このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2006/8/31
屋久島生命研究所の設立に当たり
18・8・31
屋久島は、周囲132kmのほぼ円形の島で、面積は503平方kmです。
約80%が国有林で、残り20%も平地が少なく、地形も2000mの山々が連なっているので、山岳島と云えます。
屋久島は年間4000mmもの雨量が有り、山岳では9000mmもの雨量を記録しております。
其の雨に支えられ、縄文杉を始めとして、1500種類もの植物(固有種50を含む)や、他に600種以上の苔類が大地を被い、流れ下る富栄養水は、580種類もの魚類を島に呼び寄せています。
此の自然豊かな屋久島は、1994年12月に世界自然遺産に登録され、其の価値が再認識される事に成りました。
しかし、学術研究の対象として選ばれた島の自然も、未だ、研究の門口に立ったばかりだと云えます。
其の屋久島で、生まれ育った私が、現在想っている事は、私達人類が生存出来る第一条件は、豊かな自然と水に在ると言う理であり、其の理・ことは現在万民が認める処でもあります。
屋久島は、半径14kmの中に、海抜2000mの山頂まで12度の温度差が有り、山頂は北海道の気候を有し、亜寒帯から寒帯までの植物体系が存在します。故に、植物に関する研究には最適であり、昆虫や小鳥達の生態を調べるにも都合が良いでしょう。
特に、自然遺産登録地である西部地区は、自然観察には最適であります。
北西地区の永田の田舎浜は、赤海亀産卵世界一であり、ラムサール条約で保存地区に指定されました。
一方、東南地区は温暖で農業が盛んですので、農作物の栽培試験地としても有益であります。
屋久島は自然豊かで、空気・水が清く、山岳・川・海の全ての自然条件が揃っています。午前中は1500mの山岳で自然に触れ、午後はサンゴ礁のタイト・プールで熱帯魚と戯れる事が出来ます。
其れは自然研究だけではなく、人間自身の癒しの場であり、人類の存続理由の解明にも繋がるでしょう。
其れ等の事を考えれば、屋久島は、人類の未来世界創造の場として、最適の場と云えます。
昔と違い、交通機関が発達しているので、朝飯は東京で、昼飯は屋久島で食べる事が出来る時代です。
都会の、コンクリートジャングルの中で、生命を語っても、無意味であります。
寧ろ、都会育ちの思考パターンを自然の中に持ち込まれては、弊害を生み出す事が多々有るのです。
此の地球に住む生物は、全て地球環境に支えられて存続しています。
其の一部である人類も、地球環境に、負荷を与えない様にして行かなければ成りません。
是からの、人間社会の在り方を模索する場としても、此の屋久島は最適の場と云えるでしょう。
其の場として「屋久島生命研究所」の設立を提案致します。
平成18年8月31日
屋久島生命研究所設立提案者 第1号
礒邉自適
2006/8/31
新しき八正道
18・8・31
今朝は、新しき「八正道」の作成が伝えられて来た。
其れは、精進の実行である。
樹木は、地上と地下に、無限に自分を拡げて行く意識を持ち、南瓜や薩摩芋などは、四方八方に蔓や根を拡げて行く。
しかし動物は、前の方にしか向く事が出来ない。
だから、肉食をすると、動物の様に一つの方向にしか、意識を伸ばす事が出来なくなる。
私は、子供の頃から 木の実を年中食べていたので、意識が、天国や地獄にまでも、無限に広がって行くのである。
其の延長線上に、宇宙が在ったのだ。
今日は、前田社長や、雅一君が島に来て 是から「屋久島生命研究所」の設立に向けて、動き出す。
其の事の為に、今朝のメッセージは有ったのだろう。
平成18年8月31日
礒邉自適
2006/8/30
黄金の鯉
18・8・30
今朝の映像には、池の中に、黄金の鯉が一匹元気に泳いでいて、水が流れ込んで来る水口に向かって、泳ぎ上がろうとしていた。
其の鯉には、龍の様に、鱗が浮き出て見えていた。
其の映像で、思い当たるのは「鯉の滝登り」と言って、鯉は滝を登れば、龍に変身するとの言い伝えである。
今朝現れた鯉は、黄金色だったので、無事に滝を登れば「金龍」に成ることになる。黄金色の龍は、中国では皇帝の守護神とされている。
いよいよ、新しき王が出現する時節が、迫って来ているのだろうか。
今朝は続いて、私が、会議場の臨席の左側の一番奥の席に、着いている映像が映って来た。
私自身が、席に着いている映像は初めてである。
昨年は、右側の臨席の一番前に、出雲の「安部忠宏氏」が座って居り、次に岡山の「スーリアさん」が座っている映像が映されて来ていた。
是で、行動を起す為の役割の、左側と右側の一番奥に、一組の向かい合わせが出来た事に成る。
今朝の映像は、鯉が源・みなもとまで登り、新しい金龍が登場し、新時代の幕が開かれる事を、告げて来たのだろう。
私は、出雲の安部忠宏氏と1999年6月6日に「瑞穂の国発起人会」の会合を、東京池尻大橋の大橋会館にて開催した。
其の時に、新しい議会の在り方に付いて、神から指示が有り、会議場の机の並べ方や、役割の席も指定されて来た。
其の会議は、二回目が7月27日に飯田橋のシニアアークで開かれ、三回目は茅場町の日生ビルで開催された。
其の後、私の資金的な問題もあり、大掛かりな集いは開催されてはいない。
しかし、其の活動を、私が中止した分けではなく、地道に続けて来てはいる。
