2001/11/25
常の神
13・11・25
今朝の夢の映像には、岩山が現れ、其の手前に建物が在って、その建物の庭で、比重が重い石で出来た、「硯・すずり」と「文鎮」二本を拾った。
すると「常の神」との言葉が告げられて来た。
「常」とは、いつまでも変わらない事。いつまでも変わらない道、おきて、ならわしの意味である。
岩山と、石の硯と文鎮が出て来て、「いつまでも 変わらない神」とは、どう謂う神であろうか。
愛媛県大洲市には「少彦命・すくなひこのみこと」を祭祀する「少彦名神社」が在る。
其の神社は、少彦命が死んだ地とされ、御陵が神社として奉られている。
少彦命は、出雲の「大国主命」が国造りをする際に、知恵を授けた神として、また薬師(くすし)や、温泉の神として全国で祭られている神である。
その少彦命は、出雲の国造りが済んだら、常世の国に帰ったとされている。
其の常世の国が、愛媛県大洲市の事であり「終焉(エンド・オブ・ライフ)」の地であれば、大洲が常世の国と言う事になる。
日本列島には、長野県の長谷村から、四国の三崎半島まで繋がる「中央構造線」が有るが、愛媛の山々も、その線上に位置している。
私が住んでいる中山町も、その線上であり、毎日使用している水は、その岩山から湧き出している水である。
其の、中央構造線を形成する岩は、四万十層群と呼ばれている泥頁岩で、深い所から、地殻運動で持ち上げられて来たものである。
私達の住む太陽系は、約50億年前に、宇宙空間に漂っていたガスや隕石が集まって、生れたとされている。
現在でも、50億年前に太陽系の元になった石が、隕石として地球に落ちて来る。だから、未だに地球は、少しずつ大きく成っている事になる。
だからこそ、私達の記憶が、石に関係しているとの理・ことは、考えられないことではないのである。
「少彦命」は、医療の神様でもある。
薬には、薬石と言って石が使われるし、温泉にも岩石のミネラル等が含まれており、それが薬効を現わすのだ。
「常の神」とは、岩の様に、いつまでも変わらない記憶の神であり、人間の「身(體・からだ)」や「精神・こころ」の根源を司っている、源の働きの事ではないだろうか。
イスラエルのユダヤ民族の神には、万物を見通す目の神様が存在する。
其れは、エジプトのピラミッドに着いている、岩戸の神様(籠目・かごめ)の目(意識)でもある。
私の今朝の意識は、硯と文鎮を拾っていた。
硯と、文鎮は、書道に必要な道具である。
私が行っている作業は、岩が憶えている記憶を、書き表す事の様に想える。
私には、永遠の神である「常世の神」が付いているのだろうか。
エジプトの書記官は、「トト神」の化身で、王様の次に座位する者でもある。
其の事と、今朝の夢は、関係が有るのではないだろうか。
私が産れ育ったのは、全島が花崗岩で出来ている屋久島である。
其の屋久島では、「山の峰嶺は 神様の通り道だから 峰嶺で寝ると 神様にとり憑かれるから 寝てはいけない」との、掟が有る。だが私は、何故か、山岳の峰の岩の上で寝ると気持が良いので、よく山岳に登り、岩の上で昼寝をしていた。
其の所為で、私は岩の神に、依り憑かれたのかも知れない。
「万物を見通す目(石工の目)」が、私の意識に宿っているのであれば、私の姓の礒邉(石部)の名も、まんざら間違いで無い様だ。
京都府亀岡市に在る、「大本教」の教祖「出口ナオ」も、「岩が モノ言う時が来る」と言っている。奈良県の天理市に在る、「天理教」の教祖の「中山ミキ」に掛かった神も、石上神宮の祭神である物部の霊であり、物部の神は「大物主」であり、花崗岩の山に住む神様である。
其の物部の儀式が、天皇家に「新嘗祭」や「大譲祭」として取り入れられている。
日本書紀には、持統五年(691)8月の条に、古代有力豪族18氏の先祖の「墓記(おくつきのふみ)」を召し上げたと書かれている。
(関 裕二著、古代神道と天皇家の謎)
其れは、大和の古代社会には18の部族が存在し、其々の儀式(生活習慣)を伝える文書が有った事を伝えている。
其の中には「石上物部・いそのかみもののべ」も含まれている。
物部が、一番、岩戸の神に近いのだろう。
礒邉・石部の、私の血が騒ぎ出した意味も、ようやく納得ができて来た。
平成13年11月25日
礒邉自適
2001/11/19
全権を託す
13・11・19
本日19日の夢の中には、「全」の文字が現れて、「トータル-ファンタジー」と言葉が出て来た。
