このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2003/1/31
済す (わたす)
15・1・31
今朝の霊夢は、河口に近い海での場面が、長く続いた。
私が、海辺に建っている、誰かの別荘に遊びに行って居ると、海の水が満潮に成って来て、岸を越えて別荘の有る所まで、海水がどんどん上がって来る。
やがて、建物の中まで侵入して来たので、履物などを上にあげたが、何処まで水が入って来るのか、心配に成って来ていた。
そうしている間に、海の温泉に入浴に行っている、知り合いの事が心配になって、迎えに出掛けた。
行く途中の海には、潜りに行った知り合いが、2〜3名海中を泳いでいるので、早く上がるように伝えて、もっと先に有る海の温泉場に行くと、知り合いが居て「もう 海水が満ちて入れないので 帰る処だ」と云う。
私は、知り合いの無事が確認出来たので、安心した処で、今朝の夢は終った。
そして、暫くすると、「わたす」の言葉が出て来た。
朝起きて、「わたす」を「渡す」にして、題を書いてみたが、何も言葉が浮かんで来ないので、漢語林で「わたす」を調べて見ると、「わたす」には「渡す」と「済す」の二つが有る事が分かった。
夢の内容からすると、「済」の意味の方が当っている様である。
「済」は、「水+斉」の組み合わせで、音符の「斉・セイ」はそろうの意味。多くのものがそろう。ひとしいの意味を表す。また「斉」は「進」に通じ、すすむの意味。川をすすむ、わたるの意味を表す。また貧困や障害をわたり過ごさせて たすけるの意味をも表す。と 載っている。
「済化」救い化す。人を救い導いて善に移らせる。
「済世」世を救う。時の弊害を正し、人民の難儀を救う事。
「済度」すくう。仏道によって衆人をこの苦海から極楽の彼岸に救い渡すこと。
「済時才能」時世を救う才能。世の乱れを救う才能。
「済」の漢字は、以上の様な言葉に使われているが、この中の「済度」の文章の「苦海から 極楽の彼岸に 救い渡す事」が、今朝の霊夢の内容と合っている様に感じる。
今朝の夢の物語は、私自身の物事は全く関係が無く、他人の事に、私が関わって行く場面だけだったのである。
今朝の夢からすると、私自身には、既に問題が何も残っていないのであろうと想われる。
私は、ようやく自分の業・カルマが終って、他人のカルマを、済度する事に移って行くとの、事ではないだろうか。
「済時才能」との言葉が存在する事も、今朝初めて知った。
この様な言葉が、有るにも拘らず、目にも、耳にも、接していないと言う事は、現代社会が、如何に、自分の事だけに意識が行っていて、誰も「済時才能」等の言葉に付いて、学ぼうとの気持ちが無いからであろう。
私でさえ、此の様な世界に入って、18年にも成るのに、其の言葉を、知らなかったのである。
やはり、社会教育とは、教える人と、其れに興味を持つ人の、両方が存在しなければならない。
其れに、学ぶ心を養う為には、人々の尊敬を、集められるだけの人物が必要であろう。
私は、夢の中では、潮が満ちて来ている事を知らせて、早く避難する様に動いているだけで、別に、具体的な事を遣っているわけではなかった。
私には、未だ「済時才能」が備わっているとは想えない。
今朝の夢は、衆人を済す為に、是から「済時才能」を研けと、言う事なのだろうか。
夢の場面では、潮の満ち方が通常の位置ではなく、家の中まで侵入して来て、家具をどうしようかと、戸惑う処まで、事態が緊迫していた。
その意味する事は、苦海に皆が溺れる事も暗示しているのだろう。
時が満ちて来て、溺れようとしている人達を、どの様にして済せば能いのか、私には未だ具体性が見えていない。
今朝の結論としては、「時が満ちて来ているから、其の事を知らない人達に知らせ、準備する様に伝える事」と、もう一つは「私に済時才能を研け」との知らせであると、受け取っておくと言う事である。
「斉」は「一斉」の「せい」である。
「斉」は「多くの者が等しくそろう」の意味だから、全体的な出発を考えに入れていなければならない。
日本の、古神道の「神惟・かんながら」の「事挙げ・ことあげ」が、近付いているのだろうか。
平成15年1月31日
礒邉自適
2003/1/29
具体性
15・1・29
本日は、私の56歳の誕生日である。
今朝は、「具体性」との言葉が告げられて来た。
自分の事で、具体的な事を挙げれば、両親が屋久島に渡って来て、56年が経った事になる。
私達は、兄妹五人だったが、直ぐ下の弟が、独身の内に亡くなったので、現在四人が存在し、皆結婚して子供が居る。
子供を合計すると、15人に成るので、私の母親からすると15人の孫が存在する事になり、子供を合わせると、両親の血筋は4人+15人で、19人に増えた事に成るので、19人が血筋的には具・そなわった事になる。
