
昨日は、私の意識からも、総ての古い概念・情報が外されて行った。
同じ理の意味が、二人に伝えられて来たものだろう。
これで、旧約聖書の始まりまで、事が返ったのだ。
もう、旧約聖書を基とする、キリスト教や、イスラム教の概念も、解かれたのだ。
其れに、日本の古事記に伝えられている「須佐之男尊・すさのおのみこと」の八岐の大蛇退治の物語も、古代シュメールの神話からの伝説であり、日本には何の根拠も無い物の様である。
其れ等の、神話や迷信は、現在のアニメと同じ次元の話である。
是からは、それらの幼稚な昔話しは、真理の世界から一切排除して、本当の生命システムの真理を、明らかにして行かなければ成らない。
もう余計な知識を、大事な夕暮れに持ち出して、宵越しの話題としない事である。
眠りに入る、子供の耳の元で、オトナはどれだけの長い間、嘘をついて来たのだろうか。
其の嘘が、耳から離れる為に、私は22年間も、苦労をさせられたのである。
其の世界の犠牲者は、私しで、終りにして欲しいものである。
釈迦仏陀が、其れ等の真理を説いてから、既に2500年の歳月が過ぎ去ってしまっている。
釈迦や老子は、真理に辿り着いても「祭りごと・政治」の実権は得ていない。
日本の神武だけが、同じ時代に、政り事の実権を得て政治を行っている。
其の実例だけが、日本の文化資産と言えるのではないだろうか。
日本に伝わる「禊ぎ祓い。」の技法こそ、人類の最高の財産であると、謂えるだろう。 何故なら、其の財産が私を此処まで導いて来たからである。
屋久島の、古い民謡の伝承「屋久の御山を 疎かに想うなよ 金の蔵よりまだ宝 チョイサヨ-チョイサヨ」の言葉が、世界に伝わる日は、何時に成るのだろうか。
岡本天明氏の「天津日嗣・あまつひつぎ」のメッセージの、「南の島に 埋めて有る宝を 使うトキが来た」の意味が、ようやく明らかにされて来たのだ。
私を、突き動かして来たもの、其れこそが、屋久島の御岳の宝だったのである。
其れはまた、日本の天津日嗣の存在を、明らかにする因縁なのだろう。
男性が、両手に武器を持って護るべき物、其れは、女性・雌の存在である。
其の為の環境整備なのだ。其の理を、念頭に於いて、総ての戒めを、整備して行く事なのである。
観音菩薩の姿を、宝石で飾る必要は一切ないのである。
穢れの無い、其の侭の女性の肉体こそ、偉大な神の現れ、其の侭なのである。
今年も、屋久島に、紫陽花の花の季節が近付いて来た。
岡本天明氏と、同じ6月に、私にも神掛かりが起きた。
其れは、紫陽花の咲き誇る季節であった。
紫陽花は、日本が原産である。
奈良市で、福祉施設を創設した「矢追日聖氏」に告げられた、「紫陽花の様な未来社会の創造」其れは、女性の意見無しには、不可能ではないだろうか。
「正傳矢追日聖」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/568.html
女性の笑顔と、子供達の笑い声が絶える事の無い、そんな世の中が、早く蘇ることを祷りたい。其れが、私の長い旅の感想である。
22年前、屋久島の東の朝日から、始まった私の意識の旅も、ようやく島の西の夕日で、完了したのだ。
長い旅だったなぁ・・・。
平成18年5月2日
礒邉自適
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2006/4/29
「みずき・水気」
アニミズムの世界
みずき・水気
18・4・29
今朝のメッセージの内容を、一口で言えば「未来世界に進む為には、水の世界に帰らなければ成らない。」と言う事である。
其れは、現在・いまの人間世界は、既に行き詰まっており、拡がり様が無いと言うことである。
未来の世界に進むには、一度此の世界を離れる為に、水の門を潜らなければならないと言う事である。其れが、「禊ぎ払い」で「ウップルイ」の世界である。
先日の新聞記事で、此の宇宙は始め液体だった、と言う理論が発表された。