其の結果として、第一回目の1999年6月6日から6年目の、昨年6月6日に孔紀氏に繋がり、新しい展開が起きて来ている。
孔紀氏の奨めで、毎日のメッセージをブログに載せる事に成り、其の事で、私の日常も大きく変化して来た。
パソコンに、向かった事の無かった私が、毎日パソコンに向かう事に成り、自分の過去の文章や、写真の整理が始まった。
そして、毎日、神霊界の指示を受ける事と成り、今では、40近いブログの管理をしなければならない事に、成って来ている。
其れは、是までの神社の機能が、パソコンとITの仕組みの中に、置き換わって来ていることを、示す事と成った。
私のHPは、是まで、神社で行われていた霊界の鎮魂の役割を、パソコンの磁気信号の中で果たしている事に成るのである。
其れは、近代科学で証明される事に成ることは、明らかである。
其れは、神社の機能だけではなく、ブッダの役割が、何であるかの証明にも繋がるものである。
世界中に残されている、古代の遺跡が、どの様な役割を果たしていたのか、其の答えも、全て明らかに成って来るであろう。
其れ等の神秘が、全て解明されれば、人間の存在こそが、神に一番近い物である理が、明確にされるのである。
もう古代の様に、大きな施設や、大掛かりな儀式も必要ではなく、天・神は、我々の身近に存在する事が、皆に理解されて来るのだ。
そう成れば、昔の様な権力機能は必要なく、真理に導かれた人々によって、新しい社会構造が出来上がるのである。
現在の様な政治機構は一変し、理想的な、経世済民のまつりごとが行なわれる様に成るのである。
今朝のメッセージは、其の事が、始まる事を告げて来たのだろう。
わたしは22年前、無庵師匠に、自分の本来の命持ちを知らされ、其れに素直に22年間従って来た。
其の無庵師匠は、既に此の世の人ではないが、無庵師匠の意いが、いよいよ現実のものと成れば、師も草葉の陰で、喜ぶのではないだろうか。
私が是まで、22年間此の神の道を歩いて来て、理解出来た理は、私の自己意識などと云うものは一切無く、ただ其の様にプログラムが進んでいると言うことである。
我々が、眼に見えている世界は、大いなる智慧が「縁・情報」として組み上げている、ホログラフィーにしか過ぎないのである。
そのホログラフィーの中で、我々人類は、認識を進めているにしか過ぎないのである。
私達の、自己の存在とは、幻の様なもので、実在はしないのである。
在るのは、此の感覚を生み出している、人間の五体を創造し、維持管理している、大いなる智慧の主だけである。
@其れが理解できれば、般若波羅蜜を得た事に成るのだ。
滝を登る龍とは、其の意識に達した者の、意識体の意味ではないだろうか。
平成18年8月30日
礒邉自適
2006/8/28
三つの窓
18・8・28
今日は、一湊の白川山の「やまびこ館」で、百姓詩人と呼ばれていた「山尾三省氏」の五周回忌が行なわれるので、私も、直ぐ出かけなければならないが、今朝の映像を忘れない間に、書いて措こうと意いパソコンに向かっている。
始めの映像に、パソコンの画面が現れ、横向きに小さな小窓が三つ並んでいて、左から一・二・三の番の順位が付いていた。
私は、先ず、一番右側の小窓をクイックすると、人間の名簿や、集会所のリストや、必要な物の資料が出て来た。
次に、中の窓をクイックすると、狭い戸から、自転車を外に出す場面が現れた。無事に自転車を外に出したので、最後に、左側の小窓をクイックすると「F」の文字が一つだけ現れた。そして、「F分の1」の言葉が頭に浮かんだ。
朝起きて、其れ等の意味を考えると、老子の言葉を思い出した。
老子の「初めに 一が有り 其の一から二が生まれ 其の二から三が生まれ 其の三から 全てが生まれる」と言うものである。
其れに、照らし合わせて考えれば、初めに開けた、右側の三番目の世界が老子の謂う「全てが生まれる」世界で、人や社会や物が動く世界である。
次の二番目の世界は、自転車は回転運動を意味し、広い宇宙に回転運動が起きて、狭い戸が開けられて銀河が生まれ、星が生産される理を意味しているのではないだろうか。
そして、最後の一番左側の「F」は、闇の無の中に揺らぎが発生し、宇宙が始まる理・ことを意味しているのだろう。
其の様に考えると、2600年前の老子の生きた時代とは、人間の認識が随分変わって来ている事が解る。
それだけ科学が発達し、人間の宇宙に関する捉え方も、変化してきたのだ。
広大で、行き詰りの壁の無い、闇のなかに或る揺らぎが発生し、其の揺らぎから螺旋運動が起きて、質量が生まれ、其の質量の爆発から、光りが生まれて物質を産み出して来た。
其の物質から星雲が生まれ、銀河が発生し、其の銀河の中に、我々の暮らす惑星が誕生して来た。
そして、其の惑星の一つである地球に、生命活動が生まれて、其の最先端に、我々人間が存在しているのである。
其の流れを意識すれば、我々人間は、広大な宇宙の歴史を、自分自身で創り出して来た事に成る。
今朝は、我々人間の存在こそ、揺らぎの中に、回転運動を維持しながら、物象に関わっている存在と言える。
其の我々の活動こそ、宇宙の存在を支えている基礎なのである。だから、我々の活動自体が、宇宙にとって一番大事なのである。
今日は、山尾三省の五回忌だが、三省の名は「日々三省する」の論語の言葉である。
《「論語」学而の「吾日に吾が身を三省す。人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝えしかと」から》毎日三度反省すること。1日に何度も自分の言行をふりかえってみて、過失のないようにすること。
