このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2003/8/31
テデ・スコット・ヘレンケラー製作所
15・8・31
今朝のメッセージは、「テデ・スコット・ヘレンケラー製作所」と、言葉が出て来た。
「ヘレン-ケラー(1880〜1968)」は、広辞苑には「アメリカの女流教育家・社会福祉事業家。二歳の時、盲聾唖(もうろうあ)となったが、力行して大学を卒業。身体障害者の援助に尽す。三度来日。著『私の生涯』など」と、載っている。
「スコット」は、「スコットランド」とイギリスの国の名前に使用されているが、何の意味かが私には分からない。
「テデ」は「手で」であれば、ヘレン-ケラーが目も見えなくなり、耳も聴こえず、言葉もしゃべれなくて、全て手で触り、手で文字を読み、手で会話を始めたとの事だから、人間の、手が大事である理を、意味しているのかも知れない。
製作所も、物を製作する所だから、手を使う所である。
残りは「スコット」だが、スコットランドのスコットが、本来何を意味するかが分かれば、今朝のメッセージの意味が理解出来る。
イギリスは、スコットランドとアイルランドの二つの島で出来た国である。
イギリス人が入り込む迄は、ケルト人の住む島だったのだから、スコットとはケルト語なのかもしれない。
今朝のメッセージは、人間の育ち方が、手を使用する事から、余りにも外れて来ている事を、告げて来たのではないだろうか。
其れとも「テデ」は「てておや・父親」の意味で、「テデ・スコット・ヘレンケラー製作所」とは、父親スコットが、製作所で何かを製作するとの意味であろうか。
昨日は、大阪府の池田小学校で児童8人が殺害され、15人が重軽傷を負った事件を起こした「宅間 守」が、死刑の判決を受けた。
この現象も、手足を実際に使用せず、頭だけで教育を続けて来た結果の、出来事ではないのだろうか。
私は小学校の頃から、鶏の世話をしてヒヨコを育て、大きくなった鶏を自分の手で殺して食べていた。
だから、生命に付いての事は、育てる事も、殺す理不尽さも、能く知っている。
犯人の宅間守も、私の様な育ち方をしていれば、決して、あの様な事件を起こす様には成らなかったのではなかろうか。
自分で育てた生き物に、愛情が湧く様に、自分で作った作品には、愛情が生れるのである。
今朝のメッセージは、ヘレンケラーの様に耳が聴こえなくても、目が見えなくても、手があれば、人間の能力が発揮される理・ことを、知らせて来たのではないだろうか。
現代社会の子供達は、紙と筆記用具の他は、ゲーム機やパソコンのキーボードにしか触れていない子供が多い。
箸を正しく使える子供も少なく、箸の持ち方を、正しく教える親も少なくなって来ているとの事。
漢字の「有」の字は「右手+肉」の組み合わせで、右手に肉を持っている象形で、自分が狩猟で成功した事を、確かめている意味である。
現代人には、その様な現実感が無く、財布の中身や貯金通帳の数字が、一番現実であると想っているのではないだろうか。
紙幣、金券、株券、貯金通帳の金額等は、全部、人間が便宜上考え出した仮の物であり、頭で考え出した物で、脳の産物でしかない。
其れ等の世界は、人間社会のシステムが壊れれば、一気に、その現実感を失ってしまう物である。
その点、ヘレン-ケラーの意識の内に存在するモノは、全て、現実世界に在る物だけであったと想われる。
小さな人間の赤ちゃんは、手に触れる物は、全て口に持って行き確かめている。
人間の脳の成り立ちは、手に有る事と、唇に触れる事が、土台に成っているのだろう。
ヘレン-ケラーの人生を学べば、人間の意識や、感覚のシステムがハッキリと自覚出来るのではないか。
その理を、ハッキリと人類が認識出来た時、何が教育に一番大事であるかが、理解されて来るのではないだろうか。
大作曲家のベートーベンも、耳が聴こえなくなった時、楽器が振動するのを肌で観じて作曲を続けたとの事である。
人間は、手で確かめ、肌で感じた事を、能く覚えて行くモノらしい。
私も、机に座って勉強をしたのは、小・中学校の授業時間だけで、殆どは、手足を使う事に、日々を費やして来た。
私は五感に支障が無いので、ヘレン-ケラーの苦労は知る由も無いが、其れでも他の人よりは、体感度は高いと想われる。
人間の脳は、皮膚の一部の細胞が内側に捲かれて、後から、頭蓋骨が外を被って出来ている。
脳は、肌の一部である事が分かる様に、手にこそ、脳の働きがあると言っても過言ではない。
未来を担う子供達に、手を使う事を基本として学習する事を、教えていかなければならないだろう。
今朝は「スコット」の語源を教えて貰おうと想い、英語が話せる知り合いの女性に電話を掛けたら、夫の名が「スコット」で、現在、子供達に、手仕事を教えるプログラムを考えている処だとの事で、ビックリしてしまった。
もう屋久島に、その事が、準備されているとの事が判明して、驚いている。
平成15年8月31日
礒邉自適
2003/8/31
目あき
15・8・31
今朝のメッセージは、山中にある木造の家に男性が居て、澤山の書類を整理していた。
その人の頭上を見ると、大黒柱の上の天井から、黒い油の様な物が落ちているのに、その男性は座ったまま動こうとしない。その男性の頭にも、落ちた油の染みが付いているのが見えて、場面は終わった。
朝起きて、何の意味だか考えている内に、スーリアさんより電話が有り、「世を立て替える働きをしていた人の、居所が判明した」と言って来た。
そして、スーリアさんの話を聞いている時に、旧約聖書の事を思い出した。
旧約聖書には、「救い主の キリストの事を メシア(油を注がれた者)と言う」と、載っている。
今朝のメッセージの、天井から頭に油が落ちている男性は、天から油を注がれる者の意味を、伝えて来たのではないだろうか。
その男性は、澤山の紙の様な物を整理していたので、文字や文章を管理する役目の人と、受け取る事も出来る。
岡山の伊丹由香さんにも、28日に仙人のお爺さんが、文字を書いた紙を見せて、自適の役割に付いて、説明を受けるメッセージが有ったと知らせて来た。
また現実として、28日には、私に三冊の本が贈られて来た。
著者は、淡路島に住む「加治木義博氏」で、贈り主は著者自身からで、私宛のサインも筆してある。
加治木氏の著書は澤山あり、贈られて来た一冊には「邪馬台国の言葉」の題で、日本語の原点が説明されていて、古い言葉が、人間の歴史を読み取るのに、一番適している事が書かれてある。
言葉とは、人類の意識の流転そのままの軌跡でもある。
言葉の軌跡を調べる事は、最も有効な考古学と言えよう。
岡山の、伊丹由香さんの27日のメッセージには、私が、未来の事を考えるのに、遺跡の発掘現場の様な場所に居たとの事である。
27日から、今朝のメッセージまで、何かが関連している事が感じられる。
加治木義博氏は80歳である。私に、何かを説明していた仙人の様なお爺さんとは、加治木氏の存在を暗示するものの様に感じられて来た。
古代の、エジプトの王に仕える一番位の高い者は、書記官であり、其の姿は、マントヒヒや、朱鷺や隼・はやぶさの鳥神でもある。
鳥の中でも目利きである隼は、物事が一番能く見える者の象徴でもある。
人間で、一番、目の見える王の事を「スメラ王・皇大神・ラーの神官・ブッダ」と呼ぶ。