其れは、旧約聖書の「始めに 神は 水を天と地に別けた。」と言う言葉を、裏付けるものである。
・・・誕生直後の宇宙は液体だったと、広島大や東京大、米ブルックヘブン国立研究所などの国際チームが19日までに、米物理学会で発表した 。・・・
其の水とは、H2Oの水ではなく、液体水素の様な、液状物質ではないだろうか。
そうであれば、日本語の「黄泉の国」の意味も理解出来るし、世界中に残されている “S”字マークの二重螺旋の軌跡も、納得が行くと言うものである。
キリスト教の開祖「イエス」、仏教の開祖「釈迦」、其れに、日本の神道の元「「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」も皆、水で禊ぎ祓いをして、神の世界に入っている。
其れは、神の世界への入り口が、水に在る理を示している。
と言う事は、我々人類は、未来に進む為には、水の門を潜らなければ成らないのだ。其れは、水の世界に、一度帰らなければ成らない理・ことを、意味している。
ではどうすれば、水の世界に帰れるのか。
其れは、簡単である。
此の世に存在している人類は、全て、母親の胎内の羊水の中で、成長した物である。羊水以外の場所で、出来たと言う者は一人も居ないだろう。
誰もが、身体の60パーセントは、水で出来ているのだから、60%は既に救われている事に成るのだ。
だから、総ての人間が、羊水の中に居た次元にまで返れば、総て、神の世界に帰る事に成るのである。
其れには、手にしなければ成らない物は、一切無いので、誰もが実行可能な世界である。
寧ろ、何かの執着心があって、手に大事な物を持っている人間は、誰も、其の水の門は潜れない。
だから、釈迦もイエスも身一つだし、伊邪那岐命も身に着けていた物は、全て脱ぎ捨てている。
イエスが謂う様に、「金持ちが 神の国に入るのは ラクダが 針の穴を潜るより難しい」又「貧しい者は 幸いである。神の国は彼らのものである」と謂っているのは、其の理なのだ。
今朝は、子供を連れた女性達が、旅支度を始めている姿が映されて来た。
其れは、母親達が水の門を潜り、未来世界に進む為に、身支度を始めた事を意味している。
もう子供達を護る為には、現代社会を構成している、男性達の考え方に見切りを着けなければならない時節に、至っているのだ。
其れが、今朝、最後に出て来た「みずき・水気」の言葉だろう。
水の世界に帰る事が「みずからのいのちを 守ることなのである。」
屋久島は雨の多い島で、水と緑と花崗岩の島である。
其れは、禊ぎ祓いの場としては、最適な環境にある。一度、水の門を潜れば、後は自由である。
現在、聖霊達が屋久島に集結している様である。
其の証拠に、私以外にも、屋久島の山で、聖霊の声を行き成り受ける人が増えてきた。其の現象から見てみても、屋久島が、未来への水の門である可能性は高い。
もう此処まで来れば、私の役割も、先が見えて来たと、言えるのではないだろうか。
今朝の、中山博さんのFAXにも、其れらしき内容が、含まれている様である。
平成18年4月29日
礒邉自適
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2006/4/18
「選択(チョイス)一」
アニミズムの世界
選択(チョイス)一
18・4・18
此処のところの、三日間のメッセージの内容からすると、選択する事がテーマに成っているようである。
16日に、私しに出て来た「箸」のメッセージと、中山博さんの「蟹の鋏」、其れに、今朝の私への鳳凰の卵の選択と、文章には書いていないが、未来創造に関わる人達の人選など、物事の発生や創造に関して、選択・チョイスが如何に大事であるかが示されて来ている。
其れは、是から始まる未来社会構築に当り、物事に対する判断力が、有るか無かが、非常に重要なポイントである事を告げて来ているのだ。
其れは、どんな情報を挟み取るかに、我々人類の生存チャンスが、掛かっているとの事であろう。
