2003/6/28
女と男
15・6・28
今朝は、女の人と男の人の姿が映って来た。
男女とも40歳位いで、一番充実している年代の様子であった。
男女とも、私が見た事が無い人で、別々に出て来たので、夫婦と言うわけでも無いだろう。言葉も無かったので、何処の人だか判からないが、東洋系の人間だった。
女性の方が、前に現れて、男性の方は後に映って来た。
女性も、男性も、上半身だけで、手に何も持っていないし、行動も無く、建物も見えないで、唯上半身の服装と顔の表情だけが見えた。
女性は、暗めの色の網目の服を着ており、化粧はしていないが、それなりに美しく賢そうで、静かに座っており、視線は少し伏し目勝ちだった。
一方男性の方は、背筋を伸ばして顔は真正面を向いており、顔も姿も自信あり気に輝いていた。
メッセージの映像は是だけで、言葉も文字もないので、何を伝えて来たのかは良く解からない。
私には、大事な理・ことの様なので、映像の意味を良く考えて見た。
是は、人間の本質の事を、告げて来ているものと想われる。
遺伝子の情報か、人類の潜在意識に関わる事の様で、男と女の役割や、性質と言うよりは、動物全体の、雄雌の関係性までを、視野に入れて考えなければならない様である。
一般的に考えれば、鳥や昆虫等は、雌は地味な色や格好をしており、雄は出来るだけ派手な格好をしている。
人間の女性の様に、雌の方が目立つ格好をしているものは少ない。
異性を選ぶのに、雌の方が努力をしているのは、人間の世界だけである。
人間だけが、雌の方が、雄に媚を売る仕種をするのは、どう言う理由が有るのだろうか。
私が考えるには、人間以外の動物の雌は、自分で食糧を確保出来るが、人間の雌だけが、自分で食糧を確保出来なく成った為に、化粧をして、雄に餌を運ばせる事を想い付いたのではないだろうか。
動物の雌は、雄に努力をさせ、自分は出来るだけ目立ない様にしている。
人間は、男性の方が、女性を選ぶ権利を有している感があるが、動物の方は、殆どが雌の方に選ぶ権利が有り、雄は雌に気に入って貰う為に、一生懸命努力をするのである。
それは、純粋に、優れた子孫を残す為であり、人間の様に、地位や資産等の有無を、相手を選ぶ目安とはしない。
動物の雌は、如何に、優秀な子供を産んで育てるかに、命を懸けているのである。
自然界の動物は、子供を育てる事が第一の目的であるので、自分の身体が外敵に見付からない様に、子育ての現場に溶け込んで、目立たない様な色彩を採っているのである。
一方、雄は縄張りを護る為に、声を大きくしたり、姿を派手な装いにしたり、角を構えたりして、他の雄よりは上位に立とうと努力する。
今朝のメッセージは、人間も、本来の姿に立ち返れとの事ではないだろうか。
暗目の網目模様の衣服は、出来るだけ目立たない事を意味しており、地面で卵を抱く母親鳥の姿を思い出させる。
雉や山鳥等の雌は、人間が近付いても、足で踏みつけるまで巣を離れない。
人間には、母親鳥が、其処に卵を抱いて居る事は、鳥が飛び立つまで見分けられない程に、その場に溶け込んでいる。
其れは、人間の軍隊の兵士が、緑と茶色の斑模様の迷彩服を着て、敵に見付かり難い格好をしているのと同じ事である。
化粧もせず、地味な格好をしている事は、人間の母親が、子供を家に置いて、着飾ってパーティに出掛けるのとは、反対の処にある。
現代社会は、子育て中の母親が化粧をしているので、子供にとって、母親の匂いは化粧の香りとなっている。だから、大きく成ってからデパートに行くと、化粧品売場で、懐かしい母親の香りと出会う事になる。
私達の子供の頃は、母親の匂いは、牛乳石鹸の香りくらいのものだった。
それと、ついでに言うなら、父親の匂いは、畑の仕事帰りにおぶって貰った、汗臭い背中の香りである。
私には、母親の風呂上がりの石鹸の香りと、父親の背中の汗の臭いが、両方とも、親の姿と伴って、思い出として残っている。
その思い出は、確かに、自分が両親に、命懸けで守られていた事の証しとして、自分のアイデンティティーを支えてくれているのだ。
私の父親は、49歳の時、働き詰めの儘死んだので、今朝映って来た男性の様に、自信に満ちて輝いていたとは言えないが、心に恥じ入る事は何も無く、此の世を去ったと想われる。
自然の生き者達は、自分の栄華を極めようなどと想っているもの等、一匹も居ない。美しく見えても、其れは自分の本質を、目一杯発揮して輝いているだけである。
身を飾る材料も、殆どが、自分の体の細胞を、変化させた自前の物である。
人間の様に、石油で出来た不自然な物を大事な膚に塗ったり、借金をしてまで宝石などを身に付けたりはしない。
自然の生き物が、美しく身を飾るのは、花や昆虫や小鳥も皆、生命を継続する為の、純粋な目的の為だけであり、不純な動機など一切無いのである。
今朝のメッセージは、子育てをするのには、どんな母親が一番相応しいか、男性は本当に雄としての資格があるのかを、考えろとの事ではないだろうか。
現代社会には、様々な問題が起きている。
それは、人間はどう生きたら良いのかの、指針が失われている事が、最大の原因と成っているのではないだろうか。
あまりにも、余計な事が多すぎて、方向性が見えないのである。
子供の時から、どんな大人に成りたいとの目標が無ければ、道を真直ぐに進んで行く事は出来ない。
現在・いまの社会には、お手本と成る大人像が無いのである。
居たとしても、子育てに真剣に取り組んでいる人達は、マスコミにはなかなか登場しないし、マスコミを賑わしているのは、普通の生活とは直接関係のない、スポーツや芸能の世界の人達ばかりである。
出来るだけ、目立たない様に努力している母親像と、何も持たなくても、魂が光り輝いている父親像が、目安として出て来なければ、子供達がかわいそうである。
一生、物を追い続けている大人達の姿は、もう子供達も、見るのが嫌に成っているだろう。
其れ等に付いて、私にも是まで、具体的な方法論が有った分けではないので、今朝のメッセージの映像は、私に思考の糸口を、与えてくれたような気がする。
この様な文章を書く事は、余り無いと想うので、母親との思い出を最後に少し書いてみる。
私が小学生の頃、母親に「お母さんは どうして 他の人みたいに 化粧をしないの」と尋ねたら、「お父さんと結婚して 一緒に外に出掛ける時に 化粧していたら お父さんが『どうして化粧をしているの』と聞いたので 『外に出掛けるから』と答えたら 『誰に見せるのか 化粧するのだったら 家で 私の為にして見せてくれ』と言われ 其れから化粧はしないので 化粧品も無いのよ」と、教えて貰った。
私はその時、子供ながら妙に納得が行き、両親を好きになった事がある。
其の父親が49歳で死んだ時、母親は43歳の女盛りであった筈だが、父親の骨を墓穴に沈めて土を掛ける時に、皆がビックリする程の大声で、父親の名を呼びながら泣き崩れた瞬間、女の性(さが)が吹き飛んでしまったのか、それ以後、母親から女の色気を感じ取った事が無い。
東京生まれで、東京育ちの女性が、上は未だ17歳で、下は5歳迄の子供を5人も抱え、親類が誰一人居ない屋久島で生きて行く事は、大変な想いがあっただろう。
「女は弱い されど母は強い」との諺が有るが、女性にとって、子供とは命を懸けられる最大の対象物なのであろう。
私には、そんな母親像と、早死だったけれども、社会に尽す父親像が手本と成って、現在の精神を支えてくれている。
私にとっては、両親の姿が一番の財産と言えるのである。
今朝のメッセージは、女性の姿と、男性の姿が、自分の両親ではなく、見知らぬ人だったのは不思議なのだが、私の思考に流れ込んで来る情報源が、私一人の個人的な事ではなく、全体的な要素を含んでいる事を、知らせて来ているものと想われる。
今朝のメッセージに出て来た人が、何処かに実在して、世に知られるのを待っている事を期待して、今日はペンを置く事にしよう。