16日には、中山町のホテルの風呂に行き、頭から湯水をかぶると「全権を託す」との言葉が、頭の中に現れた。
17日には、夢の中で、何処かのログハウスの家を訪ねると、二階が瞑想室になっていて、私が一人で部屋の中に座って、両手を差し出すと、インドの聖者みたいな人物が、空中に現れた。
そして、私が仰向けに寝ると、臍の辺りから柱が立ち上がって、光の粒子の渦が、その柱の周囲を回転し始めた。
本日までの16日、17日、19日の三日分のメッセージを、繋ぎ合わせて考えると、私の心身が、神の計画の中心に関係している理・ことが理解できる。
私は、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、屋久島で神の世界に入った。
その時に、神霊が4311体現れて、私の体を貸してくれと云って、私の心身を乗っ取ったのである。其れから、17年が経過しているのである。
私は全国を旅して、多くの人達に出会い、その人達の立場や職業を調べて来た。
神のメッセージでは、「16年半掛かる」と言われていた世直しの準備も、昨年の12月5日で満了し、今年に入って、実際に新しい動きが起きて来た。
9月2日に、岡山県倉敷で第一回産霊(おむすび)祭りを行った。
其れから、特に、人の動きが早くなり、現実社会に対して、神の手が、地上に降りて来ている事が理解できる。
本日も、三日前に電話を掛けて来た、岡山市に在る「あるぱるぱ協会」のTAIKO女史を訪ねると、「全・すべて」がテーマと成っている文章を、手渡された。
今朝の夢に出て来た、「全」の言葉が、シンクロしている事は事実の様である。TAIKO女史と話を始めると、突然、私の左手の人差し指が、ビリビリと強く反応を起こした。
左手は、精神的な世界に反応を起こす手である。其の左手の内でも、人差し指は、名の通り人を指図する働きの役目を現している。
本来、人を指導する指は、右手の人差し指の働きであるが、左手の人指し指にしても、精神界の指導的な働きを持っていると、考えて間違いにはならないだろう。
TAIKO女史も、精神的な指導者に含まれている事は、その文章を見てみれば、私にも理解できる。其れは、文章の内容が、これ迄の文化の説明が、良くなされていると思うからである。
17日の夢に現れた映像は、柱が立って、その周囲を、光の粒子が渦巻く場面だった。
その映像は、11月12日の夢に出て来た、柱の続きの様であり、「心の御柱」の文章と関係が有りそうだ。
違いは、水と光が、異なる事である。
それも、水と光は、神の世界では共通のものであり、水は光に転じ、光も水に転じる理・ことは、聖書を読んでも、昔から、その関係は切っても切れないとされている。
水の意識になれば、光のエネルギーが、自分の周りを回る事を、知らせて来たのだろう。
私の、意識が、補足している世界が何であるのか、私にも、未だハッキリと説明する事は出来ないが、神の働きが順調である事は、毎日、自分の身の回りに起きる事を見ていれば、確認可能である。
私の認識力も、毎日、状況が変れば、変化して行くので、毎日書き残さなければ、頭が満杯になって大変である。
一ヶ月前の文章を、読み返してさえ、自分が、こんな事を書いていたのかと驚く事もある。
自分の頭を、整理する為にも、文字を創造して、今日まで伝えて下さった過去の人々に、感謝しなければならないだろう。
平成13年11月19日
礒邉自適
2001/11/12
心の御柱
13・11・12
今朝の夢の映像は、港から船が出航する場面で、港の内側の水面に、柱が出て立っている。
其の柱が邪魔なので、私が取り除こうと意い、水の中に潜って、その柱の根本を見てみた。すると、其れは、人工的に造られた檀の上に、立てられている事が分かった。
誰かが、岩礁の目印として、造った物であるらしい。
夢は、そこで終わった。
朝起きて、昨日まで、数日読んでいた本「古代神道天皇家の謎」(関裕二著)の続きを読み始めた。すると、「心の御柱」の事が書かれている。
・・・「心の御柱」とは、伊勢神宮の20年に一度の遷宮に際し、真っ先に、山からこの柱のための木材が伐り出される。
造営する時は、先ずは、最初に、この「心の御柱」を立てるというから、よほど大事な柱なのであろう。
さらに、20年後、この宮が壊され、隣に新たな宮が立てられた後も、この柱だけは残され、小屋を建てて守られるのである。
