2002/5/22
鎮魂の部・ふ
14・5・22
昨夜、NHK番組で、天神様の名で全国に祭られている、「菅原道真」をテーマに「その時 歴史が動いた」を放送していた。
其の番組を観た所為か、今朝のメッセージには「鎮魂のふ」との言葉が遣って来た。朝起きて「ふ」の文字を考えたが、「府」では潜在意識が納得しない。
瞑想での感じは、「鎮魂・ちんこん」の役目の人の感じだったので、「もののふ」の「ふ」を調べると、「部」がその意味に当たる事が分かった。
後は、何10字も「ふ」の漢字が有って、適切な選捉が出来ない。
鎮魂とは、過去に生存した人の霊魂をしずめる事である。
過去の世に、生きて活動していた人達の、思頼(ふゆ)を聞いて、残念を「解脱(ほどく)」して遣る事が、本来の神社「神官(禰宜職)」や、寺の「住職」などの仕事である。それが、長年確かな物として行われていないらしい。
その結果として「礒邉自適」と言う一人の人間に、4311体もの霊魂が「体を貸してくれ」と、遣って来たのである。
昨日も、写真屋に出掛け、現像と焼き増しが出来るまで、店内に座って待っていると、店の主人が生長の家の機関紙「光の泉」の今月号を下さったので、手にして読んで居ると、左側の後頭部より、霊的エネルギーが入り込んで来て、体に反応が続いて止まらないので、店の主人に「今日は 谷口雅春さんと、何か関係が有る日ですか。」と 尋ねると、主人が店に有るカレンダーを見て「あぁ。今日は謝恩祭ですね。」と 答えたので納得がいった。
「謝恩祭」とは、命日に当たる日に、その謝恩に感謝する事であるとのこと。
答えが、解かると、霊的なエネルギーは去って行った。生長の家を始めた「谷口雅春氏」の霊魂が、自分の存在を知らせて来たのだろう。
私は、無宗教なので、別に誰かの肩を持つわけではないので、霊が自由に出入りをしているみたいなのだが、何しろ4311体も、私の肉体を借りに来たので、誰が今現在付いているかは、なかなか判別が出来ない。
其の中で、する事と、言って来る事で、或る程度は誰だか予測できる者も在る。
イエス・キリストは、1984年12月13日に、岩手県の五葉山で現れ、天智天皇は、1986年1月10日近江神宮で命日に、弘法大師空海は、1985年2月京都嵐山の法輪寺で、昭和天皇は、亡くなった夜に接触があった。
18年間の旅で、様々な事が起きたが、それは私が、自分の遣りたい事を行う為ではなく、霊魂が自分の遣り残した事を行う為である。
私の旅は、霊魂の鎮魂の旅であったとも言える。
そうであれば、「鎮魂の部」とは、私自身の役目と言う事になり、私の姓は「礒邉」だが、「磯部」や「石部」も同族であろう。
「イソ」とは、石を敷き詰めた場所の意味らしい。伊勢神宮の「イセ」も「イソ」の変化だと、ある本に載っていた。
奈良の石神神宮も「イソの神」であり、石神神宮は、物部一族の代々の霊を祭る神社である。全国に在る、石を敷き詰めた古墳や墓は、物部系の遺跡である。
天皇家に伝えられている「新嘗祭」や「大嘗祭」も、物部の儀式であり、11月22日夜から23日の朝にかけての、夜通しの儀式が、代々の霊と現界に生きる人間とが、「直会・なおらい・共食」する事である。
「鎮魂の部」とは、薄らぐ記憶の中から、本来の魂を甦らす(黄泉返す)事が、役目だとの知らせではないだろうか。
現代の、神社や寺院で行っている事は、現代人の欲望を、過去の人達に押し付ける事が主に成って、本来の意味が失われてしまっている。
私が18年間、殆どの人達に理解されないまま、鎮魂の旅が続けられたのも、過去の人達の導きが有ったからである。
是からの私の役目は、これらの理・ことを、人々に知って貰う為に、活動する事であろう。私も、早く、普通の生活に返りたいものである。
自分自身が、霊界に帰った時、鎮魂が必要無い様になる為にも、今回の人生は、非常に大事な意味が有りそうだ。
平成14年5月22日
礒邉自適
2002/5/17
万物統制
14・5・17
本日5月17日は、世界電気通信記念日であり、私の娘の「翠・みどり」の誕生日でもある。