Yahoo辞書より
何故、今朝、一・二・三・の世界が伝えられて来たのだろうか。
今朝は、他には、何もメッセージが無かったので、三省や 老子や 賢治が揃って、私に結論を示して来たのかも知れない。
私は、4年前の4月24日に屋久島に帰って来たが、何故か自宅には向かわず「宮の浦」の港から、三省の墓に直接向かう事に成ったしまった。
そして、三省の墓の前で手を合わすと、「礎・いしずえ」との言葉が、一言だけ有った。
其れは、三省さん自身が、文化の礎として、一個の布石と成った事を、伝えて来たものだろう。
今朝の、簡単ではあるが意味深い三つの小窓は、是からの文明・文化を築いて行く為の、大きなヒントと成るものではないだろうか。
其れは、彼の世の霊魂と、此の世に暮らす我々との間に、新しい交信機器として、パソコンが役割を果たし始めている事を、理解出来るものである。
花崗岩に含まれる珪素(シリコン・シリカ)は、光りファイバーのガラス管として、磁気信号を送る為に、IT機器の主役の役割を果たし始めている。
もう、賢治の999は、パソコンを通して、我々の夢の中を、磁気信号と成って走り初めているのである。
三省忌に
平成18年8月28日
礒邉自適
2006/8/25
父性の回復
18・8・25
今朝の映像は、民族衣装を着た、50歳代の貫禄の有る男性が、中央正面に立って、此方を見て居る処から始まった。
次に、其の男性の立っている、右肩上の宇宙から、七色の織り糸や、丸や四角の図柄等が、帯状に続いて流れ下って来た。
そして、今朝のメッセージは「世界の民族衣装」と「父性の復活」が、テーマに成っている事が知らされた。
今朝の映像に現れた男性は、緑色の上着を着て、下にはこげ茶色のスカートみたいな物を着けて居た。
言葉は一言も話さなかったが、身分の高い指導者である事は、ハッキリと理解出来た。
其の男性の上空から、様々の図柄や、美しい織り糸が、途切れる事無く降りて来たのは、何を意味しているのだろうか。
私が、今朝のメッセージで感じる事は、寒くて夜の長い国「イギリス」の民族衣装である、スーツとネクタイの装いを、真夏の日本で、真似る事を止めることである。
冬なら兎も角、蒸し暑い季節には、浴衣の国である日本で、真夏に首を絞めて体温が逃げない様にし、上着を着ていなければ成らないのは、馬鹿な考えと云うべきなのである。
其れは、自然環境を考えに入れない、馬鹿な人達のマナーなのである。
冬は、確かに、綿入れを着るより、革ジャンや毛皮のコートの方が、季節に合っている。しかし、日本の夏には、綿や麻で出来た「ゆかた風」の衣装が、季節に合っているのである。
其れ等の、民族衣装をデザインして来たのは、男性の感覚ではないだろうか。
世の中の「文化・文明」は、殆ど男性が開発・創造したもので、其れを維持して来たのは女性の力である。
今朝のメッセージは、其れよりも更に、奥深い生命の謎が解かれて来ている。
其れは、生命の姿を変化させて来たのは、雌ではなく、雄の能力であると言うことだ。
其れをどう説明したら良いだろうか。
簡単に、一口に謂ってしまえば「雌は 代謝系(物質代謝)を維持しており 雄は変化を促している。」となるだろうか。
雌の働きは、出来るだけ遺伝子が変化しない様に、安定を護る事にある。
其れだけでは、環境の変化に対応出来ずに滅んでしまうので、雄が、環境情報を収集して来て、変化を齎すのである。
詰り、雄は、絶えず変化を模索して行くのが、本能として備わっているのだ。其れこそが、雄が存在する唯一の理由なのである。
例を挙げれば、養老孟司先生の趣味は昆虫採集であり、何を集めているかと云うと、何千匹ものヒゲゾウ虫を集めて、その雄のペニスの形の違いを研究しているのである。
ヒゲゾウ虫は、距離や高低差で、ペニスの形が違うのだそうである。
何故、同じ品種の虫が、場所や気温の違いで、ペニスの形を変えて行くのか、其れは、雄が、雌との交尾の為に、絶えず変化を求めているからである。
先日NHKの番組で、蘭の花の唇・リップが、虫に花粉を運ばせる為に、様々な形に変形しているのが放映されていた。
不思議なのは、蘭の花のリップが、蜂の雌の姿にそっくりで、其れを見つけた雄蜂が、交尾に遣って来て止まると、其のリップが跳ね上がり、上に有る花粉の塊を、蜂の背中に背負わせるのである。
其れは、蘭の花が、花粉(遺伝情報)を虫に運ばせる為に、自分の身体(リップ)を、変化させている事に成る。
其の、植物の蘭の行動も、ヒゲゾウムシの行動と同じであり、遺伝情報を伝える為に、自分の姿を創造・変化している事に成る。
更に、鳥の世界は、雄の方が、色彩豊かで艶やかな装いをしているが、雌は卵を産んだり、抱いて孵化させなければならないので、地味な色や姿をしている。其れは、鳥の世界は雌が主体であるので、雄は、雌を獲得する為に、刺激的に振舞う必要があるからだ。
鳥の世界でも、雄が創造性を求められている事に成る。
其れに、植物でも目立っているのは、花粉を飛ばす雄花の方である。
花粉症の原因の杉花粉も雄花であり、松や山桃も、花が目立つのは皆雄花であり、雌花は目立たない。
植物の世界でも、花粉を飛ばす役割の方が、形を変化させて来ているのである。
今朝の映像は、男性の上空から、色彩や図柄が降りて来た。
