悟りへの道
私が1984年6月4日に安房川岸で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて荒野をさ迷って修行した課程の記録
私が 1984年6月4日に 安房川の岸辺で禊ぎ祓いのあと 聖霊に満たされて 荒野をさ迷って修行した課程の記録
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2009/10/11
「静かな革命が始まる 」
帰命
静かな革命が始まる
21・10・11
確かに 何かが 変わった
其れは 私だけの問題ではなく 此の宇宙全体のモノである
25年前に 私に訪れた あの恐怖と 慄きは
いまは 何処にも 感じられない
其れは 霊留(ひと)と 宇宙の関係(あいだがら)が
とても 微妙である理・ことを 表している
何故 人間が 此の世に存在するのか
其の問いは 長い間 人間の課題であり続けて来た
其処に 我々人間が 進化して来た鍵・秘密が 有る
「何故 わたしが ここに いま 在るのか」
其の問いは 長い間 わたしの疑問・といであった
そして 其の様に問いを発する わたしは
永遠に たびをする事を 止めないだろう
何故なら 其れこそが 此の宇宙を 存在せしめている
本当の「ちから」だからである
http://sun.ap.teacup.com/applet/20061030/postmsg
今朝は、確かに何かが変わっている。
今朝のメッセージの映像は、長い物であったが、要点は二つに絞られる物であった。
今朝は、ゆっくりと起きて、9時22分に事務所に着いて、PCの前に座った。すると、左腕の方にエネルギーを感じた。
其の反応から、アイルランドの古い民族である、「ダーナ神族」の言い伝えを思い出した。
其れは、「左肩の後ろから カッコーの鳴き声を 聞くな」と言う訓えである。
私は、今、其の言葉の意味が理解されて来た。
其の言い伝えの意味は、日本の鬼門と同じ物であり、其処からエネルギーが入り込めば、生きる力が弱まるからである。
其の生きる力とは、物事と戦って行く活力である。
だから、其の左肩の後ろや、鬼門からエネルギーが入り込めば、生活(生き生き活きる力)が失われるのである。
其の左肩の後ろと、鬼門の違いは、自分の身体で感じるか。其れとも、自分の家や、城の設計を、目の前に置いて、対象として見るかの、違いである。
其れは、自分が、南方から眺めている家の中に入って、床を背にして、南を向いて座って見れば、良く解る理・ことである。
イエスキリストの言葉にも「神の 右に座す者が現れたら 其の時節・ときが 来た事を知りなさい」と有る。
其れは、此の現実世界に生きて居る人間が、「神棚・仏壇」に向って祷って居ても、死んでから、仏壇に座って子孫の方を向けば、良く理解出来ること・世界である。
だから、イエスキリストの「神の 右に座す者が現れたら 其の時節・ときが 来た事を知りなさい」との言葉は、自分が、未来世界に復活して、人間側から見れば、神の右側に座して、此の世の人間と向き合う事に成る理・ことを、仄めかしているのである。
其れが、日本の神社に備えられている、鏡の理屈なのである。
私が、此処2〜3日テレビニュースを観て居て、気に成っている事は、8日早朝に竜巻が発生した地名が茨城県の「龍ヶ崎」で、発表は水戸気象台である。
其れに、9日の0時10分に山梨県笛吹市石和町松本の「加賀美正夫」85歳の自宅が全焼し、マチ子・82歳、光江・81歳、いつ子・77歳の四人兄妹が亡くなっている。
其れに、昨日10日午後2時50分頃に火災が発生したのが、滋賀県竜王町で亡くなったのは田伏徹・22歳である。
私は、偶々、其れだけのニュースを観ただけに過ぎないのだが、「龍・竜」の名が付いた地名である事と、「加賀美・かがみ」の名前が気に成るのである。
加賀美は、「鏡・かがみ」の当て字である事は間違い無いし、「かがみ」とは古語の「かがみっちょ」が縮まったもので「かがみっちょ・かがみそ」とは「トカゲ・蜥蜴」の事である。
そして、龍は「蛇」が大きく成った物であり、其の蛇は、約9000万年前に蜥蜴から進化して、身体が大きく成った為に、足が邪魔に成って、足を無くしてしまった物なのである。
其れに「加賀美正夫」の名前は、「蜥蜴が正しいおとこ」の意味に成り、住所は「笛吹市石和町」で「石和(イサワ・イザワ)」は神道の儀式の「磐鏡」の意味が有りそうだし、蜥蜴は「石竜子」とも書く。
そして「笛吹」は、まるでコブラの見世物を、連想させる物がある。
そして、滋賀県の「竜王」は、私が25年前に始めて旅に出て、夜中に高速道路を走って居る時に、目蓋にピラミッド形の山が現れたので、高速から降りたインターが「竜王」で、降りてから直ぐに「石部神社」が在り、其れから走って行って駐車場に車を止めて寝た神社が、ビジョンに現れた「ピラミッド山・御神山(三室山)」が在る「三上(みかみ)神社」だったのである。
そして、其の三上神社で「伊勢へ行け」と告げられて伊勢神宮に向かい、11月22日の未明に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が在る磯部町で神が現れ、「過去に 八回トンネル潜りに失敗して 今回が九回目で 此の地球では最後のチャンスである」と、告げられたのである。
2008/6/3「定着した画像」
http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其の様に考えると、此処数日のメッセージは、確かに、古い「世界・情報」の完了を意味しており、新しい次元の始まりを感じるものがある。
