このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2004/11/30
ラーリー
16・11・30
昨日は、若い雄の「軍鶏・シャモ」が霊夢に映って来たが、今朝は大型バスの横に、大きな文字で「Ra-Re」と書かれていて、意味が「太陽神の復活」との事であるのが、理解されて来た。
鶏は「天照大神」の使いだと言われているが、今朝のメッセージの太陽神「ラー」との関係性が、何か有るとの事を伝えて来たのだろうか。
「Ra・ラー」は、古代エジプトの太陽神である鷹をかたどった頭に 日輪を戴く形で表現、テーベの守護神アモンと同化してアモン・ラーと呼ばれ広く崇拝された。とある。 (広辞苑)
「Re・リー」は、再びの意味で、復活の意味だと考えられる。
「ラーリー」が、太陽神が再び復活する事を意味しているのであれば、短い言葉を使用すれば「蘇陽」と成る。
10日前の、20日には「2007年3月13日」とメッセージが有ったので、熊本県阿蘇郡蘇陽町に有る「日宮幣立神宮」の件を書いた。
11月20日より今日迄、太陽に関係の有る事が続いて出て来ている。
古代から、日本や西洋、其れに南米でも、太陽が神とされて来た。
其れ等には、何か共通の原理が在ったのだろう。
地球上の生物は、全て太陽エネルギーに因って存在している。
太陽の存在だけで、地球上に生命が存在する分けではないが、太陽が無ければ、生命が存在出来ない理・ことは間違いない。その太陽に、人間の様な意志が存在するのなら、太陽の記憶の中には、我々の住む地球の50億年の歴史が、刻まれている事に成る。
その太陽の意志が、新たな情報を刻もうとしているのだろうか。
太陽には、黒点が存在して磁気を出しているが、人間も、脳に磁気を持っている。其の、お互いの磁気が、同じ周波数で同調しているのであれば、チャンネルが同調し、太陽と共通のイメージを人間が持つ事は可能である。
太陽が、新しい次元を創造しようとしているのであれば、其れを、人間が感じ取れると考えても、間違いでは無いだろう。
古代の人達の生活感覚を研究すれば、人間は、太陽神に因って左右されていると考えていた事が伺える。
古代人が体験していた事が、現代人にも、体験出来る時節が回って来ているのだろうか。それが、太陽神の復活との意味なのであろうか。
古代エジプトの太陽神は、鷹をかたどった頭に、日輪を戴く形で表現されており、日本の天皇家の祖神武天皇も、太陽神の使い・鳶に守護されて、奈良を始める事に成っている。
私自身も、20年前に、此の神の世界に入った時には、鷹に導かれた。
20年振りに、再び新しき動きが起きて来るのだろう。
12月5日で、私は神の世界に入って20年6ヶ月と成る。
今月に入って、新しい次元の旅が、始まる予兆が現れて来ている。
明日から、奈良に、打ち合わせに向かう事と成った。
私の守護霊団の中には、「天智天皇」や「後醍醐天皇」の霊が、強く働いている事は、ハッキリと認識出来ている。
平成16年11月30日
礒邉自適
2004/11/29
若い雄の軍鶏
16・11・29
今日は、赤いトサカの美しい若い雄の「軍鶏・シャモ」が、二羽重なって、首を伸ばし立ち上がっているのが映って来た。
軍鶏は「暹羅鶏(シャムロけい)」の転略で、鶏の一品種。丈が高く、精悍。羽毛の装飾は少なく、色は赤笹(褐色)・白笹・銀笹・黒の四種が普通。闘鶏に用い、又愛玩用・食用・シャム。と載っている。(広辞苑)
私に、今朝映って来たシャモは黒い色で、頭の鶏冠が美しく赤い色で輝いていた。軍鶏は、字の如く闘争心の強い鶏である。
その意味からすると、何か、新しい戦いが始まるとの事であろうか。
鶏に限らず、動物の雄は、何らかの形で、雌を守る為に戦い、縄張りを確保する為に戦わなければならない。それが、動物として生まれた宿命でもある。
今朝映って来たのは、一羽ではなく二羽の複数だった処に、意味が有ると考えられる。
その二羽が、味方に成るのか、敵に成るのかは未だ分からない。出来るなら、強力な味方である事を願いたい。
新しい社会の枠組みを創るには、古い形や仕組みの柵みを、壊さなければ成らない。それには、古い体制を守る人間との、戦いが生じるであろう。
それを、どう上手く解決して行くかが、是までの、私の人生の修行だったと想われる。
戦いが始まるのであれば、私の修行が終わり、神の計画が実行される時節が、到来したとの事ではないだろうか。
平成16年11月29日
礒邉自適
2004/11/26
意識の原点
16・11・26
今朝の霊夢は、母親の雰囲気を有する女性を、微温湯・ぬるまゆの中で、抱きしめている場面だった。
其れは、短い場面で終わったのだが、自分の行動意識の原点が、見えた様な気がする。
人間が、最初に感じるのは子宮の中での、羊水の膚感覚であろう。
そして、最初に視覚的に捉えるのが、母親の顔である。
