このページは 18年10月18日以前のメッセージだけを集めて載せました。
2002/7/30
恒歌 ・ときわ
14・7・30
今朝の霊夢には「恒歌」と文字が出て、「ときわ」と読む意味が示され、続いて文章が見えて来た。
文章の書き出しは、平仮名から始まって、易しい漢字があり、段々と難しい漢字へと移行して行くのである、
そして横書きの短い文章が、楯に10行ぐらい映って消えた。そして次に、短冊に書かれた和歌が、一首現れて終った。
朝起きて、辞典言泉で調べると、「ときわ」とは「常磐(盤)」と書き、「とこ(常)いわ(磐)の転で、常に変らない岩、転じて永久に続くさま」と有る。
私の夢に出た「ときわ」は、「恒歌」の漢字であった。
普通に、意味を採れば、「つねに変らないうた」と成る。
漢語林で調べると、「恒」は「心+亘」で、「亘」は「一方からもう一方へ、つねに変らない方法で わたすの意味」と有り、「いつも 変化しない方法で わたす心の意味」である。
「歌」は、金文では「言+可」の組み合わせで、「可」は「大きな口を開けて、喉の奥が見えている状態の象形」で、「迷い無く 大きく言える 良い言葉」の意味である。
これ等の、漢字の意味から考えると、「恒歌」とは「永遠の真理を ハッキリと言葉にして 伝えて行く」との意味に取れる。
「常磐」の意味も「永久に続くさま」だから、同じ意味を有する理・ことが見えて来る。
日本の天皇家の伝統は「御饌殿・みけどの」で、台所を神の居処と捉え、食事を守り、鎮護国家の祈りを、和歌にして詠う事にある。
日本語での「うた」とは、「宇宙の力(た)」の意味で、「宇田」と表記出来るのではないだろうか。真言宗で言う処の、「マントラ・真言」である。
仏教でも、「仏(釈迦)」の教えを守るには、食事が大事とされ、漢字の「謂・いう」は、訓読みでは「こころ・心」とも読む事が、辞書には載っている。
私は、屋久島に帰り、屋久島の水を飲み、屋久島の大地に触れ、屋久島の空気を吸い、屋久島の蝉の声を聞きながら、一ヶ月に成ろうとしている。
ようやく、18年前まで生活して居た、屋久島の環境に「体・體」が馴染んで来たのだろうか。
屋久島は、全島が花崗岩で出来ており、山岳部は猿と鹿しか住めない険しい地形である。その為、人家は、海岸辺りにしか無く、島の西部には人家は一軒も無い。
そんな島だから、人手が入っていないので、常磐の岩山としてはピッタリである。
私は、そんな島の山々で、遊んで育って来たのである。
私の意識の基盤には、梃子・てこでも動かない、磐石な情報システムが、組み込まれているのだろう。
私達の「生命・いのち」は、「胃の血」であり、人間が生きるには、他の生命を胃に入れなければならない。
地球上の全ての生命は、生命(仏)の情報に因って生きている。
その「情報・いのち」とは、別の言葉で表現すれば、磁気的信号情報を蓄えたものが、「いのち(仏)」と言えるだろう。
私達は、自分の遺伝子情報を伝え残す為に、他の生命の、遺伝子情報を食べて生きている。その情報は、地球の大地から産み出される現象・ものである。
私達人類が、現在・いま一番先に、求め直さなければ成らない物が、この「生命・いのち」の情報である。
現在の情報は、教育も含めて、経済中心の方向だけに向っている。
人間の、脳が創り出した、不自然の情報ばかりが、巷・ちまたに溢れており、常磐の意味など考える者など、一人も居ないのではないだろうか。
本来は、天皇家が、其の事を伝・傳える役目なのだが、皇太子にさえ、其の事が教育されているのか定かではない。
国民に、天皇家の本来の役割が何であるのかを、ハッキリと示さなければ成らない。其の事を、大きな口を開けてハッキリするのが、私の役割なのだろうか。
今朝の夢に出て来た一首が、誰の歌かは分からないが、霊界の歌詠み名人が、一首贈って来たのだろう。
私には、天皇家の様に、歌う技・すべは無い。
私は、夢の意味を、解きほぐして行くだけである。
私の見る夢は、無意識の力であるので、自分で操作する事は、出来ないのだ。
平成14年7月30日
礒邉自適
2002/7/23
女の霊と男の霊
14・7・23
昨日22日の霊夢には、女性が二名現われた。
一人は、外人の女性で、私も一度会った事がある、オーストラリアに住んでいる西洋人で、癒し系の仕事をしている方であり、人間が幸福に暮らせる村を造りたいと願っている女性である。
四年くらい前に出会った女性なのだが、その方が夢に出て来て、「手に入ったよ」と云ったのである。
其れは、家か土地が、希望通り手に入ったとの事だろう。
もう一人は日本人で、会った事は無い女性だが、私の家の前に車で来て、「自適さん 出発します」と、挨拶に来た。それだけを告げて、車で何処かに出発して行った。
昨日は、霊夢の意味する処が分からないので、文章には出来なかったのだが、今朝は、男性の姿が出て来て、昨日の霊夢の分も、意味を持って来たので、文章にする事ができる様に成った。
今朝の夢は、全体が、文字にて文章が書かれてあり、真中に、男性の上半身の姿が、肖像画の様に見えて来た。其の男性の年令は、70歳くらいだろうか。
髪は、半分以上は白くなっているが、健康な様子で、人相はとても良く、知的で、柔和で上品で、申し分の無い人格である。
私は、この様な人が、現実に存在するならば、直ぐに、会いに行くだろうと想った。