平成15年6月28日
礒邉自適
2003/6/25
シンメトリー(左右相称)を視る目
15・6・25
昨日は、屋久島聖者とされている「泊 如竹(旧暦1570年1月17日生れ 1655年5月25日 85歳没)」の、第349回忌が行われた。
昼頃から、屋久島特有の強い雨が降り出し、夕方になれば晴れると云われている梅雨の雨も、小降りには成ったが、スッカリ晴れるとまでは行かないので、傘を差しながらの供養となった。
安房の日蓮宗のお坊さんの読経があげられた後、通常だと如竹廟の前の庭で踊られる「如竹踊り」は、安房の中心高台に在る、本仏寺の本堂で行われる事に成った。
祭りが行われるこの時期は、丁度梅雨の真最中なので、2、3年に一度は建物の内で踊る事になる。
私は、写真とビデオカメラ係りとして加わり、祭りの後の直会にも参加して、恒例として出される「オカベ(豆腐)」で、焼酎を飲みながら「如竹さん」に付いての話を聞いた。
今朝のメッセージは、其の「如竹さん」と関係が有るのかどうかは分からないが、物事を始めるに付いての、道理の様なことが示されて来た。
私の意識が、向いている方向に二つの岡が在り、中心には谷が在って、水が流れているのかも知れないが、それ程、具体的ではない景色であった。
左右に別れている岡は、広さも形も同じで、両方の釣合のバランスは図れている。
その映像から伝えられて来た意味は、左右の岡の開発方法をどうするかとの事であった。
左地区と右地区に住む人は、別々の人達なので、両方が異なる計画書を、私の意識が在る役所の様な所に、提出しなければならない様である。
私は、左右の村造りの計画書を、正しく判断しなければならない立場に在った。選ぶ基準に、鳥が重要なキーで在る事だけは解かったのだが、他には何も解からずに其の場面は終わった。
鳥の姿は、シャモ系の大型の鶏で、雄鶏が、首を上に長く伸ばして鳴いている様に見えた。その姿からすれば、時を告げる雄鶏の姿とも受け取れそうだし、方向性を考えるなら「酉・とり」の方向とも受け取れる。
それか、単に村造りを始めるのには、鶏の飼育から始めるのが良いとの事かも知れない。
今朝のメッセージで、私の意識に残っているのは、左右の岡の地形が同じで、どちらの村づくりが良いのかは、両方の裁量に、自由に委せた方が良いとの気持ちである。
どちらか、一方の造り方を選ぶのではなく、両方に自由に遣らせる事で、競い合いから、どちらとも良い村に成る可能性があるとのことだ。
それは、単に村造りの事だけではなく、人間の働き全般に言える事でもある。
スポーツやゲームでも、対戦相手が居なければ出来ないし、技術や業の進歩も、競走が無ければ発展しない。
人間の脳でさえ、左右に別れていて、左右の働きが、其々異なる事で働きが生れている。
処が、私達人間の行動は、どちらか良い方を、一つだけ選ばなければ成らないと考えてしまいがちである。それは、食物や伴侶を、選ばなければ成らないので、当然の働きなのだろう。
しかし、国造りや政治の事に成ると、其々の土地の気候や、文化の違いから、どちらか一方を選んで、片方を無くしてしまうとの事は、無理が生じて来る。
過去に起きた戦争は、其の事が、最大の原因と成っている。
何処か一つの国の遣り方を、全部の国に押し付ける事は、問題を発生させる原因と成る。
今朝の私の意識が、どちらかを選ばずに終わった事は、過去の歴史から何かを学んで、新しい方向性を見出そうとする、人類全体の悩みだったのかも知れない。
「泊 如竹」は、島津家の薩摩藩を退職して屋久島に帰り、自分の私財を投げ出して、安房の村に水路を引いたりして、村の発展に寄与している。
屋久島の屋久杉は、島民には御神木と考えられ、祟りが有るとして伐らなかったのを、村人の怖れを取り除き、伐らせたのも如竹である。
それ以後330年間、島の屋久杉は伐られ続けて来た。
屋久杉の保護が決まって、20年程に成るが、山の80パーセントは既に伐られてしまった後である。泊如竹が杉を伐る事を奨めなくても、屋久島の山が其のまま残されたとは想えないが、霊界に居る如竹が、全面的に正しかったとは、思っていない事は間違いないだろう。
今朝のメッセージの内容からして、新しい村造りをどうすれば良いか、判断に迷っている意識が、如竹のものであるとも考えられる。
自然を開発する事が、人間の業績だと考えられていた時代は過ぎ去り、今は、反対の価値観と成っている。
泊 如竹の霊も、自分の在り方を、考え直しているのではないだろうか。
私も、37歳迄は、屋久島の自然を壊し、農地や宅地に変えていた。
其の事を反省して、自分の生き方を変えてから20年に成る。
今朝のメッセージは、泊如竹と私の意識が、同じ処で悩んでいる事の証明なのかも知れない。
私も再び、金を持てば、山を切り開き、静かな所に自宅を造ろうとするだろう。
人間の暮らしは、自然を護る事だけでは成り立たない。
何処まで、バランスを取って行くかである。
それらの選択こそ、人間の知恵を進歩させるものであろう。
人間の意識の発展とは、自分の意識を中心として、左右の状況を読み取り、判断を下し、新しい創造を起こして行く事である。
どちらか片方に傾かず、バランス良く事を進めて行くには、常に意識を明確にして措かなければならない。
其の為には、左右を、絶えず見詰めている、自分の客観的な立場を忘れてはならない。其の立場を明確にする為に、シンメトリーの感覚は無くては成らない概念の様である。
釈迦ブッダの意識も、中庸を守る事にあったと聞く。
自分が、中庸の立場を守る為には、左右の世界を、絶えず把握して措かなければならないのだ。
その為には、自分の意識の中に「風見鶏」を飼って置く必要があるのだろうか。
泊 如竹が、生前に鶏を飼っていたとの話は聞かない。
泊如竹は、鶏の飼い方が分からないで、私の意識の中で、悩んでいたのではないか。
こんな事を、考える私は、不謹慎なのだろうか。
平成15年6月25日
礒邉自適
2003/6/22
夏至の朝
15・6・22
本日は夏至で、「沖縄は 昨日梅雨が明けた」とニュースで云っていたが、屋久島は未だ梅雨の真最中で、雨が降っており太陽が拝せない。
今朝は、私の夢でも、太陽の姿が無かった。
夢に出て来た景色は、未だ、光が射していない屋久島の山々が、白い雲の海原に顔を出していた。
静かで、何の動きもない無音の世界に、島の1000メートルより高さの有る奥岳の部分が、海原に浮かぶ島の様に見えた。
そして、言葉は「シンメトリー」と出て来た。
「シンメトリー」を広辞苑で調べると[symmetry]と有って、【左右の釣り合いがとれていること。左右相称。対称。】と 載っている。
直径約30kmの屋久島には、中心部に澤山の峰々があるが、屋久島は1400万年前に海底から隆起した花崗岩の島で、元々は島の頂上は、あまり凹凸が無く平だったらしい。
其れが、1000万年もの間に、上部が風化して、峰と谷が出来たらしいのだ。
屋久島の、山岳の峰々に、神々が住むとすれば、富士山の様に独立峰ではないので、神霊の数が多くても、分散して住む事が出来、都合が良いのかも知れない。
屋久島は丸いので、何処から見ても中心が高く、回りが少し低くなっていて、左右がシンメトリーに成って見える。
「シンメトリー」を日本語で考えて見ると、「芯目執り」とも受け取れる。
「中心を見通して計る」との意味を探れば、「シンメトリー」と意味が共通して来る。屋久島の中心を定め、周囲を、整えなければならない時を迎えているのだろうか。
現在の学校の教育では、中心を作らせない様にするし、社会の活動でも、中心を立てて盛り上げ様とはしないで、誰かが、中心に立ち上がろうとすると、足を引っ張って引き摺り下ろそうとする。
つまり、社会を立て直そうとする者が、立ち上がれない構造に成っているのである。
