このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2003/7/29
「観たな」
15・7・29
一昨日、是迄に無い、不思議な体験をした。
今月二度目の大潮が近付いたので、未だあまり潮は引かないけれども、磯物捕りに出掛けた。場所は風向きの都合で、島の南側の平内に決めた。
車で30分程走り、平内に到着し、未だ人の手が加わっていない場所を探して、道無き崖を下りて行った。
道の無い崖下の海岸なので、人間の気配も他には無く、獲物のバランスも自然の儘の状態なので、磯物の生態も観察しながら、楽しい数時間を過ごした。
潮が満ちて来て、獲物も探し難く成って来たので、止める事にして、崖を攀じ登って車に帰った。
車に道具を積んで、平内海中温泉まで足を伸ばし、温泉で、体と潜り用スーツの塩水を洗い流した。
温泉は、潮が引いてから何時間も経っているので、温泉の温度が上がっていて、熱くて長くは入っていられない。
私は、体を洗ってから、温泉の横に在る大きな花崗岩の上に座って、しばらく潮が満ちて来るのを眺めて居た。
堆積岩の黒い岩礁を、波が白い飛沫を見せながら、内礁に流れ込んで来る。
内礁には、所所に花崗岩の丸い石が、鎮座ましましている。
流れ込んで来た海水が、其の岩の回りを取り囲む様に、渦巻いている。
その渦は一個だけではなく、周りに数個有る、丸石全てに、同時に起きるので、一個の様子を見るのではなく、全体を一瞥しなければならない。
一点を見詰めるのではなく、同時に、全体の様子を捉えなければならないのだ。その行為は、見る物の対象が動かない物であれば、然程・さほど難しくはないだろう。
処が、流れ込んで来る水が、何ヶ所でも、同時に渦巻きを造るのである。
人間の視覚は、一遍に、幾つもの渦巻きを視る事には、慣れてはいない。
私は、京都の竜安寺の縁側に座って、石庭を観ている様な気分に落ち入った。そして、全体の景色の動きが見えたと想った瞬間に、男性の声で「みたな」と一声の言葉が聴こえた。
其れは、神の声ではない様で、禅の悟りを得た、古老の主の声の様だった。
その声は、禅の寺院の庭を手がけていた、誰かだったのかも知れない。
私は、其の出来事で、禅宗の寺庭の意味が、見えた様な気がした。
庭を凝って造営するのは、臨済宗の方であって、曹洞宗の方は座禅が主なので、あまり庭造りには執着しない。
私が景色を見ていたのか、私に住み着いて居る、禅の僧侶の霊魂が見ていたのか、どちらとも言えないが、普通では、観えない時象・モノを観た事には間違いない。その感覚を引き摺りながら、自宅に帰り一晩が過ぎた。
そして、今日は、昨日とは風向きが逆に成ったので、今度は、北側の一湊に向かった。一湊の町中を過ぎ、県道を右に折れて、大浦温泉の海岸に着いた。
私には、初めての海岸である。
温泉の管理人と挨拶を済ませ、駐車場に車を置いて、身支度を整え海に向かった。そこら辺のイソモノは、数も少なく姿も小さいので、先へ先へと進み、三時間程で埼(みさき)を幾つも越えて行った。
潮も満ち始め、疲れも出て来たので、止めて引き返す事にした。
海辺を、来た通りに引き返すのは大変なので、一端、山の上に上がり、近道をする為に山中に入った。
山の中は、屋久鹿が毎日歩き回っているので、鹿に下草も食べられており、歩き易い獣道が出来ているので、鹿に感謝しながら、温泉の方に向かって、山中を歩いて行った。
すると、海岸の方から深い切り込みが有って、眺めが良く、海の方から涼しい風が吹き昇って来る場所に出た。
私は、其処でしばらく休む事にした。谷の向こうには、矢筈岳が眺められ、眼下には白い波が、岩に打ち寄せているのが見える。
私は、静かに、気持ちの良い風に吹かれながら、海を眺めていた。
すると又、前日の感覚が蘇って来た。
今度は、直ぐ目の前に、水の渦巻きは迫って来ない。前日と異なって、不可思議な感覚ではなく、冷静な感覚で場景を観ていた。
そして気付いた事は、「海」を「海」と言う言葉で、見てはいけないとの理・ことである。
「みず」を「水」。「き」を「木」。「やま」を「山」として、言葉で視てしまうと、視覚は、その名付けられた一物だけしか、視る事が出来なくなり、「全体を観る」と言う事が出来なくなるのである。
海を「うみ」の、音のことばにして、捉えてもいけないのである。
海を、ただ海として観て、「うみ」との言葉で捉えてはいけないのだ。
言葉で、一物を指定しない事で、全体を一瞥出来るのである。
私が前日、平内海中温泉の大岩の上に、座って居て感じた事は、言葉を一切使用せずに、全体を感じていたので、起きた出来事だったのである。
私は、19年前の覚醒の段階では、同じ様な事が起きたが、其れは初めての体験だったので、現象を正しく認識する力が無かったのだ。
それが、旅を続け、年令を重ねたので、私の精神が練れて来ていたのであろう。
中国の老子の語に、「道と名付けると 道にあらず」と有り、言葉で指定した時点で、本質から外れてしまうと説いている。
インドの釈迦も「物や 形体に 名称を与えてはならない。名付けた時から 自然の理であるダルマ・法から 外れてしまう」と説いている。
彼等、偉大な人達が、何故尊敬されるのか、其れは人間の言葉を離れ、天地と一体と成った生き方を示したからである。
老子や、釈迦には、敵は存在しない。
それは、自然の理・ことわりと一体と成って居たからである。
嵐や、風の渦が悪い分けでもなく、洪水の水の渦が悪い分けでもない。
人間の不自然な処が、壊されるだけである。
嵐だけを視るのではなく、洪水だけを視るのでもなく、地球全体を、エネルギーの渦巻く姿と観れば、心は広く成って行く。
38歳の時の私と、現在の56歳の私は、同じ礒邉自適なのだが、同じ島の情景の中で変化しており、日々新たな自分が現れて来る。
是を、魂の成長と呼ぶのだろうか。
19年の修行で、知識を集め、言葉は増えた。
しかし、その言葉を使わない事の大事さにも、気付いて来た。
自分が、日々変化する事が楽しみでもあり、神の存在に、どの様に感謝すれば良いのかも理解されて来た。
神社の建物も必要ない理・ことや、釈迦の教えを書き残した、経典の危険性も、見えて来た様な気がする。
平成15年7月29日
礒邉自適
2003/7/29
奸婦・セバ
15・7・29
今朝のメッセージは、文字が「奸婦」と横書きに現れて、上に片仮名で「セバ」とルビが振ってあり、意味は「ひんぷ」と知らされた。
朝、意味を調べると「奸」は「姦→奸」と変化したもので、【女性がひしめくさまから、みだら・よこしまな意味を表す】とあり、「奸」は【してはならないことをする。きまりを乱す意味に使う事】が 載っている。 漢語林
「婦」とは「女+帚」で「帚」は【ホウキを手に持っている形で 掃除をする女性の意味】なので、主婦の事を表す字だ。