「古代神道天皇家の謎」には、この「心の御柱」を祀る事ができるのは、特殊な巫女に限られていて、其れが「大物忌・おおものい」と言う童女であったとの事である。
朝廷から、「斎宮・いつきのみや」に派遣された「斎王・いつきのみこ」も、他のいかなる位の高い神職でさえも、何故か、この大事な御柱を祀る事はできないのである。・・・ と 書いて有る。
この文章を読んでいて、私が、今朝の夢で見た、水面に出ていた柱は、この「心の御柱」を暗示するものだったのではないかと、感じたのである。
日本の神道では、水を大事にし、神社に入る前に、手や口を清める作法をとる。そして、水を溜めている、御手洗には「心洗」と書かれている。
水は、心を清めて、神の世界に入る為には、欠かせぬ物らしい。
今朝の夢では、水の面・おもてに1メートル位の柱が一本立っていた。
其の柱は、神の世界から、現世に目印として、顔を出しているのではないだろうか。
人間の目は、顔の前方180度くらいの範囲を、漠然と視ている。
何か、危険なものを見付けたり、赤く熟れた木の実を見付けた時は、その一点に注意が集中する。
一点に意識が集中すると、今度は、全体的な状況が見えなくなる。この仕組みは、人間の脳の仕組み、其の儘の現れでもある。
人間が、何かを意識する時は、意識を一点に集中しなければならない。
此の「心の御柱」の役割とは、意識を一点に集中させる為の、物ではないだろうか。
神社を建てても、大きな建物に成れば成る程、人間の意識は、其の施設の何処の何を、見て良いやら分からなく成り、意識は繁雑に成ってしまう。
その事を防ぐには、安定した一定の場を定め、其処に意識を集中する為の、何らかの、目に見える、確かな物体が必要である。
しかも、その物体は、人間の背丈よりも高ければ、人間の目が上下に振れてしまうので、目線より下で、動かない物でなければならない。
そう考えれば、地面に埋めてあり、少し顔を出している柱は、一番理に適っていると言えるだろう。
その柱を祀るのが、童女であると言うのも、謎が解ける。
おとなに成ると、様々な情報・雑念が頭に有るので、意識が集中できないが、童女ならば雑念が一切無い。柱の前に額づけば、神霊が、そのまま童女の意識を、使用する事が出来るのである。
私が、屋久島で、神の世界に飛び込んだ時、私をサポートしてくれたのは、皆二〜三歳の童・わらべ達であった。
不思議な事に、二〜三歳の子供には、絶対知り得ない情報で、私を導いてくれたのである。
古代の儀式は、「潔ぎ祓い」が中心であり、如何に、純粋意識に成るかが、最大の課題であった。
現在の、神社や、寺院で、行われている儀式には、その純粋さが欠けている。
御利益とかの願望意識は、儀式では、本来穢れとして祓うものであって、邪魔でしかないものである。
純粋意識で、一点に心を集中する、その為の方法が、伊勢神宮等の、自然の中に造られている神社の伝統儀式なのだ。
禅宗で行われる座禅も、同じ様に、意識を一点に集中する為の方法であり、目線が大事とされ、1メートルぐらい前方の場を、見つめて行うのである。
其れも、意識が「彷徨・さまよう」事を、防ぐ為の方法である。
今朝の夢に出て来た、水中に出ていた柱は、自然そのままではなく、人為的に、意識を集中できる物を、用意せよとの事であろうか。
そして、岩壁を離れたけれど、港を出て行かない船の意味は、何なのだろうか。
岩壁を離れる事は、出家とか、彼岸へ渡る為に、人間社会より出て、神の世界に出発する事である。
そして、その船は、行き先が決まっているわけではないので、港から出港する必要は無く、意識の中に、神の御柱を立てろと言う事なのだろう。
神社は、その為に必要であり、大事な理を伝える為に、存在してきたのである。神社で、儀式が続けられていなければ、私の意識も、それを捉える事が出来ないし、神霊達も、メッセージを人間に伝える方法を他に持たないのだ。
本来の神社の役目が、段々と見えて来た、今朝のメッセージであった。
平成13年11月12日
礒邉自適
2001/11/11
軌道
13・11・11
昨夜は、一時過ぎに床に就いた。
そして、目を閉じたが、なかなか眠れないで居ると、意識の中に、澤山の軌道で光の点が回転しているのが映って来た。闇の中に、澤山の光が、無限に回転しているのである。
太陽系の惑星運動の様に平面ではなく、縦横無尽に、澤山の光の粒が高速で飛び回っていた。それは、原子の世界の電子の働きの様にも想えた。