私の知り合いには、役目の大きそうな人で三名、本日が誕生日の方がいる。
其れは、大分県の「赤峰勝人氏」、岡山市の「内山貞和氏」、沖縄県の全国勝手連代表の「光永勇氏」がそうである。
其れ等の人々が、今日のメッセージの「万物統制」に、何か関係が有るのかも知れない。
今朝の霊夢は、神社の様な場所に7〜8名で行き、其の敷地の塀の所で、私は記念写真を撮ろうとしていた。
私は、皆をカメラに収め様として後へ下がったが、7〜8名の人が一ヶ所に集まらないので、まだ後ろに下がって行って、最後には、岸に停めて有った小舟に乗ってしまった。
すると、私が、カメラを覗き込んでいる間に、其の小舟が岸から離れてしまい、どんどんと沖へ流されて行く。
私は「これはいけない」と思い、小舟の縁に掴まり、助けを呼ぶ為に、片手で携帯電話を取り出したのだが、出した処で水を被ってしまい、携帯電話が使用不可能に成ってしまった。
どうしようかと考えながら、岸のほうを見ると、友人達は小さく見えており、神社の両脇には、とても大きな樹が立っていて、樹の頂き迄が、すっぽり目に入る位置まで、自分が流されている事が判った。
どうやら、私が沖へ流されたのは、樹の大きさが、側面から全体として、観察できる位置に達する為だった様である。
普通は、人間が大樹の立っている、神社へ参拝して、神社でお祈りしても、御神木の方は、根の辺りしか見ないものである。
見るにしても、上の方を見上げるだけで、全体を捉える事は出来ない。
今朝の、霊夢の意味する処は、樹木の全体を把握する事で、木の種類や樹形も観察できる理・ことを、知らせて来たのだろう。其れと携帯電話は、人間社会の通信用であって、大自然の情報を捉えるのには、役に立たないとの理・ことを、知らせて来たのではないだろうか。
日本の神社は、全て、境内に木を植えて御神木としている。
其れは、神霊が木を「依り代」として使用すると言う、日本の「神籬・ひもろき」の考え方から、始まっている事である。
私は1984年の夏、屋久島で数ヶ月間荒野をさ迷い、森にも寝泊りして、木々から、多くの事を学んだ。学んだと謂うより、木々の存在と同化したと云った方が、適切だろうか。
其の年の、11月半ばに屋久島を出発して、全国を車で旅したのだが、夜中も走って、疲れたら、着いた場所で車中に眠った。
そして、朝起きると、毎日が、神社や寺の大きな木の側なのである。
そして、木々同士が、私が現在・いま、何処に居るかを、話し合っているのが、耳に出来たし、私が訪ねる先にも、「昨日から 神社の木が 誰かが尋ねて来ると、何回も話しかけてくるので、ビックリしていたら、貴男の事だったのですね。」と言う人も、現われたりしていた。
携帯電話は、或る特定の人にしか通じないが、樹木のネットワークは、誰と言う制限は無く、また人間同士だけでなく、全ての生命に通じる、チャンネルを有しているのだろう。
今朝のメッセージは、「万物統制」との言葉で終った。
其れは、人間の智恵の及ばない次元で、神の意志の疎通が、行われている理・ことを示しているのだろう。
昨夜は、18年振りに、寝る布団を南枕にして眠った。
1984年6月4日、大嘗祭と同じ儀式を無庵師匠の手で受けて、「神霊の思頼・みたまのふゆ」を受けた時点から、北枕を続けて来たが、18年目で元の位置に返した事になる。
ようやく私は、頭が普通の人達と同じ様に、使用出来る時を迎えたのだろうか。
インドの釈迦仏陀は、一生、意識を絶対界に置いて暮らし、北枕で一生を終えたらしい。
釈迦仏陀は、衆生を彼岸に導く為に、相対界に戻らなかったのだ。
釈迦仏陀は、自分の両親の城が、敵国に滅ぼされるのを、ただジーッと黙認していて、さぞ辛かったであろうと想われる。
私も、屋久島の財産と、家族と、地位や名誉など、全てから離れて、此の神の道に入った。
私も、釈迦と同じ様に、大きな木に寄り掛かって休んだ時に、釈迦と同じ覚醒が起きたのである。
其れから、自然との感応を続けて来たが、今朝「万物統制」との言葉が告げられて、私達人間が、何物に因って動かされているのか、その一因が明らかにされて来た。