「天に油を注がれた者」は、天神の代わりに、此の現象界を「オサメる目」を授かった者の事である。
文章は、文字で書かれるが、文字は言葉を綴るものであり、言葉は現象界の物事を説明するものである。そして、現象界の物事は、神が創造している世界である。
神が創造する世界を、言葉にして、文字に現わしていくのが、人間(霊止・ひと)の役目である。その代表が、鳥の頭を持つ書記長なのである。
書記長は、王の代理者でもあり、王の祭り事になくてはならない者の事だ。
古代社会では、言葉や、文字は、人間と神の中間に位置するもので、神とのコミュニケーションの為に、文字は発達して来ている。
現在の様に、言葉や文字が、人間だけの物ではなかったのである。
西洋式の裁判では、聖書に手を置いて誓いを立てるが、其れも、古代の風習が残っているのかも知れないし、お墓や石碑に文字を彫り込んで残すのも、文字に、何等かの力が有ると、考えられていたからではないだろうか。
今朝の映像で、油を注がれていた男性が、建物の中に居たのは、文章を保管するのには、建物が必要である事を示しているし、澤山の文書類を整理していたので、大事な物だけを、選び出していたのかも知れない。
現在の社会は、余りにも低俗な書物が多く、資源の無駄遣いであるし、図書を管理する、建物の維持も大変である。
油を注がれる者が、其れ等の書物の、整理をしなければならないとの事なのかも知れない。
現在では、出版される全ての本が、国立図書館に保管されるとの事。
年間、何十万冊も発行される本を、全て保管するのには、莫大な費用も掛かる事はさながら、本の数が余りに多くなれば、何を読んで良いのかも分からなくなってしまう。
無駄な知識を、頭に詰め込んでしまえば、大事な理を、覚えるのに邪魔にさえなる。その事を、憂いて居る神が、文書の整理をする者に、油を注ぐとの事を知らせて来たのではないだろうか。
文書を整理していたのは、私自身ではなかったので、神が選んだ、文書の良し悪しを判断出来る能力の人を、私が見付け出して、言葉や文書の整理をしなければならないとの事だろうか。
余りにも、文書や本が増え過ぎた現代社会は、何が、真実かが分からず、多くの人々が、迷路に落ち込んでしまっている。
インドの釈迦が、2500年も前に「2500年後には、全ての人々が無明の世界に落ち込んで、何が真実か分からなくなる」と予言しているとの事。
正に、今が、其の時代と言う事が出来るだろう。
文化とは、「文が変化する」事を意味している。
世の中が、良くなるのも、悪くなるのも、文字の使い方次第であると考えれば、文字の意味する処は、人類にとって一番大事な理と言えるだろう。
今朝のメッセージは、其の重要さを、伝えて来たモノと想える。
8月に入って、頭を空にする事と、言葉が無ければ、物を管理する事が出来ない等、知らされて来たが、今日は、其の言葉を管理する事が、大事である事を知らせて来た。
いよいよ、言葉と文字の整理を、委かされる時が近付いているのだろうか。
平成15年8月31日
礒邉自適
2003/8/30
光り輝く景色の中で
15・8・30
今朝のメッセージは、輝く朝日を受けて、咲き乱れている桜の木や、花々を背景にして、女性の写真を撮っている、自分の意識が在った。
美しいバックの景色が、逆光にならない場所を、転々と移動しながら、ファインダーを覗いていると、自然の中に、人間が捨てたゴミが落ちているので邪魔に成り、カメラを置いてゴミを拾い始めた。
空き缶や、ビニール袋、ポリ容器を、違う袋に其々別けて拾っている内に、気分が滅入って来て、座り込んだ処で其の場面は終わった。
今朝の場面は、朝の素晴らしい輝く光の中で、朝日に照らされて美しく咲いている木々の花を背景にして、若く美しい女性の写真を撮っている最高の場面から、誰が捨てたか分からないゴミを、分別しながら拾っている自分まで、場面が両極端に描写されて来た。
其れは、自分の気持が一番高揚している場面と、一番滅入っている場面を、視せられた事に成る。
今朝の場面は、何を伝えて来たモノだろうか。
ゴミを捨てるのは、人間の行為であるが、美しい背景に道路が付いており、水が溜められた大きな池もあり、人間の手が入った公園で、自然のままの原生林ではなかったので、両方とも、人間の作為が関係している事に成る。
管理されている公園でなければ、女性の写真撮影は出来ないだろう。
何故なら、人の手が加わっていない森林や、藪の中には、人間は簡単には入って行けないからである。
人間が入って行けない森であれば、ゴミも捨てられていないが、美しく着飾った女性も、中には入って行けないのである。
今朝のメッセージは、人間と、自然の関わり方を、考える様に知らせて来たモノの様である。
美しく整えられた公園も、無造作にゴミ(不自然な物)が方々に捨てられていれば、見る目の喜びが消えてしまう。ゴミが目に付くと、嫌な気分になり、自然を愛でる気持が失われてしまい、自然の美しさや、神の存在に対しての感謝の念も、消えてしまうのだ。
私は19年間、一度も、ゴミを指定された場所以外には、捨ててはいない。
私は、神の世界に入った時に、自然は「神の肉体」だと理解したので、自然物で自然に還る物以外は、備えられた施設がある場所まで、必ず持って帰っている。
特に、飲んだジュース等の缶は、口が開いているので、野山に捨てると、中に水が溜ってしまって、地球を循環している大事な水が、滞って腐れてしまう事に成る。
人間の体は、70パーセント近くが水分だとの事である。
自分の肉体に有る水の量だけ、自分が捨てた空き缶の中で、水が腐れている事に成れば、其の人は、幸福には成れないと想われる。
私は、煙草も止めて20年に成る。
自分の体を汚す事も問題だが、煙草の吸い殻をポイと道路に捨てれば、掃除をする人に、どれだけの負担を掛ける事に成るか。其の人も、幸福には成れないであろう。
是等の事は、他人がどうこうではなく、自分一人が気を付けていれば、問題は発生しない事である。
一人一人が、自然の素晴らしさを、感じる事が出来る様に成れば、ゴミが捨てられる事は、無くなるのではないだろうか。
現代人は、自然を観る力が弱く成ってしまっているのだろう。
自分と、自然の一体感を、観じる事が出来なくなった為に、ゴミを捨てても平気なのである。
自然は、全てが完全に調和しているからこそ、美しいのである。
完全な調和が在る世界に、煙草の吸殻が一本落ちていれば、それでもう、景色は壊れてしまう事になる。煙草一本が、どれだけ不自然で、美観を損ない、人間の身と心を弱くしているかを、考えて見なければ成らないであろう。
人間が吸っている大事な酸素は、緑の植物が生産したものである。
人間は、その酸素を吸って生きており、肺は酸素を取り込み、炭酸ガスを排出している。その肺に、酸素ではなく炭酸ガスを入れる事は、自然の大法則に反している事に成る。自然の法則に反している人は、自然の大調和の世界を、観じる力も無くなっているのだろう。
酸素不足の頭は、自然と、不自然の差も、判断できないのだ。
神は、神社や寺院に居るモノではなく、自然の光の中で、輝きを観じる自分自身の中に、住んでいるのである。
今朝のメッセージの中で、輝きを観じていたのは、私の内なる神であり、素晴らしい自然の中のゴミを拾いながら、悲しく滅入っていたのも、又、私の内なる神の存在だったのだろう。