今朝の夢の景色は、人間社会は、雲の下の出来事であり、雲の上の山岳の峰々は、実に静寂そのもので、人間の意識外の世界であり、麗しいものだったが、昨日のメッセージには、大地の地図が送られて来た。
それは、真上から見た平面図だったのだが、今朝の山々の峰は、高低を表しているので、側面図と言う事が出来る。
昨日は、上から見る視線で、今日は横から見る視線である。
私の意識の中の、何者が、其の視線を持っているのかは分からないが、何か新しい動きがあるのだろう。
6月16日の夢には、屋久島の山々に、真白い鳥が、何千羽も止まっているのが見えたと、知り合いから連絡があった。
白い鳥は、神の使いと考えられているので、屋久島の山々に、神々が帰って来ているとの事ではないだろうか。
歴史を見ると、「西暦616年の3月に3名、5月に7名、7月に20名、夜玖の人、都(飛鳥)に上って来て、そのまま屋久島に帰らず都で亡くなった」と記されている。
616年から29年後の645年に、大化の改新が行われ、新しい政治体制と成っている。
若し、屋久島の神々が動いて、島の人間に憑依し、現実的に、都に上って行ったのであれば、霊界と現界両方から、人間社会を動かしたのだとの見方も出来る。
現在は、屋久島には島外から、実に様々な人達が移り住んでいる。
これらの動きは、此れからも続くと想われるが、現在でも、新住民が新たな刺激と成って、島の流れを変えている。
島民だけでは、視野が狭く、新しい人間社会を創造するには、人材不足なのであろう。
私は屋久島に生まれ、37歳迄は島に居て、しっかりと生きて来た。
38歳から18年間、日本全国や都会を見て歩き、澤山の情報を持って島に帰って来た。
是から1358年振り(大化改新645年6月19日)に、屋久島で再び神が動き出し、世の改革が行われるのであれば、新しいリーダーや、人脈の交流の盛り上がりが必要であろう。
人間の少ない屋久島から、合計30人もの人が、何故、奈良の平城京まで出掛けて行って、そのまま帰って来なかったのだろうか。
其の理由は、誰にも分からない。
明治維新の改革は、西洋の文化や価値観を導入する事に邁進し、日本の優れた部分を無くしてしまったとも言える。
天皇家や神社庁も、体制を維持するだけのものと成り、実際の働きを伴うものではなくなっている。
「宗教」との単語は、明治時代に英語の「リリジョン・religion」を訳して出来た言葉である。「リリジョン」とは、「再び 神と結ばれる」との意味である。
リリジョンが本当に起きるのであれば、屋久島の現在の様子は、実に時節に適っていると云えるだろう。
世界人類を救う為に、神々が、再び島の峰々に帰って来ていると考えるのは、別に不思議な事ではない。
人間が、自然環境と如何に共生して行けるかが、世界の共通のテーマと成って来ている時、現在の屋久島の状況は、島の自然を守るか、観光開発をもっと進めるかの、二者選択が迫られて来ているので、人類全体の共通テーマを抱えていると言えるだろう。
昨日のメッセージで、送られて来た地図は、紀伊半島の部分だった。
紀伊半島は、和歌山県である。和歌山が、「紀(木)の国」と呼ばれるのは、「須佐之男尊」の家族が、日本中に木を植えて回った事に由来すると伝えられている。
日本の、一番古い宗教は「神籠・ひもろぎ」と「磐境・いわさか」を、大事とする伝統文化である。
・「神籠」は【(古くは清音)住古・神霊が宿っていると考えた山・森・老木などの周囲に常磐木(ときわぎ)を植えめぐらし、玉垣で囲んで神聖を保ったところ。後には、室内・庭上に常磐木を立て、これを神の宿る所として神籠と呼んだ。】
・「磐境」は【(イワは堅固の意)神の鎮座する施設区域。神代紀(下)「天つ磐境を起し樹たて・・・」】と 広辞苑に載っている。
「神籠・ひもろぎ」は、神社に杉の木等が植えられて、それとなし、「磐境・いわさか」は、全国で花崗岩の岩がそれとされている。
神籠も磐境も、屋久島の山岳以上の物は、何処にも無いと言える。
是等の事を考えても、屋久島の山々は、日本人の魂の原形と言えるのではないだろうか。島に、永く伝わる伝統行事の岳参りは、この意味を端的に伝えている。
私が無宗教にも拘らず、不思議な体験をする事に成ったのも、私が子供の頃より、島の山々を巡っていたからであろう。
私の、自我意識とは関係無く、私に起こった出来事は、神の存在無しには、とても考えられない事の連続であった。
屋久島の深き森と、清い水の流れ、逞しくそそり立つ花崗岩の岩、其れ等は、私の魂そのものに成ったのである。
自然の息吹きが、自分の呼吸そのものに成る体験は、成った者にしか理解は出来ない。古代の人達は、皆、私と同じ呼吸をしていたのではないだろうか。
自然の一切物と、自分との間に境界線が無く、自然の痛みは自分の痛みであり、自分の喜びは自然の神と分かち合うものだったのである。
そう言う私も、一度島を離れて見て、外から見る目を持った事で、それが理解される様に成ったのである。
現在、島外から島に来て暮らし始めた人々は、島に生まれた者が感じている一体感を、一代では感じる事が出来ないのではないだろうか。
島の自然に憧れる気持こそ、島外者の証拠である。
私には、島の自然に対する憧れや怖れは何も無い。島の自然は、自分の魂の遊び場であり、服に着いているポケットみたいなものである。
私の意識は、右のポケットにはイソモノが入っており、左のポケットには木の実が入っている。
足元には清い水が流れ、頭の中には花崗岩の山頂が治まっている。
島の自然と、自分の肉体の細胞が一体なのである。
夢の中で遊ぶ時は、島の道路がそこにあり、海には、岩礁の中にイセエビが住んでいる。
そんな私の身体と意識は、島の山々の神が使い易いのだと考えても、外れてはいないだろう。
私の御魂は、島の自然を「神籠・磐境」として、育ったと言っても間違いではないと想う。
日本の国土を上から見、屋久島を遠くの雲の上から見ている意識が、何者の視線であるのか分からないが、何者かが働いている事は間違い無いだろう。
私は、是から何が始まるのか、静かに待つしか、他に道・方法が無い様である。
平成15年6月22日
礒邉自適
2003/6/21
夏至
15・6・21
明日6月22日は「夏至・げし」である。
早いもので、明日からは太陽は南に下がって行く事になる。しかし、夏の暑さは是からである。
今朝のメッセージは、夢の中で電話が掛かって来たので、電話機の所に行くと、電話ではなく、ファックスが送られて出て来る処だった。
私が出て来る用紙を見ていると、其れは地図が書かれているものである。
地図の形からは、和歌山県紀伊半島の場所の様で、太平洋側から潮岬に続いて半島全体が出て来るのが見えていた。
海の部分に、文字が書かれている様だったが、何が書かれているのかは、読み取れなかった。
そして、地図だと想った処で、「22日に 成った」との、人々の喜ぶ声が聞えて来て、しばらくするとメッセージは終った。
明日、6月22日から、何か嬉しい事が始まるのか、7月22日まで待たなければならないのかはハッキリしない。
ファックスで送られて来た地図の場所が、紀伊半島であれば、和歌山県で何か特別な事が起きるとの事だろうか。
今日は21日で、毎月の「お大師さん・弘法大師空海」の祭日でもある。
空海が開いた高野山も、紀伊半島の山深い所に在る。空海の作戦でも、動き出したとの事だろうか。
平成15年6月21日
礒邉自適
2003/6/20
金縛り・かなしばり
15・6・20
今朝方、10数年振りに、金縛りに遭った。
私が、誰かの部屋に入って行くと、布団が散乱しているので、片付け様と布団に手を遣ると、右側の棚の上から、何かが転がり落ちて来た。
何だろうと意い近付くと、其れが私の背に憑依して来て離れなくなり、私は金縛りの状態に陥った。