赤子は、産まれ出て、最初に乳首に吸い付いた時に、母親の顔と、焦点が合う様に出来ていると言う。
だから、今朝の霊夢の場面は、体内の膚感覚と、最初の視覚映像が合わさって、出て来た現象と想われる。
私達人間は、普通に育つと、母親の顔と微温湯の膚感覚を、感情の土台として生きているのかも知れない。
母親が、自分の都合の悪い状態に成らない限り、その感覚は、自分の深層心理に深く根差していて、私達の行動に、深い影響を与え続けているのだろう。
その条件が整っていれば、人格が安定し、穏やかな人生を、送れるのかも知れない。
現在の子供達は、産まれて直ぐに、他人の手で母親から離され、保育器に入れられてしまうので、最初の顔が母親ではなくなってしまう。
一生、自分の意識の原点である、母の顔には会えないのだ。だから、一生不安を抱えたまま、暮らさなければならない。
成長をするのにも、2〜3歳から保育園に預けられてしまえば、誰が母親なのかも明確には出来ず、不安な感情を、持ち続ける事に成る。
それが尾を引いて、落ち着かない人生や、不幸な人生に、成るのではないだろうか。
その意味では、私は理想的な母親と、優秀な産婆さんに恵まれ、幸福だったと思う。
しかし、同じ母親と、同じ産婆さんで誕生した兄弟が、人格が違うのは、人間の一生は、単純ではない理・ことの証の様である。
平成16年11月26日
礒邉自適
2004/11/25
先祖の事は言わないで
16・11・25
今朝のメッセージの場面は、大きな体育館の様な建物の内で、或る催しが開かれる事に成り、私もそれに参加し、講演をする事に成っていた。
私は、会場の駐車場に着いたのだが、会場には入らずに、駐車場の土手の所で、自分の書いた原稿に、カッターナイフで、文字一行毎に、切れ目を入れて読めなくしていた。
その作業を続けていると、知り合いの男性が、私を見つけに来て「時間が迫っているので 早く会場に入って下さい」と言う。しかし、それでも私は止めないで、最後の行迄でカッターを入れていた。
すると、建物の中で参加者が、始まりの為の起立を始めたので、その男性は会場の方に向かって大きな声で「自適さんは 着いているので 一寸と待って下さい」と、声を掛けた。
私も、作業が終わったので、会場の方に向かおうとすると、少年が遣って来て「先祖の事は 言わないで」と、私に云うのである。
私は、其の事を了解し会場に向かった。
建物の外には、既に、満席と成った大型バスが止まっていて、出発を待っている。私は、バスの窓から、手を振る人達を視ている処で、映像は終わった。
今朝のメッセージのポイントは、「他人の人生に 関係する情報は 言うな」との事ではないだろうか。
人間は、過去の事を忘れて、今世に産まれて来るのだから、過去の事を知ると、それに影響されて、新しい人生を送れなくなる。
私は、自分の努力で、過去の時代の人々の霊魂や、霊界にいる先祖や父親からの協力を得て、現在の心境をつくり上げて来た。
人間には、其々の人生があり、その人の先祖の霊達が協力をしている。だから、私が、その人達の霊界に影響を与える事は、その人の為に成らないとの理・ことだろう。
私は、57年間、自分なりの道を歩いて来た。
私には、私なりの霊界の協力があったものと思える。
私が、是までの修行で得た答えは、私の一族の物語であって、他の人達のルーツではない。礒邉家には、礒邉家のしきたりや文化があった筈であり、他の部族とは、違っていた筈である。
私が、20年掛かって紐解いた自分のルーツは、私の血筋ルーツであり、他部族のルーツでは無い。
他の一族の人達が、私の答えを、其のまま応用しても、正しい情報を得られるとは限らない。だからこそ、日本の「神惟の道」は、他人に対して、聞いては成らない。言ってはいけない。見てもいけない。教えてもならない。と成っている。
其れは、他人に対して、影響を与えてはならないとの教えである。
私が、自分のルーツの旅を出来たのは、無庵師匠が自分の答えを、私に押し付けたのではなく、私の柵みを解いて、自由にしてくれたからである。
無庵師匠は、私が、社会のシステムや情報から自由に成り、自分自身の存在理由を探り出す事に、協力し、また見守ってくれたのである。
学問の城が、在る事は教えてくれたが、其処へ行く道や、答えを知る為の式や、答えも、一切教えてはくれなかった。
唯一、衣食住を整えて、自分の存在理由を知る旅に、送り出してくれたのである。
日本の伝統は、「食国のまつり事」と言って、食べる物を一番の神事とし、自分の体を神霊の宮として、自我意識の情報を祓い落とし(三次元の)、宇宙の真理(四次元以上の)を悟る事である。
その伝統を、伝え護っているのが天皇家であり、伊勢神宮や物部一族の神社である。
熊野大社の神も、「天に通じるのは 食物である」との理で、祭神の名前はみな食物の意の「ケ」と成っている。私が、他人に伝えて良いのは、ただ食べ物に注意して、自分を禊祓う事だけである。
