2003/11/28
松果体 二
15・11・28
26日に、男性の力強い声で「我々は 是を 直線の配列と言う」と告げられて来た。
そして、作日のメッセージで、男性の働きが完了し、女性の働きに移る事が示されて来て、観音様の女性が現れたが、今朝はまた、男性の悪戯が止められ、女性が管理をする社会が映されて来た。
此処のところ三日間で、男性社会の価値観が終わり、女性の価値観に、社会が変化する事が知らされて来た。
「観音様」を佛教辞典で調べて見ると、「智慧によって 対象を照見する 作用を観という」と有り。
「観」は観察のことで、観の漢字は「鴻+見」の組み合せで、「鴻」は目の周囲が赤い「コウの鳥」の象形で、こうの鳥のように目を大きく開いてよく見るの意味を表す。と、載っている。 (漢語林)。
「観音」とは、観世音の異称だから、世の中を能く観る事である。
其れも、目に見える物だけではなく、姿形の無い働き迄も、能く見なければならないのだ。
観世音菩薩像は、男でもなく、女でもない姿で造られているのは、何故なのか。其れは、世界を観るのには、立場が男性か女性かのどちらかに、偏よってはならないからであろう。
真理を観るのには、中立(中庸)でなければならないのだ。
其れでは、中庸で観るにはどうしたら良いのだろうか。
其のヒントは、観世音菩薩像の額に有る。
観世音菩薩像の額には、第三の目が嵌められている。
其の、多くの仏像に印されている第三の目とは、覚醒の為の目であり、実際に人間の頭の其処に有る物は「松果体」と呼ばれている器官である。
其の「松果体」は珪素で出来ており、珪素は英語ではシリコンと呼ばれている。シリコンの純粋な結晶は、松毬状に形成されるそうだから、「松果体・しょうかたい」と名付けられたのも頷ける。
「松果体」を広辞苑で調べると、「松果体」左右大脳半球の間、大三脳室の後部で、視床枕と中脳の上丘との間の陥凹部に有る、小さな松毬(まつかさ)状の内分泌管。メラトニンおよびセロトニンを分泌。メラトニンは生殖腺に抑制的に作用し、其の産生は光りに影響される。鳥では生物時計として働くとされる。
「松果腺」上生体。「メラトニン」脊椎動物の松果体で作られ分泌されるホルモン。外界の光周期情報を体内に伝えると考えられ、ヒトでは睡眠を促進する効果などがあるとされる。と、載っている。
これ等の事から考えられるのは、松果体は人だけではなく、鳥類でも生物時計として働き、外界の光周期情報を体内に取り込むのに、必要であることが分かる。
前記した、「観」の文字が、鳥が見るとの意味で作られているのも、意味が合ってくる。
コウノトリの仲間である「トキ(朱鷺・時)」は、エジプトでは時間を司る神とされている。
エジプトの、古代文化である太陽の船には、太陽神イシスを案内するのに、コウノトリの頭をした神「イビス」が舳先(ミヨシ・見良し)に立っている。
エジプトでも、中国でも、鳥が世界を観る神とされていたのだ。
其れが、現代科学で、ようやく認められる時が来た様である。
インドでは、2500年前に「お釈迦さん」が、第三の目を開眼する事に成功している。
日本の伝統を伝える天皇家でも、天皇を「スメラのミコト」と呼んでいた。「スメ」とは、第三の目のことであり、「スメラ」とは、其の目に目覚めた「ブッダ・王」の事である。
お釈迦さんが謂っている理・ことに、自分がブッダとして目覚めたのは、「今世ではなく 何世も前の事だ」と有る。
日本の、天皇家の「スメラのミコト」の伝統は、「天津霊継・あまつひつぎ」と言って、代々引き継がれて行くのが決まりとされているのだ。
その流れの一番の元を、カミ(上・源流・みなもと)として祀り、その代々の霊魂を「すめみおや(皇祖・素目見親)」と考えて来たのである。
26日に聞こえた「我々は これを 直線の配列という」との意味は、此の「スメラ(覚醒者・ブッダ)」の霊継ぎの理であろう。
私も、佛教の在家得度を受けて、一応釈迦仏陀の81代目の弟子と言う事になっている。
世界中に、何十万人の釈迦の弟子が居たとしても、自分と釈迦の関係は縦一列で、一直線に繋がっている事に成る。
釈迦は、覚醒して「衆生一切が我が子」と謂っているし、スメラの尊のセリフも「国民は 皆 吾が子」である。
釈迦も、スメラの王も、要は母性愛の立場に身を置く事の様である。
自分の子供に、戦いをする様に奨める母親は居ないだろう。
観世音菩薩とは、男性で在りながら、母性の立場に身を置く中庸の人間のことであり、其の中庸の立場から、世の中の裏表を見通して、衆生一切を導いて行く働きを言い表す名なのであろう。
松果体とは、渡り鳥が旅をして生まれ故郷に帰る様に、旅をする男性の性(サガ)が、生命の源である女性性の母体に、帰り着く為の器官であると言えるのではないだろうか。