背中に取り付いた物は、黒くて痩せた人間の様な物体で、腹が減っている様で口をパクパクやっている。私が、何か食い物を遣らなければと想い、食べ物を探そうとする処で、其の金縛りが解け、気分もホッとした処で、霊夢は終わった。
「変な 世界を 体験したな」と思っていたら、昼過ぎ、知り合いが自宅に遣って来て、「今日は 僕の家に 遊びに行こう」と云う。
私は、他人の家に行くと、其の家のカルマを直ぐ背負うので、他人の家に行くのは余り好きではない。
だが今日は、用事が丁度済んだ処だったし、今迄に何度も誘われていたので、断り切れずに行く事にした。
その人の自宅に着いて、一休みしてから隣の部屋が気に成ったので、「隣の部屋はどうなっているの」と尋ねると、本人が隣の部屋を案内してくれた。
部屋の中に入って見ると、私が今朝霊夢で見た通りの部屋で、布団が散乱しており、部屋には仏壇が置かれている。
私は、今朝の霊夢で金縛りに成った部屋は、此の部屋だと想い仏壇を見ると、花は生けてあるが、水も食物も何も供養していない。
部屋を良く見ると、私の意識は、其の部屋の、東の窓から部屋の中に入ったらしい事が判明した。
そして、私に憑依して来たのは、その人の父親で、息子が供養物を上げてくれないので、腹が空いていて、私に、息子に知らせて欲しいとの事だったらしいのだ。
私は、その友人が読み掛けている本を手に取り、栞の部分を開いたら、其のページはちょうど「施餓鬼・せがき」の事が書いてある部分だった。
私は、現場の状況から、今朝の霊夢の場面と、部屋の様子を伝え、本人が読もうとしていた本の部分を読ませた。
彼は共産党の党員で、私の自宅に、何度か遊びに来て話しているのだが、どうしても霊の存在を信じないのである。
私が、先祖の霊の事を言っても、「それは迷信で 人間は死んだら終わりで 先祖を祭るのは 生きている人の観念にしか過ぎない。仏壇等の事は 自分の気休めにしか過ぎない」と謂うのである。
私が自分の体験から、霊魂の存在をいくら説明しても、彼は「体験が無い者には 信じられない」と云って、話が通じなかったのである。
今日の体験は、私が、彼の自宅を訪ねる事に成るのを、彼の父親の霊が知っていて、此の私に「息子に 自分の霊魂の供養をするように」と、告げてくれとの事だったのだろう。
人間は、此の世で生きている内に、宇宙の真理・法・ダルマを悟り、物事に対する執着を離れる事を「成仏する」と言うのだが、今朝の体験は、食欲の執着が解けていない父親に、息子が供養をしない問題を、私に知らせる為の現象だったのだろう。
今日の出来事は、私が、彼の家に初めて行く事を、前もって知っている霊が存在して、私の意識を、夜が明けない内に、仏壇のある部屋に連れ出している。
此の事は、彼の父親の他に、もう一段上位の御霊が、働いている事の証拠である。
彼も、私の言う事と、自分の読んでいた本のページの偶然性で、少しは先祖の霊魂を信じる気持ちに成ったらしく、「何か 御供えを買って来よう」と言っていた。
「施餓鬼」を、広辞苑で調べて見ると、【(仏教用語)飢餓に苦しんで 災いをなす 鬼衆や無縁の亡者の霊に 飲食を施す 法会。】 と 載っている。
屋久島では「インガメに取り憑かれた」との言い方がある。
「インガメ」とは「因果メ」で「メ」は「苦しい目に遭う」の「目」ではないかと想われる。飢餓に苦しんでいる因果の深い霊に、憑依される事を「インガメに取り憑かれた」と、表現するのだろう。
私は、自分の身に起きる事は、自分で解決出来るから良いが、何も譯・わけの解らない人が、同じ状況に陥ったら、怖くて寝込んでしまうか、何処かの霊媒師の所に相談に行く事に成るだろう。
共産党員のテキストは、マルクスなのだが、マルクスは「宗教は 麻薬と同じで 人間を無知にする」と謂っているだけで、神や霊魂を否定しているわけではない。
寧ろ、神の存在を知ったからこそ、土地の所有や、宗教の柵・しがらみから離れる様に説いたのであろう。
現在の日本も、マルクスの本当の心を理解しない「マルクス主義者」の存在で、社会意識が掻き回され、混迷を深めている。
人間は、此の世に肉体が有るだけが真実で、死んでしまえば、何も残らないとの教えは、人生を儚いものとして、益々、人々の心を暗くしてしまい、不成仏霊を増やして行く事に成る。
人間の不幸は、自分の先祖の霊が、自分の子孫に、何かを訴える為に、悪さを起こす事である。それは、他人では解決出来ない世界である。
其れに、修業が出来ていない坊さんに、幾等、仏教経典を唱えて貰っても、何にも成ないのである。
霊界の存在を信じない人が、死んで霊界に行ったらどうなるのか。
考えただけでも変な事である。
又、霊界を信じていた人が死んで、仏壇で食事を待っているのに、子供達が仏壇に振り向く事が無ければ、仏壇の霊は何を考えるか、想像するだけで変な気分に成って来る。
釈迦仏陀が訓えた事は、生きている間に成仏する事である。
成仏した者の霊は、もう食物や、財産や、家族に一切の執着が無いので、仏壇も墓も必要ではなくなる。静かに、子孫の平和と、存続を見護るだけである。
釈迦が、教えを説いてから、既に2500年が経過しているが、なかなか釈迦の想い通りには成らない様である。
仏壇の存在が、新しい執着を発生させているのなら、お釈迦さんも泣いているのではないだろうか。
私も、自分の先祖だけなら未だしも、他人の先祖の霊までは、面倒を見切れない。
今回の事は、私の学びとして、必要だったのかも知れないが、二度とは御免蒙りたいと意う。
平成15年6月20日
礒邉自適
2003/6/17
純粋意識に成る為に
15・6・17
今日のメッセージは、自分の意識の内側が開き、数ヶ所から、黒い汚物の様な物が、取り出されて行くのが映って来た。
私の意識の中には、未だ、汚い物が残っている様である。
見えた物は、型の無い物で、色も付いていないので、何なのかは全く判らない。
解る事は、意識の中の不純物だと言う事だけである。
私の意識の中に、未だ残っている、不純物とは一体何なのだろうか。
其れは、物ではなく、意識の世界だから、自分で意識して、整理しなければ成らない事柄であろう。
「純粋」を 広辞苑で調べて見ると、
@まじりけのないこと。異質なものをそれ自身に含まない事。
Aもっぱらなこと。専一。
B完全なこと。
C邪念・私欲がなく清らかなこと。
と 載っている。
「不純」とは、是と反対の事に成るので、
@まじりけが有る。異質なものをそれ自身に含んでいる。
Aもっぱらでない。専一ではない。
B不完全。
C邪念・私欲が有り清らかでないこと。
と言うことに成り、今朝のメッセージは、私の中から、異質なものが取り除かれて行く事が、示されて来たのだろう。
私は未だ、神(宇宙意識)に専一ではなく、不完全な部分を残している様である。
私は、19年前に家族も捨て、仕事も全部止めて、人間社会から一切離れて、神の道を進んで来た。
だから、邪念や、私欲は無い心算だったのだが、今朝のメッセージでは、未だ自分の中に、不純なものが含まれていて、其れを、何者かの手が取り出していたのである。
自分の手を使っているのではなく、何者かの手が、私の「意識・こころ・魂」をこじ開けて、数ヶ所から取り出したのである。
其れ等の事が、今後始まる事なのか、19年前に成された事を、今朝知らせて来たのかが判らない。
確かに私は、19年前に此の神の世界に飛び込んだ時は、現在よりも、純粋な世界の内に在った。
現在・いまでは、世の中を、どうにかして救いたいとか、子供達の未来を明るい物にしたいとかの意いがあるので、意識は、神の世界にではなく、人間社会に向いてしまっている事には違いない。
人間社会や、人類の行き先の心配をしている事が、余計な事で、邪念と成るのであれば、其の事すら、止めなければならない事に成る。
人間や、社会の事を考えるのは、意識が三次元に取られている事に成り、それは悩みの一種であるから、純粋意識を保っている事には、繋がらないのだろうか。