私が、20年掛けて掴んだ真実も、何の事はない。昔から、一番大事とされて来た「神惟・かんながら」と言う言葉だけである。
答えは、昔から決まっていたのである。
だから日本の神道には、理屈(理論や教訓)が一切無いのである。
只一つ在る祝詞も「祓いたまえ 清めたまえ」で、惟々、清清しい気持ちを何時も持っている事なのである。
私の父は、自分の座る場所の頭上に板を打ち付けて、「見ざる。聞かざる。言わざる。」の三猿の像を置いていた。
私は、其の父親から、一回も殴られた事が無いし、「勉強しろ」と言われた事も無い。
私の父は、何も教えはしなかったが、一番大事な理・ことを、知っていた様である。
私が17歳の秋に、其の父は49歳で亡くなって、今年の10月23日が40年目の命日であった。
他人の先祖の事は、言ってはならなくても、自分の先祖の事は、言っても良いのだろう。
10月23日には、新潟地震が起きた。地震が起きた長岡は、私の母方の、祖父と祖母の出身地でもある。
その時間に、私は、宮崎の高千穂の岩戸神社への曲がり角を走っていた。
被災地では、高価な錦鯉や肉用の牛が飼われていた様である。其れ等は、本来の神惟の生き方には、必要の無い物なのであろう。
新しい時代の生き方とは、情報社会に成れば成る程、何が一番大事かを知る為に、情報の整理をしなければ成らないとの、事ではないだろうか。
昨日のメッセージに、出て来た三段の神棚は、本当の儀式の意味を知らせる前触れだったのかも知れない。
私は、他人を救わなければ成らないとの意いを捨て、ただ自分が「神惟の道」を実行すれば良いとの事なのであろう。
釈迦仏陀も「自分のこの肉体だけが 真理を悟る為の 器である」と謂っていて、その秘訣は「精進」だと言っている。
「精進・しょうじん」を、日本風に言えば、「神惟の道」と成るのではないだろうか。
中国の老子も、「精神的な事を 他人に 押し付けてはならない」と謂っている。真実の道は、他人に言う事では無く、自分が、ただ実行するだけの事の様である。
長い旅で掴んだ答えが、昔の人が一番大事として伝え残した「神惟(かんながら)」と言う一語だけであったとは、少しガックリするが、昔の人達の、魂しいの深さや大きさが、理解出来た事だけでも良かったと思う。
釈迦は「自分が悟ったのは 何代も 前である」と謂っているし、老子も「古の人は 素晴らしい」と謂っている。
古代の人達の叡智に、感謝するその行為が、神棚の設置と祭りの行事であろう。昨日の、三段の神棚の意味が、少し分かり掛けて来た様な気がする。
平成16年11月25日
礒邉自適
2004/11/24
三段の祭壇
16・11・24
今朝は、17年振りに祭壇が映って来た。
前回、祭壇が現れたのは、1988年9月18日で、私は京都府亀ヶ岡市近くの曹洞宗の禅寺「西光寺」で、一週間の修行を終え、得度式を迎えた日の朝であった。
その時の祭壇は、二段に成っており、手前の段には、米俵が三俵だけ三角に成る様に積まれており、奥に有る次の段には、丸い鏡に赤い紐が巻かれていた。そして、右手前には、白い服を着た巫女さんらしき女性が、立っている姿が映って来た。
私は、其の映像を何だろうと思いながら、その日の午前中の得度式を済ませた。
式が終わった処で、寺の方が、私に「高知の女性から 電話が有った」と知らせて来た。
私は、何だろうと意い、高知に電話をしてみると、付き合っていた女性が「昨日 病院に検査に行ったら 妊娠をしている事が分かったので どうしようか」との相談であった。
私は、得度式で戒を受け「殺生をしません」と約束したばかりだし、堕胎をする訳には行かないので、寺の堂長(住職)さんに相談すると、それは結婚するしか無いだろうとの事になり、頭を剃って出家する事は止め、世間での行を続ける事に成った。
そして11月21日に、夢に映った通りの祭壇を設け、式を挙げる事と成った。それから、16年3ヶ月が経っている。
そして、昨日まで11月22日〜23日、天皇家や全国の神社で毎年行われる、「新嘗祭」の儀式が行われた。
今朝のメッセージの映像には、祭壇が三段有り、其の一段一段に、違う品物が並べて置いて在った。
17年前も、自分の人生が変る日の出来事であった。と言うより、夢のお告げがあった事で、人生が変ってしまったのである。だから、今回も、今日から何か変化が有るのだろう。
今日、分かっているのは、昨日は、私の一生にとって一番大事な日と成った事である。
其れは、20年前の問題が、解決する見通しが立ったからである。昨日で、私の過去の整理が出来、今日から、新しい天界の仕組みが、動き始めるとの事ではないかと考えられる。
今朝は3時に起き、友人三名で話し合い、朝8時に皆で集まり、今後の事を話し合う事となり、私を含め七名で一時間程話した。