奸婦とは、してはならない事をする主婦との意味に成る。
これで、奸婦の漢字の意味は理解出来るが、片仮名の「セバ」が分からない。
「セバ」を辞典で調べても「狭・せば」しか出て来ない。
狭し(セバし)の「せば」が、そのセバなら奸婦とは、料簡が狭い人間と言う事に受け取れる。
「料簡の狭い主婦が よこしまなことをする」との意味が理解されて来ると、頭に浮かんで来るのは、中国の西太后や、毛沢東の妻、フィリピンのマルコス大統領の妻、夫婦で国民に銃殺されたルーマニアのチャウシェスク大統領の妻などである。
国の権力者の妻に成ると、よこしまな気持が起き、してはならない事を始める様になる。
その事の危険性を、今朝のメッセージは伝えて来たのだろうか。
是等の事を書くと、女性攻撃に成る様なので、私は嫌なのだが、告げられて来たという事は、人間社会にとって大事な理・ことだからであろう。
確かに、大きな事を成し得た男性に付いている女性は、陰の力として役目を果たしている。権力を持った夫に対して、支えには成っても、権力を利用しようとはしない。
日本でも、先日、妻ではないが、娘が権力を利用した事が原因で、知事が失職をしている事実も有る。
女性は、どうしても天下国家の事よりは、自分の生活や、子供の事に意識が向いてしまうのだ。
それは、生命の仕組みに因るものだから、善悪で判断する事ではなく、本能的行動から来るものである理・ことを、理解しなければならない。
未だ、動物的意識から、進化が進んでいない現象だと、考えれば良いのだ。
人間的に、視野が未だ狭い女性が、奸婦という事になるのだろう。
是から、私の身に起きてくる事に、今朝のメッセージが関係有るとすれば、女性のサガに対して、注意しなさいとの事だろうか。
現在、私は一人暮らしなので、その心配は無いが、是から流れが変われば、身近に女性の存在も必要と成って来るかも知れない。
その時の為に、前もって、警告が与えられて来たものと受け取っておこう。
財産があっても、心が「貧婦・ひんぷ」な女性を、身近に近付けてはならないのだろう。
平成15年7月29日
礒邉自適
2003/7/28
ビーコンを授かる
15・7・28
今朝のメッセージは、「ビーコン」と「授かる」と出て来た。
朝起きて「ビーコン」とは何かを、辞典で調べて見た。
すると「ビーコン」とは「heacon」で、「のろし・かがり火の意。標識。特に水路または航空の標識。」と 広辞苑には載っている。
「ビーコン」とは、のろし・かがり火の意味で、合図や道しるべの意味が有るらしい。そのビーコンを、私が授かるとは、どう言う事だろうか。
26日は、マヤの元旦だったが、26日の0時13分と、7時13分に、宮城県で大地震が有った。両方とも、13分なのがチョット気に成る。
マヤの暦が、13ヶ月の暦と成っているので、何かの知らせではないだろうか。前日25日の、伊丹由香さんの霊夢にも、大地がグラグラ揺れるのが映っている。偶然にしては、チョット出来過ぎなのではないだろうか。
本日のメッセージの「ビーコン」が、人類全体の禊ぎの始まりを知らせるものであれば、早く、人類の罪汚れを祓わなければならない。
伊丹由香さんの霊夢では、子供達は大地がグラグラ揺れても、平気で進んで行ったとの事、一方、大人は神様に導いて貰うか、地蔵尊にお願いをする必要が有りそうだ。
「ビーコン」とは、航空機が離着陸をする時に、目標とする標識や、ラジオ電波の事でもあるらしい。人類が、どの様に禊ぎ祓いをすれば良いのか分からない時に、私が誘導する役割をする事になるとの事だろうか。
「ビーコンを授ける」と出て来ても、私には、其れより他に、今の処、考え様が無い。
ノストラダムスの大預言も、2000年が過ぎ、何も起きなかったので、皆安心して忘れかけているが、ノストラダムスの預言が外れた分けではない。
ノストラダムスは、ちゃんと「別の者が現れれば 私の恐怖の預言は止まる」と云っている。其れに、「別の者は 経線に添って上る」とも云っている。
私は確かに、19年前に人類の終わりも見せられたし、屋久島から経線に添って本土へ上って行ったのである。
確かに私は、神のメッセージで「人類の未来をお前に託す。失敗は許されない。チャンスは一度だけ」と告げられ、地球を私の左手に乗せられた。
其れから全てを投げ打って、19年間神のメッセージに従って来た。
1984年6月4日に、16年半掛かると告げられ、それは正確に言うと2000年12月4日だったが、2001年の新年を無事に迎える事が出来てホッとしたのである。それから、大した事も無く2年半が経過している。
故郷の屋久島に帰り、1年が過ぎて、18年間の旅の垢も落ちて、島の人間に戻った様な毎日を過ごしている。
そんな暮らしの中での、今朝のメッセージである。26日午前0時13分から、新たな神の動きが始まったのだろうか。
私には、今の処、何の標識を皆に示せば良いのか、分からないで居るが、全て、神が準備しているのだと考え、出来るだけ静かに暮らしていたいと意う。
伊丹由香さんが霊夢で見た様に、子供達は、神様の使徒なのだから、子供達が平気で道を進んで行ったとの事なので、私も、子供達の動きに良く注意しながら付いて行きたいと意う。
私が、屋久島で神の世界に入った時は、島の子供達が、皆で私を導いてくれた。あの頃の様に、再び、子供達が動き出すのだろうか。
神が知らせて来たビーコンとは、子供たちの事なのかも知れない。
19年前、私と一緒に神の世界で遊んでくれた子供達は、もう23〜24歳に成っている。新しい時間軸の下で育った子供達が、大人の世界で働き出しているのだ。それらの青年の中にも、何かの秘密を持っている者も在るだろう。
明日から又、何か異なる意識が生じて来るのだろうか。
今日の処は、新しい予兆を感じ出している事だけを、記憶に留めて置く事にしておこう。
平成15年7月28日
礒邉自適
2003/7/26
大日如来の目線
15・7・26
本日は、昔のマヤ人のカレンダーでは、新しい年の始まりの日となっている。そして、昨日は、一年で一日だけ、時間を計算しない日とされている。
その所為か、昨日は、妙に静かな状態の日だった。
私の意識も宇宙と一体となり、神霊の働きも、休む日だったのかも知れない。
宇宙には、ある意識が存在し、其れを宇宙の真理の本体としてインドでは「マハーヴァイローチャナ」と呼ぶ。
其のマハーヴァイローチャナを、日本語に訳したのが、「大日如来」である。
私の24日の霊夢に、マンダラの様な物が現れた事は書いたが、25日には岡山の伊丹由香さんも、それに関する様な霊夢を見たらしい。
其の内容は、屋久島の様な丸い島を、時計の針の反対周りで回ろうとしていたら、グラグラと揺れて、子供達は細い危険な道を通り抜けて行ったが、大人は通れないので引き返した。