原子運動の様子は、陽子を中心として、電子が、其の周りをランダムに飛び回っていると言う。私は、実際に、其の現象を見た事は無いので、ハッキリそうだとは言えないが、これまでの情報から、その様な動きだったと、謂うしか他に説明ができないのである。
私は、ここ数日「こころ」と言う日本語に、当て嵌まる漢字を捜しているが、私の気持に、ピッタリと当て嵌まる文字が無いので、気にして過ごしていた。
その答えが、今朝、未明の意識が捉えた映像なのだろう。
日本語の「こころ」とは、人間の意識は、環境の情報に因って「コロ コロ」と変化する意味から来ている。其れは、インドの釈迦仏陀の方便の中にも、語られている。
こころは、漢字の使用では「心、情、意」と有り、「心」とは、心臓の形の象形であるので、人間が動揺した時に、心臓がドキドキするからであろう。
「情」は「忄(心 )+青」で、青は混じりけが無いの意味で、混じりけの無い心の意味である。
「意」は、「音+心」の組み合わせで、人の口に上がる、言葉・音とは成らない心の意味で、言葉になる前の「意・おもい」の意味を表すとある。
(漢語林)
でも、此の三つの文字では、「こころ」の正体は分からない。
心を、意識の状態と考えれば、心は、全て脳の働きから産み出される、電気信号に因る環境情報と、それに因って引き起こされる、生理的化学反応と言えるだろう。
それであるならば、「こころ」は心臓に在るのではなく、脳細胞が総てを司っている事になる。
人間の脳は、電気信号に因って動く巨大コンピュータである。
私達は、過去の情報の集積に因って、未来創造の条件付けをしているに過ぎない事になる。そうであれば、人生体験の豊富な者が、「こころ豊かな者」と言う理・ことに成る。
「こころ豊かな者」の意味を、漢字で探すと「考」が有る。
考は、体験を積んだ老人の意味で、反対の意味は、「思」の文字で、子供の思い付きのこころの意味が有る。
子供達には、環境に因る情報はまだ少なく、目の前に有る食物や、オモチャに振り回されて、確立されたこころの状態は無い。
人間は、子供の時から、与えられた情報に因って、生きる道の方向付けが、されて行くのである。だからこそ、子供の時から、教育が重要視されるのだ。
私は、現在54歳で、老人と呼ばれるのは少し早いかも知れないが、体験数から言えば、普通の老人を超えているだろう。
私が、これ迄の人生を振り返って見ると、「こころ」とは、本来無いものだと言う事がハッキリして来た。
だから「こころ」の文字を捜しても、文字が見付からないのである。
あえて、此れと言う文字を選ぶとすれば、「謂・イ」の文字がある。
「謂」の漢字は「言+肉+米」の組み合わせで、言葉は胃袋の中の穀物からだとの意味で、何を食するかが、意識の元だとの考え方である。
「意識・こころ」が言葉の基・もとであり、意識は脳細胞が産み出し、脳細胞は血液から出来、血液は食物から作られる。
其の物理的要素からも、食物がこころの基だと言う考え方は、正しいと認めない訳にはいかない。
その食物も、細胞で出来ており、細胞も、原子運動が現象化したものである。
今朝、私の脳が見た現象は、その原子が、自分の運動を、私の意識の中で、みずから視た事に成る。
私の脳は、自らの始まりを確認した事に成るのだ。
人間は、言葉が無ければ、認識作用が起こらないと言われているが、其れは、他人とのコミュニケーションが行われる場合であって、自分の中では、言葉ではなく、潜在意識の世界で映像として見ているのである。
其れを、いつの時代かに、絵とし、言葉として来たのだ。
言葉や、文字や、絵の次元を、通り越してしまえば、其処には、言葉がもはや存在しない世界がある。
其処には只、原子の運動が有り「コスミックダンス」が起きているだけなのだ。
私の認識では、「こころ」とは「原子舞」と書く事しか、今日の処はないだろう。
其れは、人類だけの世界ではなく、森羅万象に通じる認識作用であると、言葉に出来る領域である。
平成13年11月11日
礒邉自適
2001/11/2
夢の続き
13・11・2
19年に一回の周期で、太陽暦の11月1日に満月が重なると聞いている日に、広島県福山市靹町の仙酔島と言う離れ島で、瞑想の催しが有り、私も其れに参加した。
31日に愛媛県中山町を出発して、夕方仙酔島に着いた。
そして、檀上宗謙氏の案内で、島の南側に在る、塩作りの小屋の部屋に荷物を置き、目の前に広がる砂浜を見て座った。
