2006/6/16
キララ・ステアリング・リソップ
18・6・16
今朝の映像は、結構ユーモアが含まれているが、内容は厳しいものがある。
私は、何処かの駅前に、黒い服を着て、寝そべって眠って居た。
そして、音がするので、目を開けて起き上がり、回りを見渡した。
すると、本箱の上に、人が跨り走っている。
私は、其の人が向かった先に、行って見た。
すると其処は、古本屋で、隙間無く戸棚に古本が並んでいる。
良く見ると、其の書棚は皆、骨董品の売り場の物で、全部寝札が付いている。
私が、其の店の人に「何故 値札が全部付いているのか」と尋ねると、他の所で骨董品の店を手広く遣っていて、税金対策の為に、此処に置いてあるとの答えであった。
私は成る程と想い、店の中を見て回ると、ゴリラの様な形をした置物が在った。私は、其の置物がめずらしいので、スイッチを入れて見ると、両手が動き出し、胸を拳で叩き始めた。
すると、胸の所に、明るい光りが、まぶしい程に灯るのである。
其れから、しばらく其の店の中を見回していると、子供を二人連れた母親が、店に遣って来た。
店の様子を見ていると、其の店に遣って来る人達は皆、本棚を乗り物にして動き回っている様なのである。
其の映像の意味は、人間は皆、他人が、過去に書いた物の情報を乗り物にして、行動しているとの事であろう。
そして、店の中にあったゴリラは、現代社会の、人間模様を意味しているのだろう。
人間は、他人の書いたものを沢山読んで、多くの事を知っていると、胸を叩いて、自分の自信の「エネルギー・光」として、動き回っている事を、示唆している。
其れが、現在の教育機関の在り様なのだ。
此の映像は、昨夜、私が「泊如竹翁」の事を書いた文章に触れたので、其の続きが出て来たものと思える。
王様は、昔の人が書いた本を、図書館に澤山集めて、其の蔵書の量を、皆に自慢しているのである。
処が、過去の情報は、未来を創造する為には、役に立たないのである。
神が望む、未来社会を創造するのには、過去の知識が邪魔に成るのである。
私が、そんな事を想っていると、店の人が、ゴリラの置物が、動かなく成ったと騒いでいるので、見に行くと、確かに動かなく成っている。
私が、其の店の人に代わって、原因を探ると、先ほど店に来た子供が、置物の裏に張って有る紙を破ってしまい、空気が漏れるので、動かなく成ってしまったらしい。
其れは、子供は無邪気なので、古い仕来たりや、情報を、破り棄てる事が出来る事を、意味しているのだろう。
未来を創る為に、地球に誕生している子供達に、古い概念を押し付けては成らないのだ。
其の点に於いては、現在の教育制度は、あまり良いものとは言えない。
学校の授業で、習う物は、殆どが過去の情報である。
人間の思考は、過去の情報を集めれば、集める程、自由を失ってしまう。
過去の情報に縛られ、未来を創造する為の、自由が失われてしまうのである。
人間の意識は、過去の情報の上に成り立っている。
だから、其の過去の情報に縛られてしまうのだ。
過去の情報に、縛られている意識では、未来を創造する事は出来ない。
だから、過去の情報を、一度棄ててしまわなければ成らないのだ。
其の理を、今朝の映像は告げて来たのであろう。
私が、駅前で、黒い服を着て寝て居たのは、私自身は、もう旅が終わって、還って来て休んでいる理を示している。
処が、未だ走り回っている人達は、未だ昔の人が考え出した過去の書物を、思考の乗り物として使っているのである。
処が、子供達は、其の世界の張り紙を破いて、空気を入れ替える事が出来るのだ。
今朝のメッセージは、最後に「キララ・ステアリング・リソップ」との言葉が来た。
「キララ」とは、漢字では雲母で、英語では「マイカ」である。そして「ステアリング」とは、進行方向を変える装置で、「リソップ」とは「ソップ」が痩せた体形なので、再び痩せるとの意味だろう。
其の意味を、私なりに繋ぐと「スリムな姿の方向に 立ち返る為に、花崗岩が動く・事象を運営する。」となる。
それは、日本語の「禊ぎ」を、英語圏の人にも解る様に、言葉を選んで来たものではないだろうか。
其の、一番の禊ぎが、行はなければ成らない世界が、知識の世界である。
其れは、日本の神社での儀式だけではなく、旧約聖書にもある「知識の実」を吐き出す事でもある。
人間は、言葉や文字で情報を繋いで来た。
其れが、カルマ・業と成って積み上げられ、未来を創造する為の、足枷と成っているのだ。其の古い情報を、意識の乗り物として、日夜動き回っているのが、現在人の在り様なのだ。
今朝は、其の習慣を止める様に、告げて来たのだろう。
そうしなければ、未来を創造すべき子供達が、その古い情報に汚染されてしまい、未来を構築出来ないと言う事である。
また、子供を自由にしなければ、折角開かれた岩戸も、再び閉じてしまうのだ。
イエスが謂った「一番 前を歩く者が 一番後に成る。」其の言葉が、現実と成る日が近づいているのである。
平成18年6月16日
礒邉自適
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