其の男性は、東洋系、西洋系、ネイティブアメリカンの、どれとも言い難い顔である。だが、黒人ではない事は、確かだった。
その男性の周囲が、文字で占められていたと言う事は、その男性が、真理を體得した人で、教えを残している事を、伝えてきたものと想える。
其の姿は、男性の完成像と言っても良いだろう。
現代の世の中は、情報や出版物が氾濫して、何が、真実なのかが、判からなくなっている。今朝の夢に出て来た様な人物が、現実に現われれば、世界の人々は、其の人の教えに耳を傾けるであろう。
是で、男性の存在の在り方は見えて来た。
其の事が理解されると、今度は、女性の役割が何だろうかとの、意識が持ち上がって来る。
其処で、昨日の霊夢の女性の事が思い出される。
夢に出て来た女性は二名とも、理論や方法論を言う様な人ではなく、直ぐ行動する性格の、実行型の人物に想えた。
二人共(西洋人も、日本人も)、人間が幸福に生活する場を、創造する為の行動に移る、その瞬間の場面だと、説明した方が当たっているだろう。
昨日の夢と、今朝の夢を、両方合わせて考えてみると、いよいよ、女性が、幸福な生活の場を創造する事に取り組み始め、男性は、真理に向って進み始めるとの、意味に捉えて良いと想える。
私の是からの行動は、女性達の生活の場造りに協力しながら、真理を求めている男性に対して、その指針と成るべき手助けをするとの事だろうか。
其の事を、霊界人や、天の働きが、私に求めて来ているのだろう。
霊界から、その様に、メッセージが降りて来るのであれば、その為の準備は、「天界・お陰様」の世界では、出来ているのだろう。
私は、屋久島での暮しが、今日で丁度「3×7=21日目」に成った。
私は、何を考えて、どう行動をすれば良いのか、漠然としていたが、女性用と男性用に、行動をパターン化出来れば、その方が楽である。
女性には、生活の仕方を、男性には、宇宙や自然の有り様と、文字や言葉の正しい使用のあり法(かた)を、伝えて行けば良いのだろう。
ようやく、私の18年間の心の旅の意味が、明確に成って来た様に想える。
私自身が、自分の気持ちの芯が、決まらなければ、私と接する人も、何処を捉えて、どう認識すれば良いかが、決められないだろう。
今朝は、私に方向性が生まれた事で、意識の組み立てが、楽になって来たと言えるだろう。
私の悩みは、霊界人の悩みでもあろうから、私が楽に成る事は、霊界人も同じく楽に成る事でもある。
それが、神社での祝詞に出て来る、「神魂の思頼・みたまのふゆ」を解決する事の、本来の意味ではないだろうか。
それに成功すれば、解脱・げだつした人、ほどけた人(仏)の意味の、「ほとけ・仏陀」の役割も現実的に成って来るであろう。
平成14年7月23日
礒邉自適
2002/7/21
枝を伐られた大木
14・7・21
今朝の霊夢は、枝を伐られて裸にされた、何本もの大きな木が出て来た。
其れらの木は、針葉樹ではなく広葉樹で、屋久島にも生えている木が何種類も現れて、みな枝が無くなっている。
何本も出て来た木は、未だ、枝を伐られてから日が経っていないので、活きており、私に、何かを伝えようとしている感じだった。
私には、人間と、木の境が無く、同じ生命として、感じ取れたのである。
私は、小学生の時より、山の中を旅するのが好きで、一人で、朝から家を出発し、暗く成るまで、屋久島の山中を歩き回っていた。
屋久島の山は、どんな奥の方でも、昔、屋久杉を切り倒した残骸が存在し、私は「こんな 山奥からも担ぎ出したのか。昔の人達は 体力が有ったのだなー。」と、感じていたのだが、古文書を読んで見ると、約400年くらい前までは、屋久島の島民は屋久杉を神の住む木として、伐る事をしなかったそうである。
それが、屋久島安房生れの「泊 如竹」(1570〜1655)が、1630年に屋久島に帰り、貧しい生活の島民の姿を見て、何か産業をと考え、屋久杉を伐って島外に売る事を、島民に薦めた事が切っ掛けとなって、屋久杉が伐られ始めたとの事らしい。
最初、島民が怖がって伐ろうとしないので、泊 如竹翁は考えた末、島民の代表に「杉の木に 一晩斧を立て掛けて置きなさい。
神様が切っていけないと言うのであれば、斧が倒れているだろう。」と云って、島の人がその様にして、次の朝、見に行くと斧が倒れていなかったので、神様のお許しが出たと言う事になり、杉の伐採が始まったとの事らしい。
僅か、370年前までは、屋久島の山岳は、神の住まう所として、手付かずの状態だったと言う事になる。
現在でも、アフリカやアマゾンには、木に神が住んでいると考え、木を伐る時には、儀式をする民族が存在するとの事。
人間が、現在の様に、頭脳で全てを考えて行動するのではなく、昔の人々の様に、体の皮膚感覚で物事を感じて生活すれば、草木も、同じ生命の次元に存在しており、自分と、植物の間に、境は無いと気付くだろう。
私が、産れ育った故郷の環境は、何百年前の人達と同じ処が、多分に有ったものと思える。
私は、一年中、自然の木の実や、草の実を食べたり、猿の様に、木の上に棚を造って遊んだりと、木と自分が、切っても切り離せない関係で、育ったと思う。だから、私の体の細胞は、其の事を、未だに記憶しているのだろう。
