2005/6/30
心理学者・ベイトソン
17・6・30
今朝未明、「ベイトソン」とのお告げが有った。
唯一、それだけが有ったので、手帳を捲って見た。
すると、確かにその名が有った。
今朝、ベッドを抜け出し事務所に向かい、中瀬川の縁を歩いて居ると、木の間に真っ赤な太陽が顔を出した。
漢字の「東」は、「日+木」の組み合わせで、木の間に太陽が見える象形とされている。正に、一年で一番太陽が北に在り、一番長い一日の始まりである。
ところで、ベイトソンとは心理学者の様で、其の人の本の文章が、私の手帳に記してある。
其の文章は、「・・・一度、精神病に陥ってしまうと、患者には辿るべき道があるようだ。彼は、正常な世界へ戻って、初めて完了する発見の旅に発つのである。そして、そのような旅に出た事の無い住民達とは、まったく異なった洞察を持って戻ってくる。
一度始まってしまうと、分裂病的エピソードは、一つの通過儀礼のようなハッキリとした道が有るようである。・・・・・と 記してある。
私の手帳には、是だけしかメモってないので、前後の文章が無いから、本の題名も著者の名も分らない。
しかし、私が手帳に是を書いている事を、知っている何者かが、存在する事は間違いない。
ベイトソンは心理学者で、シャーマンや私の様な人間の症例を、沢山調べたのであろう。
客観的な立場で、私達の様な人間を看ているのも面白いだろう。
事務所に着いて書き込みを見ると、内容がシンクロしている様なので、このブログに書き込んでみた。
今日は快晴である。梅雨が上がったのだろうか。暑くなりそうだ。
クーラーの無い事務所には居られないかも・・・・・・
平成17年6月30日
礒邉自適
2005/6/28
阿の字
17・6・28
今朝の霊夢に、始めに、アルファベットの「A」の文字が、柔らかく丸みを帯びて一文字だけ出て来た。
次ぎに、凄い賢者が一人、目の前に座った姿で現れた。
私は、初めて見る御仁の姿なので、誰だろうと意っていると、9時3分に山形県の月山の巫女さんより電話が有り、26日にお釈迦さんが夢に現れて、私に関係があるとの事だった。
私の、今朝の夢に現れた賢者と、何か関係が有るのだろう。
そして「A」文字は「あ・阿」で大日如来の事であろうと想われる。
「大日如来」は「ビルシャナ佛」の訳であり、「あ」は阿吽の「阿」でインドの梵字の「あ」で、大日如来の本体の姿であるとされている。
其の「あ」の文字と、釈迦の姿が現れれば、答えは簡単である。
森羅万象の姿が、ビルシャナ佛の本体で、阿(A)であるのだから、宇宙に準備が出来たと言う事である。
弘法大師空海は、中国の「恵果和尚」に、「大日如来は 日本に在り。汝は直ぐ日本に帰れ、今度は、私は汝の弟子として 生まれ変わって来る。」と告げて、亡くなったと伝えられている。
それから、1199年が経過している。
空海は、日本に帰って来て「阿字の子は 阿字の地帰る・・・・・・・」と詩を歌っている。
釈迦の一念や、空海や他の菩薩の憶いが、いよいよ現象界に現れる時節が、到来したとの事ではないだろうか。
南の島と、遠く山形の地に、同じ現象が起きて来ている。
日本全体が、神の領域に入ったとの事であろう。
このブログを準備した事も、どうやら、無駄ではなかったようである。
他の所にも、知らせが、出て来るものと想われる。
平成17年6月28日
礒邉自適
2005/6/14
おはようございます
17・6・14
孔紀様
おはようございます。御心境お察し致します。
誰にも、本当の事を言えない孤独と辛さ、自分の我儘が出なく成る迄鍛えられ、いつ終結するのかも分らない果てしなき道、神が何を企んでいるのか、それだけが気に成る毎日。
私は、老子の本を一冊座右の書として支えにし、今日まで遣って来ました。
日月神事にも老子だけを中に祭り、他の神は外に祭れとあります。
私も何故か、旅に出て、最初に手に取らされたのが老子(徳間書店 中国の思想 第6巻奥平 卓訳)でした。
其の事を考えると、神は厳しくとも、優しく見守っているのだなと意います。
ようやく私にも、意識の対象が現れて、意識が現実世界へと流れ始めています。