其れは、色彩や図柄を受け取って、生命を彩って行くのは、男性の役割だと告げて来たのだろう。
活け花や、茶道や書道も、男性が皆、創造した世界であり、女性が、其の世界を維持して伝わって来たものである。
服作りや料理の世界も、男性の方が上手である。全ての文化・文明は、男性が開発して来ている事は、誰の目にも明らかである。
何故、女性よりも男性が、全ての世界で優位に立っているのか。
其れは、女性は、子供を産み育てる役割が有るので、其の事にエネルギーを投入しなければ成らないから、余計な事は皆、男性に押し付けてしまったのである。
寧ろ、其の為に、自分の一部を切り離して、雄を造り出したのだと、言った方が当っているのだろう。
其の理から考えても、雄は、雌の為に悪戦苦闘しても、仕えなければ成らない事に成っていると、考えた方が良いだろう。
其れが、雄・オトコの役割なのである。そして、只 雄の役割を果たせば良いと言う訳ではない。
植物や動物と違って、人間は複雑な魂しいを備えている。
優秀な魂を持った、子供達を育てて行くには、其れなりの能力を、持たなければ成らないのだ。
其れが、今朝の「父性の回復」の意味なのだろう。
そして「世界の民族衣装」とは、男達が、自分のオリジナルを取り戻し、自分達の遺伝情報に合った、「文化・文明」を取り戻せとの事なのである。
日本には「伊達男・だておとこ」の言葉が有る。
其れは、伊達政宗が派手な装いをしていた事に、由来している。
明治維新で、西洋文化を取り入れて、背広や軍服姿に一元化される迄は、日本人は、自分の好きなコスチュームを採用していたのである。
其れが、クソ暑い夏に、同じ色彩の上着を着て、汗だくに成って、無意味な日常を送って居る人達は、本来の雄の働きを、失っていると言える。
そんな姿の父親の侭、一生を過ごせば、子供達にも、夢や希望は育たない。
人間社会も、本来の姿に立ち返り、雄が、自分のオリジナル開発に燃え始めれば、其処に雄同士の戦いが生まれ、男性の本能が目覚め、能力がアップするのだ。
其の世界で、闘志を燃やせば、同じ服を着て、皆で人殺しの稽古を遣って居る事など、馬鹿馬鹿しく成って来る筈である。
チャンバラや、鉄砲ゴッコは、小学校時代で卒業すべきなのだ。
今朝のメッセージは、新たな世界を、男供に創れと告げて来ているのだ。
其の為にこそ、人間の認識に○・△・□の図形や、色とりどりの素材が与えられているのである。
人間は何故、鳥達と違い、美しい羽根をもぎ取られたのか。
其れは、裸に成る事で、様々な装いを創造しなければ成らないからである。
其の事が、人間の想像力の源に成っているのである。
自分の肉体を、変化させる事を止められた人類は、代りに、器用な手足と大きな脳を与えられている。
其れを、最大限生かさなければ成らないトキを、迎えたのである。
子供達の未来の為にも、逞しくも美しい父性が、世界中に登場しなければ成らないのである。
段々と メッセージが 具体的に成り 此の世のモノと成って来ている。
平成18年8月25日
礒邉自適
2006/8/23
最後のガスライト
18・8・23
今日は、私の父と祖父の月命日である。
其の日に、26年前に31歳で亡く成った、直ぐ下の弟が、ガスライトを持って出て来た。
私には、5歳下の弟が、実家を継いで現存している。
其の弟と、霊界の弟が、稀に霊夢に出て来る。どうやら、神意識は二人の弟の姿を、彼の世と、此の世に使い分けて、メッセージを組み立てて来るようである。
今朝の映像は、始めに、赤暗いひだひだのトンネルみたいな所に、私の意識が在る処から始まった。其れは、自分のお腹の中の、腸内壁の映像の様である。
私は未だ、小型カメラで腸の内側を覗き視た事はないが、多分、腸内の様子は今朝の映像で見た感じの様な、物ではないかと想われる。
しかし、何故、未だ視た事が無い、腸内の映像が映されて来たのだろうか。
其れは、腸内の微生物が、自分が生活している家の中を、細胞か、血液を通して、私の脳裏に示して来たモノ・現象かもしれない。
今朝は、其の映像から、題を「腹の虫」としたかったのだが、弟が、私に渡したガスライトの方が気に成って、「最後のガスライト」にした。
其のガスライトの映像は、私の霊魂意識の中で、何かが爆発したので、そちらを見に行くと、31年前に亡く成った私の弟が居て、カーバイドのガスランプに火を点そうとして、漏れたガスに火が点き、爆発したらしいのだ。
私が近くに行って、其のガスランプを見ると、カーバイドを中に入れてから固定する、ボルトのネジが壊れている。
蓋が良く閉まらないので、其処からガスが漏れて、ある程度溜まった処で、爆発を繰り返しているのである。
私が、其れを修理する為に、工場の中を見て歩くと、古くて壊れたガスランプの残骸は、澤山方々に有るのだが、修理に使える部品が、一つも見付からないのである。
私は何とかしたいので、違う次元の壁を開けて、部品を調達しようとしたが、其の世界の人は、戸を閉めて顔を隠してしまった。
しかたが無いので、私は弟が扱っていた、一個だけ残されている、其の壊れたガスランプを、此の世に持ち帰る事にした。
そうしなければ、過去から、灯され続けていた明かりが、全て消えて、闇に覆われてしまうらしいのである。
其の映像の意味は、他の世界に依存せず、此の世に、新しい灯りを点火しなければ、世界が終わる事を意味している。
そして、其の作業を任されているのが、此の私らしいのだ。