すると、大きな男性が現れて、山道を案内されて歩き出すと、お地蔵さんが立っていたとの事。そして、何処かに到着すると、太陽を背にして座ったらしい。
お地蔵さんは「地蔵菩薩」の事で、「釈迦の入滅後、弥勒仏が出生するまでの間、無仏の世界に住して六道の衆生を教化・救済するという菩薩」と、広辞苑に載っている。
地蔵菩薩は、弥勒菩薩が現れる迄の繋ぎの役目らしい。
太陽を背にしていた男性が、伊丹由香さんを案内する事に成ったと言う事は、それが弥勒菩薩で、弥勒菩薩は太陽を背にして現れるとの事だろうか。
日本の皇室の基は、神武天皇とされているが、神武天皇も太陽神を信じている部族の出身で、奈良に征く時に、太陽を背にする為に、熊野の方から奈良に攻め入っている。
すると、伊丹由香さんを案内する事に成った男性も、神武天皇系の神と言う事にも成って来る。
大日如来も、文字で判断すれば、「大きな太陽の如来」だから、同じ物と言う事も出来る。
私が19年前(1984年11月21日)、初めて伊勢神宮外宮にお参りして、その夜に出て来た、上半身輝いた男性神は、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」でもあり「マハーヴァイローチャナ」でもあったのだろうか。
その日の朝、老人の口を借りて「医者や 弁護士が 居ない世の中が 私の望む 世界だ」と知らせて来た。
人間は、欲望さえ捨て去れば、裁判も必要ないし、病気やケガも少なく成って来る。反対に、経済活動が激しく成れば、病気もケガも揉め事も多く成って来る事に成る。
日本人には「何処に行っても お天道様と 米の飯は 付いて回る」との言葉がある様に、何時も、太陽が自分を見守ってくれているとの考え方がある。
太陽を神と考え、稲作を続けて来た国民性が、此の一言によく表されているとも謂える。
私が、仕事を全部止めて、神の世界に身を置く様に成ったのも、1984年3月13日の夜明け、太陽が半分海上に姿を現した時、メッセージを受けたからである。
そして全国の旅が始まり、1989年3月13日に阿蘇郡蘇陽町の「日宮幣立神宮」に初めて参拝した時、3時33分に幣立の神が、私の身体に掛かって来た。
私を導いている神霊も、基本的には太陽神なのだろう。
太陽は、我々の住む太陽系の中心なのだから、当然の事と言えるのかも知れない。
伊丹由香さんの霊夢では、子供達は、狭くて危険な道を、どんどん先へ進んで行ったとの事。
大人と違い、子供達は純粋なので、道を進むには弊害が何も無いと言う事だろうか。
神に委せておけば、間違いなく良い方向に進む子供達に、道を外れて生きる大人が、余計な口出しをする事自体が、間違っているのだろう。
子供達も、皆自分の宿命を持ってこの世界に遣って来ているのだ。
大人達には、地蔵菩薩が必要でも、子供達には必要ないのだろう。
大人が、子供にして上げられる事は、歩く道を整える事である。
道さえ有れば、子供達は、自分の足で歩いて行くのだ。
その子供達に、エネルギーを与えているのが、太陽であると言う事に成るのではないだろうか。
子供達は、螺旋軌道を画きながら成長を続けて行くのである。
我々人類全体の意識も、其れに合わせて進化して行くのだ。子供たちこそ、宇宙を進化させている本体なのであろう。
私の人生も、子供から始まり、55年掛けて、此処まで成長を続けて来た。
私は、どれだけの螺旋階段を、上がって来たのだろうか。
私も、ようやく、人間の内側に眠っている大日如来の意識の中心に、辿り着いている様である。
螺旋の中心に立ち、下を見れば、全ての者が螺旋階段を登りながら、上がって来るのが見える事に成る。螺旋階段を、上がり切った所には、佛達が待っているのだ。
螺旋階段を、上がり切った者達が住む世界が、曼荼羅の壇である。
私の24日の意識は、螺旋の最上部に在り、一段下の基壇を見ていた。
其処には、菩薩の働きの人達が揃い始めているのだ。
其れは、子供達が成長して、螺旋階段を上がり、新しい菩薩に成るのを手助けする為である。
大日如来の目線は、螺旋の中心から、何処の方向に降りた位置に在るのだろうか。
男性が、太陽を背にしていたとの事であれば、太陽が昇る東を、背にしている事に成るので、目線は西を向いて居る事に成る。
そうであれば、北から南を向く、もう一個の目線も必要と成って来る。
北は、「玄武」が神とされているので、別の働きがある筈である。
此れから、様々な働きが現れて来るのだろう。
其れ等の働きが、全て把握出来るには、自分自身が中心の位置を外れない事である。
何かをする事を止め、何もしない事で、全部の事を見詰めている事が出来る。
その位置のことを、老子は「自然無為」と言い表したのだろう。
自分が動かないでも、他の働きを理解出来る目とは、旅を終わった者でなければならない。何故なら、現場を見る目は、現場を通した者しか、持ち得ないからである。
私が、様々な体験をさせられ、何故19年もの長い間、旅をさせられたのかも、ようやく理由が解り掛けて来た。
人生とは、その時点に成らなければ、自分の立場は理解されない様である。
私の、現在の日常も、これ迄の人生には無かった次元である。
マヤ人の概念からしても、今日から又、新たな次元上昇が始まる様である。
今朝の霊夢には、大きな車が遣って来て、五〜六人の人が住み着く様に成るとの事が、告げられて来た。
私の人生の変化は、島外からの人間が介入する事で、新たな展開が始まって来た。又、次なるステップが始まるのだろう。
大日如来の意識が、何処まで進んでいるのかは分からないが、私の内に在る大日如来の視線だけは、見失わないようにしなければならない。
何故なら、人間の役目は、大日如来の目の役目を果たす事であるからだ。
エジプト文化や、ユダヤの歴史を見ても、その理・ことが、最重要事として捉えられているのである。
平成15年7月26日
礒邉自適
2003/7/24
脱魂
15・7・24
今朝のメッセージは、自分の魂しいの五分の一ぐらいの部分が、真白に成っていて「だっこん」との言葉が来た。
「だっこん」は、自分の魂しいが、其の時、抜け落ちている状態だったので、「脱魂」の漢字で良いと想う。
「脱魂」の言葉の前に、映って来た映像は、自分の魂の内側に、核の様な部分が在って、その核の左下側の部分が、全体の五分の一程白く脱けており、何だろうと想うと、「吉田秀明」と知り合いの名前が出て来た。
吉田秀明氏は、愛媛県伊予市の近くに住んでおり、倫理法人会の地区の会長をされている方である。
私は、吉田氏と知り合って三年程に成るが、私のメッセージに「私達の活動の 会長に成る人だ」と、告げられて来た人である。
そして、今朝のメッセージは、吉田秀明氏の事が認識されたら、今度は、核の下側が胡麻塩状態に成っているのが映って来て、その部分に、屋久島でガイドをされている松本毅氏の名前と顔が映って来た。