今朝のメッセージの映像にも、ダンボール箱が出て来て、其の箱全体にミシン目が入っており、どの方向のミシン目を破って、開けるかに因って、出て来る道具が異なる映像が映されて来た。
其れは、是から、どんな感覚で扉を開くかに因って、手にする道具と、其れを使って創造する世界が、違って来るかを、知らせて来ているのだろう。
其れは、是から始まる未来世界は、本人がどの場所を、どの方向に開けるかで、決定される理・ことが示されて来ている事になる。
其の事から、考えられる理・ことは、是からの人生は、神が決めてくれるのではなく、本人の自由選択に因って、決めなければならないと言う事である。
其れと、別の場面は、何処かのホテルの畳の広間で、是からの未来構築の為に、数十名の人達が集まる事になっていて、私は、其の予定時間前に会場に着いた。
すると、進行係の男性が酒に酔って、畳の上に寝てしまっている。
私は、どうしたものかと想っていると、数名の人達が遣って来て、其の者を抱き起こして正気に戻そうとし、体を揺すって見たが全然駄目である。
諦めて、元の様に寝かして置いたら、其の内に、心臓が止まり死んでしまった。仕方が無いので、代りの人選をして居る処で、其の映像は終わった。
是も、一番大事なトキの人選なので、チョイスする事に関連している。
チョイスの事に付いては、以前にも文章にした事は有るが、「選択・選別」のことを日本語では「えらぶ」と言う。其の「選ぶ・エラブ」は、古代語では「蛇」の呼び名である。
屋久島の横に有る、「口之永良部島」や「沖永良部島」は、海蛇が産卵に訪れる島なので、古代人が食料として蛇が取れる島として「蛇島・エラブジマ」と名付けたのであろう。
古代から、其の蛇が、智恵の神として考えられ、人間の判断意識には蛇が絡んでいるとされて来たのだ。
其の考えから、旧約聖書の物語で、智恵のリンゴを人間に食べさせる蛇の神話や、ブツダが悟りを開く為の守護霊がコブラだったりするのである。
エジプトの、「ツタンカーメン王」のマスクの、額に着けられている神もコブラであるし、日本の神社の鳥居も、エジプトのラーの神官が手にする「アークの杖・ヘルメスの杖」をモチーフにして出来た物である。
其れは、神に近づく為には、木に巻き付く「陰陽の蛇」と、「鳥神」の許可が、必要と考えられていた事の証明である。
此のように、古代からの風習を観ると、チョイスの行為が一番大事であるとされていたことが、良く理解出来る。
人間や、他の生き物が存在を続けて行く為には、此の二者選択の本能が、正確にトキ・トコロに反応しなければ成らないのだ。
その本能が、我々人間にも正確に機能しなければ、是から起きて来る未曾有の変化の中を、サバイバルして行くことは不可能である。
現代の社会構造は、総てマスメディアに占有されているので、本当の真実を見出す事は、非常に難しく成ってしまっている。
常識が、常識ではなく、非常識が常識として捉えられているのである。
神でさえ、チョイスを一番大事にしているのに、肉体を維持管理しなければ成らない人間が、選択を誤っているのが問題なのである。
其れは、生き物として一番大事な本能を、失っている事に成るのだ。
此処三日間のメッセージは、其の選択の条件である蛇のハタラキを、早く取り戻せとの事だろう。
何のことはないのだ、答えは、自分の古代皮質のDNAの中の、二重螺旋構造の蛇の絡みに、秘められているのである。其の、古代脳の潜在意識の扉を開いて見れば、鳳凰が卵を温めている姿が見られるのである。
これ以上の説明は、今の私には無理である。
だからこそ、自分自身の判断力を、磨くしか無いと云っているのである。
平成18年4月18日
礒邉自適
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2006/3/25
「ようやくここまで来た」
アニミズムの世界
ようやくここまで来た
18・3・25