私の子供も7人存在するので、7人の人間が具わっている事になり、その子供達も、今の処皆健康なので、私には心配は無い。
以上の様に、一番具体的な事を述べたが、今朝の「具体性」とは、ただの私の個人的な事だけではないと想われる。
しかし、私の個人的な事から、思考を進めなければ、理想だけを述べても、それは理屈になってしまうであろう。
先ずは、是からの、自分の行動の在り方を、考えなければならない。
現代社会は、豊であると言われているが、常夏の島で、椰子の葉で作った小屋で裸で暮らし、魚を獲り、芋等を食べて昼寝をして、毎日を生活している人達に比べて、私達が豊かだとは、私はとても想えない。
近代社会と言っても、現代社会の在り様が、人間の幸福に直結しているとは、とても考えられないのである。
近代社会に生活する人々は、情報や、物に押し潰されて、本来の人間の姿を失っている。
私も38歳迄は、殆どの人と同じ状況下に在った。
其の事に気付かされて、38歳の時に全てを中止して、本来の人間の姿とは、どう言うものであるかを知る作業に、全身全霊で取り組んで来た。
そして「人間とは 何者か」や、「人間社会の 文化や 歴史」を調べ、私達の思考や生活習慣が、どの様に生れて来たかを知った。
判った事は、現在の人間が、如何に多くのエネルギーと資源を、無駄にしているかである。
人間には、確かに、衣食住の物質が必要なのは間違い無い。しかし、本当に必要な物をチェックして行くと、不必要な物が多過ぎるのに気付く。
其れ等の不必要な物を、身の回りから片付けてしまえば、シンプルになる事は間違いない。人間は、脳の刺激を求める余り、本当に余計な「物」と「事」を増やして来た。
此れからの21世紀は、如何にシンプル化するかが、課題と成るであろう。
一番の、無駄なエネルギーと、物質の損失は、戦争である。
その次が、経済発展の名で行われている余計な物質の生産と、それに因る公害の発生である。
是からの私達の作業は、新しい物の生産ではなく、如何に、不必要なモノを創出したかを反省して、物や情報の量を減らして行く事なのであろう。
私には、1991年3月13日に「生活達人」とのメッセージと、1994年3月22日に「風 麦東 陶・ふうれんとう」とのメッセージが来ている。
「生活達人」とは簡単明瞭だったが、「風 麦東 陶」とは、何の事だか解からなかった。
1997年3月14日「麦東・れん」の「麦」がパンの粉・小麦だと分かり、他の「東」が使われている「レン」の、「錬(鍛冶屋)」「練(糸屋)」「煉・あんこ屋」に関連して、「麦東(パン屋、うどん屋)」の意味である事が分かり、「風 麦東 陶」とは、「風習や習慣を もう一度練りきたえて 他人を導き教える意味」の旗印・テーマだと、理解出来たのである。
「風 麦東 陶」http://moon.ap.teacup.com/20061108/422.html
「生活達人」「風 麦東 陶」の、両方のメッセージからも、是からの人間の暮らしを創造するべき事が、告げられて来ている。
其れ等に付いて、ハッキリとした企画書とかの準備が、未だ、出来ていないのが現状である。
今朝の「具体性」とは、「具体的な 企画書を 準備しろ」との事なのか、「神の計画が 具体的に 始まる」との事なのかが、未だ良く分からない。
私には、様々なノーハウと時間は有ったにしても、資金が無いので、動きがとれない。
今日の処は、「具体性」の言葉を氣にして置く事だけを、受け取って措こう。
平成15年1月29日
礒邉自適
2003/1/29
誕生日
15・1・29
本日1月29日は、私の56歳の誕生日である。
昨夜11時20分頃、自宅に車が飛び込んで来た。
運良く、自宅の入口の所に、他人が車を停めていたので、その車に当たって止ったので、私の自宅には被害は無かった。
自宅で、テレビ番組を観ていると、流星が落ちて来た様な凄い音がしたので、自宅前に出て見ると、走って来た車が、反対向きに成って、私の自宅入口に停めてある車に、衝突している。
どうやら、スピードを出し過ぎて、カーブを曲り切れず、路肩にぶつかって50m程スリップして来て、反対側の道路の車に衝突しているのである。
道路の傷跡を見ると、50mぐらい先から、私の家に向ってスリップして来ている。その間のスリップ音が、流星が落ちた音の様に聞えたのだ。
この車の事故で、私は、自分の誕生日の事件を思い出した。
1985(S60)年1月29日の朝、起きてテレビを付けると、スペースシャトルの爆発の映像が目に飛び込んで来た。其れは、乗員が全員命を失うという、悲しい出来事だった。
其れに、1987(S62)年1月29日には、朝、知り合いから電話が掛かって来て、私のクルーザーが川に沈んでいると云う。
私は、前日の28日に屋久島に帰って居たので、早速、自宅前の川に行って見ると、もう私の船は、屋根まで水に沈んでいた。