松本氏は、東京から屋久島に移り住んで16年に成る人で、時々カヌーの客を連れて、私の自宅前の安房川に来ており、島の地層研究会でも数度顔を合わせている方だが、未だ心の触れ合い迄には進んでいない。
未だ胡麻塩状態なのは、芯からの出会いを済ませていないからなのだろう。
今朝のメッセージは、一人分は脱けており、一人分は脱ける途中の段階なのだと考えられる。今朝のメッセージを、他人に理解して貰うには、何かの例を持ち出さなければならない。
仏教の一派に密教が在り、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」の「九葉曼荼羅・タンカ」が画かれているが、その絵には、中心に大日如来が、自分の行為を止めて座っており、周囲には八体の様々な働きを受け持つ佛が、取り囲む様に画かれている。
周囲に画かれた八種の佛は、皆大日如来の分身で、其々が、自分の役目を果たす様に設置されているが、どれか一部が欠ける事が有れば、その部分を、直ぐ大日如来がカバー出来る事に成っている。
今朝のメッセージは、その一部の佛(働き)が、大日如来から分離して、働きを起こせる事を意味し、もう一体も、分離直前に到っているとの事ではないだろうか。
その様に考えると、先日東京から屋久島に遣って来て、スクーリングの学校を造りたいと言っていた、前田氏の登場が、重要な意味を持っていると考えられる。
世直しが、教育から始まるのであれば、吉田秀明氏は文部科学省認可の倫理法人会の地区会長で倫理の研究を行なっているし、倫理法人会の三代目会長「丸山敏秋氏」とも、私は直接面識があり、是からの教育をどうすれば良いかを、話し合える仲である。
一方松本毅氏は、屋久島では自然観察体験ガイドの会社の代表者であり、島にスクーリングの学校が出来る事に成れば、一番重要な働きを担う事が出来る方である。この様に考えると、いよいよ神の働きが、現実化して来る事が予感される。
昨日、伊丹由香さんが霊夢を見て、私が子供達の案内に係わっており、6つのコースを受け持っていたと云う。
私には、私にしか出来ない役目が有りそうだ。
私も一個人として、自分の果たす役割があるのなら、大日如来の曼荼羅を、完成させて置かなければならない。
その、大日如来のマンダラの完成とは、私の人為で出来る事ではなく、宇宙の意志である大日如来自身が創るものである。
しかし、宇宙の意志が、其れを完成させても、人間側にそれを認識する力が無ければ、和紙に墨で書いたマンダラを、流れる水に浸してしまう様なものであり、全ての情報は消えて流れ去ってしまうことに成る。
そうならない為には、誰かが、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」に代わり、人間側に伝えなければならない。他に居なければ、この私が内容を言葉に表していかなければならない。
それが、密教の真言・マントラの本当の働きである。
いよいよ、諸佛(働き)の聚集(あつまり)の基壇が完成するのだろう。
私に現れて来る映像は、神霊が動いて諸処の菩薩(現実の人間)の働きを集合させて、それぞれの役割を決める催しの様子なのだろう。
私達、この世の人間が、自分の人生に不思議な縁を感じるのは、見えない世界で、多くの神霊が昼夜働いているからである。
その働きに対して、我々が使用して来た言葉が「おかげさま」である。
新しい御蔭様が、動き出しているのだ。
その事に、一人でも多くの人間が気付く事が、明るい未来社会を、早く実現する事に繋がるのだ。
明日は、マヤ暦の晦日・みそかである。
新しい世の中は、着実に準備されている事を、認識する今朝のメッセージであった。
私が、真白に成る日は近い。
平成15年7月24日
礒邉自適
2003/7/23
三倍の速度・手を汚すな
15・7・23
今朝のメッセージは、「三倍の速度」「手を汚すな」と有った。
速いスピードで、物事が動き出すが、私には直接手を出すなとの事らしい。
メッセージが有る前に、様々な場面の霊夢を視せられていた。
・家を建てている現場。
・プロが造った家具のある部屋。
・車の付いた機械の運転。
・家畜小屋の糞尿の排水。
・遺跡の発掘。
・カフェのバーテンダー。
・凍て付く寒空での野外キャンプ。
此れ等の、どの場面でも、私は素人で物の役に立たないのである。
私の存在は、どの場面の人達も認めてくれていて、一応、私の意見は聞き入れてはくれているが、皆私が役に立たない事を知っているらしい。
多くの現場を回っている内に、私にも、それが理解されて来た。
夢の中だけでなく、現実的にも、私は全ての事に付いて素人である。
私が、人並み以上に出来ると想われるのは、神とのコンタクトか、磯物捕りと魚釣り、山芋掘り、それに木登りぐらいのものだろう。だから、此れ等以外の事に、手を出すなとの事なのだろう。
人々が、私を尊敬してくれていても、する事が他人より劣っていれば、人々の尊敬の念が薄らいでしまう。それでは、神が困るのだろう。
私の値打ちが下がってしまえば、私の口から発せられる言葉の値打ちが下がってしまう事に成り、神が大事な事を、皆に告げる時に、言葉の重みが無くなってしまうからなのだ。
考えて見れば、何も一人前に出来ない私が、人々の信頼を得て此処まで来られたのは、私の先見性だけである。
その先見性とは、何時も、神霊の言葉であったり、夢見の現象からの物であった。其れらの事は、目に見えない神の働きに因るものだったのだ。
私は、それらの事を、自分の力であると勘違いして、今まで生きて来ている。それが、今後は、プロの集団が係わって事が始まるので、私が赤恥を掻かぬ前に注意して来たものと想える。
私自身が、恥かしく成り、恥・耳に心が行ってしまえば、神のメッセージを受け取る処では無くなってしまう。
それも、スピードが、これ迄の三倍の速度で始まるとの事だから、他に視線を向けて居る隙も無いのだろう。
私は全てを、その道のプロに委ねて、自分の役割である、瞑想に専念しなければならないのだ。
私に出来る事は、天と地の間に立つ人の役割とは何であるかを、突き詰めて行く事である。
「天」の漢字は、大地に立つ人の象形で出来ており、「亟」の漢字は「天と地の間に 閉じ込めている人を 枝で鞭打って 答えを出させる」の意味である。私は、神に鞭打たれながら、此処まで旅を続けて来た。
中国の孫悟空の話は、私の旅と同じ物語りの様である。
自分で、何事も成したとの自負が、観音様の掌の中だけの事であったと知る時、壊れてしまうのである。
孫悟空には、如意棒と言う便利な武器が持たされているが、私には何も無い。有るとすれば、自分の言動や立ち振る舞いを、ビデオカメラに撮って、自己反省をする事くらいである。
自分自身を知るには、如意棒よりも、ビデオカメラの方が役に立つだろう。
他人を、如意棒で打ち砕いて変えるより、自分をビデオカメラで映してみて、自我を砕く方が難しいのかも知れない。
