このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2005/10/19
トリスタン
17・10・19
今朝のメッセージは、文章の中に何回も「蟷螂・カマキリ」の事が出て来た。
そして、既にこの世に居無い私の無庵師匠の姿が現れ、私を机の上に上げ、其の机に両手を着いて「余計な事を 書き込んで申し訳なかった」と頭を下げた。
そして、大きく成った息子を呼び、息子が書いた文章を私に見せた。
其れは、劇画の文章の様で、宮本武蔵の言語体文章のイメージを受けた。其の文章の中に、日本語ではない意味が含まれていて、其れを気にすると「トリスタン」との言葉が来た。そして、「トリスタン」に関係して「仕立て屋」との意味が伝えられて来た。
朝起きて広辞苑で「トリスタン」を調べると【Tristan】英語・ドイツ語・フランス語の男子名。−トリスタン物語。 トリスタンは「円卓の騎士」と 載っている。
今朝のメッセージは、トータル的に判断すると「雄」特に「男」の役割を知らせて来ている様である。
昆虫の蟷螂は、交尾が済んで遺伝子を残したら、其の産まれて来る子供の為に、雌の餌に成って食われてしまう。自分の身体まで、遺伝子を残す為に最大限利用するのである。其れは、生き物の鏡と言える。
まるで、宮本武蔵(1584〜1645)の影響を受けた、佐賀藩士「山本常朝(やまもと じょうちょう)」、万治2年6月11日(1659年7月30日) -享保4年10月10日(1719年11月21日)の葉隠れの精神「死ぬことと見つけたり」の心境が思い浮かんで来る。
其れが、トリスタン・騎士の一番格好良い生き方と言う事だろうか。
しかし、何故、無庵師匠が私に「余計な事を 書き込んで申し訳なかった」と、両手を着いて謝らなければ成らないのか、其れが能く解からない。
無庵師匠が、私を探し出し「世界を救う役目が有る」と云わなければ、私は普通の悩める一人の男として人生を終って居た筈である。
「トリスタン・円卓の騎士」と「仕立て屋」との言葉の組み合わせの意味は、今朝の映像で無庵師匠が私を机の上に上げて、両手を着いて誤った事と関係があり、私を世直しの為の「円卓の騎士」に仕立て上げようとした事に関係が有るのではないだろうか。
其の大恩有る師が「余計な事を書き込んでしまった」とは「惟神の道」に外れた事をしてしまったと、暗に知らせて来たのであろうか。
そして、息子まで呼んでトリスタン物語を読んで聞かすとは、流石に私の師である。師は天に還って三年に成るが、今だに、私の事に気を使って下さって居る様である。私は、其の師に、仕立てられた一人なのだ。
云っては成らないが、云わなければ、解からない此の「神惟道・かんながらのみち」世界は、弟子と、師の間の、微妙な能力のバランス感覚で成り立っている。
此の世も、あの世も、一繋がりで存在しているのだ。
私が、無庵師匠を探し出して門を叩いたのではなく、無庵師匠の方が長年探してようやく私を見つけ出してくれたのである。其れは「菩提達磨・ボーディダルマ」」が、南インドから遥々中国に「慧可」を探しに旅をして来て、壁面9年の世界が有った事に似ている。
そして「トリスタン」の仕立て屋は、今日も何処かで、其の針を動かして居るのだ。
今日は、道を求めた過去の人達の、総決算の日である様だ。
10月23日は、私の父の41年忌である。私の父は、私が17歳の秋に、あの世に旅だったが、此の世に居る時と同じく、人類の未来の為に心を砕いて居た様である。私が、此処まで、心身共に成長した事に、父は満足して居るのではないだろうか。そうであれば、私も其れなりの答えを出さなければ成らないだろう。
私の、今の時点での答えは、「いのち」とは 遺伝子を傳へ残すシステム。
「たましい」とは 其の遺伝子の情報の塊(かたまり)。と成るだろうか。
蟷螂の魂しいを、引き合いに出して来るとは、霊界人達もナカナカのものである。私もボツボツ、霊界人達の供養をする心構えが必要なのであろうか。
私は是迄、自分の生活をメタメタに壊した霊界人に、稀に小言を言って居たが、もう、それも止めなければ成らない時期を迎えた様である。
平成17年10月19日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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