今朝の夢に登場した木々は、私が不動産業をして、別荘分譲を行っていた時に、開発する為に伐った木なのか、あるいは泊 如竹の霊が、私の意識に作用して、自分の罪滅ぼしをしたいと考えて、私にメッセージを送って来たのかが分からない。
この文章を書いて居て、手が進まなく成ったので、顔を上げると、何十冊も有る雑誌「生命の島」が目に留まったので、その中の一冊(17号 平成2年夏)を、無造作に手に取りページを開けると、丁度そのページに「泊 如竹」の屋久島開発に付いてがテーマの、対談集が載っている。
私の意識は、未だ、自分の物ではないらしい。
自分で、書いている心算なのだが、書く事の原因が、霊夢や霊示なので、相変わらず、霊界の人達に、影響を受けている事が解かる。
霊夢に映る木の姿は、どう言うシステムで、私の脳に映し出されるのか分からない。「木霊」が直接出ているのか、「霊界人」が木の姿をとって現れるのか、それとも「宇宙の意志」が、映像を情報化して出してくるのか、私には判断が出来ないのである。
私に理解出来るのは、古代の人達も、生活をするのに、木を倒して丸木舟を造ったり、家を建てたり、畑地を耕したりと、木は生活の一番近い処に在り、私の様に、伐り倒した木が夢に出て来たりするので、樹木に、神が宿っていると考えたのではないだろうか。
現代の世の中では、私の様な体験を、持ち続けている人は少ないのだろう。
それと、夢で見たにしても、私の様に、その事を書き留めたり、他人の目に留まる様に、表に出したりはしないと想われる。
だからこそ、私に、集中的に霊夢として現れるのかも知れない。
今朝夢に現れた木が、私に何を告げたかったのか、人間の言葉としてのメッセージは無かったので、私が、自分勝手に解釈するしかないが、樹齢としては老木一歩手前の処で、木の生命力は未だ盛んであり、木材の価値としては一番高そうな時期である。
木魂としては、人間に伐られる事を、怒っている風ではなく、大事に長く使用されるのであれば、本望だとの様に受け取れた。
映像は、枝の無い大木が数本出て来ただけで、周囲に小さな子供の木が、一本も生えていなかった。
出て来た木には、枝が無いので、花も実も付いていないし、子孫が増えているとの様子は伺えない。
其れ等の事からすれば、杉や、桧・ひのきの様に、人手で子孫を増やせている樹木は良いが、人間が大きいのを伐るだけでは、雑木は絶滅してしまうとの事なのかも知れない。
人手が入った事の無い森林は、様々な種類の木の混合林である。
一度、人の手が入ると、繁殖力の強い、生命力旺盛な種だけの森になってしまう。
自然の森は、小鳥や蝶や蜜蜂などが、一年中、餌にあり付ける様に、時期をずらして花や実を付けている。森林の働きは、何種類かの樹種が絶滅してしまうと、他の生命系にも影響を与えてしまうのである。
私達人間も、地球に住む同じ生命として、「もっと 樹木の事を考えなさい。」との今朝のメッセージだったろうか。
私は、屋久島で一番、木の世話になった人間なので、この様な役目が回って来たのかも知れないのである。
平成14年7月21日
礒邉自適
2002/7/20
ライン・line
14・7・20
今朝は、「ライン」の言葉が告げられて来た。
「ライン」の言葉は、英語では、「線」とか「列」の意味だと有る。
現在・いま大事な状況の中で、無意味な事は、告げられて来る事はないだろう。
私たち東洋人には、「道」の言葉の意味が、線と同じニュアンスを持っていそうな気がする。
日本では「筋道」とか「筋を立てる」等の言葉が使用されるが、西洋には無いのだろうか。
「ライン」と、言って来る霊界人は、西洋で生活をしていた人間なのだろう。今朝のお告げは、自分が「ライン」の意味を知りたいのか、私に「ライン」の意味を理解しろというのか、ハッキリしない処がある。
私は、昨日買って来た、屋久島の50000分の1の地図に、東西南北に線を入れて、18年前の、私の行動と比べて見たのである。
6月9日に儀式を行なった矢筈崎は、屋久島の真北に当る場所で、反対側の真南が大崎川である事は、前述したので説明しないが、その縦横が交わる場所が「ネマチ岳・寝待岳・1814m」で、その直ぐ西側には「神様のクボ」と言う名で、呼ばれている場所がある。
屋久島は、昔より、特別な行者が修行に来ていたらしいので、ネマチ岳に籠って、神様の啓示を受けていたのではないだろうか。
私は未だ、「ネマチ岳」にも、「神様のクボ・窪」にも、行った事が無いので分からないが、何か山岳に、神様の仕掛けが有るのかも知れない。
私は面白くなって、8方、12方、16方と、線を増やして見た。
8方だと「360度÷8=45度」なので、1方が45度になり、12方は30度、16方は22.5度になる。
不思議なのは、私が、修行の場と捉えられる場所が、この線上に位置するのである。其れは、とても偶然とは思えない。
私が、無庵師匠に出会って、道場と成った場所が、120度の辰・たつのライン上で、妻の実家が30度の丑・うしのライン上と成っている。
私は27歳の時、妻に出会ってから、その家に通い、結婚して泊る様になった。私は、其の家で、何度も神のメッセージを受けて、人生が決定されて来たのである。
因みに、私の生家は98度の場所で、方位では名称は意味付けされていないが、スーリアサロンが6月8日に開かれ、スーリアさん一行が宿泊した「屋久島グリーンホテル」は、生家の延長線上に位置している。
