2005/3/28
黒衣の人達
17・3・28
今朝の夢には、黒い服を着た男性達が、山中の道路を、右側の低い所から左側の高い方へ向かって、横切るのが見えた。
私は、朝起きて、其れが何を意味するのか考えて見た。
「黒衣・くろこ」の人達は、表舞台で活躍する人を、裏側から支える人達の事である。
私達の人間社会も、表で活躍する人達の後ろで、何倍もの人達が陰の力として働いて居る。それと同じ様に、私の様に、現世に在りながら、神霊界の後ろ盾に拠って動いている人間も居る。
今朝の霊夢に現れた、黒衣の男性達は、山中を歩いていた。
其れも、道路を歩くのではなく、道の無い所を自由に歩いていたのである。
私を支えている霊界人達は、人間の造った道は歩かないで、道無き山中を自由に歩き回っているのだろうか。
一昨日の26日に、東京で精神的な相談事を受けている女性を、天長石の立っている大忠岳に案内し、私の好きな山頂の瞑想場所に連れて行った。
その女性は、太忠岳では落ち着かない様子だったが、瞑想の場所は、凄く気に入って離れ難い様子だった。
私は、全国を旅して居るうちに、聖霊が居る場所が判かる様になり、特に山中の良い場所には、徳の高い聖霊が座しているのが、理解出来る様に成っている。
屋久島は、其の中でも、特に優秀な霊界人達の憩いの棲家と、成っている様である。
霊界人達は、人間社会の様に、移動するのに乗り物に乗る必要が無い。
場所の移動や、時空間の移動も自由である。
何千年か前に生きていた霊魂も、何百年か前に生きていた霊魂も、現在・いまの世界の、お蔭様の次元で共存しているのである。
其の霊魂達も、時間や空間を超えて、我々の背後に存在し、未来の創造に関って来ているのである。
今朝の霊夢は、其れ等の霊魂達が、自分達の存在と、人間の背後で働いている事を、示して来たのだろう。
昨日行った、山頂の瞑想場所は、霊界人達のお気に入りの場所だったのかも知れない。そして、霊界人達に気に入られない人には、立ち入る事を許されない場所であろうし、また普通の人には気づかれない場所でもある。
私は、子供の頃より、その様な場所に行き、昼寝をするのが好きであった。
私は、子供の頃より、霊界人達に好かれていて、遊んで貰い、大人に成ってからも支え続けられているのだろう。
私の進む処には、絶えず、霊界人在りと言う事であろうか。
いま暫くは、屋久島に在って、ホームページに、コンテンツを組み込む作業が待っている。
時々は、山頂に登って、頭を冷やさなければならない。
近代社会に関りながら、山頂で瞑想が出来るのは、屋久島ならではの事であろう。
屋久島の、存在の大きさが、改めて想われる。
平成17年3月28日
礒邉自適
2005/3/16
讜逓聖・とうていせい
17・3・16
2000年(平12)7月22日の未明、霊夢に難しい中国の象形文字が二文字映って来た。
朝、辞典「漢語林」で其の字を調べて見ると、「讜・トウ、タウ」の象形と、「逓・テイ」の象形である事が判かった。
霊夢では、其の文字が二文字出た後に、聖者が静かに座っている姿が映った。
聖人に、関係が有る文字である様なので、それに従って、文字の意味を汲み取ると、「讜」は、ただしい。また正しい言葉、良い言葉。直言。言葉が道理に合う。と有り、音符の黨(タウ)は、當に通じ あたるの意味。理にあたる言葉のいみを表す。と 載っている。
「逓・テイ」は、昔し郵便局を「逓信省・テイシンショウ」と言っていた様に、代わる 伝えるの 意味で、変りながら進む、つぎつぎに伝え送るの 意味である。 漢語林
是らから、総合して考えると、今朝のメッセージは、「道理に 当たっている言葉を 次々に 伝え送る 聖者」との意味を、告げて来た現象と考えられるのである。
神は、私に、「讜逓聖」としての役割をしなさいと、告げて来たのだろう。
私は、普通の人々と、同じ考えを持って生活するのではなく、正しい暮らしを考え、其れを、当を射た言葉にして、人々に傳へ残さなければならない様である。
私は、釈迦や、老子が、昔に行った様に、現在・いまの世の中に合った言葉を、模索して行かなければ成らないのだ。
平成17年3月16日
礒邉自適
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