ようやく、此処まで辿り着いた。始めの頃は、どう成るかと想ったが、何とか一応の決着を見たようである。最後に辿り着いた処は、23年前と同じ処で、神も宗教も何も無い世界である。あるのは、唯 屋久島の自然と、ボンヤリと眠気をさそう日々だけである。
此の22年間は、一体何だったのだろうか。是だけの歳月を過ごして来て、残った物は22年間の思い出と其のアルバム、其れにビデオテープとDVD、其れに此処6年間書き留めた文章である。それらが残っていなければ、私の意識は、何処かにさ迷い出してしまうかもしれない。此の、何も無いトキの感覚が、人々を不安に駆り立て、宗教の世界へ落とし込めてしまうのだろう。幸いにして、私の父や、師は、一切宗教という世界を持たなかった。そのせいで、私も同じ様に宗教の罠に嵌る事はなかった。
しかし、不思議なものである。こうして屋久島に住んでいるのに、パソコン1台で社会に繋がり、物事が進展し始めているのである。23年前の私と、今の私は、確かに同じ自適と言う人間ではあるのだが、遣って居る事も、云っている事も全く違ってしまっている。是を、何と説明して良いものだろうか。人間とは一体何なのだろうか。
23年前の私と、現在の私を、果たして同じ人間と呼んで良いのだろうか。今の私を知っている者は、昔の私を創造出来ないし、昔の私を知って居る者は、私が今の様に成るなどとは、夢にも想えなかったであろう。
是が、人間革命と言えるのだろうか。現在の私は、23年前とは比較に成らない程の物事を知っているし、全国に多くの知り合いが出来た。23年前の私の世界は、屋久島が中心で、何人かの知り合いが各地に存在した。しかし、私の現在の意識は、日本が中心であり、地球全体をどうするかを考えている。それは、私の意識の舞台が、拡大していることを意味している。
今、こうして静かな世界にいるが、27日からは中央出版の前田社長が来島するので、意識は又、現実の世界に嵌って行く。其の間、僅かだけだが、自分自身のこころが戻って来ている。
仕事も何も無い、家族も無い、此の何にも・なし・なし・なしの世界は、不思議なものである。愛も、慈悲も何も必要ないし、生への執着も無い。それに、死に行く先の心配も、後に残す残念も無い。生きていても良いし、今直ぐ死んでも一向に構わない。実に無責任ではあるが、気楽な世界である。誰かが、「安心立命」とか言っているが、そんなものも無い。
唯、在るのは、老子や良寛和尚の謂う「愚人」の私である。
私もようやく、愚人の仲間入りが出来るのだろうか。そうさせてくれるのかどうかは分からないが、今はそんな気分の己が此処に存在している。
此の、何も無い時間が、人間にとって一番大事なトキなのではないだろうか。
私は子供のときから、よく「ボー」としていて、授業時間にも先生に怒られたりしていた。しかしそんな私を、両親が放って置いてくれたので、今の自分が在るのだろう。其の意味では、両親には感謝しなければ成らない。
是からも、此の「ボー 」として居る自分を、大事にして行こうと想う。
平成18年3月25日
礒 邉 自 適
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2006/3/23
「かが」
アニミズムの世界
かが
18・3・23
今朝のメッセージは、始めに、文字が書いてある、文字版みたいな画面が現われたが、其の画面に、何が書かれて在るのかサッパリ判らない。
すると、其の画面の上に、7〜8個の文字コードがバラバラに有り、其れを巧くクリックして腑合すれば、書かれている内容が、解読される事が解かった。
次に、アメリカ国らしき敵に、狙われる事に成ったので、松井選手の傍らに居れば安全だと想い、松井選手を探し出して、側に行って安心して居ると、そんな事はお構い無しで、敵が爆弾を落して来たので、慌てて其処から逃げ出した。
そして、松井選手の様に、アメリカの人達に人気がある人でも、イザという時には、異文化の人間と見なされるのだとの考えに至ると、今度は、瞑想をして居る外人の男性が映って来た。