そして、2日目の宿泊所となった「いわさきホテル」は、16方位のライン上で、157.5度に位置している。
地図を見て、私が想うのは、屋久島の西部地域は、海からいきなりの急斜面で山に続いているので、人家は一軒も無い。もちろん電気も引かれていない。
別な言い方をすれば、人間が住んで居ないので、汚れ・穢れ・気枯れていないと場所であると言えるだろうか。
方位で言うと、225度の栗生の「屋久島青少年旅行村(坤・ひつじさる)」から、300度の(戌・いぬ)の間が、無人の場所である。
西方は、易では「白虎・びゃっこ」が神とされ、「交通(道路=経済)」を司るとされている。
其の白虎は、日本には虎が生息しないので、代りに「白狐・びゃっこ」となり、商売の神様は白い狐の姿で、お稲荷様として祭られている。
屋久島は魂しいの島だから、商売抜きとされ、西側が塞がれているのだろうか。
そう言えば、種子島には鉄砲が上陸して日本に広がり、今度はロケット基地として技術発展をして帰って来たが、屋久島に上陸して来たのは、キリスト教の伝道に来た「ジョバンニ・シドッチ」と、仏教を伝えに来た唐の僧「鑑真和上・がんじんわじょう」である。
「キリスト教」と、「仏教」の精神的な関りの人達が、屋久島に引き寄せられたと言うのも、私は何かの因縁を感じる。
屋久島が魂しいの島であり、インドの「宗教・ウパニシャッド」のブラフマン・真理と、「ビルシャナ仏(真理の本体)日本の大日如来」などと、方位分割「8度・12度・16度」が、同じ真理の意味を持つものであれば、私が屋久島に産まれて37年間住んだ事に、意味が有るのではないだろうか。
そして、私が屋久島の全域を、魚釣りで廻たり、山岳の頂きで、一日中岩場に座っていたのも、肉体的体験を積むものであったのだろう。
其れに、25歳頃から、全国から来る客人を、案内して回っていたのも、意味が有ったのだろう。
今回、屋久島に帰ったのは、自宅と、母親の家を、修理する為が目的だったのに、台風が立て続けに近付いて天気が悪く、一向に大工仕事が出来ないでいる。神の都合により、私には、大工仕事をするより、屋久島の仕組みを感知する事が、優先するのだろうか。
今日までに、判明した事は、屋久島は私が想っていたより、不思議な島の様である。
屋久島に伝わる民謡「まつばんだ」では、「屋久のお山をおろかに想うな 金のくらよりまだ宝 チョイサヨ チョイサヨ 」との詞がある。
「チョイサヨ チョイサヨ」とは、朝鮮語で「目出度いな・目出度いな」と言う意味になるらしい。そして「まつばんだ」とは、中国の雲南省では「賢者の集まり」の意味が有ると聞いた事がある。
私の考えでは「まつばんだ」とは、「待晩座」であれば「寝待の山で 神のお告げを待つ人の 集い」となり、良い智恵が授かれば、「目出度い・目出度い」との事なのかも知れない。
「金の蔵よりまだ宝」とは、経済より、もっと大事なものが、存在する山と言う事になる。
私の体験からすれば、37年間、屋久島に住まなくても、場所と時を読む事が出来れば、真理・ブラフマンに到達する事は、意外に簡単なのかも知れない。
今の処を、参考として述べるならば 、次の様に成る。
(方角) (角度) (地名) (宿泊施設)
(北) 子 0度(360度) 一湊 花屋旅館
(北東)丑 30度 深川 屋久のさと
(東) 卯 90度 長久保 パッション館 P2
(東南)巽 135度 麦生 民宿 やくさば
巳 150度 尾之間 四季の宿
(南) 午 180度 平内 平内海中温泉荘
未 210度 中間 民宿 浜辺荘
(南西)坤 225度 栗生 屋久島青少年旅行村
(北西)乾 315度 永田 送陽亭
− 今後も 調査を 続行します−
ライン上に近い宿泊施設で、泊る事が出来るが、宿の無い所はテントか車中で泊るか、昼間瞑想をするなりして、エネルギーのチャージをしたら良いと考えられる。
あと、鉱脈のエネルギースポットや、滝のポイントと、エネルギーの有る神社や大樹などが有るが、其れは別のページにて紹介したいと思う。
「屋久島の神社」http://moon.ap.teacup.com/20070607/
「屋久島八十八滝巡り」http://moon.ap.teacup.com/20070822/
平成14年7月20日
礒邉自適
2002/7/17
あもーる (amour)
14・7・17
今朝の霊夢には、菜切り包丁が現れて、包丁で野菜が切られている映像が見えて来た。そして、朝起きる時には、「あもーる」との言葉が告げられて来た。
「あもーる」は、15日の台風で、自宅の屋根の瓦が数枚飛んで、雨漏りがしているので、「あめもる・雨漏る」かとも想ったが、どうもそうではなさそうなので、国語辞典を引いて見ると、「アモール」は無いが、「アムール」が載っていて、スペルが「amour」である。「アムール・amour」は、フランス語で「恋、愛、恋愛」の意味らしい。
夕方、「あもーる」と出た事を友人に話すと、それはスペイン語で「愛」の事を「アモール」と言うとの事を教えて貰ったので、「アムール」も「アモール」も、本は同じ語源である事が、理解出来たのである。
では、「あもーる」と、包丁の繋がりは、何なのだろうか。