其れから、15年間は、何も問題無く過ぎて来たのだが、また15年振りに起きた事件は、何かの前触れなのだろうか。
1985年は、スペースシャトルの事故の他に、4月26日のチェルノブイリ原発事故や、11月21日の伊豆大島の噴火等があった年である。
今年は、1月24日に、実家の倉庫が全焼したりして、どうやら、波乱の年に成りそうである。
アメリカのイラク攻撃の事もあるし、何かと事件が多いので、注意しなさいとの事かも知れない。
旧暦では、12月28日は御用納めの日なので、悪い事は、これで無しにして貰いたいのだが、どうだろうか。
56歳の誕生日
平成15年1月29日
礒邉自適
2003/1/25
霊動
15・1・25
今朝は 18年振りに 霊動にみまわれた。
昨日の夕方、5時30分より、安房地区の「粟穂神社」で、今年初の「春季大祭」が行われ、私も参加し一時間程の儀式の後、直会・なおらいが行われて和(にぎ)わった。
直会の食事が、夕食の替りと成ったので、21時頃自宅に帰って、テレビで映画「モヒカン」を観ながら、途中で眠ってしまった。
夜中2時頃目が覚めて、風呂に浴ってから二階に上がり、布団に入って寝た。
そして、眠る事は眠ったのだが、強烈な霊夢の中に在って、私は布団に横になっているのだが、私の体は全身振動していて、大きく開いた口から、様々なものが飛び出して行く。
其れは、言葉ではなく、文字でもない、何かの情報なのだ。
私は、其の状態に暫く耐えていると、白い服の40歳代のスラリとした女性が現れて、其の女性は、私を心配そうに見下ろしている。
私は、其の女性を誰かと意うと、意識の中に「観音」との名前が出て来た。
そして「そうか 観音か」と意った処で、夢の場面は変った。
今度は、私は座っていて前に、小さな机が置いてあり、次々に、他人が相談に来る様である。
誰かが、私に相談が有るらしく、私の前に来て座った。
其の相談を受けると、私の左側に、白く透き通った姿の、大きな相撲取りが一人現れて、私に答えを教えてくれている。
私の目の前には、紙に書かれた文字が、光って沢山映って来るのだが、私にはそれが読めない。
読めないでいる間に、其の夢も終り、私は霊夢から解き放たれ、意識が目覚めた。
目覚めても、未だ、私の体には、霊動の震えが少し残っていた。
意識が、目覚めてから、良く考えて見ると、18年半前(1984年6月4日)の安房川での禊の時以来の、霊動の様である。
18年半前の時の、霊動では、私の中に4311体もの霊界人が入り込んで来たが、今日の霊動では、口の中から、多くのモノが飛び出して行った。
18年半前に、入って来たものが、出て行ったのだろうか。
考えて見れば、私は聖霊達に憑依・とりつかれてから、全国を18年も巡って様々な事をやり、沢山の情報を仕入れて来た。
中には、不必要な情報も有り、又 余計な「柵・しがらみ」も、沢山身に着けて帰って来たのだろう。
其れ等の一切が、私の身体から出て行き、19年前の「礒邉自適」の体に戻ったのだろうか。
昨日の午後、母親宅の横に在った倉庫が全焼し、サイレンが鳴って消防車が駆け付け、町内の拡声器でも「礒邉さん宅が 火事です」と、放送されたので、町内から百名程の人達が、駆け付けて来た。
発見が早かったので、住宅への類焼は無く、母親も、弟一家も、生活には支障が無いのでホッとはしたが、駆け付けた多くの人達に、申し訳無い気持ちになった。
駆け付けた人の中には、18年振りに会う人達も居て、其れ等の人達と声を交わす事で、私は気持ちに不思議な感覚を覚えた。
浦島太郎とまでは、行かなくても、20年も会っていない人は、老人に成ってしまっている。
私は、改めて、20年近い歳月が流れている事を、確かめる事に成ったのである。
警察や、消防の取り調べも一段落した処で、私は、安房の自宅に帰った。
一時間程の、時間の余裕が有って、17時半より、安房区の「粟穂神社」の春季大祭である。
私は、少し早めに神社に出掛けて、祭りの準備を手伝い、宮司さんの儀式を一通り撮影して、後は直会となった。
昨年の秋期大祭の時には、安房川に美しい虹が立った。
そして、春季大祭には火事なので、私には、何かの儀式の、一部の様な気がしてならない。
古神道でも、密教でも、儀式の時には、始めに火を焚く。
昨日の火事は、神の作戦として、神が起したのだと考える事は、不謹慎だろうか。
家が小さくても、一軒燃える火のエネルギーと、消防ホース二本で掛ける水の量は、それなりに意識に変容をもたらす。
私の体験からすれば、其の位の現象が起きても、当然と想えるのである。
私が、18年半の旅で仕入れて来た余計なものを、禊ぎ払うには、それだけのお膳立てが有っても、不思議ではない。
18年半で、実に多くの人達に出会い、人々の希望や、悩みを、自分の内に取り込んで来ている。