今朝のメッセージは、私に未だ、有頂天に成り、自己を破壊させるモノが残っている事を、神霊が教えてくれたものと考えられる。
神霊の存在が無ければ、とても私は、心の旅が出来ていないと想われる。
私にも、少しは、先祖や聖霊の働きが理解出来て来たようである。
イエスが云った、「父」と「子」と「聖霊」の区別認識は、正しかったのである。
私には、祖父や父親の御霊、其れに4311体もの聖霊が付いていて、此処まで導いてくれたのだ。聖霊なくしては、とても此処まで、成長する事は出来なかったのである。
是からの未来創造こそが、本番であるので、其れ等の聖霊の働きは、益々重要に成って来るだろう。
私の修行も、ファーザーまでの道程は、まだまだ遠い様である。
マヤ暦の元旦まで、残り3日と成った。
何が、急激に始まるのかは分からないが、心を冷静に保って措かなければならない様である。
平成15年7月23日
礒邉自適
2003/7/21
7月3日
15・7・21
4月13日に、「後80日」とのメッセージが有って、その日に当る7月2日が無事に過ぎ、何事も起きないで済んだのかと思っていたら、7月3日より大きく事が動き出している事が判明して来た。
7月14日に、縄文杉までのガイドの手伝いをしたら、私の車に乗った方が、中央出版の社長さんと、雑誌・ダビンチの編集部の方であり、社長さんが7月3日に屋久島に行こうと想い立ち、7月13日のキップを買って、13日に屋久島に来たのである。
中央出版は、現在社員7400名で、売上高1400億円強の会社で、学習図書が主な業務である事が、ITで調べて判った。
私は、未来を担う子供達の教育を、考え直さなければ成らないと考えていたので、出雲では「安部忠宏氏」と共に、子供達の教育を考える為の会社「あべ未来研究所」を設立した経緯がある。
私が、一番望んでいる事の業種で、日本有数の会社の社長が、動き出していたのだ。
そして、屋久島に子供達が「スクーリング(通信教育の一つの過程として、受講生を一定期間学校に集めて行なう、面接授業)」する為の、学校を造りたいので、土地を見に来たのだと云う。
私は、それで、自分の遣りたいと意っていた事が、いよいよ動き出すのだと感じた。
助手席に乗った方が、ダビンチの編集部に働いていて、私の東京の友人とも繋がっており、私が話す内容を、殆んど理解するので、私は調子に乗って話をして居た。
その話を、後部座席で廰いて居た社長さんが、直ぐに、担当者を送りますとの事に成り、私の動きが、新しく始まる可能性が見えて来た。
これは、私の未来に関する事柄なのだが、別の事が7月3日に起きていた事も判った。
それは、私の熊本の友人が、7月3日に不思議な夢を見て、自分が神様に成っている姿を視たという。この友人が、島に遣って来て、私の過去の問題を解決してくれる事にも成って来た。
7月8日には、私の夢に「無双」と現れて、無庵師匠とマクロビオテックの「桜沢如一」が現れた事は、文章にしてあるが、同じ8日に、私の自宅に銀行の支店長が挨拶に来て、私の借り入れが返済されていない事を言った。
私の借り入れは、会社の土地を買入れしたもので、その土地は、会社の役員にしていた池田保が、自分の所有物として使用している。
その役員は、会社の土地には一円たりとも金は出しておらず、土地は全て私の出資で買入れし、整地も私が全部したである。
其の土地を、自分の物としながら、私の借り入れを支払わないでいるらしい。その人の身勝手に、私の友人が激怒して、「私が片付ける」と云って、現在その行動に入っている。
7月3日より、私の未来と、過去の整理が同時に始まった様である。
今年に入って、私に「何もするな」とメッセージが続いていたが、私のスケジュールは、全て天界で決められている様である。私が、直接行動しなくても、私が存在する事で、神の計画が進行して行くのである。
私は18年前、神掛かりに成った時に、私の役割を告げられた。
それは「事象の特異点」との言葉と、「新しい神の座標軸」と言う言葉であった。
【事象】とは、@ことの成り行き・様子・ことがら。
A確立が定められることがら・試行の結果をみて、起こったか起こらなかったかが確定されることがら。標本空間の部分集合と同一視される。偶然事象。
【特異点】とは、@曲線上あるいは曲面上で、接線あるいは接平面が存在しなかったり、二つ以上存在したりするような点。
A複素関数が連続な導関数をもたないような点。
【座標軸】とは、@座標を定めるための基準とする直線。
広辞苑で調べると、この様に載っていて、数学の世界の用語らしい。
私は、屋久島の中学校までしか卒業していないので、学校で習った記憶に無い用語が多い。私の感じでは、どうも神の世界は、数学的に説明をする方が当っている様である。
有名な「アインシュタイン博士」も数学者でありながら、神を理解しようとしていた節がある。
私も、神の世界に入った時に、先ず、行なった(行なわされたが当っている)事は、自分の身の回りにある、時計等の時を刻む物を、全部壊し、相対的な時間から、絶対的な時間へと逃げ出したのである。
時計が刻む、「チックタック」の音から逃げ、日付から逃げ、曜日から逃げ、昼と夜の区別からも逃げて、昼夜の区別の無い世界で、自分の呼吸と、心臓の脈拍のリズムの中に、身を沈めて行ったのである。
そして、そのリズムの奥底には、全ての生命と繋がっているリズムが在り、私はそのリズム体系の中に、自分の身を位置付けて行ったのである。
後に、それは、釈迦仏陀が謂う処の「法・ダルマ」であり、老子が謂う処の「道・タオ」であり、イエスキリストが謂う処の「永遠の命」の世界である事が解かった。
そして、その世界は、動植物の命の世界ではなく、生命自体を支えている、無機質の振動波である理が分かった。
宇宙の本体は真空の無であり、其の無の中に質量が存在して、物の形態を生み出してはいるが、それも皆、ある振動数の枠内に治まる、決まり事で出来ているのである。
私達の、生命の基本的な処には「珪素・シリコン」の周波数が、深い係わりを持っている。私達が、神と呼んでいるモノの正体を探るのは、其の珪素をターゲットにして行けば良いらしいのである。
「神」との語を、一口に説明すれば、「人間の目に 直接見えない働き」と言う事が出来るだろう。目には見えない働きの中で、珪素の周波数を追って行けば、命の特異点が確定されるのではないだろうか。
生命の営みは、遺伝子の過去の情報に、未来への希望が影響を与えて存続し、螺旋的に成長を続けている。
この世の現象を、絶対的に捉えると、相対世界は停止している世界であり、物質の存在を受け持っていると言える。
その停止している相対世界に、絶えず、影響を与えているのが絶対世界であり、絶対時間は、螺旋軌道の内側に、直線的に出入りする事が出来るのだ。