夢に出て来た包丁が、サシミ包丁や、出刃包丁でなく、菜切り包丁で、野菜しか切れない包丁なので、野菜を切る事と「あもーる・愛」の関係を、どの様に考えたら良いのだろうか。
私は、屋久島で37年間、普通の人達と同じ食事をして居たのだが、37歳の時、無庵師匠に捜し出されて、「玄米自然食・マクロビオティック」を訓えられ、それから18年間、出来るだけ自然の食物を摂る様に努めている。
最初の一年間は、一切肉を食べず、魚も天然自然の物を稀に食べるだけだった。主に、玄米と具澤山の味噌汁と、梅干、のり、沢庵等、植物性中心の食事をしながら、精神的な世界の勉強を続けて来たのである。
其れに、私は料理に興味を持ち、包丁は、菜切り・刺身・出刃・麺切り等を揃え、簡単な会席料理が出来るぐらいは、陶磁器類の器も持っている。
昔から、料理は愛情が大事だと言い伝えられて来ているが、それなら何故「愛情を持って料理を作れ」と、単刀直入に言って来ないのだろうか。
それも「愛」と言わずに、何故「あもーる」等と、私の知らない言葉で、わざわざ言って来るのだろうか。其れとも、もっと深い意味を探れと言うのであろうか。
スペイン語や、フランス語の「amour」の語源が判れば良いのだが、私にはそれだけの学識など無い。私流に、勝手に考えれば「あ盛る」になってしまう。
日本語、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語などの言語の中に、シュメール文化や、アステカの文化が影響を与えている事は、皆の知る処である。
アステカ文化の、カレンダーの中心には「太陽の神」が、長い舌を出して、舌の真中に「五芒星・ごぼうせい」の印があり、それが「あ」だとも云われ、「大日如来・ビルシャナ佛」も「あ・阿」の字が、その化身でもあると言う。
植物は、太陽のエネルギーが無ければ、育つ事は出来ない。
太陽が、産み育てるものが「ア」であれば、食物は「ア」であり、料理を作る人間も「ア」であると言えるだろう。「ア」は、太陽の愛であり、「あもーる」は「天降る」であり、「皿食盛」なのかも知れない。
天皇家の伝統は「食国政事・おすくにのまつりごと」と言って、「台所・御食殿(みけどの)」が一番大事とされているし、仏教の禅宗では「典座・テンゾ」と言って、台所を預かる者が、一番能力が必要とされている。
今朝のメッセージは、「包丁を扱う者が 一番 愛情を必要とする」との理・ことを、伝えて来たのだろうか。
現代の世の中は、外食産業が繁盛して、母親の手作りである、愛情豊かな料理を食べて育った若者が、少なく成って来た。
今朝のメッセージは、其れ等の事の、警告かも知れないし、私の是からの人生への、指針としての事なのかも知れない。
何れにしても、「神様のamour」の現れである事は、間違いないだろう。
平成14年7月17日
礒邉自適
2002/7/13
大きな波・ビッグウェーブ
14・7・13
屋久島に帰り、生活を始めて、今日で11日目になる。
そして、気付いた事が有る。
其れは、メッセージの出方が、二重構造に成っている事だ。
其れは、夜中眠って居る時に見る夢と、朝方に、意識が目覚めた時に出て来る言葉と、二通りのメッセージが有る事である。
夜中に、映し出されて来る霊夢は、宇宙的な物の姿として現れ、其れは絵なので、右脳主体なのかも知れない。
朝方の言葉のメッセージは、人間の世界に関した言葉なので、どちらかと言うと、言語脳である左脳主体なのではないだろうか。
私は、朝起きて、両方の意味を考えながら、その二つの意味の関連性から、何かの答えを、引き出さなければならないのである。
今朝のメッセージは、日蓮宗の異なる宗派のマークが、二つ映って来たが、宗派が異なっても、マークは全く同一なのである。
そして、朝起きる時に、受け取った言葉が、「大きな波」であった。
今朝のメッセージを、関連付けて考えると、争っている二つの異なる日蓮宗も、本は同じ「日蓮上人」の教えに拠って、始まっている物である。
更に、其の本を辿れば、インド産れの釈迦仏陀の教えに行き着く。
宗派が異なっていても、突き詰めて行けば、本は同じなので、手を取り合ってこそ、しかるべきものなのである。
今朝のメッセージは、更に、「大きな波」と出て来ているので、釈迦仏陀のレベルまで遡って、ウネリが来るのであれば、2600年振りの精神的なビッグウェーブと成る。
或いは、私が18年前に見せられたビジョンの、12000年振りの大揺れが来るのであれば、地球規模の天変地異まで含んだ、大災害を伴うものである。
しかし、其れは、その後、人類の気付きも起きて来たので、最悪の状態は回避出来たものと想う。
だから、今回のウェーブは、2600年振りくらいの規模で、人類の価値観の大きな転換くらいの処で、済むのではないだろうか。
しかし、それだけの事としても、精神的な準備が出来ていない人々は、パニックを起こしかねない。
何故なら、金や物に執着がある者は、その峠を越える事は難しいからである。
今朝のメッセージは、日蓮宗のマークとして出て来たので、仏像を拝している他の仏教は、其れよりも未だ、外れている事を示唆している。
日蓮は、「釈迦の 法華経に 帰依しなさい」と謂っているので、釈迦の説法の内でも、法華経の教えを感じろとの事ではないだろうか。
大きな波を、受ける前の、心の準備として、釈迦仏陀の教えを紐解くのも、一つの手段と成るのかも知れない。