其れ等の業・カルマが、是からの神の計画にとって、不必要なものであれば、私から、祓いとって措かなければならないだろう。
私が、個人的に人間感情を出して、「世話になった」とか、「ある人を 助けなければ」とかの事を考えていれば、神にとって、それは邪魔なのであろう。
神のメッセージを受け取る預言者は、絶えず、真っさらの状態でなければならない。
昨日の、一連の出来事と儀式は、私に是から起きる新しい段階にとって、必要不可欠な事ではなかったのだろうか。
過去の、個人的な義理や、人情等の事を、全部吹っ切って、是から起きて来るであろう現象に、立ち向かって行かなければ、成らないのではないだろうか。
霊動の中で、ハッキリしている事は、「観音」と「相撲」の事である。
其れは、男性の働きの根本は、何かを、知れとの事でもあろう。
「観音」は「観音力」の「観音」であり、「観音菩薩」とか「観自在(観世音)」とかに関する言葉である。此れから、何を観じろと言うのだろうか。
又「相撲」は、日本の伝統であり、古代からの儀式を伝えるものでもある。
観音菩薩の女性像と、古代の金剛力士の姿は、何を知らせて来たのか、今日の処は定かではない。
昨日からの、24時間内では、解決出来ない物事である。
此れから、未だ数日は、心の整理に掛かると想われる。
追記:粟穂神社で儀式の後、宮司が「今日は 女性の神様を 感じる」と、私に云って来た。私の霊夢に、出て来た女神がそうなのか。
私に、女性言葉で筆を取らせるのは、其の女性神なのか。
其れ等の決め手は、いまの処何も無い。
其れが、神の世界なので、確かな事は言えないままである。
平成15年1月25日
礒邉自適
2003/1/24
本職
15・1・24
今朝の霊夢には、二ヶ所の料亭が映って来た。
一ヶ所は山手に有り、未だ、新しく建てられたばかりの料亭で、私が客人を一人連れて行くと、女将が玄関に出て来て「昨日 遅くまで忙しかったので 今朝は寝坊してしまい 店を開けるのが3分遅れたら 今日の最初の予約客が 怒って 帰ってしまった」と云う。
そして、私達が部屋に通される処で、其の夢は終った。
場面が変わって、今度は、私達が客と共に、大きな川の辺に在る、料亭の涼み台で、料理を待って居ると、板前さんが自分で船外機を操って、前に客一人を乗せて、後の方に重ねた料理膳を積んで遣って来た。
そして、建物の船着き場でUターンして、バックで岸に船を着け様としていたら、機械の操作を誤って船が岸に衝突してしまい、其の衝撃で、料理も客も板前も、水底に沈んでしまって、浮かんで来ない処で、其の夢の場面は終った。
今朝の夢は、何を、私に知らせて来ているのだろうか。
私なりに解釈して見ると、山手の料理屋は、予約を受けていたにもかかわらず、時間を守れなかった事。
川辺の料亭は、私の知り合いの人で、東京で修業を積んだチャンとした料理人である。だが、船の運転は出来ない人である。
今朝の夢は、大事な時には、素人が慣れない役目を、行なってはいけないとの理・ことだろう。
一芸には秀でていても、慣れていない事を遣って失敗すると、全てが駄目に成ってしまうと言う事だろう。
今朝のメッセージを、結論付けると、次の様な事柄が想い当る。
1.プロは 時間を厳守する事。
1.自分の持ち分以外に 手を出さない事。
1.本職とは どういう事か自覚する事。
1.素人相手に大事を行なうと 失敗するという事。
今月20日には、屋久島にテレビ番組制作に来ていた、東京の若者三人組が交通事故を起こし、一人は即死で、他に名も怪我をしている。
この人達は、タレントのS氏の島暮らしの番組の制作に、屋久島に来ていたものである。
私の岡山の知り合いである伊丹由香さんが、屋久島にS氏が来ている事を知らないのに、1月16日の夢に「S氏が現れて S氏の体に火が着いていて 消してあげた」と伝えて来た。
屋久島のテレビ番組の制作が、中止になる事が、前以って伊丹由香さんに、16日に予知されていたのだろうか。
若しかしたら、今朝の夢と関連して考えると、屋久島の事をお笑い番組にしてしまう事を、屋久島の山々の神が、許さないとの事ではないだろうか。
昨夜は、友人の「松本幸さん」と焼酎を飲んでいたら、S氏の番組のスタッフから、「松本幸さんに会いたい」との申し込みが有ったが、断ったとの事であった。
松本氏は、屋久島の山の事を知っている、最後の生き字引の様な方である。
現在、屋久島が、段々と脚光を浴びて来ているが、取り上げ方に問題が有るとの事ではないだろうか。
屋久島の事が、マスコミに出る時は、詩人の山尾三省氏が、登場人物として取材を多く受けていた。其の、山尾三省氏が一昨年亡くなってしまい、テレビ関係者も取材がし難いのだろう。
S氏が借りて住んでいる建物は、私の友人の持ち物で、島の南に位置している。私は、「三遊亭歌之介師匠」の別荘の鍵も預かっていて、笑門の宿として認識しており、昨年12月1日の文章に「朱雀の宿」として記している。
