2003/12/12
生命質
15・12・12
今朝のメッセージは、人間の性質に関するものだった。
私の、右横後ろから、人間の両手で、壁新聞の様な紙面が差し出されて来て、其の紙面には、写真や文章が載っていた。そして其の紙面が、私の正面に広げられた。
其の紙面には、中央に、何故か年老いた屋久杉の立ち姿が、カラーで載っていて、左側には、其れに関する文章が書かれている。
私は、其の新聞の出処が知りたくて、目線を紙面の左側に移した。すると、其処に載っている写真と文章は、風物紀行記事であることが分かり、その新聞が風物誌であると理解した。
すると、紙面上に、煙の様な影が湧いて来て、紙面の向こう側に塊となった。
私は、其れが、何なのかと想って見ていると、年配の男性の顔に成ったのである。最初の顔は、70歳くらいの、悟りを得ている様な東洋人の顔だった。
しかし、其の顔を、私がジィーと見詰めて居ると、その煙の様な塊の物は、変化を始め、様々な男性の顔に変わり出した。
其れ等の顔は、皆、其の道の達人の様であり、自分の人生を生き切った、70歳くらいの年代の顔ばかりである。
中には、落語家の様な顔や、片目を瞑って合図を示して、何も語らず消え去る者も居た。
其の様子を見ていて、私が感じた事は、男性の、様々な生き方と人生は、地域の風物と、濃密に関係しており、男性の一生は、正に地域性を端的に現す、権化の様に想われた。
そう想って、右側後ろから、紙面を差し出した、両手の存在を確かめようとすると、右側後ろのエネルギー体は、たった一体の母性たる存在で、優しさの権化であり、生命の源であり、純粋生命体で、変化をしない根源の性質である事が解った。
私達男性は、その根源たる「母性の優しさ」が生み出す、風物の世界から生まれ、様々に変化している存在なのである。
女性は、何万人居ても、本質は一体であって、遺伝子を変化させて来たのは、精子運動の巨大化した姿である、男性の役目だったのである。
生命が、安定して存在を続けて来られたのは、女性(雌)の性質が、変化を好まず、畑「代謝系」を守護して来たからなのだろう。
雌の性質が、安定確保された物だけが、是まで、生物として存在を続けられたのだ。
男の性は、環境変化に因る情報を収集して、畑に持ち帰り、次世代の遺伝子情報を、変化させて来たのだ。
卵子は、一個有れば役目を果たせるが、精子(種子)は何億も必要とされるのは、環境に適合して行く為の、生命のシステムなのである。
今朝のメッセージに現れた、煙のような物の存在は、遺伝子のシステムに秘められている情報その物であり、「魂魄・こんぱく」と呼ばれて来た「たましい」の姿だったのであろう。
其の、無限に変化して行く魂魄の存在を、両手で支えているのが、永遠の母性性である「命・いのち」の存在なのだ。
お釈迦さんや、老子の様に、悟った者達が、どうして雌の立場を強調するのか、其れは、無限に変化を必要とする男性性から、根源の生命質の処へ返る出来事を、自ら体験したからではないだろうか。
私の意識では、今朝の霊夢の中では、男性の魂塊とは、相対した処に在り、自分を支えている力が母性であって、私の右手の行動は、其の母の働きの、代理である理・ことが示された。
私は、もう「男らしく無い」とか言われる事を、気にせずとも良いのだろう。母性の性質を、能く見定めながら、今後の行動を探って行きたいと想う。
物言わぬ、静かな母の姿こそ、万物を生生化育している、根源の働きの現れなのである。
一番、楽な「スガタ(素型)」に、今までどうして気付かなかったのであろうか。それは、やは
り私が、男だったからなのであろう。
男としての「頭(意識)」が枯れ、静寂の中に立ち返った時に、ようやく生命の本質の処が見えて来るのだ。
今朝の、メッセージの紙面には、中央に、年老いた屋久杉の姿が載っていた。
其れは、屋久島の老杉の存在が、私の智慧袋と、成っているのかも知れない。
平成15年12月12日
礒邉自適
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