そして、自宅に帰って一休みしていると、岡山のA子さんより電話が入り、今朝自適さんが夢に現れ、貸切りの大型バスで、皆と一緒に、何処かに出掛ける場面だったと言う。
何か、次の動きが起きるのだろう。
私の存在が、皆に理解される日が、近いのかも知れない。
理解と言うより、本当の神の働きが、私を使う事で、表に出されると言う事なのかも知れない。
平成16年11月24日
礒邉自適
2004/11/21
ひつぎの御子
16・11・21
本日11月21日は、旧暦の10月10日である。
昨日、久し振りに屋久島の真南に在る「三遊亭歌之助師匠」の別荘に、夜出掛け泊まった。すると、今朝明け方に「ひつぎのみこ」とのお告げが有った。
歌之助さんの別荘は、島の一番南の土地に在り、四方神では南方の「朱雀」の位置に当たる。朱雀は、太陽神に関係がある「日の神」である。
南は、日時計の中心でもあるので、朱鷺(とき)がトキと呼ばれる由縁でもあろう。
其のメッセージの「ひつぎのみこ」とは、「太陽(日)の御子」で、「太陽の霊(魂)を継ぐ人間」との意味だと考えられる。
その意味を表す言葉が、何故、私に伝えられて来たのだろうか。
日本には、古くからその意味合いで「大日霊貴(おおひるめのむち)」とか「天照皇(すめ)大神」とか呼ぶ「祭司王」の役割が伝えられており、現在でも、天皇家がその伝統を守り伝える家柄として現存している。
天皇の役割は、「君」として太陽神に仕える職業である。
その役割は、古代のエジプト文化の「ラーの神官」と同じ意味であろう。
エジプトの、ラーの神官が守る物とは、太陽の船に乗る太陽神の「女神イシス」である。
イシス神は、太陽の船の中央に座り、頭に太陽を現す鏡を着けている。
其の、太陽の船を案内するのが「イビス神」で、其のイビス神は、身体は人の姿だが、頭は朱鷺の頭である。
その朱鷺の頭の神が、船の舳先に立って、太陽に向かうのである。
日本では、昔の木で作る和船の進水式には、女性が使用する「櫛」や「化粧道具」を舳先にお供えして、船の安全を祈願する。
昔から、船の航海の安全を願うのは、女性の神を対象と成っているらしい。
其の「イビス」が日本に伝わって来て、「イビス(Ebisu)」が「エビス(Ebisu)」と成って、「事代主神」と混同されてしまい、エビスは男神とされている。
「事代主神」とは、出雲の「大国主命」の長男で、鯛を釣る為に祈願をする漁師の神様であり、航海の安全を祈る神ではない。
イビス神が、「エビス・恵比寿・Ebisu」として残っているのであるから、当然頭に鏡を備えた太陽神の女神イシスも、日本に伝えられ残っている筈である。
現に、福岡の古墳に、エジプトと同じ「太陽の船」の壁画が残っており、その船にはイシス神が中央に乗っている。其れが、「天照大神」とされた女性の神様であろう。
イシス神が、日本に正確に伝わっていれば、イシス神は現世的な実在の神ではなく、霊界に存在するとされる、架空の神とされている筈である。
其の、霊界に在る神を祭るのが、現世に身を持って生きる、人間の男性であるところの「ラーの神官」であり、人間界の代表としての「王(スメラ)」であったのだ。
その代表が、「大日霊貴」とか「皇大神」とか、呼ばれる事に成ったのだ。
だから、大日霊貴とか皇大神は神ではなく、過去の、人間社会で生きた人達の事で、その人達の霊魂を聖霊として称えているのが、神社の存在である。
そして、その御霊を祭り、自分の肉体を社として霊界に差し出して、生活するのが神官であり、君なのである。
漢字の「君」は、「手+杖+口」の組み合わせで、字義は「右手に 神官のしるしの杖を持ち 神の知らせを受け取り 民を導く人」の意味である。
「ひつぎの御子」とは、正しい君の働きをする者の事であろう。
その君が、官や臣に神の言葉を伝えて、民族を治めるのである。
昨日のメッセージは、正しい働きの君が現れて、新しい世の中を創造するとの事だろうか。そうであれば「ひつぎのみこ」と伝えてきたのは、太陽の船に乗る女神だったのかも知れない。
今日11月21日は、奈良の石上神宮で明日22日から23日に夜通し催される「新嘗祭」の為の、「禊の日・魂鎮め(たましずめ)の日」でもある。
明日の新嘗祭の儀式は、奈良の石上神宮ばかりでなく、島根県太田市に在る「物部神社」でも行われ、天皇家でもその儀式を取り入れて、現在でも行われているし、全国でも澤山の神社で祭りの儀式がなされる。
其の「新嘗祭」の儀式の日(23日)を、戦後「勤労感謝の日」として休日としたのである。
一年間で、一番大事とされる、其の新嘗祭を前にして「ひつぎのみこ」と告げられて来たのは、何か大きな意味が有るのだろう。
「朱雀・すざく」とされる「朱鷺の神・ときのかみ」が、「時節(とき)」を告げて来たのだろうか。
そうであれば、天照大神の使いである鶏が、本当に存在すると言う理に成るのだが、今日の処は、未だ明確ではない。
