このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2005/10/30
学びのコース
17・10・30
今朝のメッセージは、屋久島を訪れる人に、幾つかの段階・階梯がある事が示されて来た。
私に全く、関係が無く訪れる人と、私に関係があっても只の観光目的の人、其れに観光目的ではなく、真実を求めて、私の元に学びに訪れる人である。
そして、私達に出される食べ物が、他の人達が食べている物とは違っていた。
今朝は、NHKの総合テレビで6時10分から50分まで、先日お世話に成った友人の武富勝彦氏が、食べ物の件で出演し、古代米に付いて話しをして居た。
私は、武富氏が佐賀県県立農業高等学校の教諭時代からの知り合いで、お互いにマクロビオテックの生活は長い。
武富氏は、三年前にイタリアに本部が在るスローフード協会より「スローフードアワード大賞」を受賞され、筑紫哲也氏も泊まり込みで取材をして番組を制作したり、新聞や雑紙等にも多数紹介されて来た。
其の武富氏が、今朝テレビに出て居た事と、私への今朝のメッセージは、連動している様に感じられる。
武富氏は、93年3月に漢方の「大村雄一氏」と一緒に、屋久島に一度来島しており、私と山に登ったり、自宅の前の安房川のウナギを釣って蒲焼にして食べたりもした。
武富氏は、引き篭もりの若者を自宅に寝泊りさして、立ち直りを援助したりもしている。
私も、阿蘇に住んで自然農の生き方をしている時に、若者を二人だけ、自宅に置いた事があるが、弟子を採ると言う事は、他人には言えない大変な面がある。
私の場合は短期間であったが、武富氏は今でも其れを続けている。
真に、頭の下がる想いがする。私は二度と、弟子を採る様な事はしないと考えて居る。
しかし、今朝のメッセージは、新たな極面を迎えている様なので、心の準備だけは、して措かなければ成らない様だ。
神の意思が、何処に在るのかは、ナカナカ人間には計り知れない処がある。
天・神が、私を右に行かそうとしている場合は、先ず、左に振って来るのである。そうしなければ、右が見え無いからである。
人間の意識は、相対的に組み込まれる様に成っているので、物事の反対側に立たなければ、其れが見え無いし、見えなければ認識する事が出来ないのだ。
其の理屈を、説明しょうとしているのが神社の鏡である。
佛教の教えにも、人間の脳のシステムが説明されている。
其れは、「見る者」と、「見られる物」と、其の「関係性」の成り立ちである。其れは、現在の心理学や、臨床医学でも説明が為される様に成って来ている。
よくテレビ番組に出演する、暗算に得意な人や、数字の記憶に長けた人が、記憶を重ねる物を対象にしている事からも、其れが解かる。
暗算の人は算盤が、数字記憶の人は、自分の馴染んだ道筋等の風景が、基盤と成って、情報処理を行なっている。
人間の脳は、物の対象がなければ働かないのだ。
其の為に、どうしても対象となるモノが必要なのである。人間の学びには、其の対象の物が必要であるし、学びの舞台も、欠かせない物の場である。
今朝のメッセージは、私に、皆の学びの対象物に成れとの事であろうか。
そして屋久島の自然が、魂の学びの舞台として、最適だと言う事であろうか。
惟一つ、気に成る事が私にはある。
其れは、今朝の映像の中で、私を訪ねて来た若者が、車に置いていた荷物の中から財布を盗まれ、お金が全部無く成ってしまい、警察に届ける場面があった事である。
私には、其れに対しては、何もする事が出来ない。
其れは、私が全ての物を捨てて居るからである。
屋久島は世界遺産登録後、不特定多数の人間が、年間30万人も、飛行機や高速船等で、引っ切り無しに遣って来て、出入りが激しく成って来ている。
そんな状況の中で、盗まれた事を警察に云っても、解決には成らないであろう。
幾ら世界自然遺産の島と言っても、人間が、自然の侭と言う分けではない。
島の人間では無い人の行為まで、屋久島での出来事として受け取られれば、屋久島のイメージは壊れてしまう。
私を訪ねて来る人達に、其処のところは自己責任で解決する様、前以て知らせて置く様告げて来たのだろう。
私は、地球の有様を認識しながら、其れを頭の中で映像化し、宇宙意識への情報の書き込みと、受信を続けて行かなければ成らない。
人間の盗みの行為は、一番のカルマである。
其れを見聞きする事は、一番三次元に意識が落ちる事でもある。
私は、自分の意識を護りながら、人類の未来に、貢献して行かなければ成らないのだ。
其の辺の処は、普通の人に説明しても理解されないので、自分で調整して行かなければ成らない。其の為の、21年間の修業であったのだ。
しかし、今朝のメッセージでも明らかな様に、見え無い世界で、強力な情報網が支えと成っている事は、確かな事なので、私は三宝荒神をイメージに置きながら、安心立命の心構えで進んで行けば良いのだろう。
釈迦が出来なかった事柄や、老子が手を出さなかった世界が、ようやく始まろうとしている様である。
今回の神界の作戦は、最後の大仕掛けである。
私一人に、其の大役が務まる分けがない。時空を越えた、世界に住んでいる聖霊や、武富氏の様に、今回の作戦の為に、地上に降りて参加をして居る人達の存在が、確認済みでなければ、私もこんな文章は打てない。
私は惟、事の始まりを冷静に見詰めて行くしか無いのだ。
其の為に、悠々自適の名を持参して来たのだから。
平成17年10月30日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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