原始母性の源へ還り、母の胸で安らかに眠りたい。
其れが、男の性の本音なのではないのか。其の目的の為に、観音の音(ね)が、永遠に鳴り響いているのだ。
平成15年11月28日
礒邉自適
2003/11/24
生命プログラム
15・11・24
昨日23日は、勤労感謝の日で祝日と成っているが、23日は元々、天皇家と奈良の石上神宮で行なわれる、物部家の祭り「新嘗祭・にいなめさい」の日で、其れが、国民の休日とされているのである。
新嘗祭は、現在の世の中を生きる人間が、先祖の霊と、共食する事の祭りだから、勤労感謝をする事とは、意味としては、直接には関係が無いのである。
昨日は連休なので、長野市から来た女性二名を、縄文杉に案内する事になり、午前3時に起きて握り飯を作り、5時半に客と待ち合わせて山に向かった。
6時半より山道を歩き始め、11時半頃縄文杉に無事に着いて、握り飯を食べる事に成った。
私の新嘗祭は、縄文杉と共食する事と成ったのである。
其れはさておき、山道を歩いて居ると、頭に「生命プログラム」と言葉が出て来た。
私は「生命プログラム」の言葉を聴いて、魂の内側に納得する感情が芽生えた。
と言うのは、現在、人間が使用している言葉の「神・仏・生命・いのち」の区別が、ハッキリとしない事が、私の悩みと成っていたからである。
「神」は、人間を超越した威力も持つ かくれた存在。人智を以って、はかることの出来ない能力を持ち、人類に禍福を降ろすと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。
「仏」は、佛陀を意味する語の音写。覚者・智者のことで、目覚めた人の意で悟りに達した人をいう。
「生命」は、生物が生物として存在し得るゆえんの本源的属性として、栄養摂取・感覚・運動・生長・のような生活現象から推象される一般概念。
「いのち」は、生物の生きてゆく原動力。
広辞苑より
と、広辞苑には載っていて、一応の区別は出来ているのだが、一般社会ではそれらの区別が明確ではなく、「神仏・シンブツ」と言って、同じ働きに考えられたり、「生命」も「いのち」も混同され、生命と神仏も一諸くたにされている。
中には、岩石にも「いのちが宿って居る」と、言う人までもが在る。
岩石は、栄養接取も、感覚・運動・生長・増殖が何も無い物の、象徴的な存在のはずである。
では何故、いのちの無い岩石までもが、神佛の対象と成っているのだろうか。
其れは、生命プログラムのシステムが、明確に成っていない為であろう。
確かに、岩石も、生命プログラムには欠かせない物である事は、間違いないのである。
あらゆる生命は、元を同じくしているし、其の生命の元である微生物は、岩石から発生しているし、岩石は物質ガスが集合した物であり、物質ガスは光りから生じた物である。
光りとは、ヘリウムガスの爆発現象の事であるし、ヘリウムガスは水素から生じた物である。
だから、我々人間を含め、宇宙の森羅万象は皆、水素と呼ばれている物から、生じた現象物なのである。
「神」とは 水素から始まった働きであり、
「仏」とは その働きの情報を 悟った者であり、
「いのち」とは 水素を源とする働きであり、
「生命」とは 其の活動を言うものである。
その生命活動の中から、「霊」が生じてきているのだ。
「霊」とは、生命活動を成した物・者の情報が残されたものであり、其れを「魂・たましい」と呼んでいる。
「魂」は、此の世に生きる者にも存在し、物質的な肉体を失っても、消滅する事無く、此の世の物質に、自由に寄生する事が出来るのだ。
其の、魂が寄生する対象が、「依代・憑代・よりしろ」と呼ばれる樹木・岩石・人形などであり、生きた人間に寄生すれば、守護霊と呼ばれる事になる。
「生命プログラム」の「プログラム」とは、「番組・予定・計画のこと」と、広辞苑には載っている。
私達人類は、水素から始まった生命の番組であり、神の計画による現象であり、是からも、神の予定通りに、存続を続けなければ成らないのだ。
その理を、中国の老子は「道(タオ・タウ)」と謂い、インドの釈迦は「法(ダルマ)」と謂い、中東のイエスは「永遠のいのち」と謂い、日本の古神道では「惟神」と呼んでいるのである。
生命プログラムとは、神の計画が、私達の肉体に宿っており、其の現象の姿が、遺伝子による肉体の構成である。
生命プログラムとは、生物全体の形を構成する、微生物内の遺伝子が蓄積している情報の事である。
私達の肉体も脳も、其の遺伝子が、自分の存在を進化発展する為に、創造した物なのである。
其の理を、古代の人達は知っており、「虫の知らせ」とか、「虫が好かない」とか、「虫酸が走る」とか言い表している。
自分の肉体の中で、何かの情報が反応する事を、感じて居たのだ。
