悟りへの道
私が1984年6月4日に安房川岸で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて荒野をさ迷って修行した課程の記録
私が 1984年6月4日に 安房川の岸辺で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて 荒野をさ迷って修行した課程の記録
カレンダー
2021年
January
Sun
Mon
Tue
Wed
Thu
Fri
Sat
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近の記事
風邪の恩恵
ブッダの周期
神手の夢枕・かんだのゆめまくら
煩悩の世界
静かな革命が始まる
過去ログ
2011年2月 (1)
2009年12月 (1)
2009年10月 (3)
2009年7月 (3)
2009年6月 (2)
2009年5月 (1)
2008年12月 (1)
2008年9月 (4)
2008年6月 (1)
2008年4月 (2)
2007年11月 (4)
2007年10月 (1)
2005年5月 (1)
2002年2月 (1)
2000年5月 (1)
記事カテゴリ
ノンジャンル (0)
覚醒 (8)
精進 (3)
般若波羅蜜の智慧 (8)
帰命 (6)
完成 (3)
掲示板
リンク集
みいつ〜君の光〜
自適塾
いのちのアルバム
自適の今日
→
リンク集のページへ
最近のコメント
カウンター
本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数
検索
このブログを検索
ブログサービス
Powered by
« 風邪の恩恵
|
Main
|
神手の夢枕・かんだのゆめまくら »
2009/12/26
「ブッダの周期」
完成
ブッダの周期
21・12・26
どうやら「ブッダ・仏陀」の周期が、今朝示されて来た様である。
其れは、表に立つ「基督・キリスト・天皇・統帥権を持つ者」とは違い、もう一つ大きな、裏のサイクルの様である。
昨夜、12時前に宿舎に帰って、シャワーを浴びてから、ベッドに入って目を瞑って居ると、瞼に、鏡に映っている映像が現れて来た。
其れは、据わって居る私の背後に、一人の女神が立っている映像である。
私は、其の映像を見て、私が、将棋で戦っている向こう側の王将は、もう一人の自分自身である理・ことが解った。
其の意味は、自分の中に「公私・陰陽・表裏・損得・善悪」が存在し、絶えず、競い合っていると言う理・ことである。
其れが「えらぶ・選択・チョイス」であり、「ヘルメスの杖」の蛇や、神社の鳥居の「左右の柱」の意味なのであろう。
そして、其れを生み出している思考の元は、人間の細胞の中に有る、二重螺旋構造の「DNA・遺伝子」の働きなのである。
今朝のメッセージの映像は、6段階に分かれて映し出されて来た。
其れは、古事記の「伊耶那美命・いざなみのみこと」から、「天御中主神」までの17段(1+左右の8段)の「神名・はたらき」ではなく、現代風の捉え方である。
先ず、始まりは、一段下の左側から映像が始まり、其の映像は、・屋久島町の町議会議員である「日高順一氏」が、動物・家畜の糞尿問題を相談に来た。
其れは、現在世界中で一番問題に成っている、環境汚染問題である。
次に、様々な問題に取り組む為の、若者の活動拠点と成る事務所(溜まり場)が映し出されて来て、既に5〜6人の男性が集まって居た。
次に、学校の様な建物が現れて、壁に、子供達が活動している写真等が、澤山貼られていた。
其れから、一段上がると、左側から右へ、政治家の人達が澤山並んで居た。
其の一番左側には、現在の国土交通大臣や、外務大臣等が地位順に並んでいた。
其れからもう一段上がると、今度は右側から左へ、縦書きの箇条書きで、是から遣らなければ成らない課題が、数え切れない程、次々に書き出されていった。
其の上の段には、其れ等の事の為に、宇宙の質量が、電磁波がショートして光る様に点滅しながら、消費されている映像が映り、其の中心に、やはり光が点滅しているイルミネーションの様に、一人の女性が立って居た。
其の女性の名は、「紺野美紗子」であると示されて来た。
そして、其の上の段には、大きな木の根元が映し出されて来て、其処は「仏陀・ブッダ」の座であり、釋迦牟尼佛が以前座って、成仏した席である事が示されて来た。
