金沢ー京都ー鎌倉を結ぶ糸に興味を持ったので、
西田幾多郎の「善の研究」を40年ぶりに再読した。何となんとそこは「
知・情・意」のオンパレードであった。
『精神現象とは所謂
知情意の作用であって、これ(精神現象)を支配する者はまた
知情意の法則でなければならぬ。而して精神は単にこれ等の作用の集合ではなく、その背後に一の統一力があって、これ等の現象はその発現である。今この統一力を人格と名づくるならば、神は宇宙の根底たる一大人格であるといわねばならぬ。』P196
『神は分析や推論に由りて知り得べき者ではない。実在の本質が人格的な者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのは唯愛又は信の直覚に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我唯神を
愛す又は之を
信ずといふ者は、最も能く神を
知る居る者である。』P213最終の4行
「知・情・意」はこのブログのテーマの一つである「1・2・3」の本体です。繰り返しになりますが
知=知識・論理=ロゴス、情=感情・情緒=パトス、意=意志・意欲=エトス と言えます。
「愛」は情に関係し、「信」は意に関係し、「知」は知そのものです。
改めて、我々人間は「知情意」でもって主体(主人公)のように振舞っているが、実は神が主体であることを認識させられたのでした。

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