漢字の「虫」の字は、「龍」の略字である。
自分の内側に、虫の世界と共通の働きが有り、其の働きは、天地を動かす神の霊と繋がっている理・ことを知っており、「龍」を神の化身として捉え、「風」や「虹」の漢字も「虫」で組み立ている。
自分の内側の虫が目覚めて、言葉の真意を汲み取る事が出来なければ、文字は只の図柄であり、不立文字(ふりゅうもんじ)と成ってしまうのだ。
人間は、自分自身の生命プログラムに気付いてこそ、森羅万象に影響を与えられる様に成るのである。
自分自身の、生命プログラムに気付かないまま、闇雲に神仏に祈願をしても無意味なのだ。
釈迦牟尼仏が謂う処の、「三世(過去・現在・未来)」の世界に自分が存在し、「衆生(生きとし生けるもの)一切我が子」とは、その生命プログラムに達した者の言謂(ものいい)なのである。
だから、神仏を拝んでいても、何にも成らないのである。
神の働きこそ、自分の内側に在り、其れに目覚める事こそ、仏なのである。
神仏は、外に在るものではなく、自分自身の生命プログラムの理なのである。
自分自身の生命プログラムは、自分から始まったのではなく、宇宙の始まりから、一時も途切れる事無く続いているものである。
自分の先祖も、其の糸の一部なのだ。
11月22日から、23日に掛けて夜通しで行なわれる「新嘗祭」の儀式こそ、主食である稲の遺伝子の力を借りて、自分の生命プログラムを目覚めさせ、先祖の霊と共鳴を起こし、自分の魂の強化を、図る為のものなのである。
昨日、山道を歩いている時に、何故、「生命プログラム」との言葉が出て来たのか。其れは、森の木や草が、同じ魂の世界に在るからなのだろう。
私は、森の中を歩く事で、草木の魂に触れ、「いのち」の代弁者と成っていたのだ。
11月23日は、やはり勤労感謝と言う、人間間の催しではなく、新嘗祭として、国民全てが、自分の生命プログラムに、意識を向ける日とすべきではないだろうか。
そうすれば、勤労者の人達だけではなく、天地一切の諸物に、感謝の念が湧く事に成るのではないだろうか。
宇宙・天・神・霊・仏・先祖・全生命・いのち・そして自分、其れ等一連の流れに対して、意(おもい)を向けた時、ようやくにして、祈りの本質に気付くことが出来るのである。
仏の世界とは、仏像を崇拝したり、灯明を供えたりする事ではなく、生命プログラムを自覚する理・ことなのである。
物部家初代霊魂による諭し
平成15年11月24日
礒邉自適
2003/11/18
あるべき様に
15・11・18
昨夜、眠る時に「あるべきように」と言葉が遣って来て、視た霊夢は、清い水が流れ落ちて来るのを、私が手持ち鍋で、汲み取る場面だった。
其の水は、瞬時に手鍋一杯に成って、どんどん流れ落ちて行き、手鍋が差し出されている影響は、全く受けていなかった。
私は、今朝の夢の意味を考えて居て、今朝の夢の意味する処は、自然の時空(とき)の流れは、人間が手を出して汲んでも、何も変化しない。
そんな行為をするよりは、天と同じ目線で、全体的な流れを見詰めて居た方が、良いとの理・ことではないかと想えて来た。
そして「あるべきように」の言葉を、広辞苑で調べて見ると、
【あるべきようは】佛教の自然法爾(じねんほうに)の理念を 各人の身の処し方にあてはめて和訓化した語。と 載っていたので、今度は「自然法爾」を調べて見た。
【自然法爾】人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっていること。また、人為を捨てて仏に任せきること。親鸞の晩年の境地と成っている。と載っている。
「あるべきように・あるべきようは」の意味が理解されたら、水の流れの解釈は当たっている事になる。
「あるべきように」と云って来たのが、親鸞聖人の御霊であれば、水の流れを、私の夢の中に送り込んで来たのは何者で、手鍋を差し出して居た手は、誰の手であろうか。其れが、仏の手なのだろうか。
仏とは、「ブッダ(仏陀)」の事であり、神の事ではない。
ブッダ(覚醒した者)に成ると言う事は、神の手足の役目をする事であろうか。
そうであれば、私は、神の手として働いている、仏陀の助けに拠って、日常を暮らして居る事に成る。
しかし、仏陀も、嘗ては人間として、此の世界で生活をした者なのだから、水の流れを造り出す事は出来ない。
更に、仏陀が水の流れを使用して、私に宇宙の大きさを教えようと考えても、私自身が、水の流れを体験して知っていなければ、其れを知らせる事は、不可能な事である。其の様に考えると、人間が生きているこの現象世界こそが、神の本体と謂うことが出来る。
私の肉体を含めて、地球の存在や、屋久島の自然や、天体の星々までもが、全て神の本体なのである。