平成14年7月13日
礒邉自適
2002/7/12
はんのき
14・7・12
今朝の天気は大雨で、雲が低く垂れ込んで、暗いイメージの方の屋久島の風景である。
自宅前の、安房川に掛かる橋の上を、小学生は此方側へ、中学生は向う側へと、歩いて渡っている。
中学校と、小学校は、安房川を挟んで、両側の岡の上に位置している。
40年前、私達が学生だった頃と、同じ道を、現在も子供達は歩いている。
私が、階下の定位置に座って、タンポポコーヒーを飲みながら、橋を渡る子供達を眺めていると、「はんのき」と言葉が出て来た。
「はんのき」とは、聞いた事の有る木の名前だが、どんな木だったか分からないので、漢語林で「はん」を調べてみた。
すると、「榿」と「榛」が二つ有って、同じ木の事であると判った。
同じ木の事で、「カバノキ科、はりのき、はんのきと呼び、カバノキ科の落葉高木、生長が早く、三年で大木になる」と事。
「実は 松かさに似て小さく、樹皮とともに染料に用いる」とあり、「秦」は「のびしげる」の意味で、「雑木の茂る、やぶの意味や枝葉がしげる、はしばみの木の意味を表す」と 載っている。
「はんのき」と出て来た意味は、「三年で大きくなる」、「早くしげる」の意を伝えてきた様である。
「榛」を使った言葉に、「榛穢、榛薈(しんあい、しんわい)」が有り、「雑草が生いしげる。またその草むら。転じて悪習、悪政をいう」と 載っている。
私が、屋久島暮らしに戻って、本日はちょうど10日目である。
何を、始めたら良いのかを考え続けているので、霊界がヒントを与えてくれたのであろう。
「三年で大きくなる、しげる」と伝えて来たと言う事は、私が考えたり、作戦を立てたりしなくても、神の議り事が存在するのだろう。
其れに、「榛穢、榛薈(しんあい、しんわい)」が悪習、悪政を言うと有るので、其れを正せとの事も有るのだろうか。
18年間、屋久島の事は全部捨て置いたので、財産は他人に好きにされ、家は白蟻でボロボロである。
18年前に、事業を止めないで、其のまま続けていれば、時代の流れに乗って、大きく成長したであろう事は、現在の屋久島の様子を見れば、ハッキリと想像出来る。
されど、事業に成功したとしても、それは普通の人間のままで、精神的な世界の成功者ではない。
ブッダと呼ばれる「覚者・宇宙の秘密に目覚めた者」と成る事は、出来なかったのである。
「ブッダ、覚者」の事を日本語では、「スメ大神、スメラの命」と呼んで来た。其の事が、民衆レベルに理解されるのが、三年程掛かると言う事なのだろうか。
それとも、未だ、現状の悪習、悪政が、榛穢、榛薈と広がるとの事だろうか。
陰陽の法則では、「陰 極まれば陽に転ず、陽 極まれば陰に転ず」と有る。
悪い世の中が極まって、善い世の中に成る。または、真理の無い世の中が極まって、愛や慈悲の有る明るい世の中に、転じる事が近いのだろうか。
其の事を念じて、私は此の屋久島で、日々の生活を送るしかない。
平成14年7月12日
礒邉自適
2002/7/11
手力男命・たぢからおのみこと
14・7・11
「行く行く わたしも帰らなければならないが、その前に 一つだけ成さなければならない事がある。」 「善を成す事が 如何に難しいか。」
私が、岩戸を開けた事になっているが、それは勘違いで、私は力が強かっただけで、皆が智恵を出し合わせて行った事である。
私には、作戦も号令も何も無く、言われた通りに肉体的力を提供しただけである。私が力を出した事が、善かったのか、悪かったのかが問題ではなく、どうして、その様な事柄が起きたのか、その原因を認識することが大事である。
天照大神が、須佐之男命の暴力が嫌になって、岩戸に閉じ籠った事が原因であるが、それが無ければ、岩戸開きの物語そのものが存在しない事になる。
そうであれば、須佐之男命は人類に対して、能力アップの為に一つの課題を与えた事になる。
その須佐之男命が、役割を演じて、物語が残された為に、数千年の歴史が出来上がって来たとも言える。
現在の世の中は、全人類が、川を堰き止め、山の木を切って放牧場にし、自分の利益の為だけに儀式を行い、神の創りたもうた、此の地球の環境を壊している。
3000年前に、須佐之男命が、川の堰を壊し、馬の皮を剥ぎ、天照・天津系の儀式に糞を撒きちらし、天照族の遣り方を止めさせ様とした事が、いま世界中で起きている。
須佐之男命が、現在の世の中に現れれば、どの様な行動を起すのだろうか。
世界では、グリーンピースの活動が、須佐之男の行動に似てはいるが、その効き目は、歴史を変える程の力には至っていない。
須佐之男の様に、強い問題提起が成されなければ、岩戸開きを求める運動が、エネルギーを持つ事が出来ないのだろうか。
3000年前の物語の様に、見ている事に、堪える事が出来なくなった「天照神」が岩戸に閉じ籠って、全住民が、生活出来ない様にならなければ、其の事は起きないのだろうか。
人類が、幾らか成長を遂げているならば、限界に達する前に、何かの方法が採られるべきである。
人類は、肉体的力を補う為に、様々な重機を造り出した。
私の力は、現代には必要はないだろう。必要が有るとすれば、重い岩の戸を、何時開ければ良いかとの、タイミングを計る事である。
機械では、そのタイミングは計れない。