今朝のメッセージの映像は、神の働きの、新しい階梯を示して来ているのであろう。
一番上の位置は、木の根元に有るブッダの席である。
しかし、一番下の始まりは、地表の環境問題であり、やはり、木の根元と同じ地表が舞台である。
其れは、全ての事が、此の地球の地表に存在する理・ことを、意味している。
其れに、今朝の映像が町議会議員から始まったのは、公務員に付いて4日連続メッセージが続いている事に成り、「日高順一」の名は「順位が一番」との名であり、姓の「日高」とは、日本国が「日高見の国」と呼ばれているので、日本の国を意味している。
其の名前からすると、日本国は環境立国であり、其れに付いては、順位が一番であるとの意味に成り、「素戔鳴尊・すさのおのみこと」が2700年前に、家族で国土に植林をして回った事が、現在でも、天皇家の伝統として伝えられている事を、示唆して来ているのであろう。
其の日本の伝統を、世界に広げる活動の為に、活動拠点と成る事務所が、必要との事であるのだろう。
若しかしたら、既に、何処かに其の溜まり場は、存在するのかも知れない。
であるなら、既に活動を開始している人々が、居ると言う事に成る。
そして、其の活動で大事なのは、子供達の教育にあるとの理・ことなのであろう。
其れは、森山さんの意識がロシアの教会に行き、子供達に接触していた事にも関係が有るのだろう。
ロシアで、木を植える風習が有るのかどうかは判らないが、子供の時から、戦争の訓練をさせるのは、今朝のメッセージの内容からすると、反対の世界である。
そして、今朝のメッセージには、数知れない、何百もの箇条書きのテーマが書き出されて来た。
其の、縦書きの箇条書きのテーマは、何が書いてあったのかは、数が多すぎるので、何も覚えてはいないが、是から未来社会を創造して行くに当たり、課題が山積しているとの事ではないだろうか。
そして、其の課題を解決して行く為には、大臣を初めとする政治家を動かす必要が、ある理・ことを示して来たのであろう。
其れに付いては、日本を観光立国にする為に、民主党が予算を倍増させたので、前川国土交通大臣に頼んで、予算を付けて貰う計画を立てると、ビリケンさんが云って居たし、福岡の青年達は、「勝手連」の光永氏と関わりが有り、岡田外務大臣とも会えると云っていたので、全く根拠の無い事ではない。
其れに、「勝手連」の光永氏は、アースデーでも、数度行動を共にした事があり、私が居た四国の道場に来たりして、寝食を共にした事もあるので、協力はしてくれるだろう。
其れに、私は末松氏、福山氏、江田五月氏にも会った事はある。
そして、其の背景に「紺野美紗子」の存在が有るとの事。
紺野美紗子の誕生日は9月8日であり、大本教の出口王仁三郎は9月8日に12の秘密が有ると謂っている。
紺野美紗子(本名・佐藤美佐子)の名が現れたのは、一昨日の映像で、庭に広げて干して有った傘が、東風で飛ばされて、西の空に飛んで行った事に関係が有るのだろう。
何故なら、1984年の12月15日?に、十和田湖の湖畔に寝ていた時に、紺野美紗子が夢に現れて「パラソル パラソル」と云ったからである。
其れに佐藤美佐子の名は、12月2日に告げられて来ており、私の背後にいる守護霊が紺野美紗子であると、祭りの責任者に告げられている。
「神・はたらきの再編成」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1358.html
何故、「パラソル・傘」と紺野美紗子に関係が有るのだろうか。
1984年12月に現れたのは、十和田湖のみずうみであった。
そして、一昨日の映像では、干していた傘が、東風で西の空に飛んで行き、其の後に、天上から、水が流れるブルーホースが三本降りて来た。
と謂う事は、「パラソル・傘」は、水と深い関係があると言う事に成る。
「パラソル・傘」を検索すると、「雨傘」も元々は「日傘・パラソル」であると載っている。
アンブレラ (umbrella )は、元々は日傘の意味だったが、のちに主に雨傘の意味に使用されるようになり、その後 日傘にはパラソル (parasol )と言う言葉を割当てることが多くなったため、現代ではアンブレラ は雨傘、パラソルは日傘のことを指すことが多い。広義にはアンブレラで総称する。