されたと謂っても、私以外に、誰が理解するかは分からないが、神社での儀式や、祭り事の内容を見れば、其れが、古代では当然の事であった事は、皆の知る処である。
只それが、本当に現実として、自分の身に起きて来ないので、普通の人間は信じられないだけなのだ。
今朝の夢は、その事が普通の人々にも、目に出来る時節が、近付いているとの事を、知らせて来たのではないだろうか。
昨日のメッセージの「根拠」に続いて、現象が核心に迫って来ている事を感じる、今朝のメッセージである。
4月に、10月8日との日付が出て来ている。
其れまでに、何を整えれば良いのか、今の処は明白ではない。
しかし「万物統制」との言葉が来た事で、精進して「かしこみ かしこみ」と、素直な態度に成らなければ成らない事だけは、肝に銘じて措かなければと想う。
平成14年5月17日
礒邉自適
2002/5/15
聖徳太子の瞑想
14・5・15
昨夜は一晩中、私の意識の中心に誰かが陣取って、瞑想を続けている様な感覚が続いていた。私は、それが、夢殿で瞑想をしている聖徳太子だと感じた。
5月13日には、「法鏡」とのメッセージが有り、憲法の事を書いたが、それも聖徳太子の想いの現れではないかと想える。
今年の、2月22日の聖徳太子命日に文章を書いているが、今日5月15日に、また聖徳太子の霊的エネルギーを感じるのは、何故であろうか。
平成元年9月3日の深夜午前3時33分に、熊本県阿蘇郡蘇陽町の「日宮幣立神宮」の境内に有る地球平和道場にて、聖徳太子が高天原に達して、霊界の中心的働きを開始する事を、知らせて来た事が有った。
そして、其の年の10月30日に、奈良の法隆寺にて奇跡が起こり、その事はインターネットのHPに写真付きで紹介している。
其れ等の事柄から、私に理解できる事は、私の意志とは関係なく、事が進展していると言う事である。
私自身には、具体的な説明は不可能だが、何かが始まろうとしている事は、確実である。
「法隆寺の奇跡」http://moon.ap.teacup.com/199966/105.html
此処まで書いて、ペンが止まったので、本棚の奥に有った本「太子復活(三一書房)」を取り出して、読み始めた。
この本は、徳之島生れの「松堂玖邇(しょうどうくに)1930年生れ」の女性が、シャーマンとして霊界から受けたメッセージが記された物である。
其の、松堂玖邇女史に憑いている霊は、「倭迹迹日百襲姫命・やまとととびももそひめのみこと」の母君、古事記によると「意富夜麻登玖邇阿礼比売命・おおやまとくにあれひめのみこと」またの名を「はえいろね」。日本書紀では「倭国香媛・やまとくにかひめ」またの名を「はえいろね」と言う方で、記紀によれば、第三代「安寧天皇・おんねいてんのう」の皇孫である、「和知都美命・わちつみみこと」の子として生れ、第七代孝霊天皇の第三夫人となって、倭迹迹日百襲姫命をはじめ、岡山県吉備郡にある、吉備津彦神社の祭神として奉祀されている「大吉備津日子命(吉備津彦命)など、何人ものお子を儲けた。と されている女性と言う事である。
この本に書かれている、聖徳太子のメッセージの日々が、私の行動記録と繋がっているので驚きである。
私にメッセージが有ったのは、平成元年の9月4日だが、松堂さんに初めて通信が始まったのが、昭和52年の9月4日で、月と日付は合っているし、聖徳太子が、霊界からこの世に完全に復活して、人間を動かす活動に入ったのが、昭和62年8月6日で、これも私に憑いていた霊が、私から光のエネルギーになって離れて行った日と、年月日が同じである。
「 動きだした聖徳太子」http://moon.ap.teacup.com/20060615/20.html
特に、気になるのが、176Pに記されている、昭和63年4月6日の太子の通信に「しかし幸いにも、わたくしの理念を自ら認・したためたものが、焼失を免れて草深い寺に、仕舞われてあります。願わくは、そなた達の手によって探し出すよう、今日の日時を以って、その出現を約束したいと思います。」との所である。
