2006/7/29
21年振りの7月27日
18・7・29
今日、久し振りに、東京の中山博さんより電話が有った。
其の電話は、私の昨日28日のメッセージに、中山博さんが出て来た事を書いて有ったので、其れを読んで、電話を掛けたとの事である。
中山さんの話では、27日に自分当てにメッセージが出て、何だろうと思って居たら、私のメッセージにも、自分の事が出たので「是は」と感じて、私に連絡をして来たものらしい。
私は、其の事を伺って、其のメッセージは、全体に対しても重要だし、私のメッセージとの関連性も有るので、是非送って下さいと頼んでFAXを貰い、4枚全部を「つきさかきいづのみたま」のブログに載せる事にした。
「全ては繋がっている」http://white.ap.teacup.com/miitu1223/430.html
其の作業は、午前中に終わったのだが、昼食後、少し休んで居ると、妙に其の事が気に成り出した。
良く考えて見れば、7月27日は、私にとって大事な節目に成る日であり、其の日に中山さんに出て来た事は、私にも関係が深いのではと、思い始めたのである。
中山さんの前回のメッセージは、16日前の7月13日に私宛に出たもので、
「一人の男は一人なり 二人と一人は何人の力 是が大きな力です
やがて我われには 大きな力が必要と成ります
まずは二人 その後に一人です
是よりは 其の一人を抽出しますよ。」 と 書いて有る。
何か、謎めいた文章であるが、今回のメッセージに、関係が有るような気がする。
私と、中山さんのメッセージの出所が同じ所である事は、大体間違い無い様である。
では、其の出所は、一体何処なのだろうか。
7月27日の日付で考えれば、21年前の1985年7月27日に、奈良市に在る「大倭あじさい邑」に私が行き、理事長である「矢追日聖法主」に初めて出会った日である。
矢追日聖氏は、S20年8月15日の終戦の放送の直後に、日本から新しい御世が始まる事を神に知らされている。
15・4・7の文章「正伝矢追日聖」http://star.ap.teacup.com/170606/210.html
17・8・8「あじさいネットワーク」http://star.ap.teacup.com/170606/542.html
それに、大分県大野町の赤峰勝人氏(なずなの会)を訪問したのも、1991年7月27日である。
其れから、中山さんのメッセージの「7月13日」は、前田氏が初めて屋久島を訪れた日でもある。
どうやら神の計画も、大詰めの処に達した様である。
マヤ暦の年始めは7月26日だが、其の暦に関係が深い様でもある。
矢追日聖氏は、昭和20年12月23日を元旦として祝い始め、既に其れは61回目を向かえようとしている。
2012年12月23日は、第67回目の元旦と成るのである。
中山さんへの今回のメッセージも、其れに繋がる物か、其の仕上げの事を伝えて来ているのかも知れない。そうであれば、漸く神の計画が、実現可能な段階に達している事になってくる。
私自身も、本番を迎える事に成るのかも知れない。
今日は、昼寝をしようと意い、ベッドに横に成り目を閉じると、「学習ソフトを創れ」との言葉が出て来た。私にとって、忘れて成らないのは、新しい学問体系を整える事が、最も重要であるとの事だろう。
他の事は、誰かが出来ても、生命学習に付いては、私でなければ、駄目だとの意味ではないだろうか。
今日は、私に、今後の展開に付いて、新たな心構えが求められて来た様に感じている。先ほど、丹治氏から電話が有り、次の仕事の指示があった。
私もドンドン、三次元世界に、足元が近付いている様である。
平成18年7月29日
礒邉自適
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