7月3日には、この絶対時間の動きがあって、過去と未来の二曲の線が交わり、同時に創造へと向かって、回転を生み出した事が分かる。
巻き貝の構造を良く観察すると、その時間の経緯が、能く視覚化出来る。
過去のデータは、貝自体の殻として残っているので、実際に貝の姿を見れば、多くの情報が読み取れるし、その情報から、未来への方向性も汲み取ることが出来る。
これらの事は、相対的な世界なので、貝殻を見ながら説明すれば、誰にでも理解は出来る理・ことである。
処が、巻き貝の螺旋構造物の一番古い部分に触れると、現在生きている中身の貝が触角を縮めて、内に閉じ籠ってしまい、その情報は、螺旋で伝わるのではなく、直線的に、数年分の貝殻の時間を抜けて伝わっている。
その情報の流れは、絶対時間の出来事と説明する事も出来る。
我われの住む、宇宙や銀河も、其れと同じ構造を持っていると言えるのだ。
螺旋の貝殻の構造は、光の周波数に因る、137億年の宇宙空間と言えるだろう。私達の、思考の周波数が、光の周波数内であれば、宇宙の記憶を再生する事は不可能なはずなのだが、私達はブッダの様に、宇宙の記憶を取り戻せる能力を持っている事が分かっている。
それは、私達人間が、光の速度である相対時間を超えた、別の周波数を使用していることに成る。
その周波数とは、「第三の目・ブッダの目」と云われている、額に有る「松果体(純粋なシリコンの結晶は松傘状に結晶する)」を、アンテナとする周波数である。その理・ことは世界中で、古代の人達が気付いていた事だ。
屋久島の花崗岩には、26億年前の中国の揚子江から流れて来た、「ジルコン(ジルコニウムの珪酸塩鉱物)」が含まれている。
珪酸は、珪素と酸素と水素の化合物である。珪素は、宇宙空間に浮かんでいるあらゆる物質に含まれている。
光の速度を超える周波数で、珪素の情報の中を飛び回れば、あらゆる時間の螺旋の中を、直線的に移動する事が出来るのである。
その周波数を使って、新たな情報を組み込めば、その情報に因る世界が組み立てられる事に成る。新しい事象や、特異点は、其の情報に因って、出来上がる世界なのだろう。
新しい未来が創られると言っても、古い地球が廃棄されるのではなく、地球は46億歳の貝の殻として存続し、生き物の生活を守ってくれるのである。
貝殻の中身である生物が、これからどの様な生活を続けて行けば良いかを、考えるのが、私達人類の役目なのである。
7月3日に、過去と未来の曲線が交叉して、新たな段階へと進み出した様だ。
円軌道を画く、螺旋のどの部分に梯子を掛けて、真実の源泉へと降りて行くかは、各各の自由意志で決めなければ成らない。
私は、既に18年掛けて、新しき自分の巻き貝(空間)を創って来た。
自分の持ち時間で、自分の空間を創って来たのである。その、私の時間と空間が、7月3日に人類全体の時間と空間を、取り込んでしまったのだろう。
それが、救世の働きと言えるのなら、私は救世主と成れるのだが、これは私だけの体験なので、誰も理解する事は出来ない。
釈迦や、老子が、そうであった様に、2600年毎に巡って来る、螺旋の時間の帯は、一人の人間だけに認識を残して、再び闇の向こうに消えて行くのだ。
今回は、事象の特異点と、座標軸と言う数学的な認識方法を残して、再び螺旋の向こう側に姿を隠して行くのだろう。
神とは、永久に、人間の目には直接見えない働きのままなのだ。絶対時間とは、人間の相対的な眼には見えない周波数なのだから、視覚に頼っていては、永遠に自覚出来ない世界である。
ブッダの瞑目こそ、絶対時間に接触出来るたった一つの方法である。
「7月2日まで何もするな」と私に告げて来た者の存在は、絶対時間に住んでいる住人であろう。人間とは、何処から来て何処へ帰るのか。
その答えは、「間近に迫って来ている」と、言えるのではないだろうか。
平成15年7月21日
礒邉自適
2003/7/18
般若波羅密多・はんにゃはらみった
15・7・18
今日は、朝早く、湯泊りの温泉に行き、誰も居ない海中温泉に入浴した。
湯船の中に静かに浸って、潮が満ちて来るのを見ていたら、海の中に入って見たくなり、湯船を出て海中に身を移した。
そして、頭まで海中に身を沈めてから、立ち上がったら「はんにゃはらみった」の言葉が、低い声で自分の口から出始めた。
お経を唱える様に、十分間程「はんにゃはらみった」だけが続いて、私の意識が、それ迄とは違った状態に変わったのを感じた。
私は、19年前、修業が始まった当時は、父親の位牌の有る仏壇で「南無妙法蓮華経」を唱えていた事はあったが、「般若波羅密多」の文句を唱えた事は無い。
「はんにゃはらみった」は、弘法大師空海の真言宗で、能く唱えられる呪文である。
私は、真言宗の信者でもないので何故かと思い、自宅に帰ってから広辞苑で「はんにゃはらみった」を調べて見た。すると「般若波羅密多」とは、「般若波羅密」で「智慧の完成されたもの」との意味と載っている。
この事からすると、私の智慧が、完成されたとの意味だろうかと想い、能くこれ迄の自分の修業を振り返って見た。
すると、「般若波羅密」とは、私の個人的な意識ではなく、自分の意識が消え去った後に、私の内に現れた、別の意識である事が解かった。
其れは、私が聖霊に満たされ、荒野を日夜彷徨い歩く様になって、家族や島の人々から気狂い扱いされ、誰一人、私と口を聞く人が居なくなってから、起きている。
人間社会は、言葉を使用する事で成り立っている。
処が、気狂いに成った者が、他人に話し掛けると、相手は気持ち悪がって逃げて行く。だから、話す相手が一人も居ない事に成り、私は言葉を使用する事が出来なくなってしまったのである。
言葉を使用出来なくなった私は、数ヶ月を島の山中や、海辺で過ごす事に成った。
数ヶ月間を孤独で過ごし、言葉を使わないと、自分の頭から言葉が消え去り、「歩く」とか「食べる」とかの言葉も、頭には浮かばなくなる。
一人で山中に在れば、歩きたくなった時に、一人でに足が歩きだし、川の水を見て喉が渇いていれば、何も頭で考えなくても、自然に口を持って行って飲んでしまう。
家族の誰かに「オーイ、ビール持って来い」とか言う必要が無いのだ。
現代社会では、会社から自宅に帰った夫が、妻に対して発する言葉は、「風呂」「飯」「寝る」の三言だと云う話もあるが、その三言さえも無い世界である。
食事をする時も、誰かに、「皿を出して」と言う事も出来ないので、自分で皿を出して用意をしなければ成らない。
人間も一人で暮す時は、言葉が必要ないのだ。
人間は、言葉を使用する事で、自分のアイデンティティーを確かめている。
其れが、相手が無く、言葉を使用しないと、薄らいでしまうのだ。
話し相手が無く、言葉を使用する機会が全く無ければ、人間の思考から、言葉が消え去ってしまうのである。
対象となる、話し相手が存在しなければ、「私」と云う自己が、認識出来なく成って行く。
