2006/5/19
思考の柵
18・5・19
今朝の映像は、神のメッセージと言うより、神が私の脳を使って、意識の源に探りを入れていると、説明した方が合っているだろう。
此処から先は、今までの、人間が遡った事の無い、意識の源の世界である。
其れは、文字どころか、未だ言葉さえ存在しない、根源の世界である。
其の世界は、生命の根源である「物の存在・森羅万象」のスガタ、其の「モノ・現象」を映し出しているだけである。
其の世界は、人間以外の動物や、植物が生きている情報の世界である。
其処には、是まで、何人ものシャーマンが挑戦をして来ているが、未だ誰も、今朝の世界より、深くは潜り込めていないらしい。
何故なら、若し入り込んだら、抜け道が無いので、元の人間の意識にまで、還って来られないからである。
今朝は、其の世界に、私が入って行くと、次の迷路に踏み込む前に、誰かが引き戻しに遣って来た。
其れは、「少彦名神」の御魂の様であった。
少彦名神は、どうやらシャクジ神の総元締めらしい。
何故なら、植物の霊魂の中にまで、侵入をした事が無ければ、私が入り込んだ世界までは、入って来られないからである。
今朝の内容を、全部書き出すには、何日も掛かるだろうし、書いても、普通の人には理解出来ないであろう。
寧ろ、頭が良過ぎて、精神病院に入れられている人達なら、同じ体験を積んでいるかも知れないので、相互理解が出来るかも知れない。
今朝は、どうしたものかと意いながら、事務所に出て来たら、「思考の柵」との言葉が来たので、漢語林で直ぐに「柵・サク・しがらみ」を調べて見ると「木+冊」の組み合わせで「冊」は、文字を書く為に、木の札を並べて紐で縛った物 と載っている。
「思考の柵」とは、マントラを日本語風に言う物のようである。
「マントラ」とは、インドの言葉で「マン」は考えるで、「トラ」は「サラ・皿」の事であるので、マントラとは「言葉は 思考する為の 器」との意味である。
其の意味から、「思考の柵・さく」を考えると、「文字を書く行為は 思考を進めること。思考を進めるのは 文字を書き連ねる事。」との意味に、解釈して良いのだろう。
何故、其の様に解釈するかと言うと、今朝の映像の始まりが、其の事に関係があるからである。
映像の始まりは、私が、皆の代表として、アクアラングを背負い海に潜る処から始まった。
良い天気で、空は青く、海も青く澄み渡り、白い波が、目に染まりそうな景色である。
私は気分良く、何かを求めて、其の海に入って行った。
そして、深い海の底に潜って行くと、何故か其処には、鯛や平目や龍宮城の「乙姫さん」は居ないで、海草ではなく深い森が在り、手付かずの植物群が生えている情景なのである。
私は、水中に潜ったつもりが、深い森の中を彷徨っているのである。
私は海を求めて、其の森を抜け出し、峰を越えて、山の向こうへ行こうとしたら、誰かが遣って来て「一度浮上して 減圧しないと危ないから。」との意味を伝えて、私を陸の上へ引き戻した。
そして、今回の事を文章にしろと言う。
何故かと意うと、一度体験した事を整理して、文章に纏めてからでないと、次に潜った時に、迷路に嵌って帰れなく成るからだと言う。
自分一人で、無制限に其処に潜って行くと、永遠に引き返せない世界に、入り込んでしまうと言うのである。
其の説明を聞いて、私は是まで歩いて来た道が、自分一人ではなく、多くのサポーターが居て、深い世界に一遍に潜り込み過ぎない様に、神霊にコントロールされていた事が理解されて来た。
其の神霊のサポートが無ければ、私も、其の世界に深く入り過ぎて、戻れなく成り、精神病棟に入れられていたかも知れないのである。
言葉が在ったからこそ、夢遊病者に成らなくて済んだのである。
だからこその、「マントラ・思考の柵・言葉の短冊」だったのである。
何故こんな世界に、私は入り込んでしまったのであろうか。
そんなに強く、七夕の短冊にお願いをした記憶も無いのだが、不思議な世界である。
今朝、私が、文章にしなければ成らない「理・コト」は、「生物・いのち」の存在其の物の、情報の世界である。
生物は皆、複雑な遺伝子コードで組み上がって来ている。
地球の生物は、此の地球環境の中で、どの様に生きるかと言うことを、情報として確立し、其の情報に因り、今の姿を具象化して、存在を続けているのである。
今朝の私の意識は、其の生命全体の意識のソースの中を、泳いでいたのだ。
其れは、中澤新一氏の言う「根源の母・マトリックス」の中に入り込んでいたのである。
確かに、其の世界は、雌の生命プログラムのソースの中であり、私はそのソースの海の中に侵入して、根源の答えである何かを発見し、捉え様としていたのである。
今朝は、其の母・マトリックスの世界を認識したら、二度目の潜水が始まった。
次に、侵入した世界は、今度は、自分の血管の中であり、血液の中を泳いで心臓に辿り着いた。
其処には、コロコロ変わる「心・ココロ」の意味ではなく、「ココダ・此処だ」と言葉が待っていた。