屋久島の南が笑門で、新しい世の中の岩戸開きが、南から起きるのであれば、S氏がお笑いタレントでも別に問題は無い。
問題が有るとすれば、其れは、取り上げ方の内容であろう。
今回の事故で、取材班のメンバー構成がどうなるのかは、私は知る由も無いが、神の計画通りに進む事を、願うだけである。
出来れば、世直しの為の本職が、揃って欲しいものである。
今朝のメッセージや、岡山の伊丹由香さんの霊夢に、Sさんと言う人物が映し出されたという事は、彼も、世直しの一員であるのではないだろうか。
S氏の夢を見た、伊丹由香さんの19日の夢には、私の事が告げられたとFAXが送られて来た。其れには、次の様に書かれてある。
「今日の夢は 山深い獣の道を 何人かで進んで行きました。少し開けた所まで出たら 案内人のような年配の男性がいて 他の人が質問をしたら 『それは 礒邉自適という人が 30数年住んでいて知っているから 聞いてごらん』 と言われていました」
此のメッセージからすると、私もいずれ、S氏との係わりが出来て来るのかも知れない。だとすれば、出来るだけ、プロの集団で事を計りたいものである。
今朝は、「如月(きさらぎ)の 夢の枕に立つ君に 石魂(いしくれ)舞いを 見せる里山」と、歌が出て来た。
此の歌の意味を、私なりに解釈すると、「春に 草木が芽吹く頃 君の夢枕に 石のちからを 里山が見せてくれますよ」との、意味ではないだろうか。
3月には、吉い事が待っているとの事だろう。
平成15年1月24日
礒邉自適
2003/1/23
更新自殺
15・1・23
今朝は「更新自殺」との言葉が告げられて来た。
最初は、其の言葉の意味が分からなかったが、「更新」との言葉で、屋久島の森の生態系の事が浮かんだ。
屋久島の森は、「栂・つが」や、「樅・もみ」の木が500〜600年経つと、老いて倒れて往く。そして、その後の空間に、新しい種子が芽生えて、成長を始める。世代交代が、500〜600年毎に起きているのである。
其の事を考えると、樹木も年取って枯れるのではなく、チャンと意識を持っていて、後輩の為に、自殺を計っているのだと理解されて来た。
未だ、生きようと思えば生きられるのだが、後の為に、自分は自殺をして倒れ、後輩の肥料と成って行くのだ。
自然の中に暮らす動物達も、同じシステムに成っているのだろう。
種は、世代交代を早めにする事で、環境の変化に対応して来たのだ。
一個の個体が長生きをして、環境が変化した場合、年取っていたのでは、変化に対応が出来ない。
だから、短めに世代交代をして、環境に適応して来たのだ。そうする事に因って、その種は長らえて来たのである。
其の理は、人間にも言える。
人間が、千年もの長寿であれば、途中で絶滅していたかも知れない。
人間にとって、百年程の長寿が丁度、適しているのだろう。
爺、父、孫の関係を見ていれば、其の力関係が、互いに活かされる様に出来ている事が分かる。
其れ等の事を考えれば、生命の遺伝システムは「死」が無く、全体の遺伝子を残す為に、自らが姿を消して子孫を残し、其の遺伝のシステムの中で、生命プログラムを残し続けている事が、理解されて来る。
その様に生命を捉えると、人間にも死は無く、世代交代のシステムの中で、永遠に生き続けている事に成る。
それを、宗教的な言葉で表現すれば、釈迦の輪廻転生の教えも、理屈として理解出来て来る。
年老いた者が、早目に消えて、若者に空間を与える事、それが大事なのである。
自分が死んでから、空間が生じるのではなく、一歩進めて、未だ元気な内に身を引いて、若者に活躍の機会を与えて、其の成長を見守る事こそ、先輩の最大のテーマであり、良心ではないだろうか。
其の事は「生命の生きる場」だけではなく、社会の仕事の場でも同じ事が言える。
80〜90歳の老人が、一番先端に踏ん反り返っていれば、後から伸び上がろうとする者達の生長を、妨げる事に成る。
後輩に、席をどんどん譲る事こそ、道を体得した人物と言えるだろう。
其の事を「更新自殺」との言葉で伝えて来たのが、誰なのかは判らないが、「人間 自らの意志を持って 自分を滅して行く」との理が、理解出来てこそ、万物の霊長と言えるのであろう。
植物に出来ている事が、人間に出来ない理由は無いのだ。
人間は、自分の創った社会システムの中に埋没して、大自然の仕組みを忘れ、心が狭くなってしまっているのだ。其の理に、気付かなければ、天が再び人間の寿命を短くし、世代交代を早めてしまうだろう。
爺婆が、縁側で日向ぼっこをしている、余裕の有る社会こそ、理想社会と言えるだろう。
若者に席を譲り、自分の席を縁側に移し、孫達に歴史を語る、其の姿こそが「翁・おきな・オテナ」であり、真実の「オトナ」と呼ぶ事が出来るのだ。
