このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2001/6/21
大田に途中下車せよ
13・6・21
今朝のメッセージで、「大田に途中下車せよ」と有った。
大田とは、島根県大田市の事だと思われる。
と言うのは、今月15日に、私は初めて、大田市に存在する「物部神社」を参拝したからである。
6月15日のメッセージには、「ミネラルが不足しているから 頭が悪いし イライラもする。だから 子供達に 早く岩を溶かした水を 飲ませろ」と有った。
其の日は、先ず、地元に住んでいる「安部忠宏氏」と、愛媛県中山町から一緒に出掛けて来た「白土宏氏一行」とで、出雲市の隣の斐川町に存在する「万九千(マンクセ)神社」に参拝した。
その時に、神社の境内で「三瓶が ひとまわり大きくなる」と、メッセージが有った。
私は、三瓶とは、「三瓶山・さんべさん」の事であろうと想った。
其の、海抜1126mの高さの三瓶山は、万九千神社からでも見えている。
其の、三瓶山の麓の大田市に、「物部神社」が存在する事は、私は以前から知っていた。
私は、其の「物部神社」には一度も行っていないので、行きたいと思い、安部忠宏氏に其の事を伝えた。
そして、昼食の後、白土氏一行に別れを告げて、安部忠宏氏と二人で大田市に向かった。
物部神社に到着すると、鳥居の所で「此処は 貴方の神社だ。ゆっくりしていろ。」と、男の声でメッセージが有った。
そして、鳥居を潜って御手洗いの所に行くと、其処には、少しピンク色掛かった大きな岩が置かれていて、其の岩が刳り抜かれて、御手洗いの水が流されていた。
そして、其の岩の所には、説明の立て札が有り、「此の岩の水は 身体に良い」との理・ことが書いて有るのである。
其の日の朝の、夢のメッセージは、其の岩の事であり、メッセージは其の神社の祭神からのモノであった事が、判明したのである。
神社の拝殿でお参りを済ませて、拝殿の階段に腰掛けて休んでいると、其処に、一人の近所の「お婆さん」が、お参りにやって来た。
安部さんが、其のお婆さんに声を掛けて話し始めると、近所に住む方で、毎日お参りに来るとの事である。
其のお婆さんは、年齢が82歳で、嫁いで来てから現在まで、精米所を続けているとの事だった。82歳で現役とは、びっくりである。
話している間に、物部神社は昔、裏山の上に有ったのを、現地に移転したもので、以前の場所には、石碑が建っていると言う事であった。
其れから、神社の拝殿の横に有る、小道の入り口も教えてくれた。
「ゆっくりしていろ」と言うメッセージを受けて、出会ったお婆さんの言う事なので、行かないわけにはいかず、安部さんと二人で裏山に登る事にした。
神社の左横の細い道を、200m程登ると、森の中に石垣が有り、石柱で囲まれた中に、石が積まれており、其の中央に、文字も何もない2m程の石碑が建っている。
私が、其の石碑をカメラに納めてから、手を合わせると、左の足の裏から、電気の様な気・エネルギーが強く流れ込んで来た。
以前、安部忠宏氏の自宅の横の「狩山八幡神社」の境内に有る、相撲の土俵の真ん中に立った時に、真上から、頭頂に電気がビリビリと強く流れ下って来て、痛いので、慌てて土俵の外に出た事が有ったが、足の裏からは、初めての体験である。
裏山から降りて来ると、社務所に権禰宜(ごんねぎ)の「中田宏記氏」が居られ、安部さんが、色々な事を中田宏記氏に訊ね始めた。
私は、ビデオカメラで、其の様子を撮影をしながら聞いていた。
其の話の中で、大変興味が湧いたのは、物部神社に伝わっている雨乞いの行事を、30年ぶりに復活させようとして、祈雨祭の儀式を始めたら、途中から雨になり、其れが大雨と成って、昭和18年9月の岩見地方の大水害に繋がり、ビックリして、再び中止になっているとの事だった。
雨乞いの儀式が、効き過ぎたらしいのである。
物部神社は、岩見国の一宮であり、御祭神は「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」で、物部氏の初代だとの事である。
物部の名前では、聖徳太子と蘇我馬子に殺された「物部守屋・もののべのもりや」が、有名である。