機械を動かすには、人間の操縦が必要である。私が出来るのは、そのタイミングを計る事である。其の事が、今回の私の役目である。
《此処で 意識を変える》
追記:
今朝は、意識が紙に向かったのでペンを持つと、「手力男命」と頭に出て来たので、書き始めると、上記のような文章と成った。
今朝方のメッセージには、「我我一我」と文字が出て来た。
漢語林で、「我」の字を調べてみると「刃先が ぎざぎざしたほこ(戈)の形にかたどり、借りて『われ』の意味を表す」とある。
「國の中に使われている『戈』と同じで、『戈』軍備を持って村を囲う」の意味からも分かる様に、自分の意志を示す事を、意味している様である。
それからすると、「我我一我」とは、多数の意志を持った人々の中の、一人の意志との意味になる。
先の文章からすると、3000年前の岩戸開きの物語の中にも、鏡を作ったり、作戦を立てたり、榊を用意したり、踊ったりと、多くの人々が参加し、夫々の役割を果している。
今朝の「我我一我」は、それぞれの人が、それぞれの戈(道具)を手にして、岩戸開きを待っているが、その中の「一我(手力男命)」だとの事を、伝えて来たのだろうか。
18年前の、屋久島の社会状況は、私に関係する人々が皆、悪人であった。
その為に、私は、自分の殻(岩戸)に閉じ籠ってしまったのである。
自分の、可愛い三人の子供達の存在がなければ、おそらく其の侭、人間社会には復帰出来ない領域まで、深く入り込んでしまったであろう。
私は、子供達を護ろうとの意識が残っていた為に、子供達を救う為には、世の中を変えなければ成らないと想い、その想いが、私に18年の旅を続けさせたのだと考える。
私が、岩戸に逃げ込む役目であれば、私の本体の守護霊が、「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」と言う事になり、私を18年振りに、屋久島にカムバックさせた笑門の神は、スーリアさんと言う事に成って来る。
其の様に考えると、スーリアさんに接触出来る人達は、新岩戸開きの参加者と言う事が出来る。
天照皇大神とは、太陽エネルギーに因る「可視光線」を使用して、目の働きを持って、現象界を認識する意識の「目・素目・スメラ」の王と言う事に成る。
私の意識の目が、何処まで完成されたかは、自分では計り知る事は出来ないが、18年振りに屋久島に帰って来て、18年分のビデオテープを巻き戻して、反省して見ると、私を動かした、或る大きなものの存在(サムシング・グレート)が、真実の事として確認出来るのである。
私の人生を振り返って見ると、自分で歩いて来たとは想えない程、大きな、目には見えないモノに、運ばれて来ていた事が理解される。
是からも、自分が行っていると、勘違いをしながら、大きなモノの手中の舞台で、踊らされて行く事だろう。
其れは「南無阿彌陀場(はかり知れない場)」である。
平成14年7月11日
礒邉自適
2002/7/8
儀式を終えて
14・7・8
私が、神の世界に導かれて、一番大事と想っていた儀式(セレモニー)が、2002年(平成14)6月9日午前11時丁度に完了した。
それは、人間社会の通常の仕来りではなく、地球と言う極めて現実的な物質を伴っての、宇宙的なセレモニーとしてである。
「神の世界」とは、一口で謂えば「人間の目には 直接には見えない 働きや力(パワー)の理・ことである。
我々が行った、今回の儀式は、其れ等の神の存在に直接影響を与え、また、人類への未来の希望を、授かる内容のモノだったのである。
其の儀式では、人間が造った人造物が対象ではなく、宇宙の材料で出来上がった地球の一部を、人間の手中に納めて、宇宙と人間の結び付きを、確実なモノとする事を行ったのである。
私が、産まれ育った屋久島は、全島が花崗岩で出来ており、島中には、其の花崗岩形成の折に、磁場が走り回った証しとしての、硅石や石英の白い線が縦横に走っている。
其の、石英の線上に有った、一個の回路の小石を外して、スーリアさんに預けたのである。
今回の儀式で、私の18年間の修行は、一応終了した感が有り、個人的には、満足感と共に、静かな意識状態にある。
6月8日の「スーリアサロン屋久島」の会場は、島の人も参加して、22名で無事に楽しく終了する事が出来た。
そして、翌日6月9日には、宿のホテルを9時に車二台で出発し、途中宮之浦に有る「益救(やく)神社」に立ち寄って、大牟田信文宮司と連絡を取ってから、屋久島の最北に位置する矢筈岬に向った。
私と、スーリアさんが乗った車から、二名を「矢筈八幡神社」の入り口に降ろして、八名にて矢筈岬の突端で儀式を実行し、終了したのが11時ジャストであった。
次に、矢筈岬の石英の回路から外した石を、桐の小箱に納めたのを持って、矢筈八幡神社へ向い、別隊と合流して、大牟田宮司による正式参拝を行った。
その式典が終り、スーリアさんが頂上の駐車場に帰って来たのが、ちょうど正午(12:00)であり、其れから、昼食の会場である永田の「ホテルつわのや」に向った。
そして、昼食後、日本一の「赤海亀」産卵地である「いなか浜」砂浜を見学し、島の裏側の世界自然遺産の森の中を走る「西部林道」を通り、途中「大川の滝」を見学した。