上から降下してくるものに対して直被しないように防護する目的の用具で、頭部に被って使用する用具である「笠」と区別し、手に持って差しかけて使用する用具の総称をさす。現代においては、通常は雨や雪などの降水時に体や持ち物を濡らさないために使用されることがほとんどであるが、夏季の強い日射を避けるために使用されることも多い。 日本には、欽明天皇の時代に渡来した外来品で、当初はもっぱら日射を避ける「日傘」として用いられていたが、その後日本独自の構造的進化も見られ、降水に対して使用されることが多くなっていった。日本における傘文化の経緯詳細については和傘節を参照。
―引用終了― ウィキペディア辞典
此の説明に拠ると、「アンブレラ・umbrella」とは「否触れ・アン触れラ」で「直接には触れない」との意味である。
其の意味を考えると、メッセージの「日傘・パラソル・parasol」や「雨傘・アンブレラ・umbrella」は、直接には触れないモノを意味しており、何らかの理・ことで「水に直接は触れない」との意味を、伝えて来ている。
其の意味は、「一月に35日雨が降る」と言われている、屋久島で育った私の生活とは、反対の世界であり、私が感じている、水と人間の関係性とは反対である。
其れに、「釈迦牟尼佛」と「イエスキリスト」や、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」が、水の禊ぎに拠り、神の世界に入った事とも反対である。
何故なら「禊ぎ祓い・バプテスマ」とは、直接水に触れる事が、決まりと成っているからである。
其の為に、神社は清水が流れる川辺に建てられ、鳥居の入り口の所には「御手水」が用意されているのである。
「雨の島だから」
http://sun.ap.teacup.com/20061030/21.html
其れを考えると、紺野美紗子が何故「パラソル」と云い、私の背後に、守護霊として付いて居るのかの意味が判らない。
「美紗子」とは、キリスト教の「ミサの子」を意味しているのであろうか。
「ミサ」を辞典で調べると、次の様に載っており、日本の「みそぎ・ミソギ」と同じ様なモノである。
「ミサ(ラテン語)missa」 ・ローマ‐カトリック教会で、イエス=キリストの十字架上の犠牲を継承・再現する重要な祭儀。キリストの体と血であるパンとぶどう酒を、司祭の手をもって神に献(ささ)げ、信者もこれに参与し、キリストとともに神に自分を献げる。ミサ聖祭
・ミサはカトリック教会でおこなわれる聖体祭儀のこと。司祭が執り行い、信徒が参加するカトリック教会のもっとも重要な典礼儀式である。古代以来1960年代までラテン典礼におけるミサはすべてラテン語でおこなわれていたが、第2バチカン公会議以降の典礼改革により各国語でおこなわれることになった。「ミサ」という名称は、式の最後のラテン語の言葉「Ite, missa est」(ミサを終わります。行きましょう。)というフレーズの中の語に由来している。
―引用終了― ウィキペディア辞典
日本の神社は、本来は、神の依り代としての「磐境・いわさか(岩石)」や「神籠・ひもろぎ(神木)」が有り、清水が流れている聖地に、建てられる物である。
だから、今朝のメッセージの最高位には、生きている大木の根株が「ブッダ・仏陀」の座席として、現れて来たのであろう。
其れを考えると、紺野美紗子を守護霊とする私の上には、沙羅双樹の根元で悟りを得た、釋迦牟尼佛の存在があるとの理・ことだろうか。
良く考えて見れば、水の禊祓いをした「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」や「釋迦牟尼佛」や「イエスキリスト」もみな男性であり、「バプテスマのヨハネ」や「モーゼ」や「マホメット」も「老子」も全員男性である。
其れを考えると、確かに、女性には水に拠る禊祓いは、必要ではないと言う理・ことに成る。
だとすれば、禊ぎ祓いの世界は、男性が創り出した世界であり、女性に其れを勧める事は、神の道に反していると言う事ではないのだろうか。
確かに、神社で祓い清めるべきモノは男性の理屈であり、純粋な女性の本能である生殖・生命の世界ではない。
寧ろ、神社の禊祓いの儀式は「命・いのち」の元気を、寿ぐモノである。
其れに、女性の働きは大地の母としてであり、生命の畑と成るべき役割である。其れを考えると、女性は、男性が起こした罪を祓う為の、天の禊のトバッチリを受ける必要は、無いと言う事に成る。