その森羅万象が、何の目的の為に存在しているのか、それは、我々人間の意識を育てる為なのだ。我々人間の意識こそ、神の収穫物なのである。
我々が、自分の水だけを汲もうとする事は、神の意思には適っていない理になる。我々人間は、地球の全生命の代わりに、全体の流れを見(観)続けなければ成らないのだ。
其れが「自然法爾」の理で、「あるべきように」とは、其の理を踏まえて生きて行く事なのだろう。
私の名の、自適の「悠々自適」とは、本来は「遊遊自適」だったと、物の本に書いて有った。
「遊遊自適」とは、曲がりくねった川の水が、河の曲がりのままに、流れて行く事だとの意味である。自然の流れに、手を加えないで、在るが侭に流れて行く、その理・ことを、私は本日知らされたのだ。
では、是迄の私の19年間の修業は、何の為だったのであろうか。
私に起きた出来事は、嵐の様な激しい衝撃を与える現象であった。
全てを押し流すかの様に、私の全てを取り去ったのである。
考えてみれば、私が自分の物だと意って居た物は、全て、神の手鍋の中の世界で在って、神の働きの大きな流れの中では、無き物と同じであった事なのだ。
私は、全てを捨て去って、19年間の旅を続けたからこそ、現在の意識に達する事が出来たのである。
自分の、手持ちの世界を取り去られたからこそ、大きな神の世界を、体験する事が出来たのである。其れも、自分の力ではなく、大きな力が、私の全てを包み込んでの事であった。
いま現在、私は静かなトキを迎えて、自分に起きた様々な事を、振り返って考えて見ると、自分の意識とは本来なく、大きな存在の意志の力で、育てられて来た事に気付く。
此れから、私が何を想い、何を目的として生きて行けば良いのかは、何も分からない。
今朝のメッセージから考えれば、「自然法爾」の理を、頭に置いて行けば良いとのことだろう。「あるべきように」とは、「そのままで」と同じ意味であろうと想う。
私の、個人的な考えなど全部棄て去って、ただ「惟神の道」を歩いて行けば良いのだ。
悠々自適を、遊遊自適として・・。
平成15年11月18日
礒邉自適
2003/11/7
光りの柱を廻る
15・11・7
今日のメッセージは、光の柱の上空から神の光が降り注ぎ、その神の光に照らされて、17〜18歳の若者達が、時計と逆まわり(運動場で行進する方向・左回り)に一人、又一人と順番に廻って行くのが映った。
そして、次に、裸で無邪気に遊ぶ子供達が、同じ場面を、反対方向の右回りに廻るのが映った。
今朝のメッセージは、子供の頃は、父兄に頼って左回りに活動をして生きているが、17歳位から個人的な意識が芽生えて来て、自分なりの行動を起す事が、映されて来たのではないだろうか。
日本の子育ての現況は、2〜3歳から保育園に始まり、大学校を卒業するまで、親が面倒を見ているので、自立心が無い儘オトナに成ってしまっている。
17歳位いで、親に面倒を見て貰う事が嫌に成り、親から離れて、自立をしようとする時期を消化しないまま、通り過ぎてしまっているのである。
私は、幸いにして、父親が17歳の秋に死んでしまったので、否応なしに自立しなければ成らなかった。
四人の弟妹を育てる為に、父親代わりをしなければ成らなくなったのである。その体験から、17歳で親に頼って生きている状態から、自立する時の、心の成り行きは良く理解出来る。
では、生命の仕組みとして、それをどう受け取ったら良いのだろうか。
自然界の猿やライオン等、殆どの動物は、親離れの時期があって、一人で生活出来る様に成ると、直ぐに親元を去って行く。
人間だけが、自分の家族から離れないで生活しているのだ。
特に、動物は群から出て行く者こそ、能力が有る・高い。
此の事から考えると、男子は17歳くらいで、一応親からの独立を図る必要があるのだろう。本人だけではなく、親もまたその理・ことを、良く自覚しなければならないのだ。
今朝の光の柱は、生命の根源の働きを示していたのだろう。
日本の古事記には、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」の国生みの話しが有り、伊邪那岐命は柱を右側から左回りに、伊邪那美命は左側から右回りに回って、交合いをしたと書いてある。
その条件は、女性の方が先に声を掛けてはならない。
行動を、前に起すのは、男性の方だとされているのである。
其の理・ことが教えているのは、男性の方が、右回りで行動的でなければならないと言うことであり、男性は受け身では駄目だとの理・ことである。
女性の性は、受け身であってこそ、その働きが生かされ、男性を成長させる事が出来るとの理・ことなのだ。
そう言えば、今朝のメッセージでは、右から、左奥に廻り込んで行く人達の中には、女性の姿が見られないで、子供達の中に、女の子が混ざっていた。
