このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2002/6/11
聴
14・6・11
屋久島でのスーリアサロンを無事に終え、5日振りに、四国の中山町に今朝午前3時ごろ帰って来た。
着いて、直ぐ眠ったが、明け方、疲れた頭に、「聴」の文字が大きく現れて来た。
其の意味を知ろうと、夢うつつの中で模索していると、私は20歳迄、よく屋久島各地の隠居所を訪ね回って、老人に、昔の話を聞いていた事を思い出した。其の事で、私には、聴く力が付いていたのかと想われて来た。
考えて見れば、子供は、大人の話を聞きながら、自分の創造心を膨らませて行く。
昔話は、その中でも重要な役割を果していたものと想える。
「昔々 あるところに おじいさんと おばあさんが居て おじいさんは山に芝刈りに おばあさんは川にせんたくに・・・」との言葉は、時間と、場所と、人間と、仕事が、順番に映像として、頭に浮かぶ様になっているのだ。
子供の頃から、昔話を聞いていると、内容が、絵として浮かんで来る様に成るのである。その事が、聴く力を養う事に役立ったのではないだろうか。
その延長線上に、神のメッセージを受け取る作業が、重なって来る。
神のメッセージにも、日付、時間、人、場所、する事の内容などが、含まれている。
其れ等を、受け取る事が出来るには、それなりの思考の訓練が必要なのだ。
私は、机で勉強するのではなく、神のメッセージを受け取る為の訓練を、子供の頃からさせられていた事になる。
神のメッセージを受け始めて、6月4日で丸18年が過ぎ去り、19年目に突入した。
5月5日に、屋久島の実家で、父親の仏壇に手を合すと、「明日から、よい事ばかりが有る」と告げられた。其れから、確かに、事が吉い方向に進んでいる。
丸、18年目の6月4日に車を貰い、5日に名義変更をして、6月6日には大工道具と、身の回りの物を車に積み込み、屋久島へ向けて出発した。
屋久島の段取りを終えて、8日の午後、スーリアサロンのメンバー15名を受け入れて、2泊3日の行事を全て、順調に済ませる事が出来た。
明日から再び、出雲→ 大阪→ 横浜→ 和歌山→ 岡山と巡回し、28日頃屋久島に帰る事になっている。
18年間、母親孝行をしていないので、母親の家の修理をしたりして、しばらく休養をはかりたいと想っている。
来月からの予定は、何も無いが、また神の動きが始まる事だろう。18年間の旅で、何が起きても、対処出来る自信は付いた様である。
「聴」と言う作業も、人一倍実力が付いた感じもする。
旧約聖書も、誰かが、神のメッセージを受け取り、それが言葉となり、予言書となったものである。
そして、現在・いま、新しい神のメッセージが届き始めている。
神の指導に因る、新しい時代の始まりは、もう目の前に迫っているのだ。
18年前は、人類への警告の内容が多かったが、是からは、人類の未来創造の予告が、伝えられて来る事であろう。
是からは、聴く事の作業が、楽しみである。
平成14年6月11日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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