だとすれば、確かに、女性が「否触れ・パラソル」を要求するのは、辻褄が合って来ると言える。
私が、25年半前の夏に、無庵師匠の自宅が在る平野地区の、海岸の海が見える丘の上で、椎の木の根株に寄り掛かって座って居ると、目の前の海に、行き成り火柱が立ち上がって、其の中に、「末法」の文字が書かれているビジョンを見せられて、身体にズシンと何かが飛び込んで来て、仁王立ちに成った事が有る。
其れから、私の意識に、大きな変化が起きて来た。
今考えると、其れは、釋迦牟尼佛が経験したブッダとしての感覚に、似たモノ・現象であったのだろう。
そして、其れから11月まで荒野を彷徨いながら色んな体験を積み、11月の半ばに屋久島を出て、11月22日には伊勢の磯部町で「天照皇大神」とのコンタクトが起きた。
そして、過去に八回、人類の次元上昇に失敗しており、今回が九回目で、最後のチャンスであると告げられた。
そして、「早稲田や慶応に 澤山の孫がいるので 助けて欲しい」と、車椅子のお爺さんの口を借りて、告げて来たのである。其れは、学校教育の大事さを示して来ている。
「自然と子供達」
http://green.ap.teacup.com/20060819/
今朝のメッセージで、何百ものテーマが、箇条書きで示されて来たのは、私が神の計画と言うか、未来社会の創造プログラムを引き受ければ、其れだけの案件に、取り組まなければならなく成るとの事であろう。
其の背景には、9月9日の宵宮祭である9月8日に「括り姫・ククルカン」の働きが、在るとの理・ことだろうか。
今日は、神奈川の「高橋智恵美さん」から今朝のビジョンを知らせて来た。
其の内容は、赤い服を着たダライラマが現れて、智恵美さんの頭に両手を置いて情報を読み取ると、ローマ法王の姿に変身してしまったとの事である。
其れから、ロシア産のボルゾイ犬が白と黒の二匹現れ、次に土の属性が7で、水が5で、風が3であると示されたとの事である。
チベットのダライラマが、高橋智恵美さんの頭に両手を当てて、情報を読み取ったら、ローマ法王に変身したとの事は、智恵美さんが教会の施設で育っているので、チベット仏教より、キリスト教の情報・メモリーの方が、優先するとの理・ことではないだろうか。
ボルゾイ犬の「ボルゾイ」とは、ロシア語で「俊敏」との意味で、狼退治に使われた足の速い犬との事である。
そして、土の属性が7で、水が5で、風が3との意味は、7・5・3は日本の注連縄の意味でもあり、「土・水・風」は、チベット密教の万物を構成する四つの元素「地・水・火・風」の中の三つである。
其の智恵美さんのメッセージは、キリストの情報の方が「白黒」の決着が早く(俊敏)つくとの意味なのかも知れない。
其れに7・5・3の数字は「地・水・風」で、地球の自然環境を意味しているかの様である。
イエスキリストの言葉には、「貴方達は 神は 何物かと訊かれたら『此の大自然』と答えなさい」と有る。
其れは、確かに歯切れの良い言い方である。
今朝のメッセージの内容は、私の分も、高橋智恵美さんの分も、新しい事が始まる前兆を伝えて来ている様な気がする。
何が始まるのか、何をさせられるのか、未だ良く判らないが、いまの処はメッセージを受け取って行くしかないであろう。
今朝のメッセージで、理解出来た理・ことは、女性には、精神世界に入る為の水に拠る禊の修行は必要ではなく、其の世界は、男性の理屈を祓う為に、考えだされて来た方法であると言う事である。
女性は、元々、生命を生み出す事が役割である。
だから、迷いを生きている男性の真似なんか、する必要はないのだ。
其れが、釋迦牟尼佛や老子の、言い分なのではないだろうか。
奈良の「矢追日聖氏」は、常々「雌なら猫でも好き」と云って、理屈を捏ね回す男性の存在は、面倒くさいと謂って居た。
私も、其の面倒くさい男性の一人なのである。
しかし、智慧の根本の所に座っているのが、女性ではなく、男性であるのだから、今回のブッダの作業を、中止する分けにも行かないだろう。
平成21年12月26日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
トラックバック(0)
この記事へのコメント一覧
この記事にはコメントを投稿できません
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
teacup.ブログ “AutoPage”