2006/6/25
願主
18・6・25
今朝は、新しい旅立ちが近い事を、暗示させる内容の映像が送られて来た。
昨日、昼寝をしたら、映像が映し出されて来た。
其の映像は、私が二歳ぐらいの女の子の世話を頼まれ、世話をして居たが、子供が母親を求めて、愚図るので、母親に電話を掛け、声だけでも聞かせようかと、バタバタして居る自分の様子である。
其の映像で、私は又、赤子の世話をする次元まで、引き戻されるのかと、少し嫌な気分に成っていた。
私は是まで四度も、赤子のオムツの世話をさせられている。
小・中学生の時は妹達、28歳から三名の自分の子供、39歳から石垣さんの子供、42歳からまた自分の子供と、ミルクを飲ませたり、オムツを取り替えたりする事を、何度も遣らされたので、私は、其の事には慣れている。
しかし、また、此の歳に成って、幼児の相手にまで引き返すのかと思うと、未来へ進む気持ちが、滅入ってしまいそうである。
そんな気分のまま、今朝の映像へと、意識は移動して来た。
今朝の映像は、浮浪者の子供の中に10歳くらいの皇女が混ざっており、食べ物を欲しがっているのである。
着て居る服は高級な物で、顔も気品のある顔だが、服も顔も、泥まみれに成ってしまっている。
何故、そう成ったかと言うと、社会システムが崩壊して、王様も、人民も、暮らしが成り立たなくなり、皆が路頭に迷っているからである。
私が其の原因を探ると、何かの原因で、社会体制が変わり、王様のお后・きさきと、此方側の世界の間に、格子窓が有り、皇女の母親であるお后は、格子扉が入れ替わる前に、此方側に、脱出出来なかったらしいのだ。
其れは、取り巻きや、財産に取り囲まれて、生活して居たので、トキの節目の次元を潜るのに遅れてしまったからである。
もう格子窓は閉まってしまっているので、此方側に、移動する事は出来ないのである。
其の格子窓の向こうに、少しだけ、王妃の顔が見えて、私に「娘の事を頼む」と、訴えていた。
次の映像は、自然の中に町が移され、是までの都市が、放棄される場面が写されて来た。
現在の都市の施設は、新しい町村では、殆んど役に立たない様子で、其のまま放置されるのである。
其れは、都市だけではなく、農村でも、是までの近代式の大型畜産や養鶏施設が廃棄され、種の保存程度の為の家畜が、新しい村に移されていた。
其れは、違う形ではあるが、ノアの洪水伝説と同じ意味を持っている。
どうやら、新しい次元の村は、現在の社会構造とは、大きく異なるらしい。
今朝は、最後に「願主」との文字が現われた。
そして、「バッキンガム」とか「アルキメデス」とかの言葉が出て来たが、其の言葉には、もう何も背景が着いていないで、言葉だけが、無意味に残っているのである。
もう、其の言葉は意味を失い、私の頭の中では「罰金 ガム」「歩き目出す」としか、受け取れないのである。
其れは「ガムを捨てると罰金だ。」「新しい世界に向かって歩き出す。」との意味に換わってしまうのである。
どうやら私の脳が、言葉の枠組みから、外れてしまった様なのだ。
其の事を考えると、世界の言葉が、再び共通語に成る事が予感される。
旧約聖書創世記11章には、バベルの塔の言い伝えがある。
(バベルはバビロンのこと)ノアの大洪水の後。人々が築き始めた 天に達するような高塔。神は 人間の自己神格化の傲慢を憎み、人々の言葉を混乱させ、其の工事を中止させたという。 (広辞苑)
此の物語からすると、人類は嘗て、共通の言語を持っていた事に成る。
確かに、1万年前の言語には、世界共通の言葉の意味が残されているので、人類の過去には、共通の意識が通じていた事は間違いないだろう。
今朝のメッセージからすると、イタリアのガウデイの建築は、バベルの塔の二番煎じの様に想われる。
人間の生活にとって、不必要な物は、また神の手で壊されるのであろう。
今朝は、世界の人々が共通の意識を持ち、新しき村で、生活を立て直す事が知らされて来ている。
其の為には、「願主」が必要との事であろう。
其の願主の願いが、神に受け入れられれば、人類には、未来が与えられると言う事である。
其の願主とは、誰なのかは、今日の処はまだ指示は無い。
其の願主に成る条件としては、未来を創造する為に、神から、此の世に送り込まれて来ている、子供達の魂しいを護る事が、出来る者である事は確かである。
其の条件を護れる為に、是までの、私の試練があったのかも知れない。
此処数日続いて来た、子供の教育に対するメッセージは、是から始まる、未来社会創造に対する心構えに付いて、示されてきた物ではなかったろうか。
食べ物を欲しがる子供達、「娘を頼む」と泣いて懇願する王妃、そして母親を恋しがる幼子、私の霊夢の中は、愛に飢えている者ばかりである。
何故、神は自分で、其の懇願を受け取らないで、私の意識の中に、送り込んで来るのであろうか。
其れは、私を、自分の代理にでもしようと、考えているからなのだろうか。
私には、神に成りたい等との意いは、何も無い。
私は只、普通の生活に戻りたいだけである。こんな試練は、もう要らない。
いい加減に、止めてくれと言いたく成る。
しかし、私は、七名の子供を、神に人質として取られているので、逆らう事も出来ない。
神とは、試練を与えるモノ・存在だとは聞いていたが、是ほどのものとは、予想が出来なかった。
最初から、此の事が分かっていたら、私は、此の世界にはタッチしなかったであろう。
マンマと、神の仕掛けた罠に、嵌っていたのである。
此処まで、付き合って来たのだから、最後の結末まで、神の技を拝見する事にしようか。
何時でも「ロン」と云える様に、13面待ちをして来ている心算だったが、其の上がり牌が、五回目の子供のオムツ換えだったら、マージャンテーブルをヒックリ返すかも知れない。
私にも、未だ、其れぐらいの意地は、残っているだろう。
平成18年6月25日
礒邉自適
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