私の旅で、知り得た事の一つに、群馬県南牧村の山深に在る「黒滝不動尊寺」に、聖徳太子縁・ゆかりの「旧事本記大成経」と言う巻物が存在し、その巻物が世に出る時に、真実のスメラの命が世に現れると、伝えられている事がある。
この大成経なる巻物は、黄檗宗の「潮音禅師」が、保在の為に全国逃げ回り、最後に南牧村にて「金井南龍氏」の先祖に土地の提供を受け、寺を建て住み着いたと伝えられている。
「星が歩く」http://star.ap.teacup.com/170606/684.html
松堂さんが、最初に太子復活を感じたのは、昭和53年9月3日で、JR(当時は国鉄)奈良線の「黄檗駅」だったとの事。
何か、私が18年間で知らされた事と、松堂さんに起きた事が、連動している様だ。
私は、屋久島生れで、松堂さんは徳之島出身だとの事。
奈良とは、遠く離れた、南の島出身の二人が、似た様な人生を送っているのが不思議である。
私は毎月、岡山に通っているので「吉備津彦神社」には数度参拝している。
これも、何かの縁なのであろうか。
今日も又、不思議な一日となった。
夢ではなく、普通の日常の中に、神の働きらしきものを感じる日々である。
平成14年5月15日
礒邉自適
2002/5/13
法鏡・ほうきょう
14・5・13
今朝の霊夢には、日本刀が横向きに現れて、中程の所に、飾りが外れた窪みが一ヶ所出来ていて、言葉が「ほうきょう」と出て来た。
「ほうきょう」の漢字は、「法鏡」の様な気がした。
昔から、刀は「まつりごと・政治的」な儀式に、よく使用される物である。
其の、刀の飾りである何かが外れて、その跡が窪んで見えた。
其処は、宝石の様な、何かが嵌められていて然るべき所である。
祭祀用具としての、刀であれば、それなりの意味があろう。
その意味が、法鏡との事なら「法鏡」の言葉の意味を、探らなければならない。
法は、「法則」の「法」だから、「のり」とか「おきて」を意味している。
鏡は、自分の心を知る為に、自分の顔を写して、確かめる物である。
其の意味を考えると、「自分の心」「魂を知る為の決まり・おきて・のり」の象徴が、刀飾りに嵌めこまれていた石に、有るとの事だろうか。
私は、6月8日、9日、10日と、10数名で屋久島に行き、島で一番大事な場所の回路の石を外して、スーリアさんに渡す事にしている。
昨日スーリアさんは、岡山の「吉備津彦神社」の奥の宮である「磐座・いわくら」に参拝したとの事。その影響も、今朝のメッセージに有ったのかも知れない。
現代の世の中は、精神的にも経済的にも、正しく進むべき道を、見失っている。その社会を、救う方法として、新しい価値観を、創出しなければならない。
資本主義や、民主主義でもなく、帝国主義でもない、新しい「法」が必要な時代に到っているのだ。
古代のエジプト文化や、ユダヤ民族の歴史も、ケルトや、アステカや、マヤの文明も、石の持つパワーを、大事と考えていた事は明らかである。
人間が、天地と調和して、穏やかに暮らして行く為には、宇宙の意志と通じていなければならない。
その秘密が、岩や、花崗岩の山と、神社に有るのだ。
大本教の開祖である「出口ナオ」の予言には、「石が シャベル時が来る」と有り、岡本天明氏の日継神示にも、「148・石屋の救世主が 日本から現れる」と有る。
新しき世を開く鍵は、石に秘密が有るとの傳われは、間違いない様である。私の姓も、「石部・礒邉・磯部」である。
5月25日には、スーリアさんと、長野の「戸隠神社」に参拝する事になっている。其れでまた、何か、新しい事が起きる予感がしている。
24日には、松本市で「屋久島会」が発足するとの事で、私も其の会合に参加して、「15分間」何かを話す事に成っている。
屋久島に、スーリアさん一家を案内するまで、残り25日と成った。
毎日、何が起きるのか、心静かに過ごして行きたい。
平成14年5月13日
礒邉自適
2002/5/11
宇功達覚
14・5・11
今朝の霊夢には、葉書の文章の様に、書かれた文字が現れた。