是からも、何卒宜しくお願い申し上げます。
平成17年6月14日
礒邉自適
2005/6/11
私の未来社会への希望
17・6・11
私が近頃 想っている事は、現在とは違った形の郵便局が、全国津々浦々に在って、区民活動の拠点に成っている社会です。
其処には 最新のインターネットが完備されており、国の行政機関が出先を置きます。
其の区民館で 住民に関する情報を一元化し、生活や健康のサポートをします。
ゴミ問題や 資源のリサイクル、其れに 食料問題や環境問題など、皆の力と智恵を結集します。
其の様なシステムが有れば、イザと言う時にも役に立ちます。
一軒一軒に皆、パソコンを置く必要はないでしょう。
慣れた人が、交代で務めたら良いと想います。
人間が、良い環境のもとで、幸福に暮らせるノウハウの情報網が出来れば、区民館に居る人が、偉大な智恵袋と成ることが出来ます。
其の、お互いの顔が見える中から、まつりごと(政治)に関わる人を推薦すれば良いのです。
其の様な、仕組みの有る世の中が出来れば、お祭りや行事も、スムーズに楽しく出来るのではないでしょうか。
平成17年6月11日
礒邉自適
2005/6/9
今朝のメッセージ
17・6・9(木)
今朝は、3時間ぐらいしか眠らず、また事務所に出て来て、パソコンに向かって居る。
まるで、21年前の修行の時の様だ。
初めての世界に、眠る間も惜しんで、取り組んで行く。
其れは、漢字の頑張の「頑」の意味の、「首を 元の一頁から 決して離さない。」との概念と合っている。
私には、未だ、ペンで書けば10分ですむ事が、PCに向かうと1時間以上も掛かってしまう。
しかし、昔し、炎天下や、木枯らしの中で、朝から晩まで、農作業をしていた時にくらべれば、此れ位の事はどうと言う事はない。
今朝は、疲れた頭に、多くの黄金のコインが、土の中から出てくるのが映った。そして、沢山の人々が、私の意識の在る所に、列を成して、集まって来るのが映って来た。
なぜ、小判ではなくてコインなのだろうか。
それは、小判が日本だけの貨幣だけだからだろう。
コインは、嘗て、世界を駆け巡っていた物である。
という事は、世界を対象に、経済を考えろとの事だろう。
平成17年6月9日(木)
礒邉自適
2005/6/7
神界の次元変化
17・6・7
この日で、私の古い世界が終わり、明日6月6日より新しい段階が始まる事は、この時点では分からない。
其の意味では、5日が締め括りであった事になるが、5日のメッセージは未来の風景でもある様だし、昔の風景が出て来た様にも想われる。
どちらとも取れない映像が この段階を示している。
この日からは 以前の文章の中からメッセージの分だけを選び出して書き込み 後の為に役立つ様にしたいと考える。
平成17年6月7日
礒邉自適
2005/6/6
新しき縁
17・6・6
昨夜、床に着き眠ろうとして目を閉じて居ると、黒いシルバー色の車が遣って来るのが映った。だが、誰が乗って居るのかは判らない。
昼頃、下関の「悦子さん」より電話が掛かり、「どうしたのですか。元気にしていますか。」「ホームページの書き込みが 止まっていますが」と聞かれた。
其れで、私は、成り行きを説明した。
「私は、自分ではパソコンが出来ないが、スタッフが揃ったので、自適塾を始める事に同意したのです。しかし、急に大事な二人に用事が出来て、居なく成ったので、お告げは書いて居るのですが、それをインターネットに載せる事が出来なく成ったのですよ。」と 簡単に説明した。
そして、話をしていると「こんな人、知っていますか」と孔紀氏の事を言われたが、私が「イエ 知らない」と云うと、ホームページの紹介をFAXして下さる事に成った。
平成17年6月6日
礒邉自適
以下は追記
私は、FAXを頂いて早速「孔紀氏」のホームページに目を通し、慣れない手で孔紀氏のページにメールを送った。
すると、直ぐに7日にはご返事を頂き、遣り取りが始まる事になった。其れは、未来の始まりの瞬間なので、孔紀氏からの御便りの一部をご紹介しよう。
皆様も、新しい世界の始まりに、お立ち合い頂き有難うございます。