女性は、右回りの行動を起さないで良いとの理・ことなのだ。
男性と一緒に、女性までもが、右回りの行動を起してしまえば、社会はブレーキを失い、暴走を始めてしまう事に成る。
女性が、静かな立場を守ってこそ、社会は秩序を保てるのである。
子供達は、17歳迄は、女性の元で静かに育てられてこそ、安定した精神を保てるのではないだろうか。
古事記だけではなく、中国の「タオ(道)」でも、エジプトの文化でも、右巻きと、左巻きの螺旋の構造は、一番大事な神秘として伝えられている。
私達の、意識の成り立ちや、身心の構造の深い処に、左右の回転の渦巻が隠されているのである。
私達は、子育てや教育の中で、その働きを、長い間、無視し続けて来たのである。その為に、人類の進化は歪んでしまっているのだ。
今朝のメッセージは、其の理・ことを正せと、告げて来たのだろう。
17歳の年頃に、一番精神が不安定になるのは、その頃に自立をしなければ成らないと言う運動が、内側に発生するからではないだろうか。
今後は、その働きに合わせて、子供達を育てなければ成らないのだろう。
男性が、男性らしく育ち、女性が女性の性を安定させる時、社会は調和しながら回転し、子供達も健やかに成長するのだ。
現在・いま屋久島に高等学校を造り、16歳から上の子供達を、受け入れようとの動きが起きている。其の事に、私も関りを持っているので、今朝のメッセージが来たのではないだろうか。
私が、自分自身の人生を振り返り、自分の意識の成長過程を調べれば、成長の螺旋構造も視えて来る。
私の人生の過程が、子供の成長の手助けに使える事に成れば、私も本望と言うものである。
平成15年11月7日
礒邉自適
2003/11/6
箇条書の文章
15・11・6
今朝のメッセージは、別紙に書いた旅の終わりの内容と、箇条書きの文章が並んでいるのが映って来た。
文章の意味する処は、言語の一言一句を、しっかりと認識しなさいとの事の様である。
私の、記憶と理解力には自信が無いので難しいが、参考に成るならと考え、書き出してみる事にした。
「道」道は 確かにあるのだから 求めて見よう。
「光」光は 確かに存在するのだから 感じてみよう。
「愛」愛は 実行してみれば 理解出来るものである。
「海」海は 水中眼鏡を掛けて潜って見れば 能く分かる。
「水」水は 自分の手足を使って触れて見ればその存在の意味も確かめられる。
「森」森は 自分で森の中に這入って見なければ 解からない。
「山」山は 頂上に登った者だけが 良く分かる。
「川」川は 一年中見詰め続け 川に入って 上り下りして見て ようやく理解出来るものである。
「空」大都会の空には 本当の空は無い。
「火」火は 自分の肌で触れて見て 初めて その熱さが分かる。
「釣り」釣りは 自分で魚を釣った者しか その感動を味わう事は出来ない。
「仏」仏とは 生きて此の世に在る間に悟った者だけが理解出来る言葉である。
「神」神とは 人間の目には 直接見えない働きの事である。
「痛み」痛みは 痛みを体験した者だけが理解出来る 生命の基本的な能力である。
「産」産は 子供を産んだ事のある女性にしか分からない 特別の言葉だ。
「男」男の文字は 土地を耕す腕力の意味である。
「女」女は しなやかに両手をそえて 跽・ひざまづく女性の姿の事で だんだんと その様な女性は 少なく成って来ている。
「媼・おうな」媼は 優しく人々を抱きしめて 温かい言葉を掛けている 年配の女性のことである。
「翁・おきな」翁は 髭の長く伸びた老人のことで 長生をして物事の経験が深く 知恵多く有している人のことで日本語の「おとな」はその人に当る。
「暑」暑は 太陽の熱が 物が煮える程あついの意味で 夏の熱を体験して見て それが理解される。
「寒」寒は 冬 氷が張っている夜に草にくるまってこごえるの意味である。現在の人々には その体験が無い。
この様に書き出して行くと、全部の文字を、書き続けなければならないので、ここ等で止める事にして、今朝のメッセージの意味を考えると、私は自分の旅は終って、真理を探して旅する人達の、覚醒への道の案内役になれとの事だろう。
「真理」とは、人間の誕生と共に発達して来た「言葉」や「文字」に、秘められているとのことだろう。
一つ一つの言葉を、正しく理解する事が出来れば、自ずと覚醒への道は開かれて行くものと想う。
その手掛かりを、私に準備しろとの事で、今朝の箇条書きの文章が、映されて来たものと考えられる。
現代の人達に、理解出来る言葉は、歩く、食べる、飲む等で、数は少ないだろう。
経済や、政治の意味も分からない人達が、政治や経済事に携わっているのだから、仕方のない事だと想うが、人類が助かる為には、言葉の本質を知って、真の道に帰るしかない。その時が、身近に迫って来ているのだ。