新しい灯りを、点さなければ成らないとの事は、それで理解されたのだが、腸内の映像の意味は、少し複雑なようである。
其の腸内の映像が映された後、ジプシーか、流浪の音楽家の様な、男女のペアーが映って来て、其の人達の顔が、目の前に迫って来た。
其の二人の顔や首筋には、エイズに冒された様に、吹き出物が澤山出来ていて、其の症状が段々悪化し、やがて唇や瞼から、粘液みたいな物が流れ出し、肉が溶けて行くのである。
其れは、カラーでハッキリと映されて来たので、とても普通には、見て居られない状況である。
何故、其の様な映像が映されて来たのかと言うと、私が一昨日の夕食で、スーパーで売っている、鶏の手羽先の料理の味着けがあまりにも良く、美味しかったので、5切れも食べてしまった為に、其の鶏の波動を受けた細胞が、危機を伝えて来たのだろう。
鶏とは、庭の鳥の意味で「ニワトリ」と名付けられているのである。
処が、現在・いまのニワトリは、「庭鳥」ではなく「家鳥」である。
鶏肉に成る鶏は、太陽の当らない小屋の中で、運動不足の侭育てられ、55日くらいで出荷されるのである。
其れは、ブクブク太った肥満児の子供と、同じ状態である。其れは、昔のニワトリとは違い、未だ味も素っ気も無い状態だから、化学調味料で味付けしないと、とても食べられた物ではない。
餌は、化学肥料と農薬で栽培された物で、貯蔵庫では、穀象虫やシロアリに食べられない為に、殺虫剤が混合されている。
鶏は、そんな餌を食べさせられて、運動も出来ないし、太陽の光りを羽根で受け取る事も出来ないので、病気に成るのである。
オマケに、病気に成らない為に、抗生物質を毎日与えられている。
だから、不自然極まりない食べ物と、成ってしまっているのである。
其れは、ブロイラーだけではなく、卵や養殖のハマチ等の魚類も同じである。
今朝のメッセージは、お腹の中の微生物が気分を悪くして、そんな物を食べていると、細胞がクウデターを起して病気にしてしまうぞと、脅して来たものだろう。
しかし、其れは、笑い話しとして済ます事は、出来ないのである。
大分県の、高崎山の猿が奇形に成り始めたのは、輸入の穀物の餌を与え始めて3代目からである。
人間社会も猿と同じく、3代目が生まれ始めているのである。
昭和30年代から、大型流通食品界が発展し、食品に添加物・防腐剤・着色料・甘味料・科学調味料が使われ始め、店先からカビの生えた物や、腐敗した食物が無く成って来た。
それで流通システムは整ったが、肝腎な人間の身体が、其の犠牲と成って来たのである。
其の結果が、世界一の自然流産率であり、医療に使われる、金や資材・施設の多さである。
其の結果、農業の跡継ぎは、全国で年間1千〜2千人程度だが、医者に成る人は8千〜9千人程居るとの事である。
其れだけを見ても、日本の社会が異常である事が解る。
其れは、国民全体がわざわざ病気に罹り、自殺に向かって、ひた走っているかの在り様である。
そんな日本社会だから、明かりが消えてしまっているのである。
此の世の人間が、消えてしまえば、霊界に居る霊魂達も、拠り所を失ってしまうのだ。だから、何とか立て直して欲しいと、告げて来ているのである。
昨日は、其の見通しが立ったので、満開の桜の花が映されて来たのだろう。
それで、私は少し安心して居たのだが、今日は、其の矛先が、再び私に向けられて来た。
昨日の良い映像は、たった一日の糠喜びだった様である。
是からは、私が未来の灯りを点し続けなければ成らないらしい。
其の灯りとは、何なのだろうか。
其れが、生活の建て直しであり、食べ物の選び方なのであろう。
しかし其れは、各個人が努力すべき事なので、私が、他人の食べる物を、どうこうする事は出来ない。
私が出来る事は、22年間、全国を歩いて来て集めた情報を、ITに公表して皆の自覚を促すしか他にないのである。
幸いにして、日本は、世界に誇る伝統食の文化を持っている。
西洋の文化に、汚染された日本文化を見詰め直し、日本の良き文化を再建すれば、未来は明るいものと成って来るのだ。
世界では今、日本の文化が、注目を浴びて来ている。
「灯台 足元暗し」との言葉があるが、日本人は今一度、日本の文化を見直す必要に迫られているのである。
其の為に、先祖の霊達も走り回っているのである。
今日は、旧暦の7月30日で、夏の晦日の日である。
今日から、生命は、冬の準備に入って行くことになっている。来年の、命盛んな夏が来るまでに、少しは社会が改まるだろうか。
私一人に、ガスライトを持たせても、大した事は出来ないのは、解り切っているのに、何故、神意識はそんな映像を送り込んで来るのか。
其の意図する処は分からないが、私の毎日のブログが、其の神の働きの、一部であるのなら、此の作業を、しばらくは続けるしかないだろう。
それにしても、何故、今頃カーバイドライトの様な、古めかしい物を持ち出して来るのだろうか。
神様とは、結構、時代遅れの人達の様である。
平成18年8月23日
礒邉自適
2006/8/23
シャベルの柄とカナヘビ
18・8・23
今日、昼食後、少し昼寝をする為に横に成ると、シャベルの柄だけが一本、草叢に転がっているのが映って来た。
私が、何故、柄の部分しかないのだろうかと思っていると、目の前に突然、茶色のカナヘビ(トカゲ)が一匹、何者かに投げ捨てられた様に、飛び出して来た。
其の、カナヘビの体は細長く尻尾も長いので、足を取り除けば、蛇の子供の様にも見える姿である。其のカナヘビは、地面に落ちたら、素早く身を立て直して、逃げ去って行った。