神とは、美しく輝く世界を、永遠に創造し続けるモノの正体の名であろう。
私達が、美しく大調和された世界を愛でながら、喜び生きて行く事こそ、神の存在を支える事なのではないだろうか。
そうであれば、調和と美しさを求める人間の眼・まなこにこそ、神が宿っている事になる。
3〜4歳の子供の、汚れの無い瞳の中でこそ、神が生き続けているのだ。
私は19年前、島の2〜5歳迄の子供達に導かれ、其の眼を、取り戻したのである。
私達の子供の頃は、人工物の石油製品は無く、生ゴミは畑に、紙等は風呂場で燃やすので、ゴミは一切出る事が無かった。
煙草でさえ、筒に入った刻み煙草だから、吸うのも煙管・きせるだったので、吸殻も出なかったのである。
自然の中に、捨てられているゴミと言えば、割れて使えなくなったビンくらいの物であった。
現在・いまでは、野山・河川・海岸に行っても、ゴミの無い所を探すのが大変なくらいである。
私は、神の世界に入って、子供の瞳を取り戻してから、物を視る力が強くなり、自然の中に捨てられたゴミを見ると、心が悲しくなり、顔を顰・しかめてしまう自分が在る。
漢字の「瞳」の字は、「目+立+里」で出来ている。
神の住む眼とは、自然の中に立つわらべの目の事であろう。
都会の中に、生まれ育った子供の目には、もう神は宿れないのではないだろうか。光り輝く神の世界は、高層ビルのガラスに反射する光の中には無い。
神が住むと謂う事は、生命・いのち輝く世界の理・ことである。
生命・いのち輝くとは、太陽の光を反射する事ではなく、太陽の光を全部吸収して、内側のエネルギーが外に飛び出す事である。
月が冷たく感じるのは、太陽の光を反射しているだけだからだ。
太陽が暖かいのは、自分の内側から、外に光を出しているからである。
未だ、汚れの無い子供達は、植物と同じで、太陽の光・エネルギーを吸収して、内側から放出しているから、元気で可愛いのである。
それを、月の様に冷たくしてしまうのは、太陽の働きを忘れてしまった大人達である。
子供達が育つ環境の中に、ゴミを捨てる事は、神の世界を冒涜する事と同じなのだ。
折角生れて来た、この素晴らしい地上世界を、心行くまで楽しまなくては、人間として生まれて来た意味が無い。
自分が、その眼を失っているのなら、未来を創造して行く子供達の眼を、せめて守らなければ成らないのではないだろうか。
今朝のメッセージに映されて来た、午前中の光り輝く美しい世界の場面が、早く現実の世界となる様、努力して行かなければと想う。
平成15年8月30日
礒邉自適
2003/8/28
わたしは 誰か
15・8・28
本日は、旧暦では8月1日で、月初めの日であり、海岸も8月では一番潮が引く日でもある。
今朝のメッセージは、季節を調み込もうとする意識が暫く続いていて、「わたしは だれか」との声が、意識の深い芯の奥から出て来た。
声の調子からすると、年寄りの声だが、力が強くて威厳のある声だった。
今月12日に「 」の言葉は、「神の意志では無い」との事が有ったので、其の声も神の声ではなく、過去に人間を遣っていた人格霊の言葉だろう。
では、何処ら辺りの位置に、在る人格霊なのだろうか。それとも、私自身の潜在意識に住む、自分自身の過去の魂しいの声なのだろうか。
日本では、古事記に、神の世界は「天御中主」から始まって、「伊耶那美命・いざなみのみこと」まで、17段階ある事に成っていて、「伊耶那岐命・いざなぎのみこと(16番目)」の神の両目と鼻から、「天照大神」「月調命」「素戔鳴尊・すさのおのみこと」の三貴神が誕生した事に成っている。
其れなので、神の世界と、人間の世界の中間辺りには、此の三貴神の働きが在る事になる。
「天照大神」は、昼間の太陽がある世界を、「月調命」は夜の世界を、「素戔鳴尊」は海原を治める事に決められている。
しかし、日本全国の神社を調べると、天照大神と素戔鳴尊は、多くの神社で祭神とされているが、月調命が祭神と成っている神社は、全国に数社しか無い様である。
私の体験からすると、「伊耶那岐命」が禊ぎをして誕生した神は、三貴神とも男神であり、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」も女神ではない。
今朝の声の主が、三貴神の一人であっても、どれだと決める事が出来ない。
声が聞こえる前に、季節を探っていたので、可能性がある者と言えば、「月調命・つきよみのみこと」と考えられない事もない。
月調命が、人気が無いのは、人間に、直接御利益が無いからであろう。
天照皇大神や素戔鳴尊は、人間界の生命や財産に関係するので、人間の欲望に直接繋がる事だから、人々は天照大神や素戔鳴尊の神社を建てるのには、協力を惜しまない。
しかし、月調命は「夜の国を治める役目」で、波動調整の働きだから、人間の目には、直接見えない世界なので、人々の興味を引かないのである。
現代では、科学が進んで、宇宙は全て夜だと判明して来ているし、物質の存在は、全て振動に因って存在している理・ことも解明されたので、月調命の世界こそが、主体である理が判って来ている。
日本語の「お陰様で」と言う言葉が、世界中の概念と成ろうとして来ているのである。
宇宙物理学者は「お陰様」の世界を、「シャドーグランド・陰の場」として名付けて呼び始めている。
もう直ぐ「お目出とう」の言葉にも、英語の名が与えられる事だろう。
「目が出る」とは、ラーの意識が目覚める意味で、宇宙の根源意識と繋がった者が、神の目に目覚めて、現れる事を意味している。
今朝の「わたしは 誰だ」は、疑問を投げ掛けるもので、「私が 神だ」とかの、名乗り言葉ではなかった。
名乗らない事で、私の意識を働かそうとしているのであろう。
「わたしは 何々だ」と名乗ってくれれば、私は「ああ、そうですか」と、簡単に処理出来るのだが、名前が分からなければ、色々と考えなければならなくなる。
それが、今朝の神霊の作戦なのだろう。
物に名前を与える事は、その物に対して、名付ける者の理解がなければ成らない。
目にも見えないで、手でも触る事が出来ない物に、どうして名前を付けて、認識出来ようか。
是等の事を考えると、昔の人達が、最初に、物事に名前を与える時の苦労が見えて来る。
我々現代人は、子供の頃から、大人が言っている言葉を、何の疑問も抱かず、其のまま受け入れて使用して来ている。
其れが間違っていても、そのまま丸暗記して来ているのだ。
そのパターンが、代々受け継がれて来ているので、日常の習慣も、疑いを持つ事も無く、子供達に伝えてしまっている。
今朝のメッセージの声に対して、私が間違った名を与えてしまえば、後々の世まで、其れが伝えられてしまう事に成るのだ。
其の、言葉の絡繰・からくりを知っている何者かが、私に、新しい課題を与えて来たのだろう。
人間社会では「他人に名前を聞く前に 自分の名を前に名乗れ」との、挨拶言葉があるが、今朝のメッセージの次元は、その様な段階ではなく、人類全体の言葉の始まりの、謎を解く鍵に関する事の様である。
「わたしは だれか」とは、礒邉自適の内なる声なのか、其れとも、宇宙の根本霊で、宇宙の内側の声であっても、私よりは、外側の者なのかも知れない。
声が、発生されて来た次元の位置が、明確ではないのが問題である。