心当たりとしては、「スーリア」と呼ばれる太陽の名の女性が、私の妻へのメッセージで捜し出されているが、未だ其の動きは伝えられて来てはいない。
平成16年11月21日
礒邉自適
2004/11/20
我らが皇御子
16・11・20
今朝の明け方、「皇御子・すめみこ」の完成が間近に成っているのが伝えられ、「7年3月13日」と告げられて来た。
皇御子とは、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」の皇で、「スメ」とは「スメラギ・すめら(王)の命」のスメで、神に仕える「王・君」の事である。
「スメラ」とは、シュメール語の「スメル(統める)」で、「葦の生える地を 治める」の意から来ていると聞く。スメラは「皇王」と文字を当てられる。
古代エジプトでは、太陽に司える王は「ラー」と呼ばれていた。
日本語には「スメミマ」との言葉があって、スメミマとは「皇身体・すめみま」と書いても可だが、天皇の事であり「スメ(澄目)」は、太陽の鏡としての第三の目が開いた者のことで、「ミマ(美身)」は天皇の穢れ亡き肉体のことである。
「スメミマ」とは、インドの言葉では「ブッダ(覚醒した者、成仏した者、覚者、尊者、世尊)」の意味と同じである。
「スメミマ・ブッダ」とは、漢字で書けば「大徳者」であり、日本語では「大己貴・オオナムチ(貴き者)」と呼んでいた様である。
「大己貴」を現代風に呼べば、「大賢者」となるだろうか。
古代では、選挙は無くとも、皆が認める賢者が「政治(まつりごと)」の中心に存在していた事に成る。
まつりごとの中心に在る者は、天(神)の意志を受け取りながら、民を導いていたのだ。その者が、2007年3月13日に、現代の社会に現れるとの事だろうか。
3月13日の日付は、私にとっても大事な日である。
と謂うのは、1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇が亡くなり、その日の深夜、私の心臓に昭和天皇の御霊(みたま)がドーンと飛び込んで来て、私は驚いて飛び起きた。
そして、更に2月24日の「大葬の日」に、私の霊夢に平仮名で「あまぎ」と「けいとく」との、光った文字がハッキリと現れた。
その日の朝、意味ある事件だと考え、手帳に「あまぎ」と「けいとく」を記そうと意い、ペンを手にすると、勝手に手が動いて「我が身 既に遠く よき世を 願い奉る」と、書かされたのである。
その出来事があって、私は「あまぎ」と「けいとく」について、友人達に調査をお願いし、私も天皇の霊に頼まれた事なので、其の件に付いて真剣に調べて居た。
すると、福岡の友人である吉田氏が、「あまぎ」も「けいとく」も、阿蘇郡蘇陽町に実在した、昔の人物の名前だと調べ上げて、私に報告して来た。其れで私は早速、蘇陽町に行く事にした。
私達は、平成元年3月13日に仲間8名で福岡市に集合し、車一台に乗って阿蘇に向かった。そして、午後に「日宮幣立神宮」が有る蘇陽町に着いた。
蘇陽町に着いて、早速、日宮幣立神宮に参詣した。
日宮幣立神宮とは、太陽を神として祭る「日の神の社(やしろ)」で、「幣立」と名が付いているのは、神武天皇の孫である阿蘇郡一ノ宮町の「阿蘇神社」の御祭神である「建磐龍命・たていわたつのみこと」が、父親「彦八井耳命」が祭神として祭られている「日の宮」に参り、御幣を立てて、神降しの神事をした事に由来すると云う。
そして「天城・あまぎ」とは、其の彦八井耳命の長男である「天彦命・天城彦命」であり、其の天彦命・天城彦命」の墓は日宮幣立神宮から数キロの所に在る。
・・・神武天皇の第二夫人「媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと) - 大物主の女」の長男「日子八井命(ひこやいのみこと)・彦八井耳命)」と、其の日子八井命の長男「天彦命・天城彦命」が日の宮幣立神宮の祭神であり、其の日子八井命は、高森町の草部吉見神社に祀られており、近くには其の日子八井命の御陵も有る。・・・
「神武天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
「天城・あまぎ」とは、神武天皇の次男の長男である事が判明し、又「けいとく」とは、蘇陽町長馬見原(まみはら)の寺を建てた「慶徳」と言う真宗のお坊さんの名である事も判明し、夕方その寺にも参詣した。
「慶徳」の名は、熊本の市内に「慶徳公園・慶徳小学校・慶徳饅頭」として、今でも名が残っている。
さて、平成元年3月13日に、其の日の宮で何が起きたかと言うと、神社の近くに有る建物「地球平和道場」の中の部屋で、3時33分に私の身体に神が降りて来て、霊動が起きたのである。
私は直ぐに、道場の佐藤夫妻にお願いして、神棚に供え物をして、祝詞を上げて貰って鎮魂をした。
其の現象は、私の身体に「日の宮弊立神宮」の祭神の霊魂が作用しての事だろう。