其の文章は、縦書きで書かれてあり、書き出しの所が「宇功達覚」で、「達」の文字が光って点滅をしていた。
其れは、何かが、達した事を伝えて来たのだろう。
何が達したのか、ハッキリしないが、「宇功が達した事」を、自覚せよとの事だろうか。
「宇」は、「宇宙全域」で、「功」は「てがら、はたらき」の意味である。
其れだと、天の働きが達した事になる。
「達」を、漢語林で調べてみると、「達」は「とおる。通じる。いたる。行きつく。の意味」とある。
今朝のメッセージは「天の働きが、行きついた事を知りなさい。」との便りが、届いた事になるのだろうか。
4月23日から、昨日まで、不思議な事ばかり続いて起きて来た。
人間の能力では、とても考えられない事が、何度も起きて、時間と空間が、神に制御されている事を、つくづくと知らされたのである。
18年前に、屋久島で此の神の世界に入った時にも、同じ様な事が起きたが、18年前は、自分自身の気持ちに余裕が無くて、ただ起きる現象に、夢中でしがみ付いて行くしか無かったのである。
今回、8年振りに屋久島に帰島して、18年前の人々と接触が有ったが、鬼だと想っていた人達が、皆、優しくなっているのである。
私は、18年前の出来事が、あれは何だったのだろうかと、困惑するくらいである。
18年前の出来事は、私を、神の世界に追い込む為に、皆が、鬼の役目をしてくれたのである理・ことを知らされた。
もう、私の旅が終ったので、皆、元の善人に返ったのだろう。
これから、私に何が起きて、何が始まるのかは判らないが、その為の用意は、18年間の修行で、身に納まっているものと想われる。
1984年(S59)6月4日(旧暦5月5日)に、私の肉体を借りに来た霊団は、4311体であった。
それらの霊人達が、18年の歳月を掛けて、私と、他の関係者を、育てて来たのだろう。
私の自覚が出来るまでに、どれだけの人間と、どれだけの物質が使用されたのだろうか。私には、おそらく予測がつかない程の、莫大なエネルギーが使用された事と想われる。
特に、私の家族には、多大な迷惑を掛けたが、其れも、神の存在が明らかと成れば、許される事と想われる。
8年振りに母親に会ったが、別に怒る訳でもなく、無事である事を喜んでくれている様であった。
其の母も、既に83歳になる。
母親が住んでいる家は、とても人間の住家とは思えない程、ボロボロの有様である。母が、後、何年、この世に存在出来るか分からないが、出来るだけの親孝行をしたいと想う。
私は、5月5日に実家に立ち寄って、父親の仏壇に久し振りに手を合わした。すると「明日から 良い事ばかり有る」との言葉を受けた。
そして、翌日、出島する前に、屋久島の神社巡りをした。
宮之浦の「益救神社・やくじんじゃ」を皮切りに、平内の八幡様まで巡ったが、益救神社では「過去の事は全て忘れろ」とのお告げがあり、船行の神社では「全ての人を許しなさい」と告げられた。
私が、是から、自分で考えなければ成らない事は、一切無いのだろう。
これからが、いよいよ「神惟ら」の本番である。
私の名の「自適」は、両親の話では、私が産れた時に、自分で持って来たのだとの事である。
これから、名前の如く「悠々自適」の生活が出来るのだろうか。
「自適」の漢語を仏教風に言うと、「三昧・ザンマイ(サマディの音訳)」だとの事。是から、ようやく私の人生の、本番が始まるのだろうか。
今朝のメッセージの、「宇功達覚・うこうたっかく」の言葉を、信じる事にしよう。
平成14年5月11日
礒邉自適
2002/5/8
未完成
14・5・8
4月24日より、5月6日まで、屋久島に8年ぶりに帰島した。
四国の道場を出てから二週間、多くの事が起き、感じた事も色々有ったが、今朝の霊夢を大事と思うので記す事にした。
昨日は、鹿児島より岡山市の林原家本宅に着いて、泊めて貰った。
毎月一回のスーリアサロンの時、本宅に泊めて頂くので、昨年4月8日から、今日で13回目の宿泊となる。
泊めて頂く部屋は、林原家の本宅の仏間なので、私は、林原家の数百年以上の先祖の霊魂達と、お友達になってしまった様である。