「わたしは 誰か」との物言いが、その次元を探れとの意味を含んでいる。
私は、「 」の中の言葉は、神の意志ではないと告げられてしまったので、神の言葉だとして片付けられなく成ってしまったのである。
季節をはかる(探る)意識は、天照大神や「素戔鳴尊」ではないだろう。
「月調み」とは、宇宙のリズム・調子を読み取る事を意味している。
人間社会の働きで言えば、気象庁や天文台の役目であり、人間の生活内では、占いや易などである。
それに、暦・カレンダーも、生年月日を決めたり、計画を立てたりするのに欠かせないので、暦やカレンダーを作る事も、其の一部として考える事が出来る。
そうであれば、天文台や気象庁に、「月調命」が祭られていても良いと想うのだが、人間側には、それらの受け取り方はされていない。
月調の神は、人間に忘れ去られた神なのである。
忘れられている神が、働きを現わそうとしているのなら、私の意識の奥から声を出して来るのも、理由が分かる様な気がする。
宇宙の、シラベやリズムを読み取り、管理する働きには、言葉を必要としない神が付くのなら、自分の名前も有しないのかも知れない。
名前が無ければ、自分から名乗る事が出来ないのも頷ける事である。
「わたしは 誰か」とは、名乗る事は出来ないが、存在する事だけは、知っていて欲しいとの事なのかも知れない。
私の内側に、其の様な働きが存在するとすれば、私の血の流れの中に、斎部。忌部・いんべ。物部。石工・メーソンの役割が、隠されている事に成る。
そうであれば、私の人生の不思議さにも納得が行くし、「わたしは だれか」の声も、自分の身に、内蔵するモノから発生されたと、考える事も出来る。
今年の夏は、私に巣食っていた諸々のモノが、すっかり禊がれて、自分の本体が顔を出して来たのかも知れない。
其れは、鉛筆の木の部分が削り取られて、芯の部分が現れ出て来たのと、似ているのではないだろうか。其の、芯の部分が、何を画き出して行くのか、私の内側の力が、本性を現わして来るのを待つ事にしよう。
「わたしは 誰か」と、発する声の本体が、私を、何処へ運んで行くか楽しみである。
平成15年8月28日
礒邉自適
2003/8/27
父親の職場
15・8・27
今朝起きて、タンポポコーヒーを飲みながら書き物をしていると、今月17日に夢に出て来た女性の息子さんが、立ち寄ったので、「お母さんが 夢に出て来たよ」と云って、母親が何故かの事務所に座って居た事を告げると、母親が若い時に、私の父親の職場で事務員として働いており、同じ職場に働いていた父親(川東さん)と結婚したとの事を教えてくれた。
私は、其の事を聞いて、私に意見書の事を教えてくれた人も、父親に関係が有った人間だと想えて来た。
私の父は、昭和21年の8月3日に鹿児島から、当時明星岳の裏に在った、重石鉱山の主任として来島している。
その会社の事務所に、友人の母親「川東淳子さん」は働いていたとの事である。
夫である「川東義信氏」は、既に亡くなっているが、私は30年程前、船で遭難をした時、其の義信氏に救助されている。
義信氏は、戦争の時、大砲の筒を、一人で担いで運んだ事が有ったと、伝えられている程の力持ちで、安房の漁業では草分け的存在である。
息子さんの哲義さんも、孫の「信樹さん」も、祖父の血を受け継いでおり、やはり力が強く飛魚漁の船主をしている。
潜りも得意で、昨日も信樹さんが海に潜って、銛で突いて来た魚を貰って、皆で食べたばかりである。
人々の縁と、人間の生業・なりわいとは、どの様な仕組みに成っているのであろうか。
私の両親が、屋久島に渡って来た時に、一番初めに関係した人の孫さん達と、時を隔てて付き合っているのだ。
この世とは、神の計画が前に在って、人々の縁が結ばれて行くのか、人々が出会う事で、神の計画が出来上がって行くのか、それらの関係が、私に良くは解からないのである。
私の両親が、屋久島の鉱山の仕事に就かなければ、私は、屋久島に生を受けてはいない。
そうすれば、私も存在しないし、私の文章も無い事になる。
私の存在が、重要な意味を持つのであれば、両親が屋久島の仕事を選ぶ事に成った原因こそ、大事と考えなければならないだろう。
太平洋戦争が起きなければ、私の両親は、中国の満州から引き上げる事も無く、私は中国で生れている事に成る。その様に考えると、戦争自体も、神が必要として起こした事に成る。
私の存在に、其れだけのモノ(現象)が必要だったのだと考え始めると、神の力が際限なく拡大されて行く。
イエスキリストは、「天の父を 証明する為だ」と、自分の存在を云っているし、釈迦仏陀は宇宙のダルマ・法を説明する為に一生を費やしている。
私も、彼等の様に、神の存在や、ダルマの法則を、人々に知らせて行かなければ成らないのだろうか。
私には、いま職場と言うものも無いし、説法をする舞台もない。
有るのは、インターネットのシステムに、毎日の心象風景の日記を、載せて行く事である。私の意識の過程が、人々の人生に役に立つ事に成るのであろうか。
中国の孔子の教えが、世の中に取り上げられたのは、孔子の死後3〜4百年経った後の事らしい。
地球の環境の悪化や、人間の価値観の不安定さを考えると、そんな時間のスパンでは、役に立たないであろう。
今朝も、安房の区長さんが顔を出して、「女子高生が 制服のまま 道路で煙草を吸っている」と云われた。
長年、中学校の教壇に立たれていた区長さんは、身を捩る様にして、「自適さん 早く 子供達の教育の事を 書いてくれ」と訴える。
川東さん一家は、子澤山で、全員立派に育ち、世の中の役に立っている。
川東家は、誰も酒は飲まないし、煙草も吸わない。余計な事は何もしないし、無駄なオシャベリもしない家族であり、実に謙虚な家庭である。
私の育った家庭も、両親は、煙草は吸わないし、父親も病気に成ってからは、酒も飲まなかった。
もちろん、両親が飲屋に飲みに行ったり、歌ったり踊ったりする姿は、一度も見た事が無い。
区長さんの心配は、学校の教育では解決出来ない事であろう。
学校で、決まりを作っても、子供達は、其れを隠れて破る。決まりとは、そんなモノである。
子供達の心が育つのは、家庭である。
両親の立ち振る舞いが、口で言う事と異なっていれば、子供達は、親に不信感を抱いて、素直には育たない。
学校は、知識を学ぶ所であり、心の基礎が出来るのは、やはり家庭であり、両親の姿次第である。
私の両親は、何かの宗教に填っていた分けでは無いし、私に道徳的な説教をする事も無かった。唯一自分達の生きる姿を、子供達に見せて居ただけである。
川東家も、私の家と、同じ様に見受けられる。
学校の教育を、どうこう言う前に、親の姿を、どうにかしなければ成らないだろう。
国の教育制度も、僅か二年で方針が変わってしまった。やはり、教育は、小手先では変える事が出来ないのだ。
現在の子供達は、殆どが、父親の職場を見た事が無い。
現在・いまでは、昔と違い、農家でも、子供達は親の仕事を手伝わないので、自分の家の畑が、何所に有るのか知らない有様である。
私は、両親が仕事をする現場で、土まみれで遊んで育っているし、川東家も三代漁師を続けて来た結果である。
教育とは、生きた両親の姿こそ、最大の効果を生み出すモノであり、親が自分の子供の悪さを、社会や教師の所為にするのは、間違いだと言うべきであろう。