私達が、自分の使用している言葉を、正しく理解する事が出来れば、真理の扉は開かれ、神への道は明らかになるのだ。
その為には、言葉を創り出した人達の生活の場に、自分の立場を戻すしかない。それは、生活の体験の場である。
私に出来る事と言えば、その体験を、他の人より多く積んでいるので、人々のサポートをする事だろう。
私の、是からの人生も、段々と見えて来る様な気がする。
19年前、光に包まれ、道を体験した日々が、又蘇るのだろうか。
再び、屋久島の水と、緑と、光に溶け込んで行く、自分の姿が目に見える様だ。
此処まで書いたら、左手の親指が神に通じて、ビリビリ痛くなって来た。
愈々、精神的な親分をしろとの指令の様である。
平成11月6日 13時5分
礒邉自適
2003/11/6
新しい立場
15・11・6
今朝のメッセージは、私の次なる立場が示されて来た。
私が、数名の人達と旅行をしていて、私が写真を撮ろうとしてカメラを覗くと、レンズの中に水が溜っていて、シャッターが切れないのである。
仕方がないので、もう一台のカメラを手にすると、そのカメラからも黒い水が流れ出て来て、使用する事が出来ない。
同行していた年配の男性が、分解して見てくれたが、中のフィルムもダメに成っているとの事だった。
私は仕方なく、新しいカメラを手に入れて、旅を続ける事にしたのだが、今度はファインダーを覗いても、被写体が見付からないので、写真を撮る事を止め、旅にも興味がなくなったので、駅前に敷物を敷いてその上に座っていた。
すると、背のスラリとした40歳位の女性が一人遣って来て、「貴方ですか」と話し掛けて来た。
私が、「エッ 何の事だろう」と感じていると、女性が「今朝 神様が現れて『駅前に 悟った人がいる』と知らせてくれたので 出掛けて来たのだ」と云う。
私は、目的も無く、駅前に敷物を敷いて座っているだけなので、別にその事に逆らう必要も無いので、彼女の云う事を受け入れる事にした。
そして、二人で敷物の上に座っていると、他にも数名の人が来て、敷物の上に座り始めた処で、其の映像は終った。
私は19年前、神の世界に入ってから、屋久島の山中を歩き回っている時に、神に「カメラで全てを記録しなさい」と告げられ、その事を無庵師匠に伝え、カメラを一式購入し、今日まで出会った人や、行った場所を、カメラに収めて来た。そして、現在、アルバムの数は60冊にも成っている。
私が何故、写真を撮り続けさせられたのか、その理由を考えてみると
1.物事を部分的に切り取って、視野に入れる訓練。
2.写真は、その時に撮って置かないと、後戻りしては撮る事が出来ないので、後の為に物事の記録として撮り続けて来た。
3.写真が残っていれば、私の行動記録が保管される事に成り、私の説明に役に立つ。
4.手ぶらでウロウロ歩き回っていると、不審者として人々に警戒心を起させるが、カメラを提げていることで、他人に安心感を与える事が出来る。
5.カメラを持って歩き、管理をする事で、自分の意識が浮遊する事を防ぐ事が出来る。
6.出会った人達に写真を送ることで、住所が確認され、コミュニケーションが取り易くなる。
7.写真が一枚残されていれば、その写真を取り出して見る事で
・場所が確認される。
・誰が居たか分かる。
・人々の顔ぶれと、其処にある品物で、何が話されたかの事が思い出せる
・催し等の内容が確認出来る
・毎日の日記に全てを書き続ける事は大変な事だが、写真が一枚有ればそれをカバーしてくれる事になる
8.人脈のネットワークを作るのに、写真があると便利。
9.後の世の人達の為に、証拠として残せる。
10.本を出す事に成れば、写真は必要と成って来る。
以上、10項目並べてみたが、他にも未だ意味合いが有るのだと想われる。
今朝のメッセージは、其れ等の作業を、もう止める時が来たとの事だろうか。本番と成れば、私自身がカメラを持ってウロウロ歩き回ると、会議も中断するし、私自身も意識を集中する事が出来ない。
大事な場面では、誰か、他の人がカメラマンをする事に成って来るのだろう。
私が、是から遣るべき事は、訪ねて来る人達の相手をする事なのだろう。
今朝のメッセージの場面が駅だったのは、自分が出掛けるのではなく、相手が探して来る事を意味している。
私は、旅人が真理を求めて訪ねて来るのを、待っていれば、良い事に成って来たらしい。私の、人材探しの旅と、文化の研究は峠を越えたのだろうか。
19年前、私の修業が終った時に、無庵師匠が「自適さんは動かないでも 私が世の中の大事な人達を 連れて来るから」と云った事が、漸く現実と成って来るのだろうか。
私は無庵師匠に、その様に言われた時に、訪ねて来る人達の質問内容が予想され、答えられない自分も見えたので、全ての答えを用意する為に、旅に出たのである。