それで、漢字の「心」が心臓の象形であり、「こころが心臓にある」との概念が、初めて理解出来た。
其れは、心臓の音が、総ての記憶をデジタル的に、記憶しているとの答えである。
人間の意識は、脳に織り込まれるのでなく、心臓細胞の振動数に全部インストロールされているのである。
今朝の私の意識は、其の心臓の音の周波数を捉え、其の情報を開くと、巻紙を広げる様に、其の振動の情報が右側に向かって開き始めた。
其れは、今日の時点から、子供の時までのドキドキ体験が、映像で再現され、更に母親の胎盤を通過し、動物の世界を通過し、植物の世界も通過し、ミネラルのスースの海にまで、還って行くのである。
何と、ドキドキした時の体験が、総て、振動として録音されているのである。
嬉しい時、驚いた時、怪我をした時、病気に成った時、恋をして胸がときめいた時、それらの感情の揺れは、総て、心臓細胞に振動として記録されているのである。
私達の記憶は、心臓の細胞が刻んでいる振動波の波を表す、心電図の様な記憶の巻紙に総て記録されており、脳は、其のフロッピーの情報を映し出す、パソコン機能にしか過ぎないのである。
其れは、生物が細胞分裂を繰り返している初期時に、脳細胞よりも、心臓細胞が前に出来る事からも、納得できる事である。
これで、インドのアーユルベーダーの世界が理解出来てくる。
アーユルベーダーの世界は、四本の手指で、相手の腕の脈拍を測る事で、其の肉体が過去に体験した情報を、皆読み取るのである。
其れは、心臓の脈拍の音を聞き取る作業なのである。
其の作業で、過去の病気や、ストレスの傷跡を探り出し、癒すのである。
心臓は、過去の出来事を、レコードに記憶する役割を果たしているのだ。
アメリカの女性が、男性からの心臓移植を受けたら、退院後無意識の処で、其の男性の生活行動を起こす様に成った事でも、頷ける事である。
これ等の事柄から解る事は、脳だけが、意識を司っているのではないと言うことである。
「いのち」とは、生命全体を意味し、其の生命全体には、共通の意識の海・ソースが存在し、其の海の中で、環境に合った形の情報プログラムが組まれ、其の情報どおりに、夫々が好きな形に姿を現して来ている、現象界全体の呼び名なのだ。
其の結果が、現在の地球の生命圏なのである。
其の世界を、釈迦牟尼佛はダルマとして説いたのである。其の釈迦の教えの世界が、「仏」の世界として伝えられているのだ。
私は、今朝、其のダルマの世界に、釈迦とは違う切り口から、侵入を果たしたのだろう。
そして更に、釈迦牟尼佛が認識した、次の世界に進もうとしているのだ。
釈迦牟尼佛は、法華経の十二縁起の中で、「総ての行為を止めて 言葉の使用をやめなさい。」と、説いている。
其れは、人間個人が、過去の総ての情報を断ち切り、命の本質に目覚める為の、方法を説いているものだが、其の総てを棄てた後の世界が、危ないのである。
釈迦牟尼佛の時代は、総てを棄て切って自由に成っても、どうにか、皆の支えで生きて行けたかもしれないが、現代社会ではそうは行かない。
「法華経の十二縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/332.html
棄てた後の、自分を護るのがまた大変で、其の自分を護る為の道具が、言葉なのである。
言葉が、総て人間の思考から取り除かれれば、もう、人間社会では生きて行けない。精神病院に入れられるのが、落ちである。
私も、総ての行為を止めて自由に成った時は、素裸で山の中に居た。
其れは、「裸」「パトカー」「警察」「捕まる」「病院」などの単語が、思考に残っていたので、山の中に籠もって、人里には出ない様に、自分の意識をコントロールし、自分を護る事が出来たのである。
その言葉がなければ、分別がはかれなく成り、私はとっくに、精神病院に入れられていただろう。
私は、言葉の存在に拠って、自分を護る事が出来たのである。
アニミズムの世界を体験するには、境界を越えて、動物や植物の内側の世界に侵入して行かなければならない。
だから、完全には入り込んでしまえば、現在の人間社会への復帰が、難しく成る。
其れを、復帰可能にする為には、情報を段階毎に言語化し、顕在意識に言葉を錨として、絶えず引いていなければならないのだ。
其れをやらなければ、糸の切れた凧の様に、当て所も無く、彷徨い始める事に成る。そうなれば、もう元の陸地には、還れなく成るのである。
其の理が、今朝のメッセージ・映像で、始めて理解出来たのである。
今朝、私を連れ戻し、其の理・ことを、私に教えてくれた者は、一体誰なのだろうか。
まだまだ、此の世界は、奥が深い様である。
今朝のメッセージの内容は、未だ有るのだが、此処らが、私の思考能力の限界の様な気がする。
平成18年5月19日
礒邉自適
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