今朝は、川東信樹氏と、安房の区長さんが訪れた事で、教育と父親の存在の関係を書く事になった。
良い子供が育っている家庭は、良い家庭と言う事が出来る。良い家庭を作る事こそ、人間にとって一番大事と考えなければ成らない様である。
手本と成る家庭を、人間が認識し易い社会制度を、創る必要が迫られて来ているのかも知れない。
平成15年8月27日
礒邉自適
2003/8/25
物の所有は言葉から始まった
15・8・25
今朝の映像には、文字も言葉も無く、物だけが映って来た。
其の場面は、私がテーブルを作る屋久杉の板を二枚運んで来て、一枚を自宅に持ち込んで、二枚目を取りに行くと、他の人がトラックに積んで、持ち去ろうとしている。
私は、其の人に「それは 私の物です」と云いたいのだが、その言葉が無いので、話し掛ける事が出来ない。
私が、意思表示を出来ないまま、其の二枚目の板は、他人に持って行かれてしまった。
今朝の映像の意味は、言葉が無ければ、所有権を主張出来ないと言う事である。
地球上の生物で、言葉を話せるのは人間だけである。
そして又、所有権を認めているのも、人間だけである。
他の動物は、土地や家の、所有権は主張しないし、所有する事も出来ない。
動物に有るのは、生活や子育てをする時の、テリトリーの確保だけである。
それは、空間の確保だけで、自分の所有物との考えは無い。
動物は、自分の物として所有出来る物は、自分が手に入れた食料だけである。
子育てをする時の巣は、他に向けて、所有を主張する物ではなく、安全の為に出来るだけ隠す物だから、所有権は必要が無い。
この様に、人間と他の動物を比べると、人間だけに、所有の概念が在る事が分かる。
人間と、他の生物の違いは、この所有感が有るか、無いかの差であろう。
他の生物は、所有の概念が無いから、物に執着心が起きないのである。
人間だけが、地球の表面を区切って、此処は、自分の物だと主張しているのだ。
其れが、人間の不幸の元だと、イエスキリストも釋迦牟尼佛も、マルクスも云っているが、人類は一向に、それを改める気配が無い。
聖書でも、人間がエデンの園を出て行かなければ成らなくなった原因は、「所有心」と「エゴ・自我意識」の二つだと伝えているし、仏教でも「所有」と「自我」は双子であり、悟りの邪魔に成るものだと説いている。
所有とは「それは 私の物です」との言葉が無ければ、成り立たないモノらしい。
その言葉が無ければ、自分の持ち物は、絶えず自分の身の回りに置いていて、他の者が取ろうとすれば、殴るか噛み付くかして守らなければならない。
一度、持って行かれてしまえば、取り返しに行っても、逆に殴られるか、噛み付かれる事に成ってしまう。
言葉が無ければ、「それは 私の物だから 返して下さい」と、云えないのである。
私は、昨日までは、頭が空白に成る事を書いて来たが、今朝は、言葉が無ければ、物の管理も出来ない理・ことが伝えられて来た。
言葉がなければ、物の所有が出来ないので、執着も生れ様が無い事に成る。
他の生き物が自由なのは、言葉が無く、所有が出来ないからなのだ。
人間は言葉を生み出し、それに因って大脳を発達させて、文化を生み出し、文明を発展させて来た。だから、文化も文明も、大脳が言葉を使って、生み出して来た物と云う事が出来る。
人間は、頭を空白にした侭だと、文化・文明を組み上げる事が出来ない。
では何故、修行をして頭を空白にする必要が有るのだろうか。
其れは、誰かが頭を空白にして、脳の暴走を止めるブレーキの役割をしないと、人類は道を外れて、谷底へ落ちてしまうからであろう。
人間が、言葉を使用する事自体は、悪い事ではなく、道を外れ易い原因が、言葉に有るのだと、ちゃんと認識をして措けば、良いとの事ではないだろうか。
私の意識を、空白にする迄で導いておいて、今度は、言葉がなければ、自分の物も管理出来ない理・ことを、伝えて来るのは、一体何者の働きなのだろうか。
その者の正体は、言葉を管理し、人間の行動を左右し、社会をコントロールする何者かである。
その働きを「神」と簡単に一口で片付けるには、余りにも味気無いし、素っ気無いだろう。
今迄は、其れを「大日如来」とか「アミダ」とか、「エホバ・ヤハウェ」「グレートスピリット」とか、様々に呼んで来ている。
森羅万象を管理するその働きに、何か、統一された名が必要であろう。
釈迦は「ダルマ・法」、老子は「タオ・道」と謂った、その働きが、何故、人間に正しく認識されないのだろうか。
それは、余りにも、言葉が安易に使用され出した為に、言葉が、脳を上滑りするからだろう。
世界中に、何千何万と違う言語が在って、其の意味を知るのに時間を奪われ、言葉の本質や力を、理解する処まで達しない内に、人間は人生を終えてしまうのである。
現代社会は、通信機器の発達で世界が狭く成り、既に、共通の言葉を必要として来ている。
人間が、生活する為に必要な言葉の数は、そんなに多くは要らないはずだから、「オーイ、風呂、飯」とかだけに、極端に少なくしなくても、世界中で共通する必要な言葉を、子供から大人に成るまでに、必要な分だけ創る事は、遣ろうと想えば出来る事である。
「それは 私の物です」の言葉が、言う方も、言われる方も、正しく認識出来れば、泥棒も居なく成るし、多くの所有を願う事も、利己主義(エゴ)も無くなるのではないだろうか。
言葉も、物も、必要なだけ有れば良いものだし、少ない方が管理も楽である。
私も、折角空白に成った頭に、必要以外の言葉を貯蔵したくない。
此れから、自分が生きて行くのに、最低限必要な言葉を探って行きたいと想う。
平成15年8月25日
礒邉自適
2003/8/25
見失った帽子
15・8・25
今日は、磯物捕りに行って、東京に居る時から使用していた帽子を失った。
四年くらい使用していたので、古くはなっていたが、自分で一番気に入っている帽子だった。
10時に自宅を出発し、知り合いの土地に車を置かせて貰い、森を抜けて海岸の岩場に着き、水中眼鏡を掛けて、岩の上から海に飛び込んだ。
海面に浮き上がってから、外れた帽子を捜すのだが、見当たらない。仕方なく、もう一度岩の上に這い上がって、周囲を捜すのだが、どうしても見付からないので、捜す事を諦めて磯物捕りを始めた。
そして、30分程作業を続けて、ヒョイと見ると、帽子が海面にプカプカ浮いている。
私は「有った」と喜んで、此処に流れて来たのかと思い、捕り掛けの岩場が済んでから、泳いで取りに行こうと意って帽子から目を離し、2〜3分でその岩場が終ったので、再び帽子の有った所を見ると、もうさっき有った場所には無い。
泳いで行って、水中も見てみるが、どうしても見付からないのである。
私は、不思議に意いながら再び諦めて貝を探し始めた。
一時間程作業を続け、飛び込んだ場所に帰り、高い岩の上に上って、休憩しながら帽子の有った辺りを見下ろして見たが、やはり帽子は見当たらない。
水面に、同じ様に浮かんでいる木切れを見ていると、波に揺れながら、50メートル程の範囲を、休み無く移動している。
私は、其の木切れの動きを眺めていて、或る事を考えた。
「帽子が、飛び込んだ所で消え、別な所で見付かり、目を離した隙に、又、消えてしまった。其れは、波間に揺れる物は、絶えず移動していると言う理・ことである。先程帽子が有った場所には、もう無いのである。