私自身が、幾等、人間や社会の事に対して悩んでも、私に力が有る分けでは無いので、改善はされない。だから、神や精霊の助けを借りるしかないのだ。
私が、自分自身で、何かを意図する事は、神の働きの邪魔をする事に成るのだろう。
私が、人類を救いたいとの意いに成ったのは、4311体の聖霊達が、生前に人々を救いたいと想っていたからであり、私は、彼等の思いに、縛られていた事に成る。其の思いが、私を19年間突き動かして来た。
私は旅の途中、自分の意う様に事が進まないので、何回も十二指腸潰瘍に掛かり出血もした。何回も血を出して、動けない自分を体験している内に、自分の力では、どうする事も出来ない理・ことを学んだのである。
私は、精霊達に付き合っている間に、19年前の純粋意識から遠ざかっていたのだろう。1年間の屋久島暮らしの成果で、ようやく其れ等のカルマ・業が取り除かれたのではないだろうか。
今朝のメッセージが無ければ、此れ等の事を、考える事も無かったし、文章にして、自分で自覚する事も出来なかった。
19年前の様に、再び屋久島の山岳の山頂や、川で瞑想を始めれば、島の人達は「又、自適の病気が再発した」と噂するだろう。
当時は、実際にそうしなければ、ブッダの意識を維持出来なかったが、現在では、自宅のソファーに座っていても、瞑目さえすれば、何時でも、自分の意識は山頂に在り、川の中の岩の上に在る事が出来る。
ブッダの意識を保つ時には、人間の事や、社会の事は意識には無く、有るのは自分と宇宙全体との調和だけである。
ブッダの意識とは、光から始まり、永遠に躍動している、根源のエネルギー体と一体化する事である。その状態に在る時は、一切の邪念や、執着が、無い状態なのである。
それが「単一」であり、「完全」の意味であるのなら、私は再び、人間や社会の事を考えずに、瞑目の世界に帰れば良いのだ。
15日のメッセージの事を考えると、「私が生まれる」との事の意味は、私は全ての意いを止めて、ブッダ-フィールドに帰還するとの、意味なのではないだろうか。
そうであれば、私が此の世界に入った時に「16年半掛かる」と告げて来た、神武天皇を動かした霊魂達も、ようやくその柵・しがらみが解けて、ブッダ-フィールドに立ち入る事が出来るとのことになる。
日本人は、長い間「金鵄勲賞・きんしくんしょう」の業・カルマに依り憑かれて来た。一時期は、其れを世界にも押し付け様として、問題まで起こしたのである。
それらの、日本列島のカルマも、取り除かれたとの事ではないだろうか。
私の中に住み着いていた、あらゆる霊魂の業が取り除かれたとの事は、日本人だけではなく、地球人類全体が、心の闇から救われるとの兆しなのかも知れない。
私の意識の中で、起きる事は、地球全体の事の写しである筈である。
私の意識から、不純なモノが全て取り除かれる日は、地球の新たな出発の時でもあると言える。
私が、自分の意識を捨てて、神々に肉体・からだを貸して19年が過ぎた。
私の脳を使って、人類の全体意識を整備して来た、神々や精霊達が、ようやく私の心の闇を、取り除いてくれたのではないだろうか。
私は再び、屋久島の自然の中で、子供の頃の魂しいに返り、生きる事を楽しんで行けば良いのだろう。
もう、心に忍び込んで来る、何者にも左右される事無く、安心の中に身を置いて行けば良いのだ。
長い旅が終わり、自由な心で生きる事が、ようやく出来る処まで来た。
私はやっと、自分の名前の「自適」に立ち返る事が出来るのだ。
それが、私の完成であり、専一であれば、私は、純粋意識の源へ帰命・ナームした事に成る。
この素晴らしい地球と、私を育ててくれた両親と、こんな私に付き合って下さった、妻や子供達と、多くの人達に、唯々感謝するだけである。
私の完成は、私一人の完成では無い。
何故なら、此の出来事は、人類全体の課題であり、全宇宙の催しだからである。
私の意識の完成が、宇宙全体の完成であり、宇宙のシステムが、新たな次元に進む事を意味している。
是等の秘密に気付いていた、古代の人達の御魂が、私を此処まで導いて来たのだ。
私もまた、今回の人生を終えれば、其のシステムに戻って行くだけである。
釈迦仏陀が、言い残したと傳えられている「人生は苦なり」の言葉を、違った説明に言い換えて、霊界への手土産としたいと想いながら、今日の筆を置こう。
平成15年6月17日
礒邉自適
2003/6/13
ことばの絡繰・からくり
15・6・13
今朝のメッセージの映像には、皮の合羽の様な物を被って、俯いて座っている小学生の女の子が、一人映って来た。
其の女の子は、私の方を向いて、何かを訴えたい様子が見えた。
私が、どうしてだろうかと考えていると、前の道路を、右側から走って来たジープが、カーブを曲がり切れず電柱に激突して止まった。
すると、車中から二人の男性が荷物を持って降りて来た。
一人は日本人の男性で、年齢は40歳代で学校の教師だとの事であり、「宮之浦の港まで 英語の先生を 送って行く途中だ」と云いながら、もう一人の50歳代の外人を、私に紹介した。
其の男性は、外人の英語の教師で、私に向かって右手を上げて、「ハーイ」と挨拶をするので、私もそれに応えた。
時間が無いので、私が、港まで外人を送る事に成って、其の映像は終わった。
今朝のメッセージの意味を、私なりに考えると、外人の英語教師は、小学校に英語を教えに来ている非常勤の教師で、前に映って来た小学生の女の子は、その生徒なのであろう。
女の子が、どうして合羽を被って居たかと言うと、英語の言葉を耳にしたくないからだったのだと想われる。
現在の学校教育は、自国語の日本語も正確に理解しない内に、外国語を教えるので、言語脳に正しい言葉のシステムが出来上がらないのだろう。
言葉とは、自分の意志を伝えるものであるが、言葉の持つ意味を、話す方も聞き取る方も、正しく理解していなければ、正確な意志の疎通が出来ない。
先月のテレビニュースでも、日本の言葉に、意味不明な英語の単語が増えて、役所の書類が滞って困っているので、可能な限り英語を止めて、日本語の単語にすると放送していた。
役所の書類が、出す方も受け取る方も、正しい内容を把握しないまま、印鑑を捺いて通すと大変な事になる。
それは、通訳が居ないまま、外交を進めるのと同じ事であると言える。
人間社会では、解かった心算で事を始めても「とんでもない 勘違いだった」と言う事は、澤山ある。
英語等の外国語を使わなくても、日本語の会話だけでも、それは日常茶飯事に起きる事である。
北海道のアイヌの人達は、初めて会った他人と挨拶をする時に、最初の言葉を何とするかに、長い時間を掛けると聞いた事がある。
初めての人に、自分がどう印象付けされてしまうのかを、真剣に考えるのだ。
現在の日本の挨拶の様に、「今日は 良い天気ですね」とか、分かり切った事を言い合うのとは、気持ちの入れ方が全然違うのだ。
人間は、見た目の判断を一番意識するが、相手がどんな話をするかで、人格等の中身の判断をする。
時には「見た目とは違う人だ」とか、見た目の印象を、言葉で感じた方へ、変える事もある。しかし、言葉は嘘も言えるので、後に成ったら、やはり見た目が正しかったという事も有る。
大人達は、人間には、言葉で嘘を付く人が居る事を、承知しながら生きているが、子供達は純粋なので、大人に嘘を付かれると傷付いてしまい、他人を信用出来なくなってしまう。
現代社会は、言葉に因る嘘が多いので、その事で傷付いた人達が、子供も大人も、社会に不信感を持って、閉じ籠る様に成ってしまった。
子供の時に、言葉で傷付いてしまえば、言葉の世界を嫌がる様に成るのは、当然の事と言える。
今朝の女の子は、日本語の言葉の美しさや、日本語での愛情等を欲しており、それが無いまま、聞いた事も無い、外国の言葉を無理やり詰め込まれる事に、堪えられないと、私に訴えていたのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像は、現れた女の子も、日本人の男性教師も、英語の外人教師も、実際には存在しないし、車の事故も起きてはいないので、本当の事ではない。
