2006/3/1
宇津穂
18・3・1
今日は、中山博さんより「うつほ」の題で、メッセージが届いた。
其れは、私の「始末」と関連が有る様である。
「うつほ」とは「つ」は、現代仮名遣いでは「の」の接続詞と同じだから、うつほとは「宇宙の穂」の意味になるだろう。
其れは、日本の国を古代では「瑞穂の国・みずほのくに」と言っていたので、「瑞穂・みづほ」は「稲の穂」を言い現しているから、「うつほ」とは「宇宙の穂」を意味していると想われる。
穂とは、宇宙が、自分の作品として育てている、人間の事ではないだろうか。
全ての、始まりの「理・ことわり」に付いて聴きなさい。
其れが、解かりた後に来るのは、開かれたる「主・素」なる「意識・こころ」成り。開かれたる「魂・タマ」出れば 此の地は全て開く。との 意味だろう。
全ての始まりの、原点の理・ことわりを誰かが話し、其の理が理解出来れば、訪れるのは、覚醒した「す・素・もと・主神」の意識で、全ての人類社会は解放される。」との事なら、其の始まりの理を、聞かなければならない。
其れを、何者が、話す事に成るのか。
昨日の田記さんのメッセージは、左側と右側から、同時に橋が掛けられて伸びて来たが、中心の処が外れていて、繋がらなかったそうである。
しかし、地から昇った「青龍」は、天から降りて来た「金龍」の口の中に飲み込まれ、腹の中で光りと成り、金龍と同時に、破裂して溶け散ったとの事だから、天地の交わりは、巧く行ったとの事だろう。
しかし未だ、左右のハタラキは、中心の処が外れているとの事である。
昨日の私のイメージでは、左右の十字架の中心が、瞬間的に合ったので、是から、其の橋の中心も合わされて行くものと想われる。
昨日は、田記さんと、私のメッセージは連動しているし、今朝の私の「始末」と、中山博さんの「うつほ」も関連していると想われる。
どうやら、三人のメッセージの元は、同根の「す・主神」からの物と考えられる。
特に、田記さんの25日のメッセージは、大きな亀の背中に、秦の始皇帝が乗って居て、右手を空にかま首の様に伸ばし、宇宙の中から、陰陽のマーク・印しの球を、捉まえたとの事である。
そして、是までの、高い山の上で行われていた天帝への儀式を、遣り直す「封神の儀」を執り行うとの事が、見せられとの事である。
私は22年前、屋久島の石塚山1590mに登って、瞑想をして帰った夜に「石塚の 四方の山に尋ねても 答え返らじ 我が身に聴けよ。」と「詩・宇タ」が伝えられた。
其れは、真実の答えは、山の上に在るのではなく、清められた人間の意識の中に在るとの理・ことだろう。
山に人間が出掛けるのは、自分の意識を清める為の行為であり、真理の答えは、自分の生命自体に存在するとの理・ことである。
もう、真理を知る為に、自分の大事な物を、神に捧げるアブラハムの様の行為は、必要無いと言う事だろう。
神は、人間を苦しめる為に、存在するものではなく、人間が真実を知って・悟って、生きて行ってくれれば、それだけで良いのである。
昨日の、私の霊夢の映像は、私の書いた文章が広げられており、其れを、左右に二人の男性神が存在して視ていた。
右側の男性神は、私の文章に、光りセンサーのコードが着いた、スコープの様な物を、一字一字に当てていた。
すると、私の文章の文字には、全ての文字に、違う音のデーターが籠もっており、一字毎に違う音が鳴っていた。
其れは、私の文章の文字は不立文字ではなく、チャント「龍・立」が住んでいるとの事である。
左側の男性は、私の文章に、文字の間違いや、文法の間違いがないかを探していたのだが、文法には間違いがあるが、其の違いに、独特の個性の意味があるので、面白いと喜んでいるのである。
其れは、私の文章は、他の人の考えを、真似た物ではないので、独特の意味や音韻が含まれていて、値打ちが有る事を伝えている。
其れは、無庵師匠が謂うっていた「自適さんは オリジナルで生きて居るから 貴重なのだ。」との評価と、同じ事なのかも知れない。
私の、人真似が嫌いな性分が、想わぬ結果を齎している様である。
昨日の、中山博さんのメッセージは、「嬉しき成り 楽しき成り 開く 開く」とある。そして、屋久島の中心の所にバッテンが着いている。
それに、陰陽のタオのマークもある。其れは、屋久島の真北に飛び出している矢筈岬の鼻であろう。
北方は「玄武」が護り神で、玄武は皇帝の護り神である。
私にも19日に、矢筈岬が大事だと告げて来た。
矢筈岬は、東経130度30分の屋久島の中心線上を示し、又 岬には陰陽二つの山がバランス良く並んでいる。
「東経130度30分」http://blog.livedoor.jp/miitsuline/
私が屋久島に帰ったのは、岡山のスーリアさん達と、其の岬で2002年6月9日に岩戸開きの儀式を行う為であった。
其の儀式の効果も、現れて来た様である。
「青龍」は、水の神で智恵の神であり、「金龍」は天帝の本体である。
亀は大地の意味で、皇帝が宇宙の陰陽の球を手にしたのは、金龍が時空の権限を手中に納めた事を意味している。
中山博さんの26日の絵には、真南の位置が書かれ、今日は、真北の位置が書かれている。
どうやら、島のプログラムが発動する時が来たようである.
平成18年3月1日
礒邉自適
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