一回目の宿泊の時から、意味の有るメッセージを受け続けている。
今朝の霊夢のテーマは、一口に言えば「未完成」との事だと思う。
霊夢の場面は三つ有り、最初は、男性の上半身の彫刻が出て来て、胴体と、頭の部分は出来ているが、顔の部分が真黒で、何も彫刻されていないし、デザインも判別出来なかった。
二つ目の場面は、レストランが映って来て、店内には電気が点いていた。
営業が成されており、出来立ての新しく美しい店である。
私は、店内には入らないで、右の横を通って、店の裏側に回って行くと、其処は表通りで大きな道路が通っている。
レストランの裏側に当たる所には、三階建て位のビルが建っており、そのビルは未だ空のままで、人も居ないし看板も出ていないで、中には備品も見えない。更に、そのビルの右横には、六階建てのビルが建っているのだが、それも建ったままで、未だ使用されていない様だった。
そして三番目の場面には、女性が光に包まれ、幸福一杯の顔をして、女の子の赤ちゃんを抱いている姿が映って来た。
赤ちゃんの顔が、私の方を向いているので、赤子の頭を右腕に置いて居る其の女性の顔は、左の横顔である。
女性は、最初の赤ちゃんを産んで、授乳をしている時が、一番美しいと云われている。正に、その場面である。
其の姿は、聖母観音像が、生きて現れた様であった。
一つだけ気になるのは、母親に抱かれている赤ちゃんが、私の方を瞬きもせず、ジィーと見ていて、何かを訴えようとする、表情をしていた事である。
夢は、これだけなのだが、三つとも、何か気になる事を含んでいる。
一番目は、男性の姿が 顔だけは 未完成。
二番目は、レストラン(食の場)は完成しているが、事業とか経済の面など、一切が明確ではない。
三番目は、女性(母親)は幸福なのだが、赤ちゃんの方が笑っていないで、何かを訴えようとしている。
此のメッセージを判断すると、良い方向には向かっているのだが、完成はされていないとの事を伝えてきている様である。
私なりに、この場面から察するのは、アメリカ大統領「リンカーン」が、「男性は 40歳で自分の顔に 責任を持たなければ成らない」と、謂っている様に、本当の理想者と呼べるべき男性が、現在の世の中には、存在していないとの事ではないのだろうか。
現在の世の中は、お金が中心として動いている仕組みである。
立派な精神の男性でも、見た目が貧乏であれば、認めようとしない。
有名な人の中で、自分の顔に責任を感じている人が、果たして、何人居ることだろうか。神の世界から見れば、合格している男性が、未だ居ないとの理・ことなのではないだろうか。
レストランの意味するものは、食物の世界である。
日本の天皇家は、「食国(おすくに)の祭り事」を伝承する事にある。
マクロビオティック運動の草分けとなった、故・桜沢如一の世界は、ヨーロッパからアメリカへと拡大され、今日では、日本が立ち遅れているくらい、世界的なものと成った。
だから、食の世界は、一応の準備が出来ているとの事であろう。
一方、世界の価値観は、ユダヤ資本主義一辺倒になろうとしている状況下にあり、未だ、未来型の価値観が誕生していない。
其れらしき流れは、各地で起きているが、其れが、主流と成るまでには到っていない。
新しき建物は、建設されているが、未だ、其れが使用される処までは到っていないとの事は、その事を、早急に完成させなければ成らないとの事だろう。
子供達は、未来を築く為に、この世界に遣って来ているのである。
私達の役割は、未完成の部分を、早く完成させる事に有りそうだ。
その事を知らせて来たのが、今朝のメッセージだと考える。
平成14年5月8日
礒邉自適
2002/5/3
色々な数珠
14・5・3
本日5月3日は「憲法記念日」で、私の息子の14歳の誕生日でもある。
私の、存家得度の名は「真悠護法居士」であり、法の世界には縁が深い。
今朝の霊夢には、横に渡された棒に、色々様々な数珠が掛けられていた。
しかし、其の意味が知らされて来ないので、私に縁の有る「憲法」と「護法」の言葉に、関係性を繋いで考えて見た。