其の人は、何も行為をしていないので、誰の邪魔にならないから、誰からも襲われる事がないのである。
しかし、其の人は、他人の事にまで、手を出しそうに無いので、私は其処を立ち去った。
それから、漸く山の方まで逃げると、熊が、人間の赤子を食べ様としている。私は、何とか、其の赤子を助けられないかと意い、其の熊を良く視て見ると、其れは食べるのではなく、熊が口を使って、赤ちゃんをあやしているのである。
不思議に意って、其れを眺めて居ると、私に気付いた熊が、追い駆けて来たので、私は又慌てて逃げ出した。
そして、幾つかの場面の後、屋久島が「宝の島」だとの意味が伝えられ、今朝のメッセージは終わった。
今朝のメッセージは、言葉の違いや、文化の違いが、正しく理解されないと、戦いに発展する可能性がある事と、何も行為のない無為の人は、敵も生じないことが知らされ、また赤子の様に無邪気な者は、熊も襲わないとの意味のようである。
そして、最後に、宝の島と出て来たのは、屋久島は人畜無害の島と成れるし、言葉のキイを紐解けば、無尽蔵に、智恵が引き出される物が、秘められているとの事だろう。
今朝の中山博さんのメッセージは、亀の頭の様で「トキを告げる」との言葉は、未来を開く鍵が、亀の頭に有ると示して来ているようである。
私の15日の映像にも、三頭の亀の形が出て来て、其の頭のカセットを取り替える場面が見せられている。
そして、昨日は、田記さんには「やしま かなえ」と有り、石上神神宮の名が出て「まろ」と言葉が有り、更に「かが」の言葉が告げられたと言う。
私が、今朝「かが」の言葉を、広辞苑を調べると、「かが」は「利」「才覚があること。利口。」と 載っている。
是は「石上神の麿」「赤い鬼灯の目をした龍」が、宇宙を映し出す鏡に関係が有り、才覚を有しているとの事だろう。
「かが」は、他に「かがみそ」の言葉があり、かがみそとは蜥蜴の事で「皮膚が 青縞で光っているトカゲをいう。」と 広辞苑には載っている。
トカゲは、日本語では「戸陰」で、岩戸の秘密を知っているとの意味だと思われる。
アフリカの呪術師の言い伝えには、「岩に住むトカゲは 宇宙の秘密を全部知っている。」とあって、蜥蜴を大事にしているそうである。
「トカゲ・蜥蜴」は「石龍子」とも書くので、日本でも同じ感覚を抱いていたのだろう。中国の「道・タオ」のマークも、陰陽の蜥蜴をデザイン化したものである。
石上神神宮が「石神」で、赤い目が出て来て「かが」と云うのは、岩戸が開く意味を伝えて来ており、宇宙の真実が、明らかにされるとの事かも知れない。
今日の中山博さんのメッセージには、「いま のこらず 古きを 祓うなり。」とある。
私にも、今朝、鳥居の前の獅子は、間違いだと知らされた。
其れは、エジプトでは「ライオン」が水の護り神とされているが、其れは間違いで、ライオンがサバンナの水の側に居るのは、水を護る為ではなく、水辺に居れば、草食獣が水飲みに来るから、獲物を待ち伏せしているだけである。
其れを勘違いして、水の護り神として、噴水や、お風呂や、手水舎の傍らに置くのは、間違いなのである。
是から、新しい文明を築いて行く為には、全ての間違いを、消去しなければ成らないのだ。其れが、我々日本人に与えられた、使命なのである。
今朝の松井選手の起用は、もうアメリカ文明の後追いをするのではなく、日本の独自の文化を、取り戻すように、告げて来たのであろう。
石上神神宮の神霊が、其の事を我われに望んでいるのだ。
私は、磯部・物部の血筋を引く者なのだろう。
こうして、私の血筋のDNAが、蜥蜴の記憶を取り戻しつつあるのだ。
屋久島の山には、「やまかかし」と呼ぶ名の蛇も住んでいる。
私の記憶も、段々と、小さな物へと絞り込まれて行っているようだ。
平成18年3月23日
礒邉自適
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