当初、「16年半掛かる」と神に告げられたが、其れから、既に19年半の歳月が経っている。神に告げられた期間から、3年オーバーしている事に成るが、それは、私の修行の力量不足から成ったものか、余りにも、人間界の気付きが遅いからなのかは、私にも分からない。
今年の12月5日で、丸19年半が経つ事になる。
私は、カメラを手にし旅を続ける事から解放され、ようやく本当の悠々自適の生活に返れるのだろうか。
人々が、私を訪ねて来る事に成れば、そう呑気にもしては居られないと想われるが、私が動かないで良い様に成ったと言う事は、神の計画が順調だと考えて良いのだろう。
私の旅が終ったとすれば、私の肉体を借りに来た4311体の霊魂も、成佛した事に成るのだろうか。
そうであれば、霊界も静けさを取り戻す事に成るだろうし、私自身の先祖の人達も喜んでいるのではないだろうか。
今年の晦日は、私にとっても、意味深いものに成りそうである。
平成15年11月6日
礒邉自適
2003/11/4
黒い色の通信機器
15・11・4
今朝のメッセージは、机の上に未来型の、発達した黒い色の立派な通信機器があり、私はその通信機器を使用して、情報の遣り取りをしようとしていた。
通信機は、電話やFAX他、色んな通信が可能な様である。
私は、その機器を使用して相手の声を聞こうとしているのだが、相手が向こう側に出ないので、話が直接出来ないで困っている処だった。
今朝のメッセージが、何を知らせて来たものかを考えて見た。
人間は、何百万年もの長い間、音声にて相手の気持ちを受け取ってきた。
電話が出来るまでは、直接会わなければ話しが出来ないので、話す時は何時も相手の顔が目の前にあり、相手の表情で気持ちも汲み取る事が出来た。
それも、電話が出来て、話が出来る様になった。
電話でも、声の調子で、相手の様子も窺い知ることが出来る。
それが、近頃ではメールになって、直筆でもない文章だけが、行き来する時代と成って来た。
電子メールでも、相手を良く知っていれば、文章を読む時に、相手の顔や人柄を思い出しながら読む事が出来るが、知らない相手からだと、文字の意味する事だけの遣り取りでしかない。
今朝の私の様子では、相手の声を確かめながら、情報の遣り取りをしたい様子だった。
今朝の場面は、やはり人間社会は、互いが直接会って触れ合う事が一番大事であり、その条件が満たされた上での、電子機器の使用でなければならないとの理であろう。
機械文明がどんなに進んでも、愛や情感は、直接会わなければ伝わらないとの事ではないだろうか。
その様に考えれば、教育や学習も、学校が無くなる事は無いという事になる。テレビ電話が完備されても、情報機器だけの学習では、限界があるという事になる。
「教育」とは教え育む事であり、学習とは学び習うものであるので、直接人間が人間に触れ合って、成り立つものであるとの理だ。
今日の午後、屋久島に学校を造るという、T出版の前田社長さんより電話が有り、島内や名古屋、東京の人達10名程に電話を掛け、段取りを進める事になった。
電話を掛けた相手は、皆親しくしている人達ばかりである。
電話で話しをしていても、相手の様子が映像として頭に浮かんで来ていた。
その事から考えると、電子機器がどんなに発展しても、人間社会は、人間が直接会う事が土台に成らなければならないという理に成って来る。
一度も会った事の無い人と、大事な話しを一緒に遣る事は、不可能ではないだろうか。
たんに、物の売り買いなら現金が振り込まれてから、品物を送りさえすれば良い。しかし現在では、金を振り込んでも、品物が送られて来ない事も有ると聞く。それらの事柄も、電子機器の発達した社会の陰の部分であろう。
人間は、やはり直接会って話すというコミュニケーションを、忘れてはいけない理を、今朝のメッセージは伝えて来たものと想う。
霊界人達も、人間社会が無機質的に成る事を心配しているのだろう。
日本は自然豊かな国であり、和歌等の文化を発達させて来た。
和歌は、四季折々の自然の変化と、人間の魂の触れ合いで出来上がるものである。それらは、有機的な世界であると言えよう。
世界が、無味乾燥化しつつある現在、日本はやはり大切な文化を忘れてはならないとの理であろう。
電子機器が益々発達する社会において、日本の役割は、大きなものと成って来るのではないだろうか。
今朝のメッセージは、その様な感じを私に与えるものとなった。
平成15年11月4日
礒邉自適
2003/11/1
観音菩薩への道を整える
15・11・1
今朝のメッセージの映像は、数ヶ所の新しい現場の入口に、同じ女性が立っていた。その女性が、入口が何処に有るのかを知っているらしい。
そして、私は道路の草刈りをして、道を整備しているのである。