夢に出て来た「数珠・じゅず」は、色も形も、数も長さも、様々だったので、一律にしなさいとの事ではなく、其々の意いで、好きな物を、選び取れと言う事だろうと想われる。
数珠を、胸に掛けるか、腕に巻くかも、本人の自由である。
数珠は、仏教的世界に使用されているが、西洋にはネックレスがあり、日本では、神世の昔から、神に通じる物として大事にされ、首に掛けたり、死後はお墓に納められたりして来た。
大分県湯布院に在る「宇奈岐姫神社・うなぐひめじんじゃ」には、巫女の事を「ウナグ姫」と、呼んでいたらしい事が伝わっている。
「ウナグ姫」とは、「項(うなじ)」に、「具(首飾り)」を掛けた「姫(巫女)」と言う意味なのだろう。
人間は、物事に納得した時に、「ウンウン」と頷くが、これも「項(うなじ)を前につく意味・うなづく」だと、辞典にも載っている。
「ウナグ」とは、「項じに掛ける具」の事だと理解出来る。
日本で、使用されていた「うなぐ・項具」は、曲玉(まがたま)と、管玉、丸玉の組み合わせで出来ている。
映画で「寅さん」が、首に掛けているお守りも、これらの延長から生れたものだろう。
カトリックでは、十字架を胸に掛けるし、インドのヒンズー教の行者も、澤山の首飾りを着けている。
世界中で、首から胸にかけて、何かを掛けるのは、何故なのだろうか。
私が、京都府亀岡市に有る、「大本教」の本部の拝殿で見たビジョンの様子では、頭が真っ白な巫女(出口ナオ)が、神棚にお供えする三方の上に、紐に通した丸い玉を盛って、畳に座っている男性(出口王仁三郎)に、差し出す場面が映って来た事が有り、其れが「玉串」の事だと教えられた。
「玉」は「珠」で、「魂・たましい」に通じ、「串」は「櫛」と同じ意味で、「トオス・通す」の意味である理・ことが判かった。
「串」は「ダンゴを竹串に通す象形」で、「櫛」は「髪の毛を通す」の意味である。
「柘・つげ」の木を、「節状にした物が 通すの意味」の、「クシ」と名付けられたのであろう。
神に通じるのに、必要な道具とされたのが、「項具・ネックレス」である。
「項具・うなぐ」を身に着ける事で、神に通じると考え、「奇しき(不思議な事、神秘的な事)」との意味の、言葉が生れたのだろう。
出雲の「熊野大社」の祭神名は「神祖熊乃大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」となっている。其れは、「奇しき御氣の命」であり「御氣・みけ」とは食物の事である。
天皇家の伝統で、一番大事とされているのが、台所の神「御餉殿・みけどの」であり、食物の事を「御氣・みけ」と呼んで、神に通じる役目の「巫女」や「神主」は、獣の肉を食べてはならないとされて来た。
これは、仏教の教えの「精進・しょうじん」と同じ意味を持つものである。
血を清くして、項具・うなぐを身に着け、神に通じる事が、古代では、最も大事な事とされていたのだ。
その理・コトが、現代の「憲法」や「法則」の世界には、全然取り入れられていない。
「祭り事(政治を含む)」を行う役目の人達は、何を、一番大事とせねばならないか、その事が、憲法に謳われなければ成らないのではないだろうか。
現在の社会情勢を見ると、何かが欠けている事は、誰でも感じている事である。其れを、正しく整えるべき政治家が、一番我欲に取り憑かれているので、始末が悪い。
本当の、天の働きを担った「みこと(御事・命)持ち」の人が、出て来なければならない。
今朝の数珠は、その「命もち」の人の魂しいが、色々様々で、働きも十人十色だとの事を伝えて来たのだろう。
私自身も、自分の魂しいが何色で、どんな形の玉が、どれだけ繋がっているのか、命の性質が分からない。
多くの仲間が現れてくれば、周囲の人々の性質を観る事で、自分の串玉も判断出来ることだろう。
憲法にも、自分の役割を認識する事を、盛り込んだらどうなのだろうか。
今日の私には、是くらいの判断しか出来ない。
平成14年5月3日
礒邉自適
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