2003/12/20
饗設・あるじす
15・12・20
昨夜、自宅で友人達五名と石狩鍋を囲んだ所為か、それとも、昼間「吉野太夫と灰屋紹益の物語」を読んで、京都郊外の鷹ヶ峰の麓に在った「本阿弥光悦」の働きをイメージしたからだろうか。
今朝は、「あるじ」の役割が映し出されて来た。
登場人物は、殿様と筆頭家老、其れに食を司る女主人、其れと客人を案内して来る男性と、接待係りの男性、其れ等の「饗設け・あるじもうけ」に必要な人間は皆揃っており、食材は全て整い、女主人は台所で食材の下拵えを始めている。
準備は万事整えられ、殿も筆頭家老も客人の到来を待って居る。
惟、慌てて居るのは接待係りの男性で、場所を何処にするかが、決定出来ないらしく、困って私の所に遣って来た。
様子からすると、どうも其の饗設けの主旨を知っているのは、私らしいのである。其の主旨の為に、集まって来る客人や、会場の決定も、私がしなければ成らない様である。
そして、其の饗設の目的も、私が成功に導かなければならない様なのだ。
其の目的とは、何なのかが、私にも良く分からないので、意識を強めると、殿が、家老に一言伝えている言葉が示されて来た。
其の、殿が言った言葉とは「途中で切ると 空気(ス)が入ってしまい 水が上にあがらなくなる」との事だった。
其の一言から察すると、日本の「まつりごと(政治)」や、食の伝統が、途中で切断されると「鬆・ス」が入ってしまい、継続出来なく成るとの理である様だ。
其の言葉の風景は、華道の切花用語から来ている様である。
今朝のメッセージは、誰かが、殿や筆頭家老に代わって、摂政か宰相を務め、伝統が途切れ無い様に、「政・まつりごと」を行わなければ成らない事を、告げて来ていると想われる。
「宰相・サイショウ」とは、現在の総理大臣や首相のことだが、宰相の宰の漢字は「宀+辛」の組み合せで、「宀(家屋)と辛(調理用の刃物の象形)」の組み合せだから、「建物の中で 祭事や 宴会の為の 調理をする」の意味や、「仕事を 処理する人・オサの意味」を表す。と有り、「相」は事物の姿形を良く見て補佐する。たすける。の意味を持っている。 (広辞苑)
「宰相」と「饗設」は、同じ意味を表現する語だという事に成るので、今朝のメッセージは宰相の役割を示している事にも成って来る。
私の意識の中に、「摂政・宰相・丞相・饗設」と呼ばれて来た役目(あるじ・おさ・ぬし)の魂が、存在することが理解されて来た。
古代社会で、「政・まつりごと」を采配して居た人達の御魂が、私を動かし、伝統が途切れない様にする為の、努力をしている様である。
私は、古代から傳っている「政・まつりごと」が、是からも継続する様に、人材を集めて形を示さなければ成らない様である。
其の、人材を選出し、縁を繋ぐのが「饗設け」の役割である様だ。
殿や、家老職の位置に在る者が、国中を歩き回る事は出来ない。又、余程「政・まつりごと」の伝統が何たるかを熟知している者でなければ、人材を選出する事は不可能であろう。
今月17日のメッセージに有った「虚偽」に続いての、今朝のメッセージは、いよいよ新しい時代の枠組みの為に、人材が集められる事を知らせて来ている。
天界には、既に饗設の用意は出来ているのだ。
後は、現世で其のプログラムを受け取って、客人を呼ぶだけである。何時・何処に・誰を集めるのか、其れが、是からの私の役割なのだろう。
全人類が、天界の働きと仕合わせが出来る様に、私が人選を行わなければ成らなく成るのだろうか。
其れも、私が考えて用意するのではなく、天が用意している人材を、世間の中から、目利きするのが、私に与えられている事なのだ。
日本の伝統である茶の世界は、茶席を用意する主(あるじ)の務めが、一番難しいとされている。
主人の人選次第で、茶会の成功か、不成功が決まってしまうからだ。
いよいよ、私の正念場が近付いている様である。
平成15年12月20日
礒邉自適
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