今朝の霊夢には、制服を着た高校生ぐらいの男女が、バスに乗り込んで、出発を待っているのが映って来た。
未来を創造する役目の若者は、着実に、此の地球上に育ちつつある事を、知らせて来たのだろう。
私も、縁側で日向ぼっこが出来る年代に、近付きつつあるのだろうか。
出来るだけ早く、更新自殺を計れる様に願いたい。
其れには、先ず、安心出来る社会システムを、完成させなければ成らないだろう。
平成15年1月23日
礒邉自適
2003/1/23
木琴教育
15・1・23
今朝の霊夢には、バスに乗り込んでいる、制服を着た高校生ぐらいの男女が、20名ほど映って来た。
私の目の位置は、バスの前方の空中に在って、バスの中の全員が見える位置に在った。私は、其の高校生達が「学校に行くのかな」と思ったら、楽器の木琴がカラーで見え、「木琴教育」との言葉が浮かんで来た。
何の事かと思って、良く考えて見ると、木琴と言う楽器は、長さの異なる板が並んでいる物である。
その板を、全て同じ長さと厚さに揃えてしまえば、皆同じ音しか出なくなる。其れでは、楽器としては役に立たない。
楽器とか、音楽は「楽」の文字が使われており、「楽」は「たのしい」との日本語に使用されている様に、楽しくなければ音楽ではない。
この事からすると、学生を一律にするのではなく、木琴の様に、全て異なる音が出る様にしろとの事だろう。
現在の教育は、其れとは反対の方向であり、全て同じ教育システムの中で、個性を失わせてしまっている。
全員が、同じ音色しか出ない様な人間を、大量に生産している事に成るのである。
特に、男性の方に個性がなく成り、面白味が無くなって来ているのだ。
逆の言い方をすると、異なる音色の者は、社会のルールから外され、生活がし難い状態に追い遣られている。
芸能界だけは別の様だが、田舎では、未だ昔のままで、変化は嫌われる事が多い。
私が、18年振りに島に帰って見ると、島出身の若者は、相変わらず島外に出て行き、替わりに、島外からの若者達が、どんどんと移住して来ている。
島外からの人達は、皆どこか風変わりな人達が多い。
其れ等の人達の事を考えると、「都会では 馴染めないので 屋久島に来たのかな」と想える人が居る。彼等は、音色が異なっているからなのかも知れない。
島外から移住して来て居る人達を、木琴の様に組んで見るのも、一つのアイデアではないだろうか。さぞや、楽しい演奏に成る事だろう。
しかし、同じ木琴上に乗せる事は、非常に難しい作業に成るだろう。
でも、それが出来れば、新しい教育の、雛形に成る可能性は有るだろう。
私は、自分で楽器を演奏する事は、何一つ出来ないので、音階の事も分からない。誰が、何処の位置に当たるのかは、一人一人の生命のリズムを探るしか無いだろう。
私は、思考の基盤が「百姓」であるので、人間を、畑の野菜として観る事は可能だが、楽器として観る事は経験が無い。
今朝の霊夢を、私に見せている霊界人は、「音楽畑」出身者なのだろうか。
やっぱり、畑の言葉を使っている私が、いま此処に在る。
平成15年1月23日
礒邉自適
2003/1/21
体験
15・1・21
今朝の夢には、怪我をした者が出て来た。
私と、もう一人が、川に流されて来る者を救いに、舟で出て行き、流されている者を助けて、岸に帰って来ると、両手から血を流している40歳ぐらいの男性が居る。
私は、どうして血を流しているのかと想い、「どうしたのか」と問いただすと、「貴方達が 何をしているのかと想って 川原の土手を駆け降りて来て 針金に掴まったら 針金が手に刺さった」と云う。
私が川辺を見ると、危険防止の為に、川の土手に有刺鉄線が横に張ってある。怪我をした男性は、土手を勢いよく走り下って、思い切り有刺鉄線に掴まったらしい。それで、両手に棘が刺さったらしいのだ。
私が「何で 有刺鉄線には刺が有るのに 掴まったのか」と強く言うと、その男性は「だって 知らなかったんだもの」と、答えた。
夢は、それだけの簡単なものだったのだが、その男性は、学歴も有るチャンとした男性なのに、有刺鉄線には、其の名の通り、刺が有る事を知らず、また人間が接する場所に、そんな物が存在する事を知らなかったらしい。
其の男性は、有刺鉄線を直接に目の前で見て、其の刺の凄さに触れた事が、一度も無かったらしいのだ。
有刺鉄線の刺は、凄くなければ、其の役目を果たせないので、目一杯尖っている。その男性は、中年に成るまで、有刺鉄線が何たる物かを、知らなかったのである。
今朝の夢は、現実に、そんな人物が、存在するのかどうかは分からないが、人間は体験が大事であって、体験した事が無い事件が、行き成り起これば、対処出来ないという理・ことを、知らせて来たものと想える。
書物等を読んで、いくら知識が有っても、現場で修練していなければ、モノの役には立たないのである。
それは、男性だけではなく、女性でも、料理や編物は頭で考えながら、行なっている内は未だ駄目である。