礒邉自適様
メールありがとうございます。
泊まりの神事のために、礒邉様のメールへの返信が遅れてしまい失礼しました。
早速自適塾のホームページを拝見させて頂きました。
久しぶりに自然無為の波動に触れ嬉しく思います。
今まで人知れず、波乱万丈の苦悩の人生行路は大変なものだったと お察しします。
心休まる日も無く、天の時を待ち続けて来られた背景を、感ずることができます。・・・・・・・・・・・・・
今まで、多くの自称○○○を自覚される皆様にお会いさせて頂きましたが、
残念ながら 適任者は居りませんでした。・・・・・・・・・・・・
言葉の表現は違っても、波動で理解できる人は必ずいると思い、昨年8月8日にホームページを立ち上げました。
礒邉様のメールは、その意味ではとても嬉しい便りです。
6月6日のお便りには、びっくりしました。意味深ですね。
鹿児島は、過去の弥勒運動の歴史が封印されている大切な場所です。
何度か訪問していますが、屋久島は未だ訪問した事はありません。
礒邉様とは、一度お会いする時が必要と思います。
その時を、心から楽しみにしています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
感謝 孔 紀(フランシスコ・ガブリエル)
2005年6月7日14時
2005/6/4
今日で丸21年
17・6・4
私が、此の神の世界に入って、今日で丁度21年が経過した事に成る。
21年間で、世界と自分がどう変ったのか、さして変ったとも請えないし、何等変っていないとも謂えない。
変った事と言えば、私が普通の仕事をしていない事や、家族と別れたまま生活している事である。
目を世界に向ければ、21年間の間に、様々な事件や出来事があったが、其の間、人心は余り進歩したとは言い難い状態にある。
私に何が出来たのか、そして又、是から何が出来るのかも、定かではない。
今日一日も、静かにして居て、何の収穫も無い侭、日が暮れようとしている。
今日一日、気に成っていた事は、今朝の霊夢に、七年前に亡く成った、妻「井上佳子」らしい御霊が現れた事である。
妻佳子とは、1986年6月3日に、高知県高岡市で出会った。其れから、昨日で丁度19年が経過した事に成る。
昨日、私が日付で、妻の事を思い出したので、妻であった佳子が夢に現われたのだろうか。
今朝の夢では、私は貨物列車の中に居て、貨車の中には、毛皮のコート等の贅沢品が、沢山積み込まれていた。
窓から外の景色を観ると、私が乗って居る列車は、何10台も貨車が連結されている長い列車である事が判った。
其の列車には、客車が一つも無いので、荷物だけが、何処かに運ばれている様である。
暫らくして気付くと、横のソファーに、亡く成った筈の妻が居るので、私が懐かしがって抱き絞め様とすると、「隣に 山口先生が居る」と云う。
私の知っている先生で、山口先生と言えば、岡山大学の教授で、今年4月10日に亡く成った方がある。
其の山口先生と、妻は、生前には面識は無い。
霊界から、私に接する事で、繋がりが出来たのだろうか。そうであれば、人々から取り上げた贅沢品を、二人で何処に運んでいるのだろうか。
私と同じく、妻も山口先生も、あまり物には執着心は無かったと想われる。
其の彼等が、品物を何処に運んで行くのだろうか。
キリスト-イエスは「物に 意識を奪われている者は 天国の門は 絶対に潜れない。」と、謂っている。
妻や、山口先生は、人々を神の国に導く為に、贅沢品を取り上げる役目を引き受けたのだろうか。
全てを捨てた私には、あまり関係の無い事だが、物に執着している者達には、辛い日が訪れるとの意味なのだろうか。
21年の間には、無庵師匠を始め、数名の親しい人々が、彼の世に旅立ってしまった。其れ等の人々が、今天国で何をしているのかは判らないが、是からの私の行動に関係して来るのだろうか。
今日は一日、何も起きないで暮れそうである。
明日を、静かに待つ事にしよう。
平成17年6月4日
礒邉自適
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