しかし、何故、私がその様な映像を見せられるのか、その事自体に、意味があるのだろう。
本来、言葉は人間を幸福にし、社会を平和で豊かなものにするべき物である。それが、戦争の引き金と成たり、人類を不幸にする原因と成ってはならないのだ。
今朝のメッセージは、今一度、言葉が何なのかを、考えろと告げて来たのだろう。それには、先ず、本来の日本語が、どう言うものであったかを知る必要がある。
新しく、日本に導入された言葉を、英語、ドイツ語、オランダ語、唐語、仏教用語、漢語と順番に外して行くと、日本の古代社会で使用されていた言葉だけが残ることになる。
アイヌ語とまでは行かなくても、数千年前に、日本列島で使用されていた言葉が残っているはずである。
日本の万葉集の文章の中には、チベットのヒマラヤに住む人達と、共通の言葉が有り、日本語全体には、其れが千以上も含まれているとの研究者の話もある。
1万年以上前の氷河時代には、現在のインドネシアやニューギニア辺りに大きな大陸が存在し、多くの人達が住んでいて、大陸の水没に因って順次高地に移動したとの事だから、1万年前頃の言葉が、アジア全体に広がって残っている事は、考えられない事ではない。
英語は、五世紀にゲルマン人に因って原型が作られ、11世紀にフランス語の影響を受け、15世紀に現在の形に成ったとの事だから、比較的新しい言語である。だから英語では、人類の意識の源へは、辿り着けないのではないだろうか。
アフリカで、約600万年前の原人の化石が発見されたとの事。それを考えると、1万年前でも、新しい時代と言う事も出来る。
人類が、少ない単語で、意志を伝え合っていた時代にまで遡り、現代まで、どの様に意識の組み立てが行われて来たかを知るのには、日本語しか無いのではないだろうか。
2千年前の俗ラテン語や、2千4百年前のシュメールの文化にも、日本語に関したものが在る。
私達は、新しい未来を創造する為に、人間の意識の本質を、知る必要に迫られている。
その切掛けとして、日本語の原形が役に立つのであれば、この事に真剣に取り組む必要があるだろう。
今朝のメッセージは、非常に大事な理・ことを伝えて来たのではないだろうか。
忙しく走り回る男性教師や、其の土地の文化を知らない他国の人に、将来、子供を育てる事になる、大事な女の子達の教育を、委せられないとの事ではないのか。
今朝現れた女の子が、被いを脱いで、笑顔で立ち上がる日が来る事を願って、今日の文章を終わる事にしよう。
平成15年6月13日
礒邉自適
2003/6/12
食物を探す能力
15・6・12
今朝のメッセージの映像は、食物を探して、採る場面が映って来た。
初めは、私が牧場に行くと、豚が何10頭も、放し飼いにされていて、豚が餌を待っている場面だった。
次に行った所は、道路の近くの林で、澤山の野良犬が、人間の与える餌を待っていて、人間が近付くと喜んで吠えている。
やがて、時間が過ぎて、犬が一匹も居なくなっている、同じ場所が映って来た。
餌を遣る人間が居なくなったのか、全て野良犬狩に合って、殺されたのかは判からないが、一匹も犬が居なくなった林の中は、静けさを取り戻していた。
私が、その理由を知りたくて、餌を遣っていた人達のグループを訪ねると、もう其の人達は、他に興味が移っていて、話し相手に成ってくれないので、私は其の建物の外に出て歩き出した。
建物の外には、餌遣りに使用していた車と、餌遣りの日程表が書かれていた黒板と、マーカーペンが有ったが、もう使われていない様子が、理解された。
私は、彼等が、もう何処でも、餌遣りの行動をしていない事を知って、人家の無い方向に歩いて行った。
すると、頭上に、桑の木が枝を伸ばしていて、其の枝に、実が着いているのに気付いたが、手が届かないので、手にしていたコウモリ傘の柄にて、枝を引っ掛けて下げた。
顔面近くまで下がった枝には、桑の実が着いている。私が食べようと意い、実を良く見ると、青いのや、紫の実がある。
私は、何故か口にする前に、実を確かめていた。
未だ、葉と同じ色の緑色で硬い実。
緑から白色に変わった実。
白から薄いピンク色に色付いた実。
ピンク色から、紅色に成った実と赤い実。
それから、食べ頃の完熟した紫色の軟らかい実。
そして、熟し過ぎて赤黒くなって、地面に落ちそうになっている実など、青い実が、熟して行く順番の色が、ハッキリと確かめられたのである。
私が、それらの中から、赤い実と紫色の実を食べようとする処で、其の映像は終わった。
今朝のメッセージが、何を意味しているのかを、良く考えて見た。
そして、私の出した結論は、「動物は 自分で食べ物を探し出す行動を止めてしまえば 能力が低下してしまう」との理・ことである。
私は、屋久島の自然の中で育ち、山・川・海で、自分で食べ物を探し出して、取って食べていた。
野山の木の実は、木の生えている場所と、種類毎の実の熟す時期を知っていなければならないし、川や海で魚や鰻を捕るのにも、道具や餌や釣り方等、多くの情報が必要である。
動かない貝を捕るにしても、潮時や、居る場所を、知っていなければならないのである。
食物を手にするには、実に多くの情報と道具が必要なのだ。
是等の事は、古代では至極当たり前の事で、話題になる事さえ、変しい事であろう。
しかし、現代では、畑で作物を栽培している農家の他は、自分で実の熟す時期を観て知っている者は少ない。
農家の人でさえ、自然の山中に、生えている木の実などには興味はない。農家の人の頭にさえ、もう木の実は探さなくても、一定の決まった畑から動かない物なのである。
探す必要も無いし、木の実も単一化しているので、探し出すのに、頭脳を使う必要が無いのである。
果物を、栽培している農家でも、他の食物の殆どを、店から買って来る様に成っている。
私の様に、自分自身の能力で、山・川・海から、直接食べ物を探しだして来る人間は、もう少なく成っているだろうし、私の様に、自分の意識を確かめる為に、努力をしている者等、皆無なのではないだろうか。
今朝の映像では、頭上の枝に手が届かないので、傘の柄を道具として使用した。その行動は、私が人間であり、猿とは違っている事を現している。
果実の色を、見分けていたのは、猿と同じ次元の脳システムだと想われる。
猿でも、自分で、色から味を推測する能力を持っており、自分で判断して、実を選んで手に取っている。
処が、今朝の映像に現れた豚や犬は、人間に飼われて、餌を貰っているので、それらの能力は、一切失っているのである。
「豚」は野生の「猪」を家畜化し、「犬」は野生の「狼」を家畜化したものである。
猪は、森林の中で、自分で木の実を拾い、土を掘ってミミズや芋類を探して食べている。
狼は、集団で作戦を立てて獲物を追い込んで捕まえて食べていた。
人間でさえ、古代では、狼の餌の一種にしか過ぎなかったのである。
その狼が、現在では、森の王者から、人間の愛玩動物と成ってしまい、人間から餌を貰わなければ、生きて行けない様に成ってしまっている。
豚も、只、肉を生産する為の、道具の一種との有り様である。
犬や、豚も可哀そうだが、自然の情報を忘れ去った、生物の肉を食べさせられ、不自然な生き方をしている人間の子供こそ、可哀そうと云うべきであろう。
豚や犬だけではなく、魚も養殖だし、野菜もハウス栽培である。
人間の口にする食物も、殆どが、不自然な物ばかりである。
本来の、自然の働きの情報を有しない食物だけを、食べさせられている人間は、最早、正しい遺伝子の情報を継続出来ないのではないだろうか。
今朝のメッセージは、其の危機を私に告げて来たものであり、私以外に、此の様なメッセージを、受け取る者が居ないとの事ではないのか。