暫くは、其処にあるだろうと考えたのは、私の身勝手である。
私は、更に、帽子を自分の事として考えてみた。
私は、18年全国を旅して来た。その私は、他の人達にとっては、波間を揺れ動く帽子と、同じだったのではないだろうかと。
見えたと想ったら、居なくなり、居なくなったと想ったら又、現れる。
頭に被れる帽子でも、必要な時に、手に取る事が出来なければ、役には立たない。私は、旅の間、知り合いになった人達に、帽子が私に与えた感情と、同じ事を与えて来たのではないだろうか。
その様に考えながら、更に海面を眺めていると、逆の立場も見えて来た。
私が、旅で知り合った人達も、18年の間に住んでいる所も、其の人の気持ちも、私が在ると憶っている所には、既に無いのではないかと。
お釈迦さんは、「人間の気持ちは、一日に何万回も変わるものだから、何時も正しい位置に、自分の意識が在る様に努めなさい」と謂っているし、日本語の「こころ」とは、「心は コロコロ 変わるもの」との意味から来ている。
其れは、我々人間は、自分が置かれた環境に、五感で反応して、生きている動物だから、仕方の無い事なのである。
私が、18年間の旅で、出会う人に因って、考える事が変化して来た様に、出会った人々にも、様々な変化があり、出会った時とは、別な人間に成ってしまっているかも知れない。
私の頭の中では、誰々は何処に住んでいて、どんな考え方で、どんな仕事が出来る人だと思っていても、もうその人は、同じ場所には住んでいないし、考え方も、仕事も、変わってしまっているかも知れないのだ。
私は19年間、人類の未来を、どの様に組み立てたら良いかを、考えて来た。
人間社会は、人間の意いで出来上がっているものである。
人間の意いで、社会は変化するし、社会の変化で人間の意いも変化する。
私が、旅で出会った人達は、現在・いま何処に住んでいて、何を考えているのかは、もう一度会って、確かめて見なければ分からないのだ。
私は、18年間の過去の思い出の中で、現在生きているのだ。
世の中も、出会った人達も、皆変化をしているのに、私の思い出は、過去のままなのである。
神の動きが、本番を迎える時、私が、過去の情報ばかりに気を取られていれば、新しい出来事や、人材を生かせない事に成ってしまうのではないか。
その様な疑問が、岩の上で海面を見ていると浮かんで来た。
海面に、プカプカ浮かんでいる木切れは、海面に出たり沈んだりしながら、移動するので、一寸目を離すと、何処に有るのか分からなくなってしまう。
言葉が不確かである様に、人間の存在も又、不確かなものであるのだ。
私の脳裏に、刻まれた過去の情報は、人間の背後に存在する、自然は変っていなくても、人間自体は変化しているので、もう役に立たないのではないだろうか。
考えてみれば、屋久島の奥岳に登った時、頭が空白に成ったのは、言葉が消えたのではなく、言葉の元に成っている、過去の現実の場面が、頭から消えた事に因るモノだったのだ。
別の説明をするなら、ビデオテープに録画されている情報を、消去する事と同じなのだ。過去の場面が、頭から消えてしまえば、おのずと音声も、頭から消え去ってしまうのである。
だから、漢字の「知」は、「矢+口」の組み合わせで、「手に持っている矢(道具)を 神に返して、神の言葉(口)を受け取る」との意味なのだ。
道具とは、人間に意識を生み出させる物であるし、過去の情報を忘れさせない働きを有している物でもある。道具を手にしていれば、道具に纏わる過去の情報が消え去らないのだ。
其れは、人間が亡くなった時、亡くなった人を忘れない為に、死んだ人の品物を形見分けして受け取り、故人を忘れない様にするのと同じ手法である。
是等の事も、物が記憶装置の働きをする事の証明である。
中国では、四千年以上前から、その意識の絡繰が解っていたのである。
今日は、その道具(帽子)が手元を離れ、行方が分からなくなり、海面を見詰める事で、人間の意識の流動性が見えて来た。
人間が旅をするのは、その流動性を楽しむ為だが、家庭や仕事場に在る時に、心が漂う事は、他人に対して不安定を齎してしまう。
家庭や仕事は、人間の心を定着させる働きがあるのだ。
家を離れる事や、出家する事は、その定着を壊す事なのである。
私は19年間、其の家庭も仕事も捨てて、漂泊の旅に出た。
其れは、19年間、波間を漂って来た事になる。
私は現在、故郷の屋久島に帰り、自宅に定着しているが、未だ、家庭も仕事も無いので、心は自由である。
島に帰って、一年が過ぎたが、時々旅で知り合った人達から、電話が掛かって来る。電話で話すと、その人との思い出が蘇って来る。
私には、漂泊の間の接触が、思い出のアルバムと成っているのだ。
私の、19年間の漂泊の旅の結果が、是からの未来社会に役に立つ事に成れば、私の旅も無駄ではなかった事になる。
海面を漂う木切れも、何時の日か、何処かの浜に流れ着くであろう。
私は、長い漂泊の末に、元の場所に帰って来た。
旅が続いていれば、漂泊中と言う事に成るが、島に帰り、日々の心の記憶を書き留める事で、自分の意識の軌跡を追う事が出来る。
今日は、海面を漂う物を目で追う事で、言葉だけではなく、自分の身をも、客観的に視る事を覚えた。
此れからも時々、高い崖の上から、海面を見詰める事を、行なって見ようと想う。
平成15年8月25日
礒邉自適
2003/8/24
一人に成ると言うこと
15・8・24
昨日から、今朝に掛けて、孤独感が遣って来た。
これは、家族が居たり、同室者が在ったり、アパートで、隣に住む人の気配がしていると、起きえない事だ。
其れは、自分の毛穴を閉じて閉じ籠るのではなく、全身の皮膚を解放して、五感を働かせても、他人の影響が無い状態の事である。
仙人が、山中に唯一人で住むのは、自分で、その状態を作る為だし、釈迦やイエスキリストや、マホメットも、その状態に身を置く事から、神の世界が始まっている。
私も、19年前(1984年6月4日)より、その世界に一年間身を置いた。
昨日から、その感覚が再び遣って来て、人間社会の業から切り離されている。
其の感覚の中で、神経を研ぎ澄まして行くと、脳裏の奥深い所から、死んだ妻が、私を呼ぶ声が聴こえ、死んだ父の澄んだ声が、聴こえてくる。
昨日は、お盆も過ぎて旧暦の7月26日なのに、身内の霊が帰って来たまま、立ち去らずに居るのだろうか。
22日には、9月11日の意味や出来事を書いたが、8月23日は、1997年8月23日に出雲の「素戔鳴尊・すさのおのみこと」が手植えした、御神木の樹が映像に現れた日でもある。
8月23日は、素戔鳴尊に縁の有る日なのだろうか。
素戔鳴尊は、須賀の「須我神社」に祭られているが、須我神社は、素戔鳴尊が妻の為に詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌で有名な神社で、和歌発祥の地とされている。
しかし、その和歌発祥の神社に私が参拝したら、その日の夜、神様が現れて「頼む」と言われ、漢字の「歓の左だけ(スイ・カン)」が現れた。
私が直ぐに、辞典で「歓」の字を調べると、「歓」は、草の多いさまで、薬草の〔めはじき・やくも〕のことだと判明した。
やくもを「八雲」と書くのは間違いで、「八雲立つ」とは、八重雲が立つ事ではなく、やくも草の垣根を、八重に立てる意味だったのである。