其れだけの映像なので、何を告げて来たのか良く判らない。
シャベルは、剣先が着いていれば、地面を掘れるのだが、剣先の無いただの柄だけでは、使い道が無い。
何故、柄だけが出て来たのだろうか。其れと、カナヘビとの関わりも、良く判らない。
私が、其の事を、勝手に解釈すれば、剣先の無いシャベルは役に立たないし、逃げて行くカナヘビも、此方に協力してくれる気は無い事に成る。
其れを、別の解釈をすれば、役に立つシャベルを選ばないと、作業が出来ないと言う意味と、此方に興味を持って、近着いて来るカナヘビでないと、知恵を授けてはくれないと、言う事に成る。
その様に考えれば、午後事務所に訪ねて来た0氏の悩みも、其の件と関係が有りそうだ。
0氏が云うには、都会の知り合いの息子さんを預かっているのだが、自分の力では救い様が無いので、何か良い方法が、ないだろうかとの相談であった。
事情を聞くと、其の息子さんは32歳に成る男性で、妹が二人居る長男だとの事。其の男性の家庭は、両親と三人暮らしで、妹達はもう独立して働いて居るとの事で、当の本人は、家にジィーとして居て動かないらしい。
其れを見かねたO氏が、屋久島に連れて来させて、預かる事にしたらしいのだ。
O氏は、陶器の焼き物を作って居るので、一人くらい預かっても、どうにか成るだろうと気軽に引き受けたのだが、どうやら1ヶ月もしない内に、音を上げてしまった様である。
いわゆるニートを預かったのだが、問題解決には到らなかったらしいのだ。
今の儘では、自分が疲れて、仕事が出来なく成ってしまいそうだと云って居た。
其の男性は、外に連れ出さなければ、一日中家に閉じ篭って居て動かないし、仕事は、O氏が側に付いていて遣らさなければ、自分で考えてする事が出来ないらしい。
詰まり、自分の能力で物事を判断して、積極的に動く事が出来ないらしいのだ。
近頃、社会全体を見ても、そんな若者が増えて来ている様である。
其の原因は、何処にあるのだろうか。
其れは、現代の日本社会が生み出した病変である。
簡単に言えば「平和ボケ」とも言えるだろう。
社会が安定し、問題が無いので、危機意識が無く、生活に困らないし、食べ物に不自由しないから腹が空かないので、自分で動かなければ、生きて行けないとの考えが起きないのである。
其れが、子供の間なら直せるけれども、32歳にも成ってしまえば、もう手遅れであろう。
自分の前に、食事が出てくれば食べるけれども、出て来なければ、出て来るまでジーッと待って居て、動かないのである。
自然界では、そんな生物は生きて行けないので、直ぐに死んでしまう。
処が、人間社会はシステムが出来上がっているので、誰かがカバーするので、生きて行けるのである。
しかし、其れが何時までも続く分けが無い。
誰もが、自分が生きる為に困ってくれば、他人の事など、かまってはいられないのである。もう直ぐ、そんな時代が来る事は間違いない。
生物の進化は、危機感の中で行われて来たのである。
何かの、異変が有った時に、其れに対応した生物だけが、悪条件を克服し生き残って来たのである。
我々の住む日本社会は、安定してから、未だ40年程しか経過していない。
日本は、僅か60年前は、全国民が戦争の為に、危機感の中に居たのである。其れが、40年程で平和ボケを発生させてしまう処まで、来てしまったのである。
O氏が預かっている男性は、32歳との事であるから、其の走りなのであろう。しかし、日本社会全体は、登校拒否の子供達も増えているので、今後、益々其の様な人は増えて来るものと想われる。
そんな人達や、社会をどうしたら救えるのか、中々難しいものがある。
何故なら、本人達に、自己意欲が欠乏しているからである。
本人に、助かりたい希望があれば、救い様も有るのだが、本人に意欲が無いのだから、如何しようも無いのである。
其の事が有るので、昼間の映像は、私に無駄な努力をするなと、告げて来たのではないだろか。
逃げるカナヘビは救えないし、剣先の無いシャベルは役にたたない。
其の理を頭に置いて、今後の行動を、起こして行かなければ成らないのだ。
何故なら、男・雄は、女・雌を獲得する為に、何らかの戦いを、必要とするからである。
メスを獲得する為の、戦いを忘れた生き物は、滅んで行くしかないのだ。
何故なら、生き物の雄は全て、雌を獲得する為に、其れなりの努力をする事で、進化をして来ているからである。
平成18年8月23日
礒邉自適
2006/8/22
満開の桜花
18・8・22
昨日は21日で、弘法大師空海の月命日だった所為か、朝から、現実的な事に関する電話が次々に掛かって来たり、お客さんが何組も来たり、何年振りかの人からのメールも有ったりして、忙しい日であった。
昨日の様子からすると、愈々、三次元界である此の現実社会・人間界が、動き出した感じがする。
そして、今朝のメッセージは、夜明け迄は何も無く、明け方に成ってパソコンの画面が現れ、其のページの中の、生活に関する項目の所をクリックして開くと、画面一杯の満開の桜花が映し出されて来た。
そして、其の全体がピンクの花中の、中央左側やや下に、一輪だけ色の濃い八重桜の花が現れた。
今朝は、其の桜の花の画面だけが強烈に残り、後の記憶は殆んど無い。
8時過ぎに、全国の神社に桜を植える活動を始めている、大阪の知人に電話を掛け、何か変った事がないかと尋ねて見たが、「何も 変った事は無い」との応えであった。