私の役目は、その女性が居る現場への道を、造る事の様である。
私は、11月1日には幾つかの思い出が有る。
其れは、11月1日に二回引越しを体験している事である。
一度は、1997年11月1日に京都から出雲への引っ越しで、一度は1986年11月1日に四国の高知県土佐市から、九州小倉への引越しで、四国の道路沿いでは、何ヶ所でも神社の大祭が行われていた。其の神社の名は、「十二所神社」である。
11と1の数字で考えると、11は「十一面観音菩薩」の顔面の数が有る。
十一面観音菩薩は、「阿弥陀」の働きを表す物とされているが、それを密教の「大日如来曼荼羅」九葉曼荼羅的に捉えれば、自分の顔が一で、冠の所に九つの聖霊の顔が付いていて、頭上には阿弥陀の頭が着いている。
其れを、全部合せて十一の面を持つ観音様と成っているのだ。
今朝のメッセージに映って来た女性は、9名ではなく1人だった。
若しかしたら、現場が9つ有って、其処には、それぞれの役目の者が、中に居るのかも知れない。
それとも、9名の役目の人達が、其処へ辿り着ける様に、道路を整備するのが私の役目なのだろうか。
だとすれば、私は道祖神と言う事に成り、日本の道案内の神である「猿田彦神」の働きと成る。
道祖神は、「道路の悪霊を防いで行人を守護する神。日本では『さえのかみ』と習合されて来た。くなとのかみ。たむけのかみ。」と載っている。広辞苑
・「さえのかみ・障の神・塞の神・道祖神」。
「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が「伊邪那美命・いざなみのみこと」を黄泉の国に訪ね、逃げ戻った時、追い掛けて来た黄泉醜女(よもつしこめ)を、さえぎり止める為に投げた杖から成り出た神。
邪霊の侵入を防ぐ神。行路の安全を守る神。村境などに置かれ、近世にはその形から良縁・出産・夫婦円満の神ともなった。
・「くなとの神(久那斗神・岐神)・くなとのかみ(ふなとのかみ)さえのかみ」の別名で、集落の人口などの分岐点にまつられ災禍の侵入を防ぐ神。また道路や旅行の神とされた(ちまたのかみ)。「たむけのかみ」〔手向けの神〕 旅人が道中の安全を祈るために幣物を手向ける峠などの神。「ちまたのかみ」〔岐の神〕@道の分岐点を守って、邪霊の侵入を阻止する神。A天孫降臨の時、天の八街(やちまた)に迎えて先導したからいう猿田彦の異称。と 道に関する神の名が 広辞苑に 載っている。
私に、1999年5月21日にドイツ語で「ルーベン・デス」と告げて来た神も、同じ道の案内神ではないだろうか。
「ルーベン・デス」とは、日本語で「風上に 船首を正しく向ける」との意味である。其の言葉が告げられて来てから、三年半に成ろうとしている。
今朝のメッセージは、私の進んで来た道が、分岐点に差し掛かっており、是から八街(やちまた)に分岐するとの事だろうか。
十一面観音菩薩は、阿弥陀の本体に辿り着くのに、九つの聖霊(部所神)が途中に存在することを示している。又は、阿弥陀の働きが九つに分岐して、自分を守護していると受け取っても良いだろう。
上に向かう事が、観音菩薩行であり、上からエネルギーを貰い、現象界に向かって働く事は、観自在菩薩行である。
神の世界は、理屈ではなく、現場で出来ているのである。
何故、私が屋久島の自然の中で、現場だけに従事していたのかが分かって来た。私の思考は、現場無しには働かないのだ。
道を案内すると言う事は、行き先を知っていなければ成らないし、途中で起きる様々な事も、情報として把握しておかなければならない。
私の56年間の人生は、その為に在ったのだろう。
私が神憑りになった時に、一番先に行った事は、竹山に行って、竹を切って来て杖として突く事だった。
天皇家の、代替わりの時の「大嘗祭」に、杖が供えられるのも、猿田彦神を頼りとしているからではないだろうか。
今年は11月3日(旧10月10日)に出雲の稲佐・いなさ浜で、神迎えの儀式が行われる。
旧暦の、10月10日に神迎えの儀式が催されるのは、猿田彦の神が迎えに立つ儀式なのであろう。 その儀式に先立って、私の所に猿田彦の神が現れたのだろうか。
何れにしても、神(観音菩薩)への道が、近くなって来た事は確かなのだろう。
私が18年間、全国を歩き回ったのには、幾つもの理由が含まれている。
その結果が、今後どの様な形で、人々の役に立つのか分からないが、自分の体験を通して、これから旅を始める人達に、何等かのアドバイスが出来るのではないだろうか。
私の旅は、今朝、夢に現れた菩薩の手助けをするのが、目的だった様に思えて来た。
平成15年11月1日
礒邉自適
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