オシャベリをしながらでも、手が自動的に動く処まで、手慣れていなければ一人前とは言えないのである。
男性が、軍隊でトコトン訓練を受けるのは、イザ敵と戦う時、自動的に体が動く様に成る為である。人間は、体験が無ければ、何にも出来ないのである。
今朝の夢は、人間が、自然環境の中に急に投げ出された時、何も出来ない事を、神が告げて来たのではないだろうか。
私に「現在の男性は 何も体験が無いので 使い物にならない」と言う理・ことを、知らせて来たのか、其れとも「何も 出来ないから 訓練しなさい」との事なのかは分からないが、現代人が、足手まどいに成るとの理・ことだけは、間違いないだろう。
昨日は、東京から、屋久島でテレビ番組を創りに来ていた人達が、事故を起こし、一人は死亡し、二人が怪我をしたとの事。
私が、都会の人達と、屋久島で何かを始める時、都会育ちの人達は、大怪我をし易いとの事を、知らせてくれたのかも知れない。用心、御用心である。
弘法大師空海 月命日
平成15年1月21日
礒邉自適
2003/1/20
1・18
15・1・20
昨年の12月15日の霊告で、「1・18」の数字が出て気になっていたのだが、1月18日に何も起こらず、「神霊のミスマッチかな?」と想っていたら、今朝の様子からすると、特別な事が、動き出している様な気がして来た。
昨夜から、今朝まで、殆ど眠っていない様な気がする。
全面的に、目覚めていた分けではないが、一晩中、何かが、現れ出ては消えて、朝まで寝付けなく、少し頭がボーッとしているのである。
昨夜の画像は、殆どが黒い色で、暗めな感じの映像であり、明るい未来という表現は、出来ないモノであった。
映って来た映像は、高い空から見た地図の様な物や、人の顔等であり、是から善く成る様なイメージではなく、何か、悪しき事が起きそうな雰囲気が有った。
朝起きて、夢の内容を思い出しているのだが、創造的なものがなく、是から良くない事が起きる、前触れ的な知らせの様な気がする。
一昨日のメッセージの、「封が切られた事」と連動しているのだろうか。
そうであれば、1月18日までに、天界の準備が出来たので、パンドラの箱の封印が外されたのかも知れない。
「パンドラの箱」とは、『「pandora」「すべての贈り物」の意。ギリシャ神話中の人類最初の女性。プロメテウスが天から盗んだ火を人間に与えたため、人間が高慢になったので災いの詰まった箱をもたせて、神が地上に送った女。彼女が好奇心からこの箱を開けたので、地上には不幸が広がり、慌てて閉めたが間に合わず「希望」だけが箱の底に残ったという。』と 辞典には載っている。
神話の続編を想像すれば、彼女が、自分の行なった行為を反省し、二度と誰も開けない様に封印をしていたのを、人間が、再び開け様としていると言う事になる。
パンドラの封印が切られた事で、誰でも、好奇心がある者が、箱の蓋を外す事が出来る。
一昨日のブッシュ大統領は、封は切ったが、箱の蓋を外す事は未だしていない。窓に立って外の様子を見ている処で、夢は終わっている。
未だ、誰かが蓋を外さなければ良いのだ。
今朝の夢も、未だ、何かが始まっている分けではない。
暗い場面も、愛や、優しさの光が、照らしさえすれば、善い方向へ転換するのではないだろうか。
パンドラの箱の中身は、災いと言う事に成っているが、其れが、病気や天災ばかりでなく、化学や科学の技術であれば、人類の知識と言う事も出来る。
知識は、人類を幸福にもするし、不幸にもするものである。
どちらを選択するか、其れが、人間が神に与えられた試練であろう。
どちらにしても、箱の底には、希望が残されていると云う事が、人間には希望が残されているとの理・ことになる。
「希望」の「希・キ」とは「希(うす)い。少ない望み。」の意味である。
私達に残されている可能性は、決して多くは無いのだ。我々は、其の理・ことに早く気付いて、未来を明るいものとしなければならない。
最初に、神は、「全てを 人類に与えようとしていた」とある。
それを邪魔したのは、人間自身の高慢さである。
現代の世情も、人間の高慢さで満ち溢れている。せめて、希望が残されている内に、人間の心を立て直さなければならないだろう。
一昨日と、今朝の夢は、其の期限が、迫って来ている事を、伝えて来たのだろう。
「1・18」が日付の事だけではなく、他にも意味があるとすれば、天皇家の「菊の紋・16菊花紋(シュメール文化のスメラのみこと【王】の印)が、次の段階にステップアップするとの事かも知れない。
「1」 は中心で、「16」は動きである。
「1・18」とは、中心を取り巻く働きが18と成り、次元が「8次元」から「9次元」に上昇する事を、意味しているのかも知れない。