人類は、数百年前までは、自分の手や足を使い、生存本能をフル可動して、食物を集めていた筈である。だが、現代社会の人間は、自分自身を家畜化してしまっているのだ。
人間社会を視ると、既に、狼や猪のボスの様な、風格と・智恵と・経験と・逞しさや・貫禄を、有した人物が見当たらない。
全ての男性が、牙を失った「猪(豚)」か「狼(犬)」の様に成ってしまっている。其れは、動物の「生命力・いのち」が、弱まってしまっている現象だとも云える。
スポーツ選手などには、野生の様な逞しさの人達が見受けられるが、それはスポーツ界の事だけであって、民族全体を引っ張って行ける様な、器量とは別物である。
スポーツの世界は、経済が崩壊し、観客が居なくなり、マスコミが手を引いてしまえば、此の先どう成るかは、誰でも、結末は予想出来る事である。
野球のバットでは、山芋も掘れないし、魚を釣る事も出来ない。唯の、食欲旺盛な体は、山の中では不都合な体という事に成る。
狼や猪は、食物が無くても、何日でも、山の中を走り回る体力を持っている。1食か2食でも、食物が無いと慌てふためく人間とは違うのだ。
今更、豚や犬を、自然の中に帰しても、生きては行けない事と同じで、人間は自然から、余りにも遠のいてしまっているのだ。
今日のメッセージは、人間も何%かは、自然の中で生活して、遺伝情報を強めて措く必要があるとの事ではないだろうか。
それには、自然環境が残っている場所が必要である。
屋久島は未だ、その場所として、可能性が残っているとの理・ことなのかも知れない。
平成15年6月12日
礒邉自適
2003/6/10
座・くら
15・6・10
今朝は、夜明けに「くら」と言葉のメッセージが有って、何の事か判らずに、其のまま床の中に居た。
「くら」は、倉庫の「蔵」と、牛馬に荷を乗せる「鞍」と、目が暗いの盲目の「くら」等が有るが、意味が分からずに、8時半にあきらめて起きて、階下に下りた。
そして、洗面を済ませ、安房区の区長さんに渡す書類が有ったので、持って行くと、丁度電話が終った処だった。
すると区長さんが、「自適君 今の電話は 図師小夜子さんからで、『一週間前より体の調子が悪く 医者に掛かっても治らないので 神様に聞きに行ったら 如竹様の中に祭られている 恵比須様が憑りついている』と言われた」と、云うのである。
さらに、「図師小夜子さんは『恵比須様は息が詰まりそうで 苦しんでいるので それを伝えて来ていて 如竹廟から恵比寿様を外に出して欲しい』との事だったのだが どうしたら良いだろうか」と言うので、私は「それは 廟から出して 何処か ちゃんとした所に 祭らなければ駄目だろう」と答えた。
「では 一緒に行ってくれ」との事になって、如竹様の廟に出掛けた。
区長さんと二人で、恵比須様の木像を、如竹様の廟から出して、先ず、漁業組合事務所の在る新港に向かった。
漁業組合長に、其の話を伝えると、「会議に掛けなければ 私の一存では 返事出来ない」と断られてしまった。
新港に祭られている恵比須さんと、一緒に出来ない事に成り、今度は何10年も前に祭られていた、元の安房川の対岸の山中に運んで、仮安置して帰って来た。
自宅に帰って、タンポポコーヒーを飲みながら、広辞苑で「くら」を調べると、「座」が最初に有った。
「座・くら」@物をのせる所。物をのせる台。「御手座」Aすわる場所。座席。「天の磐座」「高御座」】と、載っていて、神様を祭る台座の意味がある事が判明した。
今日、私が恵比須様を動かす事に成るのは、起きる前から、既に決まっていた事らしい。
其れは、今朝、私が動かされる事に成るのに、6月3日から「図師さん」に恵比須様が憑いて、図師さんを動かし始めていた事になる。丁度一週間前から、今回の動きが、準備され出した事になるのだ。
本日は6月10日で「時の記念日」だが、日月神示の岡本天明氏が、千葉県成田市台方の麻賀多神社の境内に有る、「天之日津久神社」神社メッセージを受け始めた日でもある。
今朝の出来事は、何かが始まる予兆なのだろうか。
私が神掛かったのは、丁度19年前の1984年6月4日である。今度は、私だけではなく、他の人も巻き込んで始まるのだろうか。
今朝は、「くら」の言葉が出て来る前に、面白い場面が映って来ていた。
其れは、私の知り合いで、「日高信義さん」と言う名の人物が在るが、その人が車を運転して海に向かっていた。
変わっているのは、その車の色は黄色で、形がボートの型をしており、後には船外機が付いていた。
其の車は、道路を走る時は、下に着いているタイヤで走り、海に入ったら船外機のエンジンを掛けて走るらしい。水陸両用車に、成っているのだ。
海に向かっている人の名が、「日高信義」と言うのも意味が有るのだろう。
日高信義の文字を「太陽が高く信義を重んじる」と受け取ると、如何にも意味有り気だし、恵比須様が掛かった女性は「図師小夜子さん」で、「図(はか)る師、小さな夜の子」と成るので、日と夜と陰陽の組み合わせとも受け取れる。
恵比須は、海の神とされているので、ボート型の車が、海に向かっていたのも合っているし、日高さんの家の下は、大きな岩がある海岸なのだ。
海と言っても、砂浜ではなく、岩座がある場所である。
この様に書くと、こじつけの様だが、私には、何らかの意味が有ると、受け取れるのである。
岡本天明氏の「日月神示」も、私と幾つもの関連性が有るし、時の記念日は、近江神宮の祭神に成っている「天智天皇」が時計を最初に作り、時刻を告げた事を記念するものだ。
近江神宮には、全国暦研究会の事務局も在り、6月10日を休日にしようとの動きもある。天智天皇霊は、私に憑いている霊団の中でも、強い働きを持っている御魂である。
今朝の出来事は、恵比須様だけではなく、多くの神霊が動き出す事の、前触れではないだろうか。
19年前は、私の味方は、無庵師匠と、屋久島の3〜4歳の子供達だけだったが、今度本格的に動き出せば、私には、全国に何百人と言う数の知り合いが在るし、19年前と違って、島の大人達も協力してくれそうである。
19年前は、私自身が、自分の身に次々に起きる事に戸惑い、理由が分からなかったが、今度は、18年間の旅で研究して来た事が役に立つので、余裕を持って事に当たれると意う。
7月2日まで、残り三週間と成った。
残り21日間で、何が起き出すのか精進して待つ事にしよう。
平成15年6月10日
礒邉自適
追記 後日、この文章を読んだ方に「10日の日は“10日恵比須”と言って、関西や中国地方でも10日に恵比須祭りが催されている」と、連絡が有りました。やはり、恵比須さんが動いているのは確かな様である。
平成15年6月14日
2003/6/6
定位置
15・6・6
私の「流離・さすらい」の旅も、ようやく元の位置に返ったのか、今朝のメッセージには「定位置」との言葉が遣って来た。
今朝の映像の場面は、何処かの駅の南口が映り、駅前広場の中央に、一人の男性が身じろぎもしないで座っている。
其の男性が、座って居る台座を視ると、其の平らな台は、丸く成っており、丸い板の縁が歯車に成っていて、其の歯車の目盛りは、円板の大きさにしては、小さい目盛りを刻む様である。
腕時計の針は、「時間」と「分」と「秒針」が有り、秒針を回す歯車の目盛りが、一番小さく速く回るが、今朝、映って視えた円板の歯車は、人間が座っていて、周囲に余裕が有り、直径が2m近く有ったのではないだろうか。
2mの直径の円板に、小さい目盛りの歯車が刻まれているのであれば、時計の秒針を回す歯車よりも、数が多い事に成る。
私には、駅の南口の場所からして、其の歯車は、方角や方位を表わしていると考えられる。
方位を表わすのであれば、円は360度に分けられていて、更に細かく、分、秒まで決定出来る様に成っているので、今朝の場面に映って来た、台座の歯車の数としては合うのだろう。