其の日は、北九州小倉の自宅に帰ったのだが、次の日の新聞に、私達が日の宮に参拝した時間に、太陽のコロナが観測史上、稀な異常反応を起こしていた事が判明した。
此の世に暮らして居る人間が、神社に参詣しただけで、何故、太陽が反応を起こすのだろうか。
古代でも、その様な現象が起きたからこそ、太陽を神として崇める様に成ったのだろう。
太陽は、半径が、地球の109倍もある大きな恒星で、内部の核反応が外側にエネルギーとして飛び出す迄には、何千年も掛かると言うのが、科学者の見解である。
地球からの距離は1億5千万キロメートルで、質量は地球の33万倍有り、太陽系の質量の約99.9%を占めているそうである。
その太陽が、地球に住む一人の人間と関係が有るとは、誰にも信じられる事ではない。
しかし、その様な事件が有るからこそ、「神」の世界が、人間の思考の中に発生したのであろう。
太陽に意思が存在し、地球の生命を、自分の子として想っているのであれば、地球の一人の人間に、知らせを起こす事は、何ら不思議な事ではない。
太陽が育てている人類全体を、新しき意識階段へと進める為に、一人の「皇御子」を育て上げようとしているのであれば、其れは、私達人間にも理解出来ない事ではない。
其の新しい皇御子が、2007年3月13日に、此の世に出されるのであれば、私もその日に、阿蘇の「日の宮幣立神宮」に行く事になるだろう。
皇御子とは、天津日継のスメミマの理(こと)で、神宮皇后には「つきさかき いづのみたま あまさかる むかつひめの みこと」と名が現されている。
私が、現在の知識で、是に漢字を当てるとすれば「調栄気稜威の御霊 天下る向津霊目の命」となるだろうか。
人間の行動や、社会活動は「暦・こよみ」が無ければ、動きが執れない。
日付が知らされてくれば、計画が立て易いし、心の準備も出来ると言うものである。
昭和天皇の御霊が、私の心臓に飛び込んで来て、来年1月7日で丸16年が経過し、17年目が始まる事になる。其れまで、残り48日である。
私が、何をすれば良いのか、何をさせられるのかは、次第にハッキリしてくるだろう。私は、ただただ「神惟らの道」を進むしかない。
2004年11月20日
礒邉自適
2004/11/13
霊界の企画書
16・11・13
今朝のメッセージの映像には、畳よりも大きな紙一枚に、小さな文字でビッシリと、文字が横書きに書かれ、線も引かれているのが映って来た。
その一項目の意味は、定かではないが、これから始まる神事の、様々な内容が順序立てて、計画的に書かれていたのだろう。
それから、年配の小柄の男性の顔が、目の前にハッキリと迫って来て視えた。私は、その顔から想像出来るのは、知恵の神と伝えられている「少彦名命」である。
「少彦名命・すくなひこのみこと」とは、「大国主の命」が出雲の国(島根県)の国造りを行った時に、出雲に現れ、大国主の命に知恵を授けた神だとされている。
いよいよ、新しい国造りが始まるのだろうか。
今度の国造りは、大国主命の時の出雲一国の国造りでは無く、神武天皇の大和(奈良県)の国造りでも無く、明治維新の日本国の国造りでも無い、世界維新の国造りなのである。
私は20年前、屋久島で神界からその件(こと)を頼まれて、全国の旅に出発した。そして判明した事は、その事は私から始まったのでは無く、それは太平洋戦争の敗戦日である昭和20年8月15日に、奈良の「矢追日聖氏」に告げられていた計画だったのである。
私は、昭和22年1月29日に屋久島の安房に産まれているので、私が産まれる前から、その計画は始まっていた事になるのだ。
矢追日聖氏に告げられたメッセージは、地球儀が現れて、世界中に日の丸が立っているのが視えて、日本から世界維新が始まるとの事で、12月の冬至の日を元旦とする、カレンダーに因る政治(まつりごと)をしなさいとの理・ことであったとの事。
「正傳矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
だから、矢追日聖氏は昭和20年12月23日より、冬至を元旦として祭りを催し始めている。それからすると、今年の12月21日の冬至が、59年目の元旦と言う事に成る。
今年も12月23日に、59年目の元旦祭が奈良市の大倭神社で行われる。
矢追日聖氏は、1996年2月8日に84歳で亡くなっているが、亡き後もその元旦祭は続けられている。矢追日聖氏の誕生日は、1911年12月23日で、祭りと同日であるが、今上天皇も12月23日生まれであり、世界救世教の岡田茂吉氏も12月23日生まれである。
そして最も不思議なのは、今話題に成っているマヤの暦が、2012年12月22日が現在の世界の終わりの日で、人類の目覚めがあれば、23日より新世紀が始まると伝えられている事である。
