2000/11/6
天の常立神 降足
12・11・6
平成12年(2000)9月9日「重陽(ちょうよう)の節句の日」、霊夢に天より大きな両足が降りて来て、床に着いた処が映ってきた。
そして、其れまで挨が積もっていた床は、足の周囲から金色に光り始め、美しく輝き出した。
其の夢の意味を考えていて、彿足を頂く仏教の儀式を思い出した。
人間が、帰依するのは仏様の両足と言うことである。
天から降りてきた足は、地上では何を現しているのだろうか。
日本の神話では、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と「伊邪那美命・いざなみのみこと」の二神が天降って、国産みをしたと伝えられている。
メッセージの両足が、男女・陰陽の二つの性を表すのであれば、「伊邪那岐命・男」と「伊邪那美命・女」の事であるとも言えるし、さらに、この地球上の生物は、皆、雄雌の二つの性に因って営まれている理を、表しているとも言える。
神が地上を歩く、地上に生の営みを起こしていると考えれば、9月9日の「菊理姫の日(ククリの日)」に、神の足の夢を見た事も納得が行く。
「白山菊理姫」は、石川県白山に祭られている白山権現の神であり、その本体は白山龍王である。そして、「伊邪那岐命」「伊邪那美命」の仲人とも云われている。
陰陽の結びの神が、地上に足を降ろしたと言うことであれば、地上の陰陰の働きが正されるのではないだろうか。
人間を含む、地上の生物は、全てが雌雄の性エネルギーが源と成って、生かされている。
「有・ユウ・ある」と言う漢字の象形は、「右手+肉」の組み合わせで、男性が狩りで得た肉を右手に持って、誇らしげに女性に見せている様子から、出来上がっている。
人間が、存在を続けていられるのは、この性のシステムがエネルギー源となり、あらゆる創造に関わっているからである。
そう考えると、雌が待っている所へ、雄が獲物を持って帰り、それを雌が喜んで迎えれば、雄もまた生きがいを持って、生きる事が出来るだろう。
其の仕組みが崩れると、雄は何の為に、命を懸けて働けば良いのか、目的を失って、生きがいを無くすのではないだろうか。
昨日11月5日、鳳凰からのメッセージで、Uターンが示された。
イエスキリストは「その時には 一番先の者が 一番後になる」と云っている。
いよいよ、宇宙は「アクエリアス・水瓶座」の時代に入ったのだ。
女性が、本来の女性性に返るとき、世界は新しい時代の創造へと向かうのだろう。
「嫁」と言う漢字は、家の女と書く。
女性が、「娘(良い女)」から嫁になり、母親となって、世界に、平和を齎す子供達を育てるとき、人類の未来はバラ色となるのだ。それが、アクエリアス・ムーブメントである。
是までの、魚座の2000年間は、男性の競争原理で動いて来た。
是からは、老子の謂う「男性の立場を知った上で 女性の側に身を置く」と言う、受け身の行動が主流になるのである。
神話では、伊邪那美命(女性)の方から先に、伊邪那岐命(男性)ヘ言葉を掛けた時に、出来た子供はヒル子で、形に成らなかったと言う。
次に、伊邪那岐命・男性から、伊邪那美命・女性ヘ言葉を掛けると、今度は次々に正常な神が生み出されたと言う。それが、生命の正しい生き方と言う理・ことなのであろう。
「庁・チョウ」と言う漢字は、役所という意味だが、元々は「廰・チョウ」という字で、「建物の中に 聴く人が居る」と言う意味から成り立っている。
「庁・廰・廳 チョウ」【解字】形声。「广+庁(聽)」音符の聽は、よくきくの意味。政務を聴く家屋の意味から、やくしょの意味を表す。庁は俗字であったが、常用漢字として用いられる。
【字義】@やくしょ。官庁。「都庁」Aいえ(家)。Bへや。客間。おもてざしき。「客庁」 漢語林より
キリスト教の教会には、小窓が有る部屋が有り、訪れた信者は小窓の向こう側に居る司祭に向かって、罪の告解をする。
其れは、競争社会に疲れた人々の心身ストレスを、取り除く宗教的な手段の一つであろう。
現在の世の中には、子供自身の悩みを聞いてくれる所が無い。
その為に、社会全体が暗く成っている。
少年少女が、明るく育ってこそ、大人が元気に働けるのではないだろうか。
其の様な世の中にする為には、子供達の目標となる、理想の大人が存在しなければ成らない。
数10年前までは、勉強すれば「未は 博士か 大臣か」と云って、子供達を励ましたが、いまや手本と成るべき、其の博士や大臣は、堕落してしまった。
子供達が、目標を見失ってしまった為に、教育と言う事が難しく成ったのである。
世の中には、立派な大人は存在するのだが、地道で確かな生活を成し遂げている者は、マスコミべ−スに乗り難い為に、子供達の目に触れる事が殆ど無くなってしまっている。
政府の仕事は、正しく治める事である。
「治・ジ」とは、「民の心を 耕して 安らかにする」との意味である。
今こそ、教育に「治」が求められているのである。
子供達の目標となるべき存在が、完成された大人・おとなとしての「翁・おきな」であり、その子供達をはぐくみ育てるのは「嫗・おうな・女」で、「翁」と対の存在である。
政治の役割は、「嫗・おうな」が十分に子育てが出来る環境を、整える事であろう。
それが、「水瓶座・アクエリアス」時代の、神が望む世界である。
平成12年11月6日
礒邉自適
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