其処から、日本では「愛人を囲う」との言葉が生れた事が分かる。

「やくも・益母」が、「八雲」と勘違いされて、日本全国に広がってしまったのである。
雲を自由に操る事が出来ると成れば、素戔鳴尊は神と言えるが、愛人との生活を他人に覗き見されない様に、草の垣根を何重にも立てるのは、まさしく人間の感情である。
其の事に気付けば、素戔鳴尊は、現に人間として実在していた事に成る。
実在した人間であれば、魂しいとしても残っている事に成る。
「やくも草」が、八雲と書かれ、誤認されてから長い時間が過ぎ、日本全国に拡散して、多くの人達が真実を歪められている。
現在の人間社会と違って、昔は、言葉こそ神とのコミュニケーションの全てだったのである。言葉が間違えば、「神」は動かないのだ。
その様な時代に、生きていた素戔鳴尊にとって、自分の言葉が誤って伝えられ、自分の生きた証しが、現実と異なれば、素戔鳴尊も困って、霊界が乱れる事と成り、神霊として力を発揮出来ないのではないだろうか。
その為に、私に現れて「頼む」と告げて来たのだろう。
この件は、須我神社の石原宮司さんにも伝えてあり、何とか、正す様に努力をするとの御返事も頂いている。
今朝は、言葉の大事さに気付いて、「いつわり」の漢字を漢語林で調べて見たら、「いつわり」の字は「佯・許・偽・詐・詭・誕・矯・譎」と八文字もある。
・「佯」は「人+羊」で「羊」は「様」に通じ、【㋐あざむく。㋑うわべをかざる。ふりをする。人為的にあるさまを似せて作り出す。いつわるの意味。】
・「許」は「言+于」で「于」は「華」に通じ【はなやかな意味。はなやかなことば。いつわりの意味。おげさにいう。かざりたてていう。】
・「偽(僞)」は「人+為」で「為」は【人が手を加えてつくるの意味。人がつくりごとをする。いつわるの意味。見せかける。ふりをする。】
・「詐」は「言+乍」で「乍」は【作為。つくりごとの意味。乍為ある言葉の意味。】
・「詭」は「言+危」で【不安定なことばの意味。そむく。あざむく。】
・「誕」は「言+延」で「延」は【延ばすの意味で言葉を事実よりも越えてのばす。いつわりの意味を表す。むやみに大言をはいてだます。】
・「矯」は「矢+喬」で【矢を矯正する、曲げるの意味から曲がっている事を真直であるかの様にいう。】
・「譎(ケツ)」は「言+矞」で「矞・イツ」は【ほこらしげに示すの意味から実質以上に誇らしげに言う。偽るの意味。】
是等、8文字の「いつわ(は)る」の文字を見ると、「佯・偽・矯」の三文字は、人間の行動や様子でいつわる事を表しているが、「許・詐・詭・誕・譎」の五文字は、言偏が使われており、皆、言葉に因るいつわりの事を意味している。
聖書にも、「いつわりを言っては成らない」と有り、釈迦の訓えにも、正しく言うとか、酒を飲んで酔って話しては成らないとかは有るが、中国の漢字の世界では、それがもっと具体的に区別されている。
中国では、四千年も前から文字の文化が発達し、意識の組み立てがしっかりと成されていた様である。
言葉が神聖なものであり、いつわりが有っては成らないとの理・ことは、人類にとって、一番大事な事だったのだ。
聖書や、コーランや、仏教経典、日本の祝詞、其れ等は皆、言葉が神に通じるとの、考え方から発生した物であろう。
処が、現在では、日常使用される言葉が、本来の意味を失ったが為に、神に通じていたはずの言葉が、神に通じない言葉と成ってしまった。
言葉の始まりは、人間の行動と言葉とが、一体だったのである。
人間の言う事と、行ないが同じであれば、其れに、神も同調する事が出来たのである。
それが現代では、言葉の意味が食い違っているし、口にする言葉も、本音と建前があって、どちらが本当なのかも、区別が難しくなっている。
これでは、神も、幾ら願われても動きが出来ない。
日本の神社では、其れ等の事を解決する為に、鳥居の両脇に、「あ」と「ん」の像が在り、その手前に「洗心」と刻まれた御手水が備えられている。
私は、今月18日、19日と屋久島の奥岳に登って来た。
そして得た答えは、頭が真白の空白に成る為に、「岳参り」の行事が存在するのだと言う理・ことである。
「司る」とは、神意をことばによって、祈りうかがい知るという事である。
「司・シ」の漢字は、幟り旗に神の言葉「口」を書いて立て、行動するとの意味である。
私の、19年の旅の間には、「佯」(うわべをかざる)。「偽」(みせかける)。「許」(おおげさにいう)。「詐」(つくりごと)。「詭」(不安定なことば)。「誕」(引き延ばしてむやみに大きくいう)。「矯」(真実をねじ曲げていう)。「譎」(ほこらしげにいう)等の、いつわりの言葉が有ったと想われる。
人間社会を見ていても、今年に入ってアメリカのラスベガスや、日本の飯塚市でも洪水が起きた。ラスベガスは、砂漠の中の街なのに洪水である。
ラスベガスは博打の町で、様々なショーも演じられている。
福岡県飯塚市は、炭坑で栄えた町で、大きな芝居小屋が被害を受けている。
ラスベガスも飯塚も、人間の言葉に拠るショーが行われる事が、共通している。
ショーや、芝居は「許・詐・詭・誕・譎」が使用される、代表的な世界である。いつわりの言葉が、話されている所が、洪水を受けると言う事は、何か、神の意志が働いている様な気がする。
神に拠る、此の三次元世界の禊ぎが始まるのであれば、本番が近いと言う事だろう。そうであるなら、私も、自分の言動から「いつわり」の言葉を無くさなければならない。
8月9日から始まった、私の禊ぎらしき現象は、「真実の言葉とは 何か」を考える処まで達した。
神社の、鳥居の前の御手洗で禊ぎをし、言葉の門を通り抜けて、社・やしろの奥に達したのであろうか。
であれば、私はもう、過去の事を話す必要が無くなり、未来の事を告げて来る神の意志を、正確に受け取り、いつわりの無いまま、人々に伝えて行けば良いのだろう。
今回、一泊で奥岳に登った事には、それなりの意味が有った様である。
9月11日の満月の夜、平安神宮で催しされる祭りが、いつわりの無い言葉で演じられる事を願いたいものである。
一人に成ると言う事は、他人と言葉を交さないので、言葉の柵から外れて、真実の源へ帰れるのだろう。
岳に登った時には、山中にて鹿が警戒音を発して居たが、その音が、どこかの時代に正確さを失ってしまっていれば、鹿の世界もコミュニケーションが執れれなく成っていたであろう。
人間も、自然の中での本来の音を、誰かが、取り戻さなくてはならないのだ。
平成15年8月24日
礒邉自適
2003/8/23
含羞草・ねむりぐさ
15・8・23
今朝は、小さな緑色の植物が、場所全体に、所狭と生えているのが、数箇所映って来た。
その意味を、しばらく考えていると、今度は、開いていた葉が内側に閉じて行き、葉の裏側が表に成るのが視えた。
私は、其の様子から、「ねむり草」の姿を思い出した。
私達が、子供の頃は、ねむり草に「ねむれ、ねむれ」と声を掛けながら、草の葉に指で触れると、ねむり草の葉は閉じてしまうのを、喜んで、遊びの一部としていたのである。
朝、その事を想いながら、瞑想を続けていると、今朝の映像は、人間の魂の事を知らせて来た現象・モノである理・ことが解かった。