台座の歯車の目盛りを、方位の意味として考えれば、座っている人が、何故、駅の南口に座っていたのかを、考えて見なければ成らない。
駅は、人間が移動する為の施設であるので、旅を意味しているのではないだろうか。
そして、南口から、人間が此方に向かって座っている事からすれば、私の意識の位置は、太陽の方角に当り、座っている人の背は北と成る。
詰まり、私の意識は、南から北を向いて、駅を見る位置に在り、座っている男性は、反対側に居るので、北を背にして、南の方角を向いている事に成る。
今朝のメッセージの「定位置」とは、北を背にして、南を向いて座る理・ことを意味し、駅の方に向かっては歩いていないので、是から、東か西に向かう旅には、出ない事も現わしている。
駅の出口に座り、外を向いて、ジーッと座って動かない男性は、もう旅が終わり、動く必要が無いとの事だろう。
方位角で言えば、北の0度を背にし、180度の真南を向いている事に成り、時計の針で言えば、正午の位置だから0時と成る。
方位では、真南の180度を向き、時間的には正午の0時を向いて、駅前に静かに座って動かない人物とは、何を意味するのであろうか。
人物的に考えられるのは、昔の王様である「スメラノミコト」である。
昔の、中国の地を治める「皇帝」は、天を治める「天帝」の代理として、国民の方に向かわなければならない。その皇帝の座は、北を背にし、南に向いて、国民と向き合わなければならないのである。
日付や、時間を決められるのも、皇帝の権力の一つであるので、時間や方角が関係あるのも納得が行く。
昔は、王様の住む住居や、「まつり事・政治」が行われる役所も、王宮も、方角と時間が大事とされていたのだ。
しかし、今朝のメッセージの人物は、大きな建物の王座に在って、多くの家来に取り囲まれている分けではなく、駅前にたった一人で、荷物も従者も無く、ただ白い簡素な服を着ているだけで、手には何も持っていない姿である。
其の姿だけで、考えられる人物は、インドの釈迦で、釈迦が座った型の「ブッダ」とも受け取れる。
インドの釈迦仏陀は、家を出て六年間の修業を続けたが、其れでは悟りを得られず、是では駄目だと考え、苦しい修業を止めて、水浴びをしてから樹に寄り掛かって、休んだ時に、悟りを得ている。
今朝の人物が、其の釈迦仏陀の姿であれば、釈迦の目的がようやく適えられ、定位置に着いたか、又は、人類救済の目的が達せられたかの、どちらかであると言う事が出来る。
「定位置」の意味が、何であるか考えて見ると、「中庸」の言葉が思い浮かぶ。「中庸」とは「かたよらず 常にかわらないこと。不偏不倚で過不及のないこと。中正の道。」(広辞苑)との事らしいが、今朝の男性は、全てを体験し何事をも知った上で、駅前に座っているので、もっと深い意味を持っているのだろう。
本人は、何にも偏らず、行動もしないのだが、是から東か西に、旅に出る者にとっては、一番目障りな位置を占めている事に成る。
私に、何故、其の様な人物や、駅前の画像が出て来るのだろうか。
私が、同じ立場に至ったとの事なのか、又は、其の様な人物の立場が、理解出来る能力が備わったとの事なのだろうか。
確かに、私は18年間旅に出て、様々な見聞を広め、知識も蓄えて来た。だから、もう旅に出る必要は無いのかも知れない。
そうであれば、是から旅へ出発する人達の為に、駅前に座り、旅が終わった姿を見せて、定位置に帰り着く事を、諭す役目と言う事も出来る。
そうであれば、私の意識の定位置とは、何処なのかを、説明する必要が有るだろう。
私は屋久島に生まれ、37歳までは島で生活をしていて、37歳の11月から全国の旅に出て、18年振りに再び島に帰り、生活をしている。
だから、私の始発駅は屋久島であり、終着駅も又、この屋久島だと言う事に成る。
私が生まれ育った地は、安房の明星岳の麓、矢本嶽の山裾で、屋久島町大字安房字石ヶ松である。
生れた家は、島の中心(寝待岳)から方角では98度の所だから、島の真東90度から、少し南に位置している事に成り、殆ど東と考えても良い位置なので、太陽が真正面の海から昇って来る事に成る。
私が生まれた家を、風水学的に考えると、北西を明星岳が防ぎ、私の家が一番山際に在るので、他人の生活廃水や、人息が流れて来る事もなく、東南には太平洋の海原が見え、生活道路は安房から西の方角に(右から)取り付き、北東(左側)方向に歩いて行くと、船行川が流れており、夏はその川に毎日遊びに行った。
其の様な場所で、私は生まれ育ったので、私の意識の中には、山は北側に、川は東側、道路は西で、海は南側と成り、風水学的には、完璧な要素に恵まれていた事に成る。
19年前に、私が無庵師匠に捜し出された時、師が私の生家を調べに来て、その土地の風水と母親を見て、私の人物像よりは、私が其の地に生を受けた事と、私を育てた母親を見て、納得が入った様であった。
其の母親も、先日6月4日で満83歳を迎えた。
何故か、私が神掛かった日が、母親の64歳の誕生日の日であり、私の行が始まったのは、其の日から丁度3ヶ月前の3月5日だった事も、私の生の因縁を想わせる。
私は、一昨日の4日で、神の世界に入ってから20年目と成っている。
今朝のメッセージは、私の新たな人生の指針を、指し示して来たのだろうか。
私の旅の駅が、他人の駅と成れるかどうかは分からないが、是から、旅を始める人の参考に成るのであれば、私の人生も、意味を持って来る事に成る。
それにしても、中国の易の学問の世界が無ければ、私の意識の旅も、言葉に表わす事が出来ない。
北側を、山岳で王(玄武)の位置とし、東を水で知恵(青龍)とし、南を海で太陽(朱雀)とし、西を道路で交通・経済(白虎・日本では白狐)と、考え付いた者は、誰であろうか。
私が自分の人生を振り返って見れば、私は、私ではなく、何か、大きなモノの産物として、創られている事が理解出来る。
今朝の、駅前の台座の上の男性がブッダであれば、ブッダの座る台座の歯車を、回転させている者は、何者であろうか。
それが、天地を司る神であれば、私も又、神の歯車着きの舞台で、踊らされている存在と言う事に成る。
私の生まれ育った屋久島は、丸い島である。
屋久島自体に、神の意識が在るのであれば、今朝のブッダの様な姿は、花崗岩の島自体の姿であり、屋久島には歯車が着いて回されている事に成る。
屋久島の丸い姿は、其のまま、地球の姿と考える事も出来る。
ゼンマイ仕掛けの、時の歯車は、今日もまた、人々を乗せて回っているのだろう。
一体のブッダの完成を目的として、神の思索は、今日も続いているのだ。
アメリカ映画の「ネバー・エンディング・ストーリー(果てしない旅の物語)」の世界は、厳として存在するのだ。
今度は、他の人物が、時の歯車に乗せられるかもしれない。
しかし、何も心配は要らないのだ。何故なら、乗せられる人は、乗せられる前に、其れなりの修業をさせられており、準備が出来ているからである。
私がそうであった様に、仏陀がネバー・エンディング・ストーリーの中に存在して、新たな旅へと導いてくれるのだ。
私の座る台座の歯車からは、もう稼動の為の歯車は外されて、回転する事は無いだろう。私は、故郷の地で、南に向いたまま、ただ座って、静止していれば良いのだ。
未だ、私の後から電車を降りて、駅前に出て来る者も無く、出発する為に、駅に遣って来る人の姿も見えない。
私が、現在の私に成る為に、長いトキのエネルギーと、意識を育てる為の、人材や資本が、莫大に使用されたのだろう。
次の人を乗せる為には、また2600年の時空の準備が、必要なのかも知れない。
私には、其れ等の仕組みまでは、視野に入れる事が出来ない。
だからこそ、神と呼ぶ世界は、永遠の謎とされるのだろう。
未だ未だ、私にも、此の世界は謎ばかりである。
平成15年6月6日
礒邉自適
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