では、何故、他には映像が送られて来ないで、桜の花だけが映されて来たのだろうか。
其の意味が何なのか、私に考えられる事は、日本の国の印象を与える桜である事や、神話の「木花之佐久夜毘売命・このはなさくやひめ」、其れに桜の花が満開なのは、目出度い意味にも採れる。
日本国の、国花である様な桜が満開なのは、日本国が花咲くとの意味にでも成るのだろうか。若しそうであれば、日本は世界に先駆けて、未来世界に進む事に成ったのだとも受け取れる。
昨日から動き出した事が、益々、大きく激しく成れば、社会は大きく転換されて行く事に成る。
昨日は、出雲の安部忠宏氏が「瑞穂の国―出雲」のHPをアップした。是で、松山さんの「九州瑞穂の国」と、二つ国造りのHPがインターネットに登録された事になる。
若しかしたら、其の事が切っ掛けと成り、桜の花が満開に成って映されて来たのかも知れない。
其れは、神が長い間時間を掛けて、仕掛けて来た事が、漸く現実と成ったからではないだろうか。
それと、他の事は、公表出来ない事ばかりなのだが、もう一つは 知り合いの人達五名に、私が孔紀氏の集いに、参加する事にした事を知らせる為に、10月1日の広島での集いの資料をFAXで流した。
其の資料も、他の人にも流され始めている。
私自身が、特に気分が盛り上がっている分けではないが、全体的には、良い方向に向い始めているのだろう。
神は、未来を創造する人間だけに、支援をして来るのだろう。
新しい神の企画が発動すれば、過去のプログラムには、もうエネルギーは流されないのである。
其れは、神の世界だけではなく、此の人間社会でも、現実に行われている方策である。
今朝のメッセージは、其の事が、現実として実行される事を、皆に知らせる為ではないだろうか。其の解釈が当っていれば、私が、此の事を書いてITに公表する事で、神が動き易く成るのかも知れない。
何故なら、何も人間側に通告しないで、事を始めれば、人間が、其の事を認識出来ず、神が存在して人間社会を支えている事に、気付かないからである。
是まで、ハルマゲドンが引き伸ばされて来たのは、神側に、其の準備が出来なかったからである。
其の原因は、神側にあるのではなく、人間側に、新しき世界を創造する為の受け皿体制が、出来上がらなかったからである。其れが、ようやく整い、是から人類全体の大禊ぎが始まるのである。
神の目的は、人間を滅ぼす為にあるのではなく、自分の現し身である人間を、進化させる為にあるのだ。
だから、未来に向かって、進化しようとする人間が居れば、先に進めるが、人間が自分の現状だけに埋没して、進化する事をしなければ、神はにっちもさっちも行かないのである。
其れは、人間が、神の手足として創造されたものだから、其の手足が、神の云う事を聞かなければ、神は、何も出来ない理を示している。
此処に来て、漸く次なる体制が整い始めているのである。
だから、ハルマゲドンは回避されるのだ。
しかし、人類の全体的な滅亡は無く成ったとしても、新しいプログラムが開始されれば、其れに参加しない人間は、自動的に、振るい落とされて行く事に成る。其れが、大禊ぎの意味である。
宇宙のシステムは、蝶の幼虫と、同じシステムなのだ。
大きく成る為には、古い殻を、脱ぎ捨てて行かなければ成らないのである。
其れは、蝶の幼虫だけではなく、人間の肉体も、新陳代謝を繰り返して大きく成るし、植物も大きく成る為には、外皮を脱ぎ捨てているのと同じである。
其れが、地球生命の本質なのだ。
それなのに何故、地球自身が、癌細胞みたいに膨れ上がった人類を、脱ぎ捨てないで、此処まで養って来たのか。
其れは、新しい体制が整うまで、仕方がなかったからである。
今朝は、漸く其の体制が整ったので、私に、皆に公表しろと迫って来たのだろう。
今朝、満開の花が映し出されて来たサイトは、「生活」の項目だった。
其の意味は、皆が、自分の生活を立て直す事に、あるとの事であろう。
今回の神の計画は、人間が唯一、生活を立て直す事にあるのだ。
其れなら、総ての人類が「公平・平等・公」に出来る事である。
総てを、捨て切って、何も無い私でさえ、参加出来て居るのだから、参加出来ない人間など、一人も居無いのである。
其れが、新しい彌勒の世の始まりなのだ。
唯、自分の生活を立て直すだけなら、神社も寺院も協会も何も必要ない。
寧ろ、其の様な世界で生きて居る者こそ、生活を立て直さなければ成らないのである。
もう、何がしかの体制に頼って、依存心が有る者は、今回の次元突破は、出来ないであろう。
生き残る為の秘策は、唯一自分の生活を立て直すだけなのである。其れは又、自分自身でしか出来ない事でもある。
是こそ、神の慈悲・いつくしみの世界である。
人間以外の生き物は、皆そうして生きているのだ。人間だけが、特別扱いを受けている時代は終わったのである。
今朝は、先ほど、岡山の「スーリアさん」より電話が有り、広島の「マザー・ガイア・サミット」に、皆誘い合って参加すると電話が有った。
一日で情報が飛び回っている様である。
是が、神の用意した「スサノオ(生命の縁)・IT社会」の始まりなのだ。
スーリアさんの話では、岡山市の山の上に在る井上農園を、第一号のマザーガイアの里にしたいとの事である。
此の流れは、一気に日本国中に拡がる事であろう。
其の知らせが、今朝の満開の桜の花だったのだ。