数ヶ月間、話し相手が全く無い状態が続けば、私と云う実体が消えてしまうのだ。 山中には、ビデオカメラも鏡も無いので、自分の顔も見る事が出来ない。
「他人の噂も75日」との諺が有る様に、人間の脳細胞は三ヶ月で入れ替わってしまうと言う。三ヶ月間自分の顔を見ず、言葉も使用しなければ、自己の存在が薄らいでしまうのだ。
その状態が続いて、自分の意識が失われている時に、何かの衝撃と成る刺激が加われば、異次元に飛び込んでしまう事に成る。
其れが、悟りの瞬間と成る。
悟りの瞬間とは、自分の自我意識が百パーセント消えて、替りに、宇宙の記憶が飛び込んで来て、宇宙意識に目覚める事なのだ。
その宇宙意識こそ、般若波羅密の智慧なのである。
自我意識が消え去って、宇宙意識と繋がった、新しい自我の誕生である。
その状態を、覚醒した者・ブッダと呼ぶ。般若波羅密とは、ブッダ・佛陀の智慧なのである。
今日海水で水浴びをしたら、「はんにゃはらみった」の呪文が自然に口から出たという事は、私に、新たな段階が訪れた事を意味しているのだろう。
私は、密教の修業を学んだ分けでもないのに、どうして、こんな現象が起きるのだろうか。その原因こそ、宇宙に秘められている、智慧の現れなのであろう。
修行とは「行を修める」との事なので、現場で実際に体験を積み上げなければならない。
私は、学校や寺院で修行をした分けではないが、現実的に屋久島の現場で様々な体験を積んで来た。「修験道」との言葉が有るが、私は正に、修験道(体験を修める道)を実行して来た事に成る。
修験とは、自分の足で歩く事であり、自分の手を使って、何かの行動を実行する事である。
他人の体験を通して、自分の体験とする事は、絶対に出来ないのだ。
現代社会は、釈迦仏陀やイエスキリストの事を、知識で仕入れて、自分が然も体験したかの様に錯覚している者が多い。
自分の手足で、現場を体験していなければ、宇宙の現象・現実と一体化する事は出来ないのだ。
般若波羅密とは、自分の体験を通じて、宇宙の真理の本体(大日如来・ビルシャナ仏・阿弥陀佛)と、一体と成る事なのである。
その事に取り組んだ私は、19年前(1984年6月4日・旧暦5月5日)に、安房川の岸辺で、無庵師匠が見守る下禊ぎ祓いを行い、虚空会の儀式の体験をし、4311体の聖霊を此の身に引き入れる事と成った。
それから18年間、聖霊の働きに身を預けて、全国を旅して来た。
昨年4月24日に屋久島に帰り、島の生活が一年過ぎた。そして、今朝の海での禊の出来事である。
私は19年前、屋久島の山中や川と海岸で、瞑想を数ヶ月間続けた。
19年振りに、再び都会で仕入れた、人間社会のツミケガレ(知識や物)を禊祓って、ブッダの状態に返らなければならないのだろうか。
今は、自分から求める事は何も無いのだが、人々には、何か私から得るモノが有るのだろう。
それが、般若の智慧から出ているものなのかは分からないが、日々移り変わる森羅万象の現れである、毎日の営みから出て来る言葉であれば、自然に任せて自由に振る舞っていれば良いのだろう。
真言とは、寺院の中に在るものではなく、日常の生活の中にこそ、在るものだと理解されて来た。
私が、何者と成ってしまったのかは、自分では認識出来ないが、自由な人間に成っている事だけは、自覚出来る。
これからは、私の前に誰が座るかで、自分の反応がどう現れるか、それだけに視線を向けて行こうと想う。
19年前と違って、携帯電話が有るので、山頂や川や海で瞑想をしていても連絡が付く、何も自宅に一日中居る必要も無い。時代は、確かに変わっている。私の意識も、それに合わせて、日々変わって行かなければならない。
社会の変化も又、宇宙意識の現れであれば、私の意識と離れてしまう事は無いだろう。
「衆生一切我が子」との釈迦の言葉が、自分の言葉として、定着する事を願うばかりである。
平成15年7月18日
礒邉自適
2003/7/16
光の足と 影の手
15・7・16
今朝は、久し振りに、島の真南の位置に在る「三遊亭歌之介師匠」の別荘に泊って、朝を迎えた。
熊本の友人が、一年振りに三名で来島したので、昨夕、私の島の友人も三名呼んで、七名で夕食の時を楽しく過ごし、友人達と私の四名は、そのまま別荘に泊る事に成った。
今日のメッセージには、老女の両足が光って現れて、坂を下って行く後ろ姿で見えた。その光った両足は、痩せて湾曲しており、歩くのが危なげに見えた。
心配なので、良く見ると、右側に誰かが居て、手を携えている様である。
その手の持ち主は、大きな姿の男性の様なのだが、暗くて、姿が良く見えなかった。
今朝の映像の、光る足をした老女を、支える影の力とは何なのであろうか。
私は自分勝手に、老女は、私の82歳の母親で、影の男性は39年前に、49歳で亡くなった、父親ではないかと思われて来た。
老女の歩く姿が、私の母親の様子に似ていたし、仲の良かった父親が、連れ合いの事を忘れる筈が無いと意うからである。
父親が霊界に在って、母親の事を気遣っているのは、当然の様に想われる。私の長旅の間に、年老いて貧乏している母親を、私が気遣って苦しんでいるのを、天国の父親が心配しているのだろうか。
私が、実家の仏壇に手を合わせ、母親の事を心配して、父親に「好い加減にしたらどうだ」と、意識で言うと、「母親の貧乏は 大した事では無い」と応えて来た。
あれから数ヶ月が経って、やはり父親も気にしていたのだろうか。
私に対して、「母親の事は ちゃんとサポートしているから 安心しろ」と、知らせて来たのだろうか。
坂道を、静かに歩いて降りて行く老母の姿は、もう役目を終え、静かな世界に帰っていく事を、想わせるものであった。
私は、父親が死んだ時17歳だったが、長男なので母に頼りにされていた。
東京生まれで、東京育ちの母親には、屋久島に一人の友人も無く、面倒を見てくれる、父親の親戚も近くには居なかった。
其の心細さも消えて、四人の子供も皆結婚し、安定した時に、行き成り起きた、私の突然の変わり様である。
其の事で、ショックを受けた母親は、急激に耳も遠く成り、年取ってしまった。
私は、18年振りに島の生活をしているが、子供とも離れ離れなので、そんな私の様子が、一人身である82歳の母親には、心配な事なのだろう。
私も、七名の子の親である。子供達の事を考えると、自分の安らぎは無い。
しかし、今朝のメッセージで、母親が守られている理・ことを知り、私の子供達も、同じ様に、目に見えない神の手が、支えてくれているとの事を知って、少しは安心する自分が在る。
今月に入って、足に付いてのメッセージが続いている。
若しかしたら、私達人間の存在は、神の手であり、神の足の役割を果たしているのではないだろうか。そうであれば、自分の手足を、もう一度しっかりと確かめて、神を失望させない様にしなければならないと想えて来る。
何れ、私も天に還り、目に見えない力として、人類を支えて行かなければならない働きに戻るのだ。