古代の、祭祀の中心であった物部家の長である「物部守屋」は、聖徳太子が政(まつりごと)の主体に仏教を取り入れる時に、古神道側の立場である物部守屋が反対したので、戦いと成って殺してしまったのである。
現在では、何事も無かったかの様に、奈良県天理市に「石上神社・いそのかみ」として、物部の神社は存在する。
大田市の、物部神社の社務所の中田宏記氏の話では、奈良県の石上神社は、物部族の祖先の霊を祭るのが主で、大田の物部神社は祈祷が主だとの事であった。
物部神社の裏山は、「八百山・やおやま」と称して、御祭神の御神墓を祭祀していると、案内書に書かれていた。
私達は、物部神社を後にして、次の「五十猛神社・いそたけるじんじゃ」と「新羅神社・しらぎじんじゃ」へ向かった。
其方へ行く途中で、岡山市に住む、通称「スーリアさん」より電話が有り、「何か 有りましたか」と訊ねて来た。
私は、墳墓でエネルギーを受けたので「有ったよ」と答えると、「何が有ったのか」とスーリアさんは訊いた。
私が、神社での出来事を説明すると、スーリアさんは「私も 3時45分に 至福に包まれたの」との事である。
その時間は、私達が神社の裏山に居た時刻であった。
其れ等の事から、私が、物部神社の「宇摩志麻遅命」の墓に参拝した事は、霊界にも強い影響が有った事が理解できる。
私は16日、17日、18日と、大阪、神戸を廻って、19日夜愛媛の自宅に帰ってきた。
そして、今朝のメッセージである。
今朝の霊夢の中では、私の意識は、先へ進もうとして居たが、トンネル工事中で進めなくて、途中で横へ出なければならなかった。
其の、場所の名が「大田」だったのである。
途中、大田へ寄らなければ、目的地に着く事が出来ないらしい。
私は、17年前の秋、伊勢神宮へ参拝した時に「今まで 八回トンネルを抜けるのに 失敗した。今度が九回目で 最後のチャンスだ。」との、メッセージを受けた事が有る。
其の事と、今朝のトンネルの事が同じであれば、トンネルを潜るのは、もう間近であり、その前に、大田に寄らなければならないと言う事に成る。
「定着した画像」http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
夢の中の大田が、大田市の物部神社の事であれば、物部の神は、大和朝廷の「申食国政太夫・おすくにのまつりごともうすのまえつきみ」と言う、神職を司った神である。
新天皇が即位する時には、大嘗祭と言う儀式が行われる。
其の大嘗祭での儀式は、新嘗の儀式であり、その新嘗の儀式こそ、石神神宮に伝わる「おすくにのまつりごと」の儀式である。
トンネルを潜り抜ける前に、大田に寄らなければならないのは、長い間「申食国政太夫」の役目が、果たされていないとの事だったのではないだろうか。
私が、物部の霊を背負っているのであれば、其の「食国の政(まつりごと)」を復活しなければならない事になる。
18日に、大阪の「住吉神社」に参拝し、境内にある「種貸神社」が気に成ったので、お参りをした。
すると、その「種貸神社」の祭神が「一番苦労した」と云うのである。
其の御祭神は、「宇加の御魂」で「須佐之男尊の子供」となっている。
「ウカ」と言うのは、食物の事である。
したがって、食物の神なので、食物が一番大事だと言う理・ことになる。
私も、屋久島で無庵師匠に捜されて、「玄米自然食」を始めて17年が経った。
一番大切な理・ことを、続けて来た結果が、現在の状況と言う事に成る。
是までの事を考えると、一応 神の計画も、私の修行も、順調に行っている事になる。
平成13年6月21日
礒邉自適
追伸:6月23日に、物部神社での写真が出来たので見てみると、宇摩志麻遅命の御神墓の石碑の横に、白く光り輝く神の霊が写っている。
私も、初めて見る神霊の姿だ。
色は白く輝いているので、高い霊体であることが理解できる。
いよいよ、神の本番が始まるのだろうか。
平成13年6月23日
礒邉自適
「大田市物部神社」http://moon.ap.teacup.com/20051112/149.html

投稿者: 礒邉自適
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