今朝一輪だけ、色の濃い大きな八重桜が映ったのは、スーリアさんの事だろうか。スーリアさんは、1995年に妻佳子のメッセージに、太陽の使いの鳥の、ハートの役割として現れた女性で、スーリアとは太陽の意味だそうである。
花は、太陽活動がなければ、存在しない物である。
今朝は、夜明けの太陽が、新しい御代の開幕を喜んでいる事を、告げて来たのではないだろうか。其れこそ、太陽のこころ・ハートの合図である。
新しい「大日如来・ビルシャナ」の活動が始まったのである。
一番、東に在る国「日本・ひのもと」の旗は、美しい太陽がシンボルである。
「救いは 東方から」の言葉が、現実と成る時節を迎えたのであろう。
平成18年8月22日
礒邉自適
2006/8/21
月と宮
18・8・21
今朝の映像の意味は、私にも良く解らない。
誰かに、関係が有る事なのだろうから、取り敢えず、文章に打って置く事にしよう。
何故なら、今日の分を消化していなければ、明日の分に、差し障りがあると想われるからである。
先ず、夜の宇宙が現れ、月らしき惑星が、銀色に大きく映し出されて来た。
そして、赤い社・やしろと云うより、宮・みやと云った方が当っている、3m四方程の大きさの建物が現れた。
其の赤い宮の様な建物と、月との関係は判らないまま、場面は変った。
次の映像は、私が、自分の父親の実家である、鹿児島市谷山の磯部地区を訪ねる場面である。
其の実家の近くまで行くと、古い集会場みたいな建物が在った。
そして、私の意識は、其の建物の中に入って行った。
其の建物の中は、板の間で、床の間は広く、二幅の掛け軸が掛けられ、幾つかの神事の道具も置かれていた。
其の、掛け軸の一つの文字を見ると、古くてハッキリはしないのだが、「宿」の字があったので、「宿神・シュクジン」の名前を、書いてある物ではないかと想われる。
其れは、「天照皇大神」や「南無阿弥陀佛」などの名ではないのである。
しばらく其の建物に居たら、町内の役員みたいな方が二名遣って来て、其の建物の云われ等の、説明をし出した。
そうしている内に、其の人の携帯電話が鳴り、次の場所へ移動する事に成ったので、私も、其の人達に付いて行った。
着いた所は、男性の祈祷師の居る建物で、信者の人達が5〜6名居て、自分の順番を待っている。
私は、どんな祈祷をしているのだろうと興味を覚え、裏に在る祈祷場を覗きに行った。
其処は、部屋の真ん中に、囲炉裏みたいな四角な炉が切ってあり、其の炉の中央には火が焚かれ、中が窪んだ鉄板の上で、米が焼かれていた。
其の焼けた米の上に、相談者が持って来た品物を乗せると、何がしかの情報を、祈祷師が得られるらしいのだ。
其の祈祷師は、60歳くらいの男性で、私が覗いた時には、30代の女性の弟子に、鉄板の中の物を扱う棒の使い方を、訓えている場面だった。
私は、もっと近くに行こうとしたが、手前の場と、祈祷の場の間には、小道が造られ、結界が張られていて、其れ以上、近付く事が出来なかった。
何故か、其の道の結界には、木の株が二個使われていたが、其の木の株の意味は解らない。
今朝は、其の後にHPが映り、昔の、秘伝書の本みたいな物が現れて、其の本の綴じ代の処だけを残して、あとは切り取って廃棄し、其の残した綴じ代の部分を、HPのテンプレートに使用し、新しいページの中身は、総て、私に書くように指示して来た。
其の意味する処は、此の世界には、三次元の世界だけではなく、四次元の世界が存在する理・ことを、人間に知らせる為に、新しきアクセス方法を、整えろとの事ではないだろか。
四次元世界にアクセスする方法を、昔通りにするのではなく、其の必要性を説いた上で、新しき方法を、皆に伝授しろとの事ではないだろうか。
其の事を、知らせる為に、最初に月と、宮と、宿神の名、其れに祈祷師の師匠と弟子の巫女を、映像化して見せて来たのかも知れない。
此処まで打って来たら、何となく、今朝のメッセージの意味も理解出来て来た。
始めは、私が「かぐや姫」の物語を知っているので、其れが、潜在意識から浮かび上がって来て、月や赤い神輿の様な物が現れたのかと思っても見たが、どうやらそうではなく、新しき四次元との通信システムを、確立しろとの事のようである。
其の通信相手として、故郷の先祖の霊が関係有り、祈祷師や巫女も、必要であるし、宮や社の様な、世間とは隔離された建物が必要で、其の世界は、月に関係しているとの事ではないだろうか。
そして、其の世界に関わるには、何時も、宿神が身近に居る事も、必要だとの事だろう。
此処一ヶ月程で、理解出来て来た事は、私が遣らされている作業は、神が新しく降臨する為の足場造りであり、私がHPを作成した分だけ、神の降臨する為のステップの足場・階段が出来ている事に成っている様である。
此処、数日間に出来た幾つかのブログは、未だ中身が少ないのでアップはしていないが、其の内に、完全な降臨体制が出来上がるのではないだろうか。
今朝は、新しき霊界通信のノウハウを書き込む為に、次の、HPの作成を指示して来たのだろう。
一つ創れば、また次を指示して来る。暫らくは、此の作業が続くのだろう。
其れは、神の顔を、私がHPの画面として、此の三次元世界に、現して行く事に成るのだ。
今日は、朝から、方々から電話が掛かり、現実的な話を繰り返したので、メッセージの内容は、消去されてしまった。
今日は、此処らで止めるしか無い様である。
平成18年8月21日
礒邉自適
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