「1月18日」で、8次元の時代が終了し、新たな9次元への未来が始まるのであれば、人間も波動調整をして、新しい次元上昇に備えなければならない。それが出来ない人々は、古い世界に取り残されてしまう事に成る。
「パンドラの箱」とは岩戸であり、希望とは「天照大神」の事であれば、希望は「笑い声」で適う事に成っている。
一昨日と、今朝の夢には、笑いの世界は無かった。
ブッシュ大統領も、暗い表情で、窓の外を見て居た。
日本から、世界を救うには、何かの価値観を、現す必要が有るだろう。
世界の人々が皆、笑える材料を探し出さなければならない。
戦争では、笑う人は決して生まれない。
戦争は、創造ではなく破壊でしかない。私達に何が出来るのか、未来を明るくする笑いの材料は何なのか、知恵を出し合う時に至っているのである。
人間は、心に不安が有れば、笑う事が出来ない。
不安が無いと言う状態は、幸福と呼ぶことも出来る。つまり、笑えると言う事は、幸福の現れと言う事が出来るのである。
執着が強い間は、笑う事が出来ない。
子供達が能く笑うのは、何事にも執着が無いからである。未来を明るくする為の切っ掛けは、其の子供達に有るのではないだろうか。
戦争の一番の被害者は、何時も、女性や子供達である。
其の子供達が、明るい未来社会を創造する鍵を、持っているのではないだろうか。
其の子供達に、未来創造の材料を求めた方が、早道なのかも知れない。
平成15年1月20日
礒邉自適
2003/1/19
浅と狼
15・1・19
今朝の霊夢は「浅」の漢字が現れて、狼が一頭、静かに私の所へ訪れて、何も言わず去って行った。今朝の夢は、場面は簡単だが、内容が難しいようである。
「浅・セン」の漢字は、日本語の「あさい」に使用されている。
漢語林で「浅」を調べて見ると、「『浅』は『淺』で篆文では『 』で『水+戔』の組み合わせ。音符の戔・センは、うすく細かに切るの意味。うすい水。あさいの意味を表す。」と 載っている。
「狼」の方は「おしよせるなみのように群れをなしておそう。おおかみの意味を表す。『犭』はケモノで『良』は浪に通じる」と 載っている。
「浅」と「おお(ほ)かみ一匹」の意味が、何を意味するのだろうか。
「戔」は「物事をうすくスライスして細かに切る」との事だから、顕微鏡で物を調べる事に似ている。私の行動を、これから精密にしろとの事だろうか。
一方、「狼」は群れではなく、ボスの様な力の有る「おほかみ」が一頭、静かに私の所へ遣って来て、私に、何かメッセージを残して行った様である。
「狼」の漢字は「ケモノが浪のように群れで襲って来る」との意味で出来ている。其れは、狼が獲物の猟をする時の行動を表している。
しかし、今朝の夢の場面は、自然の主として、唯一頭で、私に挨拶に出掛けて来た様子であった。
自然の「然」の漢字は、「犬+月+火」の組み合わせで、「満月が 火の様に赤く照っている時に 山の頂上で 狼が月に向かって吠えている象形(狼を避ける為に火を燃すとの説も有る)」でもある事から解かる様に、人間の暮らしの身近な所に、狼の存在があった様である。
「狼・ロウ」が、日本語の「おほかみ」に当てられているが、其れは、狼の姿より、行動を意味している様に思われる。
私が勝手に、「おほかみ」に漢字を当て嵌めれば、「尾穂髪・おほかみ」にも書く事が出来る。
尾っ穂(おっぽ)の毛が、長い動物との姿を、説明する「言霊・ことたま」に成って来る。
西洋は羊を飼っているので、狼は、童話では何時も悪者とされているが、日本では羊を飼っていないので、家畜を襲って来る悪者ではない。
日本狼は、鹿やカモシカを食糧としていたであろうから、人間には被害が無く共存していたと言うか、住み分けていたのではないだろうか。
日本は森林の国であって、草原の国ではない。
森の王者は「熊」だったので、神はクマとされて、森林のエネルギーやシャーマニズム的な力は、熊が征していると考えられていた。
出雲地方では、神秘的な森を「クマクマしき場所」と呼んでいた。
熊野大社の名は「クマのおおやしろ」の意味で、森の力を称える風習から来ている。日本では、数は少なくても、未だ、熊は自然の中に現存しているが、狼は絶滅してしまっている。
今朝の夢に出て来た「おほかみ」は、子孫が絶滅して、転生しようにも個体が無いとの、悲しみを伝えに来たのではないだろうか。
地球上には、現在63億人とも言われる人口が在る。
人類が増えるほどに、自然のバランスは崩れ、多くの生き物の命が失われているのである。
今朝の夢は、現実な処を詳しく調べて、自然のバランス・調和を、取り戻せとの理・ことだろうか。
私は、1991年3月13日に「生活達人」との言葉を、メッセージで受けている。
「生活達人」とは、人間の生活の達人と言うだけではなく、自然との調和をどう画かるかとの事までが、含まれているのかも知れない。
其処まで、考えが及ばなければ、「浅い」との事なのであろう。
平成15年1月19日
礒邉自適