今朝は、PCの前に座ると「嗚呼 何と 素晴らしい」との女神の言葉が聞こえたので、女神のメッセージのブログを開くと、次の言葉が告げられて来た。
「嗚呼 何と 素晴らしい
貴方は 此れまで 誰も超えた事の無い壁を 越えたのです
日暮らしの鳴き声を 聞いた人は在っても あたしの慶びを 聞いた人は居ません
貴方は それだけ尊いたびを 終えたのです
貴方は 自分の静寂を 得ただけではなく あたしの静寂も 齎したのです・・・
全文
http://moon.ap.teacup.com/20060103/267.html
此の女神の言葉からも、「時代・時節・紀(とき)」の節目が、到来して来ている事が理解できる。
其れは、マヤ文化の神である「ククルカン・括る神(白山菊理姫)」の働きである、2012年12月23日の切り替えが、本格的に始まった事を、意味しているのではないだろうか。
其れは、イエスキリストの謂う「其の時には 一番前の者が 一番後に成る」との事が、いよいよ始まるとの理・ことでもあるのだろう。
今朝のメッセージの映像は、其のイエスキリストの言葉を、補足する為の内容であった様である。
と謂うのは、イエスキリストは男性の弟子達に「私の教えを 拡めなさい」と、旅を薦めているからである。
今朝の映像は、60歳ぐらいの男性の医者が、一人神の光に護られながら、飛行機で世界各地を訪問し、身体の健康に付いてだけではなく、生活物資の流通まで指導して居た。
そして、次に、私の意識が、何処かの町中を歩いて居ると、小さな木造の古い店が在り、其の店には、40歳ぐらいの女性が一人居て、私も着ている大阪の「笹倉玄照堂」の製品らしき、藍木綿のシャツや服のリサイクル品を、並べて売っていた。
今朝のメッセージの映像も、昨日のメッセージの続きであり、人間の生活文化を、此れからどうするかに付いて、示唆して来ている。
今朝のメッセージでは、女性は狭い範囲の中で、衣食住の事や、衣服の流通などに付いて、取り組む事が大事であると示して来ており、男性はその役割として、地球全体の環境や、人類の全体の生活文化や、価値観の改革に、努めなければ成らない理・ことを示して来ている。
確かに、女性のイメージは「母さんが編んだ手袋」の様に、昔から女性が編み物をしている姿が、家庭の平和と幸せを象徴している。
其の母親や妻の姿は、子供達や夫にとって、最大の安らぎを齎す物であり、意識・こころの故郷として、最大の力を持っている。
現在の世の中の、落ち着きの無さは、其の母親像が、家庭から消えてしまっているからではないだろうか。
そして、医者の仕事は、昔は「神父さん」が兼ねているものであり、日本には其の代表・達人として、「弘法大師空海」の存在が有る。
弘法大師空海は、医療の他に、建設土木の指導者として活躍をしているし、「弘法も 筆の誤り」との諺が有る、筆書の達人でもある。
現在の医者が、そう謂える人達であるかは別として、人の悩みを解決し、心身ともに元気にする事が、神父や坊主の仕事・役割である。
其の役割が果たせる為には、人々の相談に乗れるだけの器量と謂うか、体験や知識が必要である。
其れを考えると、瞑想や座禅をして居るだけでは駄目だし、また机にしがみ付いて、勉強ばかりして居ても駄目である。
今朝の映像に現れた医者は、杖を突いて、道をテクテク歩いて回っている姿ではなく、現代社会の文明の象徴である、大型のジェット機に乗って居た。
其れは、イエスキリストの謂う「一番前の者が 一番後に成る」との言葉のイメージからは外れている。
と言う事は、イエスキリストの予言も、既に外れている事に成るではないか。
と言う事は、既に、人類は許されている事に成り、ヨハネの「黙示録」やノストラダムスの「大預言」も外れたと言うか、解除されたと言う事に成る。
其れは、正しく、宇宙の情報が変化したと言うか、未来を創造して行く為に、必要な材料と言うか、情報が確立された事を、意味しているのではないだろうか。
だからこそ、今朝の静けさと安らぎがあり、女性意識と、男性意識の、両方のメッセージ・詩が、届けられたのではないだろうか。
今日の静けさと、私の気だるさの原因は、25年前に、私が映像で見せられた「ハルマゲドン・人類の最後」が、確かに解除されたからであろう。
私は、25年前「無庵師匠」の指導で仕事を全部止め、家族と離別して、此の世界に入った。
そして、カッコーの鳴き声ではないが、ホトトギスの鳴き声を聞いて、身体の力が抜け、「虚無・うつつ」の中に落ち込んで行ったのである。
其の同じ感覚が、再び私を襲って来ている。
確かに、此のPCがなければ、あの時の様に、再び、地べたに座り込んでしまうだろう。
其れは、道元禅師の謂う「心身脱落(身もこころも落とし切れ)」との「解脱・脱魂」の状態である。
しかし、こうしてパソコンの前に座って、キーボードの上に手を乗せて居れば、手は自動的に、頭に浮かんで来る言葉を、並べて打ち続けている。
此れは、確かに、此れまでには無かった世界であろう。
若しかしたら、此れは、ピアノのキイの上に、手を乗せて居た、モーツアルトやベートーベンと、同じ様な状態なのかも知れない。
其の様に考えると、私には楽譜は読めないが、いろは48音を、こうして楽譜している事に、成るのではないだろうか。
此れこそが「南無阿弥陀佛」の世界なのかも知れないのである。
其れは、真実の「静かなる革命」と呼べるモノ・現象なのかも知れない。
平成21年10月11日2時22分
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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