2003/6/25
シンメトリー(左右相称)を視る目
15・6・25
昨日は、屋久島聖者とされている「泊 如竹(旧暦1570年1月17日生れ 1655年5月25日 85歳没)」の、第349回忌が行われた。
昼頃から、屋久島特有の強い雨が降り出し、夕方になれば晴れると云われている梅雨の雨も、小降りには成ったが、スッカリ晴れるとまでは行かないので、傘を差しながらの供養となった。
安房の日蓮宗のお坊さんの読経があげられた後、通常だと如竹廟の前の庭で踊られる「如竹踊り」は、安房の中心高台に在る、本仏寺の本堂で行われる事に成った。
祭りが行われるこの時期は、丁度梅雨の真最中なので、2、3年に一度は建物の内で踊る事になる。
私は、写真とビデオカメラ係りとして加わり、祭りの後の直会にも参加して、恒例として出される「オカベ(豆腐)」で、焼酎を飲みながら「如竹さん」に付いての話を聞いた。
今朝のメッセージは、其の「如竹さん」と関係が有るのかどうかは分からないが、物事を始めるに付いての、道理の様なことが示されて来た。
私の意識が、向いている方向に二つの岡が在り、中心には谷が在って、水が流れているのかも知れないが、それ程、具体的ではない景色であった。
左右に別れている岡は、広さも形も同じで、両方の釣合のバランスは図れている。
その映像から伝えられて来た意味は、左右の岡の開発方法をどうするかとの事であった。
左地区と右地区に住む人は、別々の人達なので、両方が異なる計画書を、私の意識が在る役所の様な所に、提出しなければならない様である。
私は、左右の村造りの計画書を、正しく判断しなければならない立場に在った。選ぶ基準に、鳥が重要なキーで在る事だけは解かったのだが、他には何も解からずに其の場面は終わった。
鳥の姿は、シャモ系の大型の鶏で、雄鶏が、首を上に長く伸ばして鳴いている様に見えた。その姿からすれば、時を告げる雄鶏の姿とも受け取れそうだし、方向性を考えるなら「酉・とり」の方向とも受け取れる。
それか、単に村造りを始めるのには、鶏の飼育から始めるのが良いとの事かも知れない。
今朝のメッセージで、私の意識に残っているのは、左右の岡の地形が同じで、どちらの村づくりが良いのかは、両方の裁量に、自由に委せた方が良いとの気持ちである。
どちらか、一方の造り方を選ぶのではなく、両方に自由に遣らせる事で、競い合いから、どちらとも良い村に成る可能性があるとのことだ。
それは、単に村造りの事だけではなく、人間の働き全般に言える事でもある。
スポーツやゲームでも、対戦相手が居なければ出来ないし、技術や業の進歩も、競走が無ければ発展しない。
人間の脳でさえ、左右に別れていて、左右の働きが、其々異なる事で働きが生れている。
処が、私達人間の行動は、どちらか良い方を、一つだけ選ばなければ成らないと考えてしまいがちである。それは、食物や伴侶を、選ばなければ成らないので、当然の働きなのだろう。
しかし、国造りや政治の事に成ると、其々の土地の気候や、文化の違いから、どちらか一方を選んで、片方を無くしてしまうとの事は、無理が生じて来る。
過去に起きた戦争は、其の事が、最大の原因と成っている。
何処か一つの国の遣り方を、全部の国に押し付ける事は、問題を発生させる原因と成る。
今朝の私の意識が、どちらかを選ばずに終わった事は、過去の歴史から何かを学んで、新しい方向性を見出そうとする、人類全体の悩みだったのかも知れない。
「泊 如竹」は、島津家の薩摩藩を退職して屋久島に帰り、自分の私財を投げ出して、安房の村に水路を引いたりして、村の発展に寄与している。
屋久島の屋久杉は、島民には御神木と考えられ、祟りが有るとして伐らなかったのを、村人の怖れを取り除き、伐らせたのも如竹である。
それ以後330年間、島の屋久杉は伐られ続けて来た。
屋久杉の保護が決まって、20年程に成るが、山の80パーセントは既に伐られてしまった後である。泊如竹が杉を伐る事を奨めなくても、屋久島の山が其のまま残されたとは想えないが、霊界に居る如竹が、全面的に正しかったとは、思っていない事は間違いないだろう。
今朝のメッセージの内容からして、新しい村造りをどうすれば良いか、判断に迷っている意識が、如竹のものであるとも考えられる。
自然を開発する事が、人間の業績だと考えられていた時代は過ぎ去り、今は、反対の価値観と成っている。
泊 如竹の霊も、自分の在り方を、考え直しているのではないだろうか。
私も、37歳迄は、屋久島の自然を壊し、農地や宅地に変えていた。
其の事を反省して、自分の生き方を変えてから20年に成る。
今朝のメッセージは、泊如竹と私の意識が、同じ処で悩んでいる事の証明なのかも知れない。
私も再び、金を持てば、山を切り開き、静かな所に自宅を造ろうとするだろう。
人間の暮らしは、自然を護る事だけでは成り立たない。
何処まで、バランスを取って行くかである。
それらの選択こそ、人間の知恵を進歩させるものであろう。
人間の意識の発展とは、自分の意識を中心として、左右の状況を読み取り、判断を下し、新しい創造を起こして行く事である。
どちらか片方に傾かず、バランス良く事を進めて行くには、常に意識を明確にして措かなければならない。
其の為には、左右を、絶えず見詰めている、自分の客観的な立場を忘れてはならない。其の立場を明確にする為に、シンメトリーの感覚は無くては成らない概念の様である。
釈迦ブッダの意識も、中庸を守る事にあったと聞く。
自分が、中庸の立場を守る為には、左右の世界を、絶えず把握して措かなければならないのだ。
その為には、自分の意識の中に「風見鶏」を飼って置く必要があるのだろうか。
泊 如竹が、生前に鶏を飼っていたとの話は聞かない。
泊如竹は、鶏の飼い方が分からないで、私の意識の中で、悩んでいたのではないか。
こんな事を、考える私は、不謹慎なのだろうか。
平成15年6月25日
礒邉自適
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