マヤ暦からすると、何千年も前から、残り8年で人類の歴史が変る事が、分かっていたと言う事に成るのだ。これらの事から考えると、カレンダーとは、神の計画に取って一番大事な物という事に成る。
カレンダー(暦)が無ければ、神界も計画が立てられず、霊界人も現世人に対して、働きを起こせないと言う事に成る。
私達に先ず出来る事は、冬至を元旦とする正確なカレンダーを作成して、神の計画がスムースに運ぶ様に段取りをして、霊界人の働きが遣り易い様に、準備をする事である。
その神の計画に名を付けるとすれば、「メサイヤ(Messiah)計画」と成るだろうか。メサイヤとは「メシア(Messias)」で、元ヘブライ語で「油を注がれた者」の意であり、古代ユダヤ人が待ち望んだ、救いの主の言(こと)であり、そのギリシア語訳がキリストである。
「油を注がれた者」とは、神に選ばれた者の意味で、神に選ばれた者は、40日間岩山に篭らなければならない。
旧約聖書のモーゼも、新約聖書のイエスも、マホメットも皆岩山に導かれている。
日本でも、「弘法大師空海」や、大本教の「出口王仁三郎」其れに山岳信仰の元に成った「役行者」等も、岩山で修行をしている。其れに、日本の古い神社は皆岩山が御神体とされて来た。
私の生まれ育った屋久島は、全山が花崗岩の岩山であり、樹齢数千年の木々が繁っている。
日本の伝統は古神道にあり、古神道では「神籬・ひもろぎ」「盤境・いわさか」が一番大事とされ、神籬と盤境の無い神社は正式な物ではなく、只人間霊を斎っているだけである。花崗岩の岩が有り、大きな老木が立っていて、禊の為の清い水が流れている。それがメサイヤ、メシアの誕生する、最低の条件であると言えよう。
日本列島は、その条件に恵まれた国と言えよう。日本の国土が、神の州(くに)とされるのも、理由があっての事なのだ。その日本から、神の真実が解き明かされ、世界の精神的な支えと成る。その事が、今度日本から起きる、世界維新の意味なのである。
今朝のメッセージに現れた、一枚の大きな紙には、その手順が記されていたのではないだろうか。そうであれば、この現象世界にも新しい流れが、目に見える形で現れて来るだろう。
今朝のメッセージは、その前触れとして受け取っておこう。
平成16年11月13日
礒邉自適
2004/11/13
LOVE(ラブ)
16・11・13
昨夜、床に入って、物思いに耽っていると、LOVEのラブと、会のCLUB(クラブ)のラブが、同じ意味を持つ理が理解されて来た。
「CLUB(会)」は、同じ目的を持った者が、集い合うとの意味である。
「LOVE」も、異性同士が、同じ気持ちで会う事を意味しているし、テニス用語に使用する時もラブは、差が無くて「同じ・合っている・同点」の意味である。
「ラブ」とは、合体するとか、差が何も無い形態を、表す言葉では無いだろうか。
そうであれば、日本で使う愛のアイは「合い・会う」のあいと、お互いの思いが合うとの意味であり、愛し合うとは、会し合うとして考えた方が、正しいのかも知れない。
漢字の「愛」は、困っている人の為に、一方的に奉仕をする「自己犠牲」の意味だから、互いの気持ちが幸福(仕合せ)に成る事では無い。
愛は、一方的に、相手に尽くしきる行為の事である。
愛とは、恋愛もせず、結婚もせず、自分の子供も残さず、自分の一生を困っている人達に捧げた、インドの「マザーテレサ」の行為そのものであり、ラブに愛の漢字を使用する事は正しくは無い。
男女の思慕は、動物的な本能の現れであり、雄が、雌に対してプレゼントをしたり、サービスをするのは、鳥や獣でも実際に行っている、自然の生き物の行為の一部である。
日本語の意味が、漢字を不用意に使用する事で、随分と外れて来ている。
例を挙げると、「働・はたらく」は、「他人(はた)を 楽にする」が、日本の言葉の様・さまであり、「身体・からだ」は「空だ」。「美・うつくしい」は「うつむいてめでる」。「命・いのち」は「飯の霊(いのち)」。「人・ひと」は「霊宿(ひとどまる)」。等と、澤山在る様だ。
言葉が、本来の意味を失った時、森羅万象の姿が、正しく人間のイメージ(心象)に捉えられなく成って来る。
そう成ると、自然の法則と、人間の想いが通じなく成るのだ。
言葉が、真実から外れてしまえば、祈りの言葉も、神と通じなくなるのである。其れに、神のお告げも、正しく受け取れなくなるので、神も、人間に知らせを送り難くなるのだ。
現在の、神社や寺院のお札が、効力を発揮しないのも、言葉や文字が、正しく使用されなく成った為だと考えても良い。
もう一度、日本語と、漢字の関係を、見直す必要が有るだろう。
漢字が生まれた頃は、神と人間が、直接繋がっていると、考えて居たようである。漢字をよく調べると、其の事が良く理解できてくる。
神と人間との間も、やはり「合い」「合う」なのである。
「事」の漢字は、「枝+口(言葉)+右手」の組み合わせで、字義は「榊の枝に 言葉を書いた札を付け 右手で持っている形を表す。」との意味であり、神棚に、其れを捧げる者を意味しており、その者が、神に仕える神官である。