次に、中間に有る「フルーツガーデン」で、案内人の説明を受けながら園内を回り、園内にある店に入って、フルーツとジュースで喉を潤わせて、宿泊施設である尾之間の「いわさきホテル」に向った。
そして、いわさきホテルの中庭で、皆で記念写真を撮り、絶景である三階のレストランで夕食を済ませ、皆が、それぞれの体験・感想を発表してから、解散となった。
不思議な事が、其れから起きるのだが、其の事は、次の項目に記す事にして、とにかく私としては、長年の気掛かりが片付いて、一段落と言う処である。
セレモニーが実行され、人間側(サイド)に、新しい認識が納まれば、霊界人達は、次の段取りを、企画する事が出来るのである。
その意味で、今回の儀式は、過去の時代には無い、大きな意味を持つ事は、間違いないのである。
平成14年7月8日
礒邉自適
2002/7/8
笑門
14・7・8
三重県の伊勢地方には、民家の玄関の入口上に、「笑門」と書かれた板が掛けられている。
私は、18年前に伊勢に行った時は、「ああ 玄関は人との出会いの所だから 笑顔が大事との理・ことだろう」と想っていたが、今回の屋久島での儀式で、また謎が一つ解けた感じある。
6月9日に、矢筈崎での儀式が済んで、「スーリアさん」のグループは、尾之間の岩崎ホテルに泊まったのだが、芳我美光氏と愛媛グループは、未だ泊まる所が決まっていなかった。
「何処にしようか」と話し合っていると、ヴァンホー氏が「私は 知り合いの落語家の別荘に泊めて貰う」と云う。其れで、愛媛組も其処に一緒に泊めて貰う事になった。
其の場所は、平内海中温泉の近くであり、夜は誰も他人の居ない海中温泉を、美しい星を眺めて「星の数が多いね」と言いながら、貸し切りで楽しんだのである。
其れから、数日して、地図に矢筈崎から真南に線を引いてみると、丁度その別荘の真上を通過する事が判明した。其れで、私は「是は 何だろうか」と想った。
6月9日の昼12時丁度に、真北の矢筈崎で儀式を終え、泊った施設がちょうど真南に当るのである。
その出来事を考えると、とても偶然の出来事とは想えない。
其の別荘も、出来て一年余り程で、未だ新しいので、前からの物ではないし、参加したヴァンホー氏が、何故か、其の持ち主と知り合いで、鍵を郵送にて送って貰ったとの事である。
私は、其の事で「是は また神の計画の 人智には 計り知れない仕組みが 動いたな」と、感じたのである。
そして、その意味を考えていて、落語家とは、笑いの世界のプロであると想った。
私も、7〜8年前、熊本の蘇陽町に住んでいる時、友人に其の落語家のテープを聴かされて、とても笑えたので、私は、何本もダビングして、友人達に配ったりしていた。
私が、是までで、一番笑える落語家だと、想える方である。
其の方が、屋久島に別荘を持っているとは、其の時初めて聞いたのである。そして、その別荘が、矢筈の反対側の真南に存在したのだ。
中国の風水学で言うと、南の護り神は「朱雀・すざく」で、太陽の神の象徴であり、その形として伊勢神宮の天照大神の使いも鶏とされ、日本の祭りに繰り出すお御輿も、其の鳥が上に止まっている。
南・太陽・鳥、この組み合わせで、笑門がキイとなっている様だ。
日本の一番有名な神話に、岩戸開きの物語が有る。
須佐之男命の暴力を嫌がって、天照大神が岩穴に閉じ籠ってしまい、世の中は真っ暗になってしまった。
天照神は、「皆 困っているだろう」と思っていると、外から賑やかな笑い声が聞こえてくる。「変だな」と思って、岩戸を開けて覗こうとすると、それを待っていた「手力男命・たじからおのみこと」に、外に引き出されてしまうのである。
「天宇受売命・あめのうずめのみこと」の裸踊りは、ストリップが目的ではなく、笑いを引き出す為の方法、手段だったのである。神話が伝えている事柄には、多重のメッセージが託されている。
岩戸開きの物語は、暗い世相を救うには、笑いが大事との理・ことだろうか。
「笑」の漢字は、「花が咲く」と元字が同じとの事である。
昔の人達には、人間の笑顔は、花が美しく咲いている事と、同じ様に捉えられて居たのだろう。
笑い声や、笑顔は、苦しみや、悩み事が有る時には、出難いものである。
人間が、心から楽しく笑う時、其れは生命の輝きの状態と云えよう。
人は皆、童の時は、笑顔一杯で、毎日笑い声を立てて居たはずである。
現在の日本の世相は、其れとは、反対の方向にある。
21世紀を、創造しなければならない私達に、いまどんな祈りが出来るであろうか。
今回の、屋久島での儀式で、北へ向けて経線に乗っかっての「スーリアさん」の祈りは、スーリアさんの笑顔と笑い声を、地球中に運んで行った事であろう。「スーリア」とは、インドの言葉で「太陽」の意味だとの事である。
太陽と、地球(岩戸)を結ぶもの、其れは、人類の喜び、全生命の歓喜であろう。
儀式の翌日、儀式に参加出来なかった別隊を伴って、再び矢筈崎の突端に立った。スーリアさんが、北へ向けて両手を合せた瞬間、出雲の安部氏より電話が入った。
どうやら、出雲の神々とも、連動している様である。
この後、6月13日(旧5月3日)、島根県横田町の伊賀多氣神社の祭典に、スーリア、ヴァンホー、山田、小嶋、私の五名で、参加する事に成ったのである。
スーリアサロン・屋久島 2日目
http://moon.ap.teacup.com/20060723/3.html
平成14年7月8日
礒邉自適