植物の種子は、温度と水分の条件が揃うと、実は膨らんで二ツに別れ、中心の所から新芽を出して来る。その芽も、又、左右に開いて、内側の部分が外を向き、太陽の光を浴びる部分となる。
種子の時は、外側だった部分は、裏返って日の光が当らなくなるのだ。
この理・ことを、能く考えると、植物は、裏の部分を外に向けて、生きている事に成る。
美しく咲く花も、太陽の光を浴びて光り輝いている部分は、開く前は、内側に有った部分なのだ。
眠り草が、葉を閉じてしまうのは、貝が、危険を感じて殻を閉じてしまうのと、同じ事なのだ。
其の様に考えると、植物も貝も、活動する行動は、内側の部分を、外に出している時だと考える事が出来る。
そうすると、我われ人間も、同じ様な、仕組みに成っているのだろうか。
眠り草が、「含羞草」と書かれるのも、恥かしい感情が含まれる時は、内側に閉じ篭もろうとする、人間の感情的働きを、引用したものだろう。
この様に、生命・いのちの事を考えると、躍動する生命状態とは、内側の部分が、全面的に外に現われ出ている時の、様子だと言う事が出来る。
つまり、種子の時や、冬場に木が葉を全部落して眠っている時とは、反対の状態だと言う事になる。
其の様に、生命・いのちを捉えると、植物の種子を土に蒔いて、温度を与え、水を掛ける事は、人間の教育にも、共通の理が有る事に成り、鳥類が卵を孵すのに温めたり、乾燥しない様に気を使っている事と、同じ原理が視えて来る。
「教育」の単語が生れたのは、明治時代に、英語の「education・エデュケーション」の訳語としてなので、「教育」の言葉は、未だ新しい言葉である。
エデュケーションは、「相手の内側にある長所を 引き出して育てる」の意味であるので、短所が出たら、殴ると言う教育とは反対の処にある。
殴る教育は、眠り草を閉じさす事と同じ行為だから、生命・いのちが花咲く事を妨げる行為なので、エデュケーションではない事に成る。
真の教育者とは、相手の内側に秘められている性質(宿命・天命)を、外に現出させ、命輝かす事が出来る人の事である。
中国の漢字に「自分」と有るが、是は「自」は鼻の象形で「自からを 刀で 左右に切り分けて 自分の本来の役割を知る」との意味だから、此れも、「自分の内側に 秘められている理・命を 探り出す」との事なのだ。
エデュケーションとは、他人の、内側の生命を引き出して遣る事だが、自分とは、自から内側を観察する事を意味し、自分の力で、生命を花咲かせる事である。
人間は、自分の努力か、他人の力を借りなければ、生命が輝き出さない事は、これらの理・ことから明らかである。
其の点、植物は、太陽の働きと水さえあれば、自分の生命を、全うする事が出来る。
今朝のメッセージは、人間は、内側の働きを外に現すのには、親、友人、学校、社会の働きが、必要である事は知っていても、現実的には、眠り草を眠らす様な事しか、遣っていないとの事ではないだろうか。
私の父親は、私に「勉強しろ」とか言った事は無いし、悪い事を行なっても暴力を一度も振るわれた事が無い。
私の父親の教育とは、本人が自分で始めた事は、どんな事が有っても、最後まで本人が責任を持って遣り遂げる事を、身に付ける事だった。其れは、本人が、自分の内から生じた事を、自分の力で外側に表現して行く事である。
自分が、陽の光に当ろうと想えば、自分の内側を、外に剥き出して行かなければならないのだ。
それを、他人が、少し意地悪をしたからと言って、内側に潜り込んでいたのでは、何時までも生命・いのちを花咲かす事は出来ない。
財産や、権力を有している人達が、一見成功者であり、花咲いている様に見受けられるが、其れは花の萼・がくを大きくして、鎧・よろいを着けているだけの事で、イザ何か有って、財産や地位を失ってしまえば、一番真っ暗の人生と成ってしまうのである。
イエスキリストや、釈迦仏陀の訓えとは、生命の本質を、外側に花開かせる理である。人類全体が、生命豊かに生きて行く為には、何等かの方法で、内側の本質を、外側に現し出す事が大事なのだ。
植物や、動物が出来ている事が、何故、人間には出来ないのか。
それは長い間、眠り草を閉じさす人々が、権力を有して来たからであろう。
生命が、内側を外側に出すのには、暖かい温度と、豊かな潤いが必要であると言える。他人に、温かさと潤いを与えられる人間に、成れるかどうかが、是からの私の課題なのだろう。
今朝のメッセージは、私に、具体的なデザインを与えるものに、成った様である。
平成15年8月23日
礒邉自適
2003/8/22
9月11日
15・8・22
今朝のメッセージは、頭に「9月11日」と日付が出て来た。
私にとっての9月11日とは、1997年の9月11日が、大事な思い出の日である。1997年は平成9年で、当時、私は京都に住んでいた。
平成9年9月11日に、東京に出て行く事に成っていて、その日の未明に、大きな樹木が霊夢に映って来た。
そして、其の木が、二ヵ月後に出雲の横田町の「伊我多氣神社・いがたけじんじゃ」に実際に在る事は、後で知る事に成るのだが、その日は手帳に木の姿を記すだけで東京に向かった。
東京での集会が済んで、品川の高輪プリンスホテルに着いて部屋に入ると、首が勝手に動いて、ベッドの横にある聖書に視線が行くので、聖書を手に取り一ヶ所を開いてみた。
開いた頁には、次の言葉が載っていた。
ルカによる福音書第10章
21、その時、イエスは聖霊によって喜びあふれて言われた。「天地の王たる父よ、あなたをほめたたえます。これらの事を 知恵ある者や賢い者に隠して 幼な子にあらわしてくださいました。父よ、これは まことにみこころにかなった事でした。」
22、「すべての事は 父からわたしに任せられています。そして 子がだれであるかは、父のほか知っているものはありません。また 父がだれであるかは、子と、父をあらわそうとして、子が選んだ者とのほか だれも知っている者はいません。」
23、それから 弟子たちの方に振り向いてひそかに言われた「あなた方が 見ている事を 見る目はさいわいである。」
私はこの頁を読んでいて、体に霊動が起きて、震えるのにビックリしたのである。
伊我多氣神社に祭られている祭神は、「素戔鳴尊・すさのおのみこと」の二男「五十猛命・いそたけるのみこと」で、聖書との関係は分からないが、9月11日に何等かの秘事が有るのだろうと考えていた。
それが、今朝「9月11日」とメッセージが有って、何だろうかと思っていると、ニューヨークの9月11日のテロ事件の事が重なって来た。
聖書や、五十猛命と、ニューヨークのテロ事件が、何の関係が有るのだろうかと想いながら、一日を過ごして居たら、夕方宅配便が届き、封書を開けて見ると、東京の知人である「柳瀬宏秀氏」からの、祭りの案内であった。
案内には、9月11日午後七時より京都平安神宮で平和祈願の満月祭を行なうとある。そして、今年の9月11日は「仲秋の名月」で、満月と重なる事が説明されている。
今朝のメッセージの「9月11日」の知らせは、柳瀬氏の祭りとも関係がある様だ。
1997年9月11日に、私にメッセージが来たのも京都での事である。今回の祭りが、京都の平安神宮で行なわれる事も、何か神の意志が働いての事だろうと想われる。
私は、其の祭りには、行けそうにもないが、何かを感じそうな方々に、一応知らせた方が良いだろうと考えている。
平成15年8月22日
礒邉自適