古代では、如何にして、神と人間が意志を合わすかが、一番の大事とされていたのだ。
現在では、天皇が君とされているが、「君」の漢字は「杖+右手+口・言葉」の組み合わせで、字義は「杖を右手に持った者が 言葉を発する」の意味である。
其れに「天皇」の語は、本来は「天」と「皇」は別の働きであり、天に「天帝」が存在し、その意志を受け取って、現世を治(しろ)しめす者が「皇帝」と呼ばれていたのである。
其の、天と皇を合わせて天皇としたので、天地の働きが、区別出来なく成ってしまったのである。
古代では、天の働き(四次元)と、地の働き(三次元)が別の働き故に、其れを如何に合わすかが、大事とされていたのである。
人間の幸も、個性ある別々の者が出会って、「会い・合う」時に、喜び(互いが仕え合せる)が生じるのである。
異なる肉体が、一つに溶け合い結ばれる時や、意見の違う者同士が、共通の想いに達する時こそが、喜びに繋がるのである。
相手が不足している、大事な物を自分が与えて、相手に満足の様子が生じ、相手の感謝や笑顔が返って来る時、其処に、自分の悦びが生じるのである。
「LOVE・ラブ」とは、その様な意味合いの世界なのだろう。
フランス語のランデブーも、ラブに関係が有るのかもしれない。
離れていた者同士が出会う時、LOVEの気持ちが、正しく生じるのではないだろうか。
人が旅をするのは、自分の足りない部分を、補強する為のものなのかも知れない。
自分から、失われてしまった神性を、取り戻そうとの意識が、人を旅に向わすのだろう。失われてしまった、神との一体感を、何時取り戻して、本当の仕合せ、仕え祀る実感を、味わえるのだろうか。
中国の老子の語に「恍なり惚なり 惚なり恍なり」とある。
其れは、光と自分の意識が一体となり、宇宙が自分で、自分が宇宙であるとの気持ちを、表現している。
世界の宗教にある、神は愛だとか、アミダが無量光の意味なのも、皆同じ潜在意識から発生したものだろう。
LOVEが「合い」であり、想いが重い(かさなる)であれば、私は、神とのおもいがかさなり合って、生きている事になる。
私は今、「幸せです」とは云えないが、「道(タオ)・法(ダルマ)」を、実行している者であると、言う事に成るのだろう。
平成16年11月13日
礒邉自適
2004/11/12
愛想
16・11・12
今朝のメッセージには、若いハンサムな男性が映って来て、周囲に愛想を振り撒く様子を見せられた。
私は、暫くは、其の様子を眺めていたが、あまり好い気分がしないので、見るのを止めた。
女性の人の、愛想が良いのは好ましいが、男性が必要以上に愛想が良いのは、何か下心が有っての事の様で、気持ちが悪く成って来る。
現在、中年の女性達に、超人気と成っている韓国の男優が居るが、別に媚を売っている風でもなく、自然な笑顔なので、其れはそれで良いと思う。
しかし、現在の世界情勢を見ると、人類愛の有る者ならば、慈悲の心が生じて、笑ってはいられない筈である。
昨日のニュースで、パレスチナのアラファト議長が亡くなったとの事。これで又、中東の平和が怪しく成って来そうだ。
世界の争いの原因は、宗教や主義・イデオロギーの違いと、資源の取り合いにある。
人口が増える事で、資源の取り合いが行われるのは仕方が無いとしても、生活に困らないのに、宗教や主義(イデオロギー)の違いで、殺し合ったり、建物や道路や橋を壊すのは、無駄な行為と言うしかない。
其れ等の件も、女性が原因では無く、男性の行動が原因である。
戦争を行うよりは、愛想笑いでもしていた方が、罪が無いかも知れないが、人類の未来を考えれば、笑いは顔から消えてしまう。
愛想笑いと、安心立命の仏陀の笑顔とは、全然違う筈である。
今朝の霊夢では、二つの顔が並んでいて、愛想笑いの顔は右側に在り、左側には静かな美しい男性の笑顔が在った。
今朝のメッセージは、男性の笑顔にも、二種類が有る事を、告げて来たものだろう。
私は、愛想笑いをする人間に成りたくないが、平和を悦ぶ「佛陀・ブッダ」か「阿弥陀佛」の様な姿であれば、私も成ってみたいものである。
男性の究極の姿とは、慈悲を含んだ、静かな笑顔の人物に成る事なのではないだろうか。それが、有徳の人物と言えるのだろう。
「徳」とは、「行+直+心」の組み合わせで、「天に真っ直ぐな心で行く」の意味である。
全てを天に任せて、余計な事をせず、正しく生きてさえ居れば、別に愛想笑いを使わなくても、大丈夫と言う事であろうか。
意識の中心を、しっかり見据えれば、其処に弥陀の姿が実在するのだ。
今朝は、自分が、自らの存在理由を直視したのだろうか。
何かを、作為して動こうとすれば、愛想笑いも必要と成って来る。
一切の行為を止めて、静かに、自己本来の姿に立ち返らなければ成らない。
平成16年11月12日
礒邉自適