其の為にも、誰かの役に立つ喜びを、少しでも多く、体験して措かなければ成らないと意う。
今朝のメッセージは、自然や、太陽の力とは別な働きが在って、私達は存在している理・ことが、理解されるものであった。
平成15年7月16日
礒邉自適
2003/7/12
足・あし
15・7・12
今朝は、霊夢に、明るいカラーの映像で、人間の素足の両足が現れた。
其の足は、どちらかと言うと、細目の足で、引き締まっており、歩き慣れている様子が窺えた。
そして昼間、此の文章を書き始めようと、ペンを手にしたら「ホッテントット」との言葉が出て来たので、広辞苑で早速調べて見た。
「ホッテントット」とは「コイサン族の事」と書いて有り、「コイサン」を調べると【アフリカ南西部のナミビア地方に住み、牛・羊の遊牧を主な生業とする民族、人口2万人のコイ族と、アフリカのカラハリ砂漠を中心にアンゴラから南アフリカにかけて分布するサン族、人口6万人。言語も、人種も、コイ族とともにコイサン語族。コイサン人種を構成する伝統的な生業は狩猟採集で、男性は弓矢・罠・槍などによる狩猟に、女性は野生植物の採集に従事する。俗称・ブッシュマン。】
と 載っており、コイ族とサン族両方の俗称と分かった。
現在は、遺伝子の研究から、人類の発生は、中央アフリカだと云われており、人類はアフリカから世界中に拡がったと認識されている。
わが日本列島にも、9つのルートから、九種の人間が渡来している事が、遺伝子の調査で判明している。
私は未だ、自分の遺伝子を調べてもらっていないので、どのルートから日本に遣って来た人種なのかは判らないが、アフリカの森林から草原に出て、二本足で歩き出した先祖の、子孫である事は間違いないらしい。
私は、子供の頃から、素足で、畑の中で遊び、学校に通い、木の実を採って食べ、罠を仕掛けて鳥を捕って食べ、川や海で魚を釣ったり、貝を捕ったりして食べていた。
そんな体験から、私は遥か昔、地面を素足で歩き始めた頃の記憶を、取り戻したのだろうか。
1年前に島に帰り、海岸に出掛け、魚や貝を捕って食べ、ツワブキ等の山菜や山芋を掘って食べたり、友人から屋久鹿の肉を貰って食べている。
そんな生活が、1年間経過したので、身体が元帰りして、今朝の画像が映って来たのだろうか。
私達人類は、38億年前に誕生した、微生物から進化して来た生物である。
どこかで「いのち」が途切れていれば、現在の人類の存在は無い事になる。
私達の細胞は、38億年の記憶を持っているのだから、たかだか数百万年前の記憶を思い出しても、別に不思議な事ではない。
私の自宅に、数日前より、人間の言葉や文字を、研究している方が宿泊しているのだが、文字らしきものが使用され始めて、未だ1万年位しか経っていないのである。
文字や、言葉を調べて、人間の文化は理解されたとしても、生命・いのちの記憶は取り戻せない。
インドの釈迦仏陀が謂っている様に、文字や言葉は、人間の意識の世界だけのモノであるので、全生命の本質に辿り着く為には、文字や言葉は邪魔には成っても、役には立たないのである。
だから、いのちの記憶を取り戻す為には、文字や言葉を、一時的に忘れ去らなければならないのだ。
「釈迦の訓え・十二縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/
私は、中学校迄しか、学校には通っていないので、机にしがみ付いて勉強をしたとの記憶はあまり無い。
だから、文字や言葉を、頭に詰め込んではいないと言える。其れが、私には幸いしたのだろう。
私の行動は、自然の中で食物を手に入れ、生活する事が基本と成っている。
そんな私は、遠い昔に、木から地面に下りて、生活を始めた頃の記憶に、あと少しの処まで、近付いたと言えるのではないだろうか。
類人猿は、木に登る前は、地面を歩いていた生き物である。
地面を歩き出す前は、海の中に住んで、水中を泳いでいたのである。
私達は、海の中を泳ぐ生物を、自分の生きた鏡として視る時、自分のいのちの源(システム)が観えて来る。
私達の、命の中に存在する、38億年の時間・ときの記憶と、気持ちが悪くなる程の、生体の変化が、現在の私達を形造っているのである。
その変化の記憶は、私達が、何かの行動をする事で、身の内側から、其の時の記憶が、浮かび上がって来るのだ。
行動するとは、手足を動かし、五感を働かす事でもある。
靴を脱いで、素足で移動する事を始め、足裏の刺激に意識を向けて、瞑想の生活をすれば、遥か遠い昔の時間に、海の中に住んだ深い記憶が蘇って来て、自分とは何者なのかが、見えて来るのではないだろうか。
その為の一歩が、今朝のメッセージの素足の、意味する処ではないのだろうか。素足に成って、一歩、歩き出す勇気が有れば、道はその前に現出して来るのである。
「パスカル(1623〜1662・フランスの哲学者)」の有名な言葉に「人間は 考える葦だ」と有る。人間は「葦の様に か弱いものであるが 考えるという特性を持っているものとして 思考の偉大さを説いている」 広辞苑
私は、この「葦」を、人間の「あし」と捉えてしまう。
九州の熊本県には、葦北と言う地名があり、「アシキタ」とは、シュメール文化か、アステカ文化の言葉で「進む」との意味らしい。
現在の「アシ」の文字は、漢字の「足」を使用しているが、日本語の「あし」は「進むもの」との意味から、来ているのではないだろうか。
アステカのカレンダーは、北の方角が「葦の芽」の標しと成っている。
「葦北」との言葉の概念は、アステカの文化、そのモノの象徴の様である。
アフリカの草原を、歩き出した人類の祖先が、葦の生える水辺に辿り着いて、水上を移動する手段として、葦舟を造り、世界中に旅を始めた。
世界の文化は、全てシュメールに始まるとの言葉もある。
私達人類が、立ち上がって二本の足で歩く様になってから、地球上のあらゆる所迄、素足で歩いて拡がって来たのだ。
足は、人間の思考や、文化を創造する為の、本に成っていると謂えるのではないだろうか。
私の7月9日のメッセージには、地面と足が出て来て、10日には道路が出て来ている。
7月9日の足は、透明の足で、右から左側に歩く、神の足の様だったが、今朝の足は、人間の足であり、正面が此方側を向いて出て来たのは、どう言う知らせなのであろうか。
中国の、老子の言葉に「千里の道も 足下から」と有る。
私の、現在の意識の処に、其の第一歩の鍵が、秘められているとの事だろうか。
私が、自分で歩き出すのか、誰かが、手を引くのか、後から背中を押すのかは分からないが、何らかの道が用意され、歩き出す日が、近付いている事を知らせて来たのだろうか。
私が、新しく歩き出す、足の向こうが、ホッテントット達が住むアフリカの地であれば、私も楽しいだろう。
さて どうなるのか。
平成15年7月12日
礒邉自適