しばらく瞑想をして居たが、落ち着かないので座る向きを変えて見た。
気持が安定する方向を定めて、磁石を取り出し方向を見ると、真東に向いて位置して座っている。
普通だったら、海に向かって座るだろうし、海の方向が南なので、是までの私だったら、北を背にして南向きに座るはずなのだが、この日は違った。
私は、磁石をカバンに納めて、改めて座禅を組んだ。
瞑想状態に入ると、直ぐに、左手の指が反応を始めた。手のビリビリの反応は、人差し指から中指へ移り、右手の中指にも反応が起き始めた。
私の言う、指の反応とは、仏像が手の指を使って現している、印の動きと同じ意味を持つエネルギーの流れである。
インドの釈迦仏陀も同じ現象が起きていたのだろう。
其の手印の組み方が、日本の「真言宗」では強く取り入れられているが、其れが本物であるかどうかは、私には判らない。
私は、其れを、意識しているのではなく、自然にその現象が起きるのである。
私は、其の自分の指の反応で、東向きに座った事が、正しいと実感出来た。
これ迄の私は、17年間意識して、北を背にして南を向くか、夜は北向きに座っていたので、神の働きが、東向きに変化した事を感じた。
北向きだと、地球からは、北極星の方向に向かう事になる。
地球は、北極星の方向を軸として、回転している事に成るので、東向きに座れば、太陽や月が昇る方向に向かう事に成って、地球での横回転方向側に向かう事になり、太陽系の惑星が回転している円盤の皿の縁に添って、回転運動の真正面に向かって座っている事になる。
北向きに座る事は、回転の中心に向かう経度の方向で、東向きに座る事は、回転の外側向きで、緯度の方向となる。
それで、私の役目が、経度の瞑想から、緯度の瞑想に変化した事を、実感出来た。
夕食が済んで、9時頃からの瞑想は、島内の好きな場所を選んで行う事に成り、私は、海岸の崖に空いた岩穴の中で行う事にした。
岩穴の中で瞑想していると、過去の情報だけが映って来るので、場所を塩作りの小屋の中に有る部屋に替えた。
部屋に着いて、時計を見ると11月1日1時6分だった。岩穴の場所から歩いて移動するのが5分間であれば、11月1日1時1分頃まで、岩穴に座していた事になる。
海岸に有る、塩作り小屋で瞑想を続けていると、今度は、未来をどうするかの場面が映り始めた。
其れは、順番に人の御霊が現れて、自適を認めるかどうかの問いが、一人一人に成されていた。
認める方が、多数を占めたが、中には「認める」と、答えを出さない魂しいの者がいる。
其の、認めない人の霊魂の、心の仕組みを覗くと、二つの仕組みが見えた。
其れは、心の中に二つの仕組みが在る人は、決断が出来ないから、返事が出来ないらしい。其の、決断が出来ない者は、外されて行った。
朝が訪れ、太陽が昇る前に、「みろくの里」の檀上氏と、東京から31日に福山に引っ越して来た益田君と三名で、朝日が昇るのを展望台に登って拝した。
赤い太陽が昇って来たら、益田君が「日本の 国旗の 日の丸の太陽の赤い色は 朝日の太陽の色だ」と云うので、私もなる程と思った。
太陽が黄色に変化して、夜が明けたので、朝食を摂る為に「国民宿舎仙酔島」のレストランに向かった。
10時半より、仙酔島の展望台で、檀上氏の祈りの儀式が始まり、濱岡喜範社長と母上の輝子さんをはじめ、10名程の参加が有り、1時間くらいで其の儀式は終了した。
其れから、皆レストランに帰り、昼食をしながら話が始まった。話が進んで行って、濱岡社長との話の中で、愈々(いよいよ)現実的な「人間社会(相対世界)」の立て直しが始まる実感がして来た。
私が、17年間続けて来た「絶対界」のアプローチと、濱岡社長が行って来た「相対的」なアプローチが、11月1日付けで合流し、愈々世の創造が始まるとの予感がしたのである。
濱岡氏には、それだけの力と、財と、人脈と、心の準備が出来ている。
やはり、神の働きは、完璧にその時空を整えて来ていたのだ。
私はもう、「絶対界(瞑想状態)」と、「相対界(現実社会)」の間を行ったり来たりしないでも良く、瞑想の世界に住んだまま、縁の有る人々と接して行けば良い事に気付いた。
私は、屋久島で17年前に飛び込んだ、神の世界である夢の中に住み、神の夢を覚え続ければ良い、時節を